異譚~部隊の奮戦~
「右翼、中衛!前にでろ!敵の増援に押し込まれるな!!」
視界を妨げる汗をぬぐいながら飛ばされた怒号のような指示に、部隊の兵士たちは即座に対応した。兵士たちが手に持つ小盾から半透明な障壁が展開されると、それらが組合わさって形成された防壁により、突撃を仕掛けた機獣が弾き返される。その隙に一旦後ろに下がった兵士たちが魔導銃による銃撃を放ち、防壁を押し込もうとしていた機獣を当たるを幸いに蹴散らした。だが、できたばかりのその残骸を呑み込むようにして、さらに多くの機獣が盾をもつ兵士へと殺到する。次々に現れる機獣の数はすでに数えきれないほどで、さらに兵士を上回る巨体を誇るものばかりだ。最新の魔導盾と機巧鎧、そして血の滲むような日々の鍛練をもってしても、鉄の臭いが漂う怒涛の波に抗うだけで兵士たちは精一杯だった。
ここに辿り着くまでに兵士たちはすでに数えきれないほどの機獣を駆逐し、進撃を続けてきた。その中の戦いで兵士たちは機獣たちが一種の戦術、波状攻撃のようなものを使うことに気づいていた。機獣は部隊に襲いかかる際に、必ず数個の群れを伴った複数回の突撃を繰り返す。それを正面から受け止めるのは彼らからしてみればひどく骨が折れることだったが、不幸中の幸いというべきか、群れが分かれているため一つ一つの襲撃の勢いはそれほどでもない。次の攻撃が来る前に目の前の敵を鉄屑に変えることで、部隊は敵の群れを突破してきたのだ。
しかし、ついに彼らの行く手を、多すぎる敵の群れが阻んだ。全力をもってしても陣形を保つのが限界であり、それも分厚い鉄の波が押し寄せるごとに少しずつ崩れていく。このままであれば、部隊の右腹はそれほど経たないうちに食い破られ、機獣の群れによる蹂躙を妨げるものはなくなってしまうだろう。
それを予感しながら、バリケードのように設置された六台の"魔導戦車"の内の一台の上に立って部隊を指揮する男は、眼前に広がる戦場の左翼に視線を移す。そちらは右翼とうってかわって血飛沫が踊る凄惨な戦闘が繰り広げられている。だが、あたりを染め上げているのは兵士たちの身体から流れ出た鮮血ではない。その大半は、部隊の攻撃により切り刻まれているグロテスクな肉の獣がこぼす、大量の血液だ。人間が憎くてたまらない、とでも言うかのように執拗に部隊目掛けて押し寄せる肉獣たちは、現在左翼の兵士たちにより押し止められている。そして、その戦況は右翼とは異なり、部隊が優位となって推移していた。
数も脅威度も機獣とそれほど変わらない肉獣たちを兵士たちが撃破し続けている理由は大きく二つあった。まず、肉獣たちは機獣と比べて知能が低く、機獣の群れが使う波状攻撃を使ってこなかった。その分、それぞれの個体は輪をかけて狂暴なのだが、こういった集団での戦闘においてはそれが有利に働く。そしてもうひとつの理由は、部隊が左翼に戦力を傾けていたことだ。敵の攻撃を受け止めているだけでは部隊が消耗する一方のため、少しでも早く戦闘を終わらせようという考えのもとだったが、左翼に限って言えばそれが功を奏していたのである。左翼での戦闘が落ち着けば、右翼へと増援を送ることができる。そうすれば、今は劣勢となっている機獣との戦闘にもけりをつけることができるだろう。
その左翼の戦闘で最も戦果をあげているのは、実験的に投入された"機巧式生体装甲"を操る突撃部隊だった。通常の機巧鎧と比べて三回りは大きい生体装甲は全体的に丸みを帯びた形状で、それが放つ質感により巨大な昆虫に見えなくもない。分厚い装甲に守られた兵士は特別な訓練を積んでおり、さらに生体装甲には彼らの動きを遅延なく補助、強化する機能が備えられている。彼らが握る専用の特大機巧剣と魔導長銃にも敵を殲滅するための様々な機能が組み込まれており、その戦力は通常の兵士の十倍以上と見積もられるほどだ。
虎の子とも言える突撃部隊の奮戦とそれを援護する後方支援もあり、肉獣の群れは時が経つごとにその規模を減らしている。これ以上の増援がなければ、なんとか右翼が崩れる前に左翼から応援を向かわせることができるだろう。
だが、そんな楽観は一人の兵士の報告によりあえなく潰えることとなる。
「敵増援!正面上空からです!」
警告に従って注意を向けた先には、鳥の群れのように羽ばたきながら迫る肉獣の群れがいた。上空からの接近ゆえ気づくのが遅れたのか、すでに群れは肉眼で全容が確認できるほどの距離にまで近づいている。カラスを口から無理矢理ひっくり返したような異様な姿の数十羽の肉獣は、一斉に駄々をこねる子供ののような甲高い泣き声をあげながら、部隊に向かって高度を落としはじめた。
