異譚~ヘメンディレスの愉悦~
「ご主人様ー、本当によかったんですか?あとは勝手に帰れだなんて……」
「だから構わんと言っているだろう。これさえ手に入れば、あ奴らなんぞに用はないわい!」
最近貴族の屋敷に雇われたばかりの外法遺骸、リエッタは自分のほうを見もしないままよく分からないガラス玉に見とれる主、ヘメンディレスに視線を向けた。屋敷で雇われてから体験した不思議なことは数あれど、今回の主人からの指示はその最たるものだった。出迎えの際は馬車を使うなや睡魔を誘う紅茶を飲ませろなど、意図もよくわからない指示ばかりだったが、彼女は持ち前のまじめさでそのすべてをこなしていた。
紅茶を飲ませた後はやはり主人の命令通りにサロンに客の一人を残して夕暮れまで時間をつぶしていたのだが、どうやら客人の案内は先輩霊体であるクナツナズが引き継いだようだった。クナツナズは全身を布袋に覆われた珍しい容姿のゴーストだが、その見た目とは裏腹にひどく親切であることをリエッタはよく知っている。
現に今も、ダメ出しをする使用人とされる主人を横目に、袋の中にしまっていたティーセットを取り出し一服の用意を始めていた。ヘメンディレスの屋敷で働く使用人たちには一人につき一つは収納用の魔具が渡されており、どの使用人もそこに仕事用の道具を仕舞っている。もちろんリエッタも掃除道具や訪れた客人を歓迎をするための茶器などを魔具の中に入れており、実際にサロンで客人に出したのは魔具に入れておいた淹れたての紅茶だった。
他にも支給されている衣服も特別製で、家事をこなす際に動きの邪魔にならないのは当然のこと、多少の汚れならば裏地に刻まれたルーンにより綺麗になったり、有事の際にはそこらの鎧よりも高い耐久性を誇るなど一使用人には少々過剰すぎる性能が詰め込まれている逸品だ。リエッタには便利な仕事着程度の認識しかないのだが、衣装一つを見ても高位貴族としての財力と貫禄が表れているといえるだろう。
そんなことはつゆ知らず、リエッタはクナツナズが用意した紅茶に舌鼓を打ちながら主人に対してダメ出しを続ける。
「そもそも今話題のサイフォースがわざわざ屋敷に来てくれたのに、なんで何も買わずに帰しちゃうんですか!あのお店、今は貴族の人でも予約しないと買えないくらいの人気店なんですよ!?私、あの香水ほしかったのに!」
「うるさいわい!なんで儂がお主の欲しいものを買ってやらんといかんのだ!給料ならば十分やっておるのだから並んででも買えばよかろうに!それより、お主もクナツナズもなぜ儂特製のカクテルをあ奴らに飲ませんのだ!おかげで要らぬ出費をしてしまったではないか!」
ヘメンディレスは事前に自身の身体を構成するインクを材料とした魔薬を二人に渡していた。それを体内に入れた状態で彼の前に来れば、並の人間ならば容易く意識を乗っ取ることができるはずだったのだ、そうすればあの変人が持つ謎の魔具から目的の物品を取り出させることも可能だったろうに、変人のみならず死霊術師も魔薬を飲むことを拒否したため、真っ当に取引をすることになってしまったのである。しかも、もう一つの標的だった謎の魔具も手に入れることができず、ヘメンディレスとしては不満の残る取引となっていたのだ。最低限必要だった御霊こそ手に入ったものの、文句を言いたいのはこちらのほうだとヘメンディレスは憤る。
だが、彼の弁を聞いたリエッタは、悪事を見つけた子供のような表情浮かべて主人を指さした。
「あー、ご主人様、ズルしようとしたんだー。そういうことすると、罰が当たるんですよー?でも今回は私とクナツナズさんのおかげで悪いことしなくて済みましたね!よかったー!」
そう言ってリエッタは手に持つカップをクナツナズの近くに浮遊するそれとぶつけ合った。揃って紅茶を飲む使用人たちを見て、ヘメンディレスは深いため息をつく。
彼自身は普段この地下室から出ずに身の回りの世話や屋敷の管理は使用人たちに任せているのだが、最近は少々自由にさせすぎているのだろうかと思わず自問する。しかし、結局は面倒になりヘメンディレスは気を取り直して手の中の御霊に視線を戻した。
「何はともあれ、ようやく手に入ったわい。いかに説明書があっても、その材料がなければどうにもならないからのお」
「そういえばご主人様、あの金ぴかの本を渡しちゃってよかったんですか?あれ、買うのにすごい苦労したって言ってませんでしたっけ?」
興味本位で聞いたリエッタだったが、そんな彼女をヘメンディレスは何か言いたげに睨む。
「それを手放すことになったのはお主らのせいなんじゃがな……まあ、手元に置いておきたかった気もするが、すでに写本は作ってある。それにあの本は曰くつきじゃからな。手を離れる機会があるのなら、それに従うほうが賢明じゃろうて」
「本マニアのご主人様にしては珍しいですね?それに曰くつきって、呪いの品だったりするんですか?」
この王都では呪われた古書などそれほど珍しくもないのだが、よほどの品なのかとリエッタが目を見開く。ヘメンディレスは少々怯えた様子の使用人を見ると、安心させるように微笑を浮かべた。
「そう怖がるでない。別にあの本自体がどうということではないからのう。そもそもあの本は王家の所有物だったんじゃが、それがどういう訳か上流階級御用達のマーケットに流れてきたんじゃ。それを大枚はたいて買ったわけじゃが、それに見合うだけの価値はもう得ることができたわい」
主人の話に耳を傾けるリエッタは、そういうことならと安心してクナツナズが渡してくれた焼き菓子を口に放り込んだ。隣に浮遊するクナツナズに紅茶のお代わりを注いでもらいながら、リエッタは質問を続ける。
