異譚~コナックの苦難~
「し、死にたくない……」
身につける鎧や兜を泥と血にまみれさせながら、コナックは武器を求めて地面を這いずる。先ほどまでは支給された自分の剣を手に握っていたはずなのだが、敵の砲撃を受けた際に意識と一緒に手放してしまったらしい。少しの意識の空白のあとにあたりを見回してみたが、少なくとも見える範囲に剣は落ちていなかった。上空は雨雲が支配しており、さらにそこから降り注ぐ雨により周囲は薄暗い。その薄暗さの中から今にもなにかが襲いかかってくるのではと、コナックは恐怖に怯えながら懸命に手足を動かした。
幸いにして武器となりそうなものはいくらでも地面に転がっている。剣や槍はもちろんのこと、腕ほどの長さがある牙や爪に、金属で構成された大きすぎる凶器など、持ち手を失った武器たちが重なりあってそこら中に落ちているのだ。
ほうぼうの体でコナックが手にしたのは、一見して三日月刃を刀身だけにしたような金属塊だった。反り返った金属塊の片側には刃が備わっており、その逆面にはなんとか手で握れそうな持ち手のようなものが二つついている。長さはコナックの半身ほどはあるため重さも相当なものだが、力だけは人一倍ある彼ならばなんとか振るえると思われた。
ようやく武器を手にすることができたコナックはそこから立ち上がろうと片膝をつく。すると、少しだけ高くなった視界に凄惨な光景が映った。いや、見る前から周りの状況のことなど分かっていたのだ。ただ、それを現実として受け止める勇気が彼にはなかったのである。
地面を埋めるのは、殺し合いの末生み出された数多の残骸たちだった。肉と金属が織り混ぜられた死の絨毯に最も多く編み込まれているのは、彼と同じ兵士たちの遺体だ。兜により顔が覆われているものも多いが、それ以外の遺体の表情は例外なく自らに訪れた死への恐怖に彩られている。
さらにそれに混ざるようにして、化け物たちの骸がそこら中に打ち捨てられている。悪夢から生まれたとしか思えない肉の怪物や、何を動力としているのかすら分からない鉄でできた猛獣など、彼が破壊すべき怨敵たちがそこで事切れているのだ。
覚悟はしていたつもりだったが、目の前の光景はそんな彼の心を意図も容易く踏みにじった。周囲に漂う血と臓腑の香りも相まり、這いつくばるコナックは思わず嘔吐する。
「あ"あ"……おええ!な、なんでこんなことに……」
彼がここに来た理由など、コナック自身も分かってはいない。"軍"のなかでも最下級に近い彼ができることは、ただ行けと言われた場所に行き、戦えと言われた相手と戦うだけだ。だが、その相手が想像すらしたことのない醜悪な怪物であるとは考えていなかったし、さらにその大群により自分が所属する部隊が全滅するなど夢にも思うはずがなかった。
なぜ、なぜ……ただその言葉だけが彼の頭のなかで反響するが、視界の端に捉えた動くなにかにより、意識が強制的に戦場へと戻された。そちらに注意を向けると少し離れた場所に積まれた死体の山が小刻みに動いていることが分かる。死体の影に隠れていた生き残りが出てきたのかもしれない。そんな淡い期待がコナックの脳裏を掠めるが、その希望はすぐに絶望により塗りつぶされた。
死体の山の中から現れたのは、部隊長が"肉獣"と呼んでいた化け物のうちの一体だった。仲間と連携して一度は仕留めたその化け物は、大雑把に言えばボールのような球体を為しているのだが、直径は大柄な男の丈ほどはある。さらにその表面には、巨大な人面が三つ貼り付けられており、本来眼球がある場所からは蜘蛛やサソリを思わせる節足が、口からは人を丸のみにできそうな大蛇が一本ずつ生えているのだ。
化け物を見たコナックは、無意識のうちに恐慌に陥りそうになる。あれと同じ化け物を仕留めたときには彼の部隊はまだ健在であり、十人以上の兵士たちと協力してやっとの思いで倒したのだ。そんな化け物と一人だけで戦うなどできるはずがない、そう結論付けた彼はひっそりとその場を後にしようとするが、一歩目を踏み出した場所が不味かった。足元の確認を怠った彼の足はすぐそばに転がっていた兜を蹴り飛ばしてしまったのだ。蹴られた兜は近くの兵士の遺体が纏っていた鎧と衝突し、金属同士がぶつかる硬質な音が響く。
しまった、そうな内心で毒づいてももう後の祭りだ。コナックが慌てて化け物の挙動を確認するが、彼がそちらに目を向けたときにはすでに化け物は彼の方へと向かってきていた。