「くそっ!魔導師は左翼から離れられねえか……仕方ねえ、壱号から参号は上空からの敵を迎え撃て!俺も加わるからさっさと片付けるぞ!装填!」
部隊長の命令に従い、壱号、弐号、参号と呼ばれる三台の魔導戦車に備えられた砲身が、一斉に上空へと向けられる。それまでは地上の敵を蹴散らしていた砲撃が、命令も待たずに近づく肉獣の群れへと放たれた。主砲三門と副砲九門による弾幕が形成されるが、さらにそこに純白の魔弾が加わる。
マントのように羽織っていた機巧外装、【機熱鋼膜】を変形させ、部隊長―イーデン―は六門の砲身を作り出すと、それぞれの銃口から眩い魔弾が放たれる。あまりにも早い連射数により空に六条の光の筋を描きながら、魔弾は空を飛ぶ肉獣の群れを凪払った。その威力により、身体を粉砕された肉獣の残骸がバラバラと地に落ちる。討ち漏らした敵も多いが、魔導戦車の砲撃を続ければ十分に殲滅が可能だろう。
敵の攻撃を退けたことによる安堵感と結構な量の体内魔力を一気に消費したことによる疲労から深く息をつくイーデンだったが、その油断に付け入るかのように彼の足元を強い振動が襲う。そして、それに対しての警告の声をあげる前に、イーデンの足元が爆発した。
何が起きたのか分からないまま宙に投げ出されたイーデンだったが、日頃の訓練の賜物か、無事に着地することに成功した。だが、目の前の光景を見て、思わず身動きもできないまま絶句する。
彼の目の前にあったのは、ありていに言ってしまえば鉄の蚯蚓だった。だが、その大きさは尋常ではなく、視界に入るのはまるで鈍色の大樹のような極太の巨体だ。イーデンがその巨体を見上げていると、その横に打ち上げられた魔導戦車が落下してくる。
中には数人の兵士が搭乗していたが、おそらくは無事では済んでいないだろう。そんな事実を冷静に受け止めながら、イーデンはほぼ無意識のうちに生成したままの六門の魔砲をすべてミミズに向けた。ミミズは巨大だが、それに見合うように動きは鈍重だ。現れた時の唐突さとは打って変わってほとんど動きがないミミズに数多の魔弾が殺到し、白い爆炎が巻き起こる。その衝撃と炎熱から逃れようと、ミミズは自分が掘った穴の中へ戻っていった。少しの間警戒を続けるイーデンだったが、ミミズが再び現れることはないらしい。
だが、それまで機獣と肉獣の双方を抑え込んでいた魔導戦車によるバリケードがミミズにより壊されてしまったため、瞬く間に戦局は急展開を迎える。生体装甲を纏った突撃部隊がいる左翼はまだ戦線を維持しているが、右翼はやすやすと機獣に押し込まれ、一気に劣勢へと追い込まれてしまった。
「このっ……クソッタレ!!おい!残ってる戦車は全部右翼の補助に回れ!左翼は俺と一緒に肉獣の殲滅だ!もう時間がねえ!一刻も早く敵を片付けて……」
イーデンは味方を鼓舞しながら自らも戦場へと駆け出そうとするが、巨大な何かが近づいてくる振動と音に気づき思わず足を止める。またしてもあの鉄のミミズがやってきたのかとイーデンは身構えるが、どうやら今回は地中からの接近ではないようだ。今イーデンや兵士たちが敵を迎え撃っている場所は高い丘の前、その丘に背を向けるようにして陣形を敷いているのだが、近づいてくる何かはその丘の向こうから戦場のほうに向かってきているらしい。刻一刻と増していく音と振動から察するに、何かはかなりの質量と速度を誇っているようで、今更複数人で迎え撃つのは無理そうだ。
覚悟を決めて丘の頂上を見つめるイーデンが見たのは、機獣のように金属の部品で駆動する巨大な汽車だった。汽車はグレルドーラでも一部の地域で運行しているため、一目でその正体を見抜いたイーデンだったが、突然丘の向こうから現れた車両は彼が知るそれと比べるとはるかに武骨であり、また妙に刺々しい見た目をしている。
丘を乗り上げるようにして疾走を続ける汽車は、イーデンの視界を横切って戦場へと向かうと、そのまま未だ右翼部隊の前に広がる機獣の群れに突っ込んだ。機獣を轢き潰しながら猛進を続けた汽車は、ちょうど群れの中心部分でようやくその動きを止める。突然の乱入車に兵士たちも思わず目を見合わせるが、損害を被った機獣たちは戸惑いの感情すら持っていないのか、すぐに行動を開始した。兵士たちへの攻撃の激しさはいったん鳴りを潜め、機獣の大部分が一斉に汽車に向けて攻撃を始めたのだ。汽車は装甲も分厚く、すさまじい速度で何体もの機獣に衝突したにもかかわらず目立った破損部位もない。だが、無防備に機獣の攻撃を受けていてはすぐに破壊されてしまうだろう。