「ふーん、そしたら本自体が特別ってことではないんですねー。どんなことが書いてあるんですか?」
「おぬしに説明したところで理解できようはずもないが……簡単に言うと王家に伝わる秘術についての指南書じゃな。秘術の内容については、おぬしらは知らんほうがよかろうて」
「王家の秘術!!すごいかっこいいじゃないですか!私も使ってみたいです!」
「なにゆえ術の正体も分からぬのに使ってみたいなどという思考になるんじゃ……じゃが、あの本だけではどうにもならんわい。あの本は五冊あるうちの最初の一冊じゃからな。何事も最初が肝心とは言うが、さすがにあの本だけで秘術を完成させることはできん」
それを聞いたリエッタは、不服そうに机の上に突っ伏した。だが、またしても気になることがあったようで、机に体を預けたまま顔だけ上げる。
「でも、ご主人様はその秘術っていうのを使うために今回の取引をしたんじゃないんですか?わざわざズルしようとしたくらいなんだし、どうしても欲しかったんですよね?」
「だからズルというんじゃない!確かに今の儂の知識では秘術を完成させることはできんが、あの本によるとこの御霊こそ秘術における最重要の材料らしくてな?一応術の途中までは進めることができそうじゃから、どうしてもやってみたくなったんじゃ!何事もやってみなくては始まらないからのう!カッカッカッカッ!」
「なーんだ。やっぱりご主人様も使ってみたかっただけなんじゃないですか。全然人のこと言えないですねー、アハハ!」
「やかましい!御霊は手に入ったが、儂が本当に欲しかったのはあの白い本だったんじゃ!せっかく目的のものが目の前まで来たのに、みすみす逃すことになるなど今生の恥じゃい!」
アンデッドなのに今生も何もないのではないか、そんな突っ込みは胸の中にしまいながら、リエッタは首を傾げた。客人の一人が持っていた本は確かにリエッタも目にしたが、それほど価値のあるものだとは思えなかったのだ。
「でも、あの本ってただの収納用の魔具なんじゃないですか?そういうのだったら、私たちだって持ってますよ?」
「馬鹿もん!儂の見立てでは、あの本は見かけ以上の価値と性能があるんじゃ!なにせあの”研究狂”が名指しで報告するほどの奴が持つ本じゃぞ?ほかの貴族どもはそれほど興味を示しておらんようじゃが、あの変人の力の大部分はあの本によるものに違いない」
「あの本がですかー?確かにきれいな本でしたけど、私にはそうは見えなかったなー」
興味を失った様子のリエッタに呆れるヘメンディレスだったが、ふと何かを思いついたようだ。しばらくリエッタを見つめてから、にやりと笑いながら口を開く。
「そうじゃ、リエッタ。それほどあ奴らのことが気になるならば、今日よりおぬしはあの変人の世話人となれ」
「……え?それってどういう……」
「どうもこうもないわい。あの本が手に入らなかったのはおぬしのせいじゃからの。その償いに、おぬしはあの変人のもとから本を奪うか、何かしらの弱みを探ってくるんじゃ。何周紀かかっても構わんから、のんびり頑張るんじゃぞ」
ヘメンディレスの言葉を聞いたリエッタは、目を見開くとわなわなと体を震わせる。さすがにこれで懲りたかとほくそ笑むヘメンディレスだったが、椅子から勢いよく立ち上がったリエッタの目は、心底嬉しそうに光り輝いていた。
「ほ、ほんとにいいんですか!?そんなことしたら、人気の香水もお菓子も買い放題じゃないですか!!」
「う、うむ。世話人として働く間は別に何をしてもよいが、あくまでもそれは儂があの本を手に入れるためであって……」
「そういうことならこうしてはいられません!まだ近くにいるかもしれないから、すぐに追いかけないと!」
それだけ言うと、リエッタは一目散に地下室から出ていく。これまでヘメンディレスが見たどの動きよりも素早い身のこなしに少々唖然としながらそれを見送るが、残されたクナツナズが何か言いたげにヘメンディレスに顔を向けた。
「なんじゃい……なに?『リエッタだけでは不安すぎる』じゃと?確かにその通りではあるが……それならばおぬしも行くがいい。おぬしは面倒見がいいからの。リエッタをちゃんと見といてやってくれ」
その言葉に頷いたクナツナズは、その場で上昇すると音もなく天井の中へと消えていった。ゴースト特有の透過能力を使ってリエッタの後を追うのだろう。
ようやく静かになった地下室で、ヘメンディレスは一人大笑した。ひとまずは目的のものも手に入り、さらに欲しいものについても一応は手に入れる算段はついたのだ。使用人たちの働きがどこまで期待できるかはわからないが、何もやらないよりは幾分かマシだろう。
「どのみちアンデッドには無限の時間があるのだ。あの変人が寿命でこと切れてから回収してもいいわい」
そう呟いたヘメンディレスは地下室の壁のうち、入口とは逆側の壁に手を押し付ける。すると、それほど力を込めていないにもかかわらず、押された壁の一部がへこんだ。それに連動して壁を構成するレンガが組み変わっていき、隠し部屋へと続く扉が現れる。
「御霊があれば、新たな知見をいくつも得ることができよう。王家すらも所持していない逸品ゆえ献上してもよいが……その時には相応の対価……命廻死巡之異文書の続編くらいのものを貰わなくてはなあ。カッカッカッカッ!」
ああ、永遠の生とはなんと楽しいものか。実際に言葉にせずとも、竜の口から漏れ出る笑い声がその感情を代弁するのだった。
【御霊】:異譚~ベンゼラーの義務~初登場
【命廻死巡之異文書・序巻】:五十三ページ目初登場
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