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異譚~ゴルタラによる蹂躙~

「ひょっひょっひょ、いいざまだのお。王子を誑かす悪人にはお似合いの恰好じゃ」


 耳障りなかすれ声で、グリッサムの宰相-ベンレール-は牢に閉じ込められた無法者を嘲る。その言葉を受けた"悪人"は、なんの言葉も返さないまま、ただベンレールを見つめていた。ベンレールはその表情から怒りも恐怖も感じとれず、顔に張り付かせていた笑みを自らの腹の中へと嚥下する。


「王子の護衛を果たしたというのに、随分な扱いではないか。まさかここが宝物庫とは言わないよな?」


「宝物庫ではないが、ここでなら好きなものを持っていってよいぞ。石とカビしかないがなあ」


 やはり侮蔑の感情を隠さないベンレールは、足元に転がる白い本へと視線を移した。それに気づいた彼の部下である文官の一人が身をかがめて本を拾おうとするが、本に触れる前にベンレールが右手に握っていた杖を振るって強かにその手を打つ。


「馬鹿者、安易にその本に触れるでない。あの者以外がそれに触れれば、どんな呪いが降りかかるかわからんぞ」


 ベンレールの言葉に、二人の文官は思わずといった様子で後ずさった。それをため息交じりに見ていたベンレールは、追い払うように分館たちに向かって手を軽く払う。


「もうよい。お主たちは上に戻れ。あとは儂がやっておく」


 その指示に従い、文官たちは文句を言うことなく牢獄の階段を上に上がっていく。完全に彼らが離れたことを確認したベンレールが、改めて牢の中のナナシに向き直った。


「お前、この本のことを知っているのか?」


「当たり前じゃ。お主のこともその本のことも大体調べはついておる。お主、"オトシモノ"であろう」


「……」


 自分への問いかけに無言で返すナナシだったが、ベンレールはその沈黙から質問の答えを察したらしい。


「なんじゃ、お主、自分が何者なのかも知らなんだか。そうか、ジーンはそこまでは教えなかったようじゃな」


「待て、なぜそこであいつ(ジーン)の名前が出てくる?」


 思いがけず聞くことになった名前にたまらずそう問いかけるナナシだったが、ベンレールは今度の問いには答えるつもりはないらしい。


しばしのあいだ思考の海に沈んだベンレールは、ナナシと本を見比べるように数回視線を移す。


「……ふむ、いろいろと聞きたいこともあるが、しばらくはそこで大人しくしておいてもらおうかのお」


「なに?お前、その本が欲しいのではないのか?ヘメンディレスの奴は血相を変えてそれを奪いに来たぞ?」


 高位貴族の名前を聞いたベンレールは、先ほどの笑いとはうってかわって呵呵大笑をあげる。


「かっかっか!あやつは知識こそ多いが、肝心なことを知らんからな!それに一番大事なことを分かっておらん」


「一番大事なこと?」


 聞き返すナナシに、ベンレールは勿体ぶるような動作で懐からなにかを取り出す。


「そうじゃ、"好奇心は猫をも殺す"ということじゃよ」


 ベンレールの手に握られていたのは、ナナシが取引の末にヘメンディレスに渡したはずの【御霊(ミタマ)】であった。それを見たナナシは、それだけでなにかを察したらしい。


「そうか、披露宴にヘメンディレスの姿が見えないと思ったが、お前にシメられていたというわけか」


「なに、丁寧に(・・・)頼んだら喜んで渡してくれたわい。まったく、誰も彼も余計なことをしようとしおる」


 その物言いに違和感を感じたナナシは、質問を続ける。


「わざわざヘメンディレスからそれを奪ったのだから、お前もそれが欲しかったのではないのか?」


「ふん、本来ならばこんなもの欲しいとも思わん。だが、他の者にこれが渡るのは困るのでな」


「そうか、てっきりお前もあの本(・・・)に書かれていた儀式をするものだと思ったが、そうでないなら渡し損だな」


 落胆の言葉を聞いたベンレールは、眉をひそめた。あたかも計算外だとでもいうように、ナナシを睨み付ける。


「なぜお主があの本の内容を知って……いや、それもこの白き本の力か。まったく忌々しい」


 ベンレールが言うように、ナナシは【命廻死巡之異文書(ネイレパスオレア)・序巻】を直接読むのではなく、一旦全書に収納したあと、全書に複写された内容を確認していた。ナナシの知るところではなかったが、どうやらそれにより魔本に施されていた何らかの仕掛けをクリアしていたらしい。