正体は分からないが、あの汽車が機獣に損害を与えたことには違いない。この窮地を脱するためには、味方になりそうなものは何でも頼るほかない、そう判断したイーデンは部隊に命令を下す。
「作戦変更だ!左翼はそのまま肉獣との戦線を維持しろ!右翼!俺があの汽車までの進路を作るからついてこい!あの汽車に乗ってる奴と合流して、何とかこの場を乗り切るぞ!」
【機熱鋼膜】から刀身が深紅に染まった大剣を抜き放ち、イーデンは機獣へと斬りかかった。高熱を宿した大剣で金属の身体を溶かし斬るイーデンの斬撃によって、機獣の群れに突破口が開けられる。しかし、いくらイーデンが進む勢いがすさまじいといっても、彼らが築いていた戦線と汽車の間には結構な距離がある。汽車は一見して頑丈そうだが、それでもイーデンがたどり着くまでに汽車が原形を保っている保証もなかった。
だが、それはあくまでも汽車が一方的に攻撃を受けたら、の話だ。こんな戦場に突如飛び込んでくる汽車が、何の抵抗もなく機獣に蹂躙されるわけもなかった。
汽車の横にある扉が開いたかと思うと、そこから赤黒い触手があふれ出る。濁流のような勢いで質量を増し続ける触手により、近くにいる機獣はいとも簡単に薙ぎ払われてしまった。触手は機獣を蹂躙すると、すぐに汽車の中へと戻っていき、それと入れ替わるようにして汽車から鎧姿の兵士が現れた。汽車は大きいといってもそれほど中が広いようには見えない。先ほどの触手や汽車から続々と降りてくる兵士たちが収まる空間などないようにも思えたのだが、兵士が現れる勢いは一向に弱まることはない。ついには敵であるはずの機獣すらも兵士に紛れて汽車から現れるが、どういう訳か彼らは同じ種族であるはずの機獣と戦い始めた。それほど時間が経たないうちに、汽車から現れた勢力だけで敵の数も質も上回ってしまい、イーデンが汽車にたどり着くころには敵の残党を仕留めるほどまで形勢は逆転してしまっていた。
「おいおい、こんなことがあるのか?この汽車は一体何なんだ?」
イーデンの問いに答えることのできる者など、当然一人もいない。汽車から現れた謎の兵士たちは、周囲の機獣を全滅させると、ときの声も上げないままに今も左翼の部隊を苦しめている肉獣の討伐に向かったらしく、そちらの戦場でも目覚ましい戦果を上げているようだ。その、まるで機械のような淡々とした戦い方に、イーデンや回りの兵士たちはどこか薄ら寒さを覚える。
だが、助力に来た何者かだけに戦わせるわけにもいかない。イーデンと兵士たちは決死の覚悟で汽車のもとに向かっていたのだが、彼らがたどり着いた頃には倒すべき機獣は一体残らず仕留められていたのだ。後追いにはなるが、すぐに自分達も左翼に向かわなければと思考を切り替える。
そのために部隊を反転させようとしたイーデンだったが、開いたままの汽車のドアから彼を呼び止める声がかけられた。
「イーデン!よかった、間に合って……」
「ヒルダ!?何でお前がこんなところに……」
汽車から飛び降りたヒルダは、その勢いのままイーデンの胸へと飛び込む。周りの兵士から沸き上がる冷やかしの口笛を意図的に無視して、イーデンは愛しい彼女を抱き止めた。
「状況はさっぱり分からんが、とにかく助かった。一体、どこでこんなおもちゃを仕入れたんだ?」
「それが……実は私たちもある人に助けられたの。でも、その人は……」
「んん?そのマント、もしやお前はガイネベリアで会った兵士ではないか?」
声にしたがって視線を向けると、そこにいたのはあまりにも予想外な人物だった。何が面白いのか軽薄そうなにやけ面を浮かべたその男は、忘れもしない一周紀近く前に巻き込まれた大騒動で関わってしまい、そしてイーデンとヒルダがこんな戦場に来ることになった遠因を作った相手だった。
「お前は、ナナシ……」
「んー?なぜお前が俺の名前を知っている?……まあいい、そういうことなら少し話をしようではないか。お前たちには返して貰わなければならない借りが山ほどあるからな。キシシシシ」
汽車からイーデンとヒルダを見下ろすナナシは、それは楽しそうに物欲にまみれた醜悪な笑みを浮かべるのだった。
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