退くか迎え撃つか、揺れるコナックだったが、化け物をよくよく見てみると、相手の動きも精彩を欠いていることに気づいた。解体した後の家畜の肉をもう一度繋ぎ合わせたような気色悪い血色の全身にはいたるところに矢が刺さっており、さらに全部で六本あるはずの足は三本に、三匹の大蛇は一匹にまで切り落とされている。損傷ゆえか、化け物の歩みはひどく遅い。今すぐコナックが踵を返せば、少なくともこの化け物からは逃れることができるだろう。だが、次に化け物がとった行動を見て、コナックの足が止まった。
その醜悪な化け物は、彼の目の前で兵士たちの死体を食べはじめたのだ。化け物は実際の蛇のように近くに転がっている遺体を丸のみにすると、何かの感情を表すかのように小刻みに身震いする。その光景を見て、コナックの心に怒りが燃え上がった。自分たちはこんな化け物に補食されるために戦場に来たわけではないし、志半ばで倒れた仲間たちは丁重に葬られるべき英雄だ。その思いに突き動かされ、コナックは化け物に向かって駆け出したのである。
精神的には追い詰められており、着用している鎧にも破損が目立つが、彼自身の身体には幸いにして大きな怪我はない。さらに彼の全身は腹の底から際限なく溢れてくる怒りで満ち溢れていた。それを動力に、コナックはぬかるむ大地を疾走する。
彼が今手にしている武器は全長こそ大きいが、持ち手が刃のすぐ裏に付いているため、攻撃ができる範囲としてはかなり限られている。効率的な斬撃を繰り出そうとするなら、化け物にかなり接近する必要があるだろう。それを理解していたコナックはまずは敵の動きを見極めるべく、走る速度を緩めた。
化け物は矮小な獲物をしとめようと残った三本足のうちの一本を振り上げた。足は強固な甲殻に覆われており、さらにその先端は槍のように尖っている。化け物の質量と合わされば、コナックの身体など簡単に串刺しにされてしまうことだろう。だが、いくつもの傷により化け物の動きはひどく鈍くなっている。コナックを狙った攻撃もどこかぎこちなく、集中力が増した彼がそれを避けるのは難しいことではなかった。軽く身をかわせば、コナックの足元に化け物の足が突き立てられるが、それは彼の攻撃範囲に化け物を収めることができたということだ。狙い通りにチャンスを手に入れたコナックが刃を振るおうと腕を振り上げるが、そんな彼の横から化け物の口腔から生える大蛇が襲い掛かる。
コナックはこのチャンスを逃すものかと刃を振るったが、武器の重量と彼の剛腕をもってしても化け物の足を切断することはできなかった。甲殻を砕き割り、節足をへし折ったところで刃は止まってしまい、コナックは大蛇の突撃を正面から受け止めることになってしまう。
なんとか足から抜き取った刃で大蛇を止めようとするが、コナックと化け物の重量の差は大きい。渾身の力を込めても、コナックの身体は後ろへと押し込まれていく。目の前でかち鳴らされる蛇の牙に背筋が寒くなるが、なんとか軸をづらして大蛇から逃れたコナックは、次は目の前にある大蛇の身体に向けて刃を振るった。大蛇の全身も鱗に覆われているのだが、足を守っていた甲殻と比べれば遥かに脆い。今度こそ刃の一撃により、大蛇の頭を切り落とすことに成功した。
頭部を失ったことにより、化け物はありもしない喉から叫びを絞り出すかのように身をよじった。明らかにひるんだ様子の化け物を見て、コナックは攻勢へと転じる。まずは先ほどダメージを与えた足に切りかかり、それを完全に潰した。さらに体勢を保てなくなった化け物を八つ裂きにしようとコナックは刃を振るい続ける。やがて周囲も彼の全身も化け物から噴き出した血に塗れたころ、ようやくコナックはその手を止めた。彼が見下ろす先にあるのは、ピクリとも動かない死骸となった化け物の姿だ。
「や、やった……勝ったぞ!俺は勝ったんだ!」
勝利の咆哮を上げたコナックは、再び周りに視線を向けた。とにかくここに居続けるわけにはいかない。できればほかの生き残りを見つけて移動を開始しよう、そう考えたコナックだったが、突然後ろから衝撃を受けたかと思うと、腹部に得体のしれない熱が広かる。
「え?」
視線を下げたコナックの目に映ったのは、自分の腹から突き出る金属の杭だった。杭の先端は血に濡れており、その血は過たず彼の身体から溢れているものだ。一体何が起こったのか、その答えが出る前に、さらにもう一つの杭が彼の身体を貫く。思わず前方にたたらを踏んだコナックの身体から杭が抜けるが、それと共に彼の身体から失ってはいけない何かまで奪われたようだった。急速に力が抜ける足を踏ん張り、コナックは倒れこみながらも何とか後ろに振り向く。