 それはナナシが意図したところではなく、それゆえ物欲にしたがって言葉を続ける。


「おい、ベンレールとやら。【命廻死巡之異文書(ネイレパスオレア)・序巻】の続編を寄越すのなら、それを護衛の報酬としてやってもいいぞ。ついでにこの扱いについても不問としようではないか」


「……この期に及んで何を言うかと思ったら、貴様、自分の立場が分かっていないのか?よくもそれほど厚かましく振る舞えるものよ」


 呆れを隠さずにベンレールが牢の中のナナシを嘲るが、当のナナシは怯んだ様子もなく言葉を放つ。


「それはこっちの台詞だ。お前、俺はどうにかできても、"全書"には触れもしないんだろ?確かに今のままでは牢から出られないが、同時にお前の目的も果たせないんじゃないのか?」


 ナナシはベンレールがここに来た理由は、ヘメンディレスと同様に全書にあると考えていた。そうであれば、全書を手にしていない今の状況は、ベンレールにとっても都合が悪いはずだ。

 だが、ベンレールはやはり余裕の表情を崩さない。それも駆け引きのひとつかと思うナナシだったが、次の言葉を信じるならそれは間違いであるようだった。


「まったく憐れだのう。まだ自分は特別だと思うておるのか。貴様にもこの本にも、さしたる興味などないわ。貴様はここでこの本と一緒に朽ち果てればよい。儂が手を下すまでもないわ」


「ほお……なるほどな。だが、アンテスが黙っていないんじゃないか?俺がここで干からびる前に、あいつがいろいろと調べてくれるだろうな」


「なに、心配するでない。王子殿、いや、今は時期王君か。とにかくアンテス殿は明日になれば貴様を気にしている余裕などなくなるからな。安心してここで朽ちていくとよかろう」


 それだけ言うと、ベンレールはついにナナシに背を向けて牢をあとにしようとした。未だ鎖により囚われたままのナナシはその後ろ姿を憎々しげに睨むが、ついにたまらず声をあげる。


「おい!最後に聞かせろ!なぜお前はそこまでして俺の邪魔をしようとするんだ!【御霊(ミタマ)】も全書も、放っておけばいいだろう!!」


 ナナシの怒りを感じ取ったのか、はたまた彼の心中で変化があったのか、ともかくもベンレールは進めていた歩を止めた。


「……この王都に必要なのは、永遠の平穏だけなのだ」


「なに?」


 盃の縁まで満たされていた水がついにゆっくりと溢れだす、そんな調子で呟いたベンレールの声音に思わず聞き返すナナシだったが、彼の独白は続く。


「我らアンデッドは終わりなき死でもって生を謳歌する者。ひと度そこから逸れようものなら、必ずや破綻が起きてしまうのだ」


「だから、いったい何を言っているんだ?」


「やかましい!御霊(このような)ものがあるから誰も彼も余計なことを考えよるのだ!ヘメンディレスや()の実験など、儂が潰して……」


 声を荒げるベンレールだったが、突如激しい眩暈に襲われる。同じ症状が彼の視線の先にいたナナシにも起きたが、数瞬の後に眩暈が収まると、ナナシは自分の目を疑った。


 薄暗い石牢の中にで地べたに座っていたはずのナナシは、気づくと荘厳な広間の中央にいた。すぐに周囲を確認するが、そこが玉座の間であるとこに気づく。

 なぜなら、彼の背後、少し離れた場所に、玉座とおぼしき絢爛な椅子が置かれており、そこに一人の男が座っていたからだ。玉座に座った男は、足を組んで本を読んでいるようだった。男が読んでいる本の正体に気づいたナナシは、思わず声をあげる。


