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これまで、生の営みの中で身分という格差をつけたがるのは生きた人間だけだと思っていたのだが、どうやらそれは死した後でも変わらないらしい。
"王城街"やら"貴族街"やらといったあからさまな名称が使われているのでそんな気はしていたのだが、このグリッサムに住む貴族たちの間には、聞いただけで目眩を起こすような細かい階級制度が敷かれている。
石棺街や平民街に住むアンデッドたちにはそういった階級による縛りや思想の違いはまったくといっていいほどないのだが、一度貴族街に住むアンデッドと関係を持てば、その違いに戸惑いすら覚えることだろう。
今立っているのは、そんな貴族たちの中でもかなりの高位に数えられる、とあるアンデッドの邸宅の前だ。いったいこれほどでかくしてどうするのかと問いたくなる鉄柵の門の前で、横に並んだゲレン共々、奥にみえる豪邸を見上げている。
門と屋敷の間には中庭と呼ぶには広すぎる緑地帯が広がっているのだが、それほどの距離を隔てた上でもまだ、これから入場するであろう屋敷は視界に入りきらないほど高く、大きかった。もう一回りほど大きければ、城と呼んでも差し支えないほどのサイズだ。
あまりにも馬鹿げた大きさゆえ、自慢の物欲もあまり食指が向かないのだが、これだけ広ければ、集めた自慢のコレクションたちをきれいに飾れるかもしれない。そう考えると、屋敷のひとつや二つは持っていてもいいのだろうか。
そんな妄想に思いを馳せていると、十分ほど前に鳴らした門のベルに反応したのであろう、召し使いのような格好をした小柄なアンデッドが門の向こうに現れた。そのアンデッドは、体に特殊な器官がついていたりすることはなく、一見しただけではなんの変哲もない純朴な少女に見える。あまり身体能力が高いわけでもなさそうで、懸命に駆けて門にたどり着いたころには、息も絶え絶えに疲れきっていた。。
門を隔てながら、ゲレンがそんないたいけなアンデッドを気遣うが、少女アンデッドは少し息を整えると、声を張り上げてこちらに歓迎の言葉を放つ。その大きすぎる声量に少々面食らうが、少女アンデッドが門を開けることで、ようやく屋敷の敷地に入ることができた。
そもそも事前に訪問のアポイントは取っていたので、門の前であれほど待たされる理由もないはずなのだが、それは貴族特有の傲慢さの片鱗が垣間見えた結果なのだろうか。
敷地の中を進みながら、少女アンデッドがこれから会う貴族、"ヘメンディレス輝公爵"について説明してくれるが、その内容は事前調査で知っていたものがほとんどだったため、話し半分に聞きながら周囲の様子を観察する。中庭は門の前から観察していた通り非常に広く、さらに門から屋敷まで一直線に進めるわけでもないので、通過するだけでもそれなりの時間がかかりそうだ。
少女アンデッドの口から止めどなく出てくる話を聞いていれば、屋敷への道のりも退屈しないかもしれないが、無駄な時間を無為に過ごすほど暇なわけでもない。そのため、全書から取り出した【星鳴の風車】に乗って屋敷を目指すことにする。幸い中庭に敷かれた道は馬車二台は並べるほどに広い。さらに道はきれいに舗装されているため、【星鳴の風車】の性能も合わせて非常に快適な移動ができることだろう。
ゲレンと少女アンデッドも乗せようとしたが、何故か二人とも快く馬車に乗ろうとしない。曰く『貴族の中庭で勝手に馬車に乗っては不敬になる』だの『召し使いの身で乗り物に乗ろうなど恐ろしくてできない』だのやかましかったので、最終的には自動人形たちに命じて二人とも馬車に放り込んだ。
やはり予想通り、馬車での移動は素晴らしいものだった。最初こそ身を震わせるほど緊張していた少女アンデッドが、数分のうちに大口を開けて寝息を立てているのがその証拠だろう。
少女アンデッドが寝たことにより馬車のなかもようやく静かになったので、この辺りで貴族たちの階級についてもう一度おさらいしておく。
これから会うヘメンディレスというアンデッドは、"輝公爵"というグリッサムに敷かれた制度のうちの上から二つ目の階級に属する貴族だ。"輝公爵"と言ってもその呼び名は馴染みがある言語に無理やり当てはめただけで、実際の公爵あるいは伯爵などの位とは似て非なるものである。
貴族と言えば、己の土地を預かり、それを管理したり国や王に貢献することで利益を得るものだが、この王都の貴族たちが持っている土地など、よくて自分の屋敷が建っている場所のものくらいだ。その代わり、貴族たちは王都に暮らすアンデッドたちに必要不可欠な種々の都市機関を管理・運営しているのである。