そこにいたのは、先ほどの肉獣と変わらない大きさの、全身が金属で構成されたなにかだった。確か仲間たちが”機獣”と呼んでいたそれは、二枚貝を思わせる分厚く大きな甲羅の隙間から何本かの触手をくねらせており、どうやらそのうちの二本で彼を防具ごと刺し貫いたらしい。そこまで理解したコナックだったが、ついに自分の体重を支えることすらできなくなる。力なく倒れたコナックはその視線だけで機獣を追う。
相手もすでにコナックが死に体であることはわかっているのだろう。触手を足代わりに、いやにゆっくりと彼のほうへと近づいてくる。すでに動くことすらままならない彼にできることは、ただそれを見ていることだけだ。機獣の触手は伸縮自在のようだが、まだ機獣はコナックにとどめを刺さない。いよいよ機獣が彼のそばへと迫るが、最初に機獣の触手が振るわれた先にあったのは肉獣の死骸だった。すでに動かないはずのそれに対して、機獣は執拗なまでに攻撃を加える。ついには肉獣の全身が細かな肉片にまで粉砕された頃、ようやく機獣はコナックを標的に定めたようだ。すでにコナックの身体からはかなりの量の血液が失われており、その命は風前の灯火だ。もはや指一本動かすことすら億劫になっているが、まだ彼は諦めてはいなかった。倒れたまま後ずさり、背もたれとなる機獣の残骸を探り当てると、力を振り絞って上半身を起こす。
視界の先で揺れる五本の鋭い触手の一本がコナックに迫るが、彼は手にした刃を倒れたままに振るった。背もたれを支えに何とかその攻撃を跳ね返すが、さらにそこに連撃が加えられる。三発目まではなんとか凌いだコナックだったが、ついにその手から刃までもが弾き飛ばされてしまった。
「ちくしょう……ここまでか」
腹を括ったコナックは手足を地面に放り投げ、憎々しげに機獣を睨む。全身が金属で作られた化け物には、きっと感情など宿っていないのだろう。だが、それを知りながらも、コナックは憎悪の感情を敵にぶつけることを止められなかった。当然憎しみと視線だけで敵を止められるわけはない。だがどういう訳か、彼の目の前で機獣は体の向きを変えた。
コナックも思わず機獣が向いた方角を見るが、そちらはちょうどなだらかな丘になっており、何かが向かってきているとしてもその正体を見定めることはできない。だが、それが何であれ、幸いにして機獣の敵であったらしい。
突如機獣の周囲に黒い炎が灯ったかと思うと、その全身が黒い炎に包まれる。金属でできているはずなのに痛みに悶えるような様子を見せる機獣に、丘の頂上から現れた鎧の一団が殺到した。いつの間にか移動していたのか、丘の上に突如として出現した全身鎧をまとった兵士たちは、巨大な敵にひるむこともなく突撃し、手に持つ武器を機獣に叩きつける。集団の中には特に強い兵士が何人か混ざっているようで、その者たちが武器を振るうたびに機獣の触手が切り落とされていく。それほど時間もかからないうちにすべての触手を失った機獣は、特に大柄な兵士によって分厚い甲殻ごと本体を両断されてしまった。敵を仕留めたことを確認した兵士たちは、鬨の声を上げることもなく周囲の警戒を始めたようだ。
「お、おい……助けて……」
見たことがないが、おそらく彼らは自分と同じ軍に所属する兵士たちだろう。そう思って助けを求めるが、すぐそばにいるにもかかわらず、彼らはコナックの声が聞こえていないかのように、彼の横を過ぎ去る。あまりにも非情な行動に目を疑うが、やはり兵士たちは彼を見ることもしない。刻一刻と薄らいでいく自分の意識を何とかつなぎとめようとしていると、兵士たちが現れた丘から男と思われる新たな人物が近づいてくる。
「あ、ああ……」
もはや意味がある言葉を発することすらできない。せめて気づかれるようにとその男に向かって手を伸ばすと、幸運なことに倒れたコナックの姿を見とめたようだ。だが、男が近づいてくるまでにコナックは意識を保つことができそうにない。最後に彼の耳がとらえたのは、『キシシ』という歯と歯が擦れあうような気味が悪い笑い声だった。
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