「おい!全書を返せ!それは俺のだ!」


 反射的に手を伸ばそうとしたナナシだったが、それは未だに手に繋がったままの鎖により妨げられた。鎖の先端は大きな鉄球に繋がっており、そこからの移動はできそうにない。

 だが、少なくとも声は届いたらしい。全書から視線をあげた男は、玉座に座ったまま、ナナシを見る。

 男は一見してかなり若い見た目だった。どこか見覚えがあるような整った容姿だが、その中にあって目だけが異様に赤く、黒々とした前髪が時折目元を隠す。全体的に細身な身体は質の良さそうな服に包まれており、全書を持つ手にはひとつの染みもなかった。

 悠長に男の容姿を確認していたナナシだったが、なにも言わず視線だけを自分に寄越す男を見てあることに気づいた。


「お前、全書に触れているのになぜ動ける……おい、やめろ!」


 男は視線を手の中の全書にやると、突然興味を失ったのか、それをナナシの方に放り投げた。勢いが足りず前方に落ちた全書をナナシは掴もうとするが、四肢を拘束する鎖のせいで手が届かない。必死に全書に手を伸ばすナナシを見ながら、男は初めて口を開いた。


「まったく悲しいよなあ、ベンレールよ。長らく共に歩んできた仲間に自分の夢をとぼされるばかりか、邪魔までされちまうんだ。あっはっはっは!」


「オ、オウオ……」


 ナナシの横から呻き声のような音があがる。そちらを見たナナシの目に映ったのは、変わり果てたベンレールの姿だった。両腕両足は残らず胴体から切り離されて床に転がっており、さらに首すらも半ばまで切り裂かれている。アンデッド特有の高い耐久性によりまだ意識はあるようだが、床に広がった長髪がその光景の無惨さに拍車をかける。

 玉座から腰をあげた男は、ブーツと床がぶつかり合う高い足音を響かせて身動きができないままの二人へと近づく。必然的に二人は男に見下ろされることになるが、当然なにもできずに床に這いつくばることしかできなかった。


「おいおい、さっきまでの威勢はどうした?お前はこの本がなければ立ち上がることもできないのか?ええ?」


 男は一度は投げ捨てた全書を再び拾い上げる。そして、さもつまらなさそうにそのページを捲り始めた。


「どんな"神器"を持ってるかと思ったら、こんな下らんもんだとはな。中に入ってる物もつまらんものばかり。俺の国に来るなら、もっとましなもんを持ってこい!」


 そういい放つと、男は床に這いつくばるナナシの顔面を思い切り蹴りあげた。鎖ごと身体が浮くほどの衝撃にナナシはたまらず揉んどり打つ。


「がっ……!お、お前、いったい何者……」


「俺が誰かだと!?んなこと、言わなくても分かんだろうが!」


 激昂した男は床に倒れるナナシを何度も蹴り、踏みつける。男の言動から自分を蹂躙するこの男がグリッサムの王である"ゴルタラ"であることは察しがついていた。だが、ナナシが知りたかったのは、なぜゴルタラが自由に全書に触れることができるのか、ということだ。

 ゴルタラはその真意に気づく様子もなく、攻撃を加え続ける。ついに彼が満足したころには、ナナシはもうろうとする意識の中で、赤子のように身体を丸めることしかできなかった。


「それにベンレール。言っておくが俺は今さら【御霊(ミタマ)】なんぞいらねえ。儀式はとっくに次の段階に進んでるし、お前が何をしようが止めることなんてできねえんだ。確かにこの……"全書"だったか?まあ、とにかくこいつは役に立つかもとも思ったが、期待はずれもいいとこだ」


 ゴルタラが楽器の弦をつま弾くように人差し指を軽く動かす。すると、半分ほどの体積となったベンレールの身体が音もなく浮かび上がった。重力から解き放たれたベンレールだったが、無論自分の意思で動くことはできず、抵抗もできないままゴルタラの眼前へと運ばれた。