これは下手をすれば国ほどの規模を誇っている王都だからこそ為せる管理形態であり、そして長い歴史の中で磨き上げられてきた形なのだろう。
そんな貴族たちの中でも、ヘメンディレスが司るのは"歴史の記録"という、古くから続く王都では非常に重要視されている分野だ。"ヘメンディレス大図書館"という、家名がついた図書館まで運営しており、王都の興りからのすべての出来事がそこで記録されているという。
そして今回はそんな大物貴族の邸宅へと、ゲレン共々商談に来たというわけだ。もちろんこれはスキラートから受けた依頼を達成するための活動の一環であり、すでに彼から依頼を受けてから1ヶ月近くが経過している。情報屋の”ネズミ”から目的の魔導書、【命廻死巡之異文書・序巻】の在りかを聞き出してから諸々の準備や根回しを行い、ようやく今日になって行動を起こすことができたのだ。余談としてその準備の過程で、協力してくれたレナの店舗("サイフォース"と名付けたらしい。)はうなぎ登りで評判が上がっていき、今や貴族たちも顧客となる繁盛店へと成長したのだが、それは思わぬ副産物だった。そうした店の人気もあり、今日こうして屋敷の主人であるヘメンディレスとの商談の機会を得たのである。
これまでの経緯について思い返しているうちに、やっと馬車が屋敷の入り口前に到着した。まだ眠ったままの少女アンデッドを起こし、寝ぼける彼女が転ばないように支えながら馬車を降りると、敷地の入り口にあったものと負けず劣らずな巨大扉が出迎えてくれる。
ようやく覚醒した少女アンデッドが背伸びしながら門についたノッカーを叩くと、軋み音ひとつせずに扉がゆっくりと開いた。
恐らくドアは魔具の一種なのだろう。開いたドアの向こうには誰もおらず、ゲレンと二人して物音ひとつしない屋敷の中へと足を踏み入れる。床は分厚い絨毯に覆われており、さらに天井は並みの家が収まるのではと思うほどに高い。エントランスからは三方に幅広くなだらかな階段が延びており、それぞれが屋敷の上階へと通じているが、一階の各所に移動するための通路も見えるだけで四本あるため、まるで迷路の入り口に立っているような気分になる。
延びる通路の多さに思わず周りを見回すが、当然のことながら少女アンデッドは迷わずそのうちの一本へと歩いていく。やはりエントランスと同様に通路の床にも余さず絨毯が敷かれており、三人して歩いているのに足音ひとつすることもない。通路には所々に絵画や美術品が飾られており、そのどれもが華美すぎず上品な雰囲気を放っていた。
これまで屋敷を訪れたことがある貴族全般に言えることだが、彼らはあまり金だの銀だの豪奢な装飾品を好まないようだ。全体的に屋敷の中は静謐と言ってよい空間であるし、彼らに受けが良い商品もどちらかというと落ち着いた装飾が施された実用的な物品であることが多い。
これもアンデッドたちが過ごしてきたであろう長い時間故か、そんなことを考えていると、少女アンデッドが何の変哲もない扉の前で立ち止まった。開いた扉の先にあったのは、豪華ではあるものの特に変わった様子もない客室だ。
少女アンデッドが言うには、今日会うはずのヘメンディレスは夜にしか人と会わないらしい。そのため、この客室で時間が来るまで待機していろということだそうだ。アポイントを取っているにも関わらず何時間も客を待たせるとは大したふてぶてしさだと言いたくなるが、これしきのことで大事な顧客と揉めるわけにもいかない。
ひとまずは了承するが、やることもなくただ待っているのも時間の無駄なので、夜になるまでの間、屋敷の中を見学させてもらうことにした。特段なにかが手に入るということはないだろうが、客室にいるよりは幾分か有意義な時間が過ごせるはずだ。
早速少女アンデッドを連れだって屋敷の中を進む。ゲレンは客室に残るというので、時間が来たら改めてゲレンと合流することにした。
ただ目的もなく屋敷をうろつくのもつまらないので、少女アンデッドにどこかいいところがないか尋ねたところ、複数名の客を迎える際に使用するサロンが観るものもあり面白いのではないかと教えてくれた。そこは今いる場所の反対側にあるらしいが、どうせ時間もあるのだ。散歩がてら、そこに案内してもらうことにする。
屋敷が広く移動に時間が取られるものの、飾られた美術品や窓から見える中庭の様子を眺めていればそれほど退屈することもない。それに少女アンデッドは先程からの様子とは裏腹になかなかの教養があるようで、こちらが立