「お前については色々と言いたいことがあるわけだが、その前になにか言い分はあるか?今なら特別に聞いてやってもいいぞ?」


「オ、オウオ……カッ……ハヒハ……!」


 ベンレールはなにかを言おうとするが、いくら語ろうとしても切り裂かれた喉から空気が漏れ出るばかり。ゴルタラはそれをさも滑稽そうに見つめるが、それほど経たないうちに興味を失ったようだった。


「まったく……つまらんなあ、ベンレール。今まで何度も俺の邪魔をしようとしてきたのだから、最後くらいはなにか俺を驚かせるようなことをしてみたらどうなんだ?」


「それなら私が驚かせてあげましょうか?」


 声が聞こえた方に目を向けようとしたゴルタラだったが、その前に彼の手から全書が弾かれた。さらに落ちる全書の中から半透明のなにかが現れ、ゴルタラの身体を貫く。その衝撃に二三歩押されたゴルタラは、嬉しそうにその顔を笑顔で歪めた。


「おお、確かに驚いたぞ。こんなところで封印したはずの我が妻に会うことが出きるとはな」


 振り向いた先にいた幽体(ゴースト)、アリアナを見て、ゴルタラは大きく腕を広げる。


「おいおい、感動の再会じゃあないか。わざわざ俺に会うためにあの本の中に閉じ籠っていたのか?まったく、お前の愛には胸を打たれるよ!」


 大袈裟な身振りで再会を喜ぶような台詞を吐くゴルタラだが、その顔に浮かぶ笑みはあまりにも薄く、彼の心の中に些かのさざ波も立っていないことを隠すつもりもないようだ。そして、それを見つめるアリアナの顔には悲嘆にくれるような、あるいは全てを諦めたような悲壮な表情が象られている。


「……ダメね、私ったら。この時を迎えたら何を言ってあげようかずっと考えてたのに、やっぱりあなたには憎しみの言葉しか伝えれそうにないわ」


「あっはっは!ずいぶん寂しいことを言ってくれるじゃあないか!腐肉街の奥にお前を留めておいたのは、ひとえにお前への愛ゆえだ!俺の目的の礎になるなら、お前にとってこれ以上の幸せはあるまい!」


「私が眠ってる間にとうとう気まで狂ってしまったのね。それに、私の娘にした行いは絶対に許さないわ」


 押さえきれずに溢れ出た怒りの感情がいり混ざるアリアナの言葉を聞き、ゴルタラはふいに押し黙った。そして、突然別人になったかのような低い声で、怨嗟の言葉を吐き捨てる。


「仕方がなかろう。お前の娘はアンテスを誑かし、あのバカに余計なことを吹き込みやがった。おかげでバカはよりバカになり、あのクソ(アマ)を追いかけて実験場からも逃げ出す始末だ」


「実の息子をそんな風に言うなんて、やっぱりあなたは最低の男だわ。二人の披露宴にも興味がなかったようね」


「はっ!何が披露宴だ!アンデッドの(・・・・・・)真似をしたなにか(・・・・・・・・)がやることなんざ、ままごと以下の価値もねえ!」


 何がそんなに腹立たしいのか、ゴルタラは青筋を立てんばかりに怒る。だが、それに相対するアリアナは、この場に現れて初めての笑みを顔に浮かべた。


「あら、今日の披露宴は本当に素晴らしいものだったわ。娘の晴れ姿を見られるなんて、夢にも思っていなかった……」


「お前、わざわざそのために本の中に……」


 そういえば自分の手から離れた全書はどこにいったのか、その考えがゴルタラの頭を掠めた瞬間、彼の首筋に衝撃が走った。首にぶつかった大剣に手を置いて、ゴルタラは自分に攻撃を加えた不届き者を睨む。


「話の邪魔をするんじゃねえ。黙って這いつくばってりゃいいだろうが」


 いつの間にか鎖から解き放たれていたナナシの手のひらの上には全書が乗っており、さらにそこから呼び出されたナナシの奥の手ー【聳え立つ壁剣の威光(ガザル・ジルラド)】ーが握る大剣は確かにゴルタラの首めがけて振るわれていた。だが、結果として大剣による斬撃は敵の皮一枚すら切り裂けず止まっていた。

 我が目を疑うナナシを尻目に、ゴルタラが軽く腕を振るうと、【聳え立つ壁剣の威光(ガザル・ジルラド)】の巨体が容易く宙に舞い、離れた壁に叩きつけられる。壁に大きな凹みを作りつつもすぐに立ち上がる自動人形だったが、それを見るゴルタラは大きくため息をついた。


「どいつもこいつも虫みたいに這い回りやがる。足が一本なくなれば大人しくなるか?」


 そう言いながら、ゴルタラが一度だけ指を鳴らした。すると、【聳え立つ壁剣の威光(ガザル・ジルラド)】の右足が急速に錆び付いていき、破砕音とともに砕けた。さらに、似た現象が持ち主(・・・)にも現れる。

突然発生した自身の異変に気づくナナシだったが、彼がなにかをする前にその右足が腐り落ちた(・・・・・)


「な……ぐあああああ!!!」


右足がなくなったことにより、ナナシは激痛に悲鳴を上げるながら倒れた。アリアナが彼に近づこうとするが、その間にゴルタラが立ちふさがる。


「少々喧しいが、これで邪魔されることもないだろう。折角の再会なんだ。ゆっくりと話そう……」


「ナナシさん!無事ですか!?」


「……まったく、いい加減にしてくれ」


 うんざりという感情を隠しもせず、ゴルタラは部屋の入り口に視線を向ける。そこにはまだ正装を身に付けたままのアンテスが立っていた。よほど焦っているのか、彼にしては珍しく息を切らせている。

 そんなアンテスを見るゴルタラの表情はどこまでも冷えきっていた。


「おい、どの面さげて俺のとこに来やがった。また気色悪い肉塊に戻りたいのか?」


「人の友人に無礼を働いておいて、よくもそのようなことが言えますね。そもそもあなたにはなんの用事もありません。ナナシさんを連れて帰りたいだけです」


 そう言いながら玉座の間に踏み込んだアンテスは、ナナシの元へと歩いていく。ゴルタラはそれを眺めているだけだったが、アンテスがナナシを助け起こしたところで、気が変わったように口を開いた。


「やっぱやめだ」


「……おや、それはここから大人しく帰らせてくれるということですか?」


 アンテスが問いかけるが、ゴルタラはそれを一笑に付す。


「んなわけねえだろ。もう耐えるのはやめるってことだ。お前には霊薬(エリクサー)に戻ってもらう」


 それを聞いたアンテスは、ナナシを背に庇いながらもゴルタラに相対する。その様子からは余裕がなくなり、険しい表情が端正な顔に浮かんでいる。


「そんなことを言い出すなんて思っても見なかった、って顔だな。相変わらずお前は楽観がすぎる」


「すでに披露宴も終わり、当然貴族たちへの根回しも済んでいます。ここで僕がいなくなればどうなるか、分かっていないはずはありませんよね?」


「はっ、ここはもともと俺が作った国だ。他の奴等がいくら騒ごうが、なにも問題はありやしねえ。そもそもお前がいなくなれば、俺の相手をできる奴なんざいねえしな」


 事情を知らないナナシにはついていけていないが、どうやらゴルタラとアンテスは明確に敵対してしまったようだ。さらにこの状況ではアンテスの分が悪いらしい。

 だが、アンテスはは追い詰められながらもまだ諦めていないらしく、ナナシに肩を貸しながらゆっくりと後ずさる。ナナシの右足はすでに腐臭を発するほどに腐敗が進んでいたが、ナナシは立ち上がり際に全書に腐った右足を収納していた。


「そうですか、それは残念です……本当に心から。ですが、私以外の驚異はないというのは、少々驕りがすぎるのでは?」


 ゴルタラはアンテスとナナシの背後を見やる。そこには持ち主と同じように右足を失った【聳え立つ壁剣の威光(ガザル・ジルラド)】が這いずるようにして戻ってきていた。まさか、あの自動機装オートマタをまだ頼りにしているのか、その考えがゴルタラの頭を過るが、その考えはすぐに覆されることとなる。


 ゴルタラの足元を突如衝撃が突き抜けたかと思うと、床を突き破ってなにか(・・・)が現れた。それは巨大な大蛇のようにのたうち回り、数秒のうちに玉座の間の床と壁を埋め尽くす。なくなった床の代わりに未だ蠢くなにかに着地しようとしたゴルタラだったが、自分に向かって伸びてくるそれを見て、突然の襲撃の正体に気づいた。


「おいおい、この部屋を森にする気はないぞ!」


 部屋を埋めるものが異様に生い茂る樹木だとゴルタラが気づいた瞬間、彼に迫っていた根の槍が瞬時に腐り落ちた。腐敗の範囲は波紋が広がるようにして急速に大きくなっていくが、それを塗りつぶそうとさらに樹木がうねり育つ。

 一瞬腐敗と成長の速度が拮抗したタイミングで、ゴルタラの周囲に四つの光球が出現した。まばゆい光を放つ球体のうち、二つに向けてゴルタラは両手を向けるが、その腕にやはり光輝く鎖がまとわりつく。


「次から次とめんどく……」


 悪態をつくゴルタラに向かって、樹の影からフードと外套で全身を覆ったなにかが飛び出してくる。ゴルタラに近づくほどにそれが身に纏う衣服の腐敗が進むが、その進行速度は樹木と比べると極端に緩やかだ。

 油断していたのだろう。結果としてゴルタラはその襲撃者の接近を許し、そして一撃でもって左腕を食いちぎられた。

 なくなった左腕を驚愕の表情で見つめるゴルタラだったが、彼がなにかを口にする前に、四つの光球が同時に炸裂する。四つの爆発と衝撃は全てが指向性を持ち、中心の標的を消し去ろうと囲われた空間を蹂躙した。


「おお、これはこれは、思ったよりも見ごたえがあるではないか!」


 聞き覚えのある声にナナシが視線を上に向けると、樹木から生えた枝に白衣の姿があることに気づく。


「なんでお前がこんなところに……いや、そういえば王都で会おうとかいっていたか」


「いや、別に会おうとはいっていなかったと思うがね!まあ、この再会は偶然と必然の賜物、といったところではないかな」


 白衣の女、ジーンは以前と変わらない飄々とした様子でナナシに答えた。さらにその声に呼ばれるように、樹木の裏に隠れていた四人の姿が現れる。その中にもやはり見覚えがある顔が混ざっており、次は弱々しいながらもナナシの顔に笑みが浮かんだ。


「まさか、お前とも再会できるとはな、ケラスタ。そんなに【御霊ミタマ】が欲しいのか」


「やあ、ナナシ。確かにここに来た理由の何割かはそうだけど、今回の一番の目的は君じゃないんだ。こっちにも色んな事情があってね」


 そう語るケラスタの周りに彼の仲間であろう三人が集まる。その三人ともナナシは見覚えがなかったが、女装した大男や聖職者然とした少女などとそのメンツはなかなかに濃い。だが、その中で最も異様だったのは、ゴルタラの片腕を食いちぎった子供のような存在だった。その何者かは左腕に抱えたままの左腕をさも美味そうに貪り食っているのだ。左腕に纏わり付く衣服の残骸もろとも一心不乱に食らいつくその姿は、人というよりは獣が餌を食べている姿に近い。

 ものの数秒で腕の全てを食らいつくした何者かが頭を上げると、腐敗により破れかけたフードが外れ、ナナシと目があった。恐らくは男児であろうその顔は直前の行動が嘘であったかのように穏やかで、いっそ無気力といってもいいほどだ。ナナシを見つめ続ける男児の頭を、となりに立つケラスタが優しく撫でる。


「グラッタ、なんでも食べるのはいいけど、身体に異常はないかい?いくら敵とは言ってもあいつはアンデッドの親玉だからね。お腹は壊さないようにするんだよ?」


 ケラスタの言葉に男児ーグラッターは小さく頷いた。一見ほほえましい光景だが、移管せん状況が状況だ。

 ケラスタの後ろに立つ大男と少女は、未だ油断なく爆心地に視線を向けている。


「か~なり手応えはあったけど、仕留められたかしらん?ジーンに借りた杖で威力は十倍以上だったのだけどー!?」


「分かりません。これで終われば楽……」


「……久しぶりだ」


爆炎と煙の中から現れたゴルタラの姿は、彼らが期待したとのとはまるで違うものだった。失ったはずの左腕すらすでに元通りになっており、服装には焦熱の痕跡すらない。損害の跡があるとすれば、腕とともに千切られた左の袖くらいだ。

まさに健在なままのゴルタラだったが、その表情は憤怒の色に染まっている。


「こんなに不快な気分にさせられたのは久しぶりだ。お前らは俺の邪魔をしないと気が済まないのか?」


 ゴルタラはケラスタとジーンを睨み付ける。さらにゴルタラは、グラッタにも視線を向けるとさらに顔を歪めた。


「まさか三人目の"オトシモノ"までいるとはな。お前の場合はその牙が与えられた"神器"って訳だ」


 聞きなれない言葉にナナシが反応しようとするが、彼の体力はすでに限界が近いらしい。アンテスにすがりながらも崩れ落ちそうになるナナシを、いつの間にか近くに移動していたアリアナが支える。二人のアンデッドに助けられながら、ナナシは弱々しく項垂れた。その姿を見て、アンテスは行動を起こすことを決める。


「ケラスタ!ジーン!私はナナシさんを助けるために一旦引きます!その間のあれ(・・)の相手は引き受けてくれますね?」


「もちろん」


「はっはっはっ!王子の頼みとあれば仕方ないな!」


 快諾をする二人に微笑みかると、アンテスはアリアナと並んで宙に浮いた。もちろんその間に挟まれるナナシも一緒なのだが、その前に傍らに倒れていた【聳え立つ壁剣の威光(ガザル・ジルラド)】を全書で回収するあたり、抜け目がないと言える。


 玉座の間には入り口はひとつしかないのだが、彼らとその入り口の間にはゴルタラがおり、そこから出るのは至難の技だ。アンテスもそれは分かっているらしく、もうひとつの外へと繋がる道、天井のステンドグラスに向かって上昇していく。

 ゴルタラは残った者たちに注意を払っているのか、アンテスたちの行動を妨害する様子はない。だが、その視線だけは彼らに注がれたままだ。


「それでは父よ、またすぐ会うことになるでしょうが、しばしのお別れです」


「お前はこいつらの処理が終わってからだ。あのくそアマ(カシーネ)にもそう言っておけ」


 それ以上言葉を交わすことはないまま、アンテスとナナシはステンドグラスを突き破り、城からの脱出を果たした。

 目的地はすでに決まっているようで、徐々に高度を落としながら、彼らは城から遠ざかっていく。


「やれやれ、ケラスタには後でちゃんとこれ(御霊)を渡さないとですね」


いつの間にか回収していたのか、アンテスは自分の手の中にある【御霊ミタマ】を眺める。だが、横のナナシは、その事に気づくこともなく熱に浮かされたような声で呟いた。


「キシシ……アンテス、俺は手に入れるぞ」


「え?何をですか?」


聞き返すアンテスに、ナナシは嬉しそうに答える。


「お前たちを見ていて欲しくなったんだ……俺は国を手に入れるぞ。他の誰の者でもない、俺だけの国だ。キシシ……」


  朦朧とする意識のなか、ナナシはなにかに誓うように、そう口にするのだった。

御霊(ミタマ)】:異譚~ベンゼラーの義務~初登場

命廻死巡之異文書(ネイレパスオレア)・序巻】:五十三ページ目初登場

聳え立つ壁剣の威光(ガザル・ジルラド)】:九ページ目初登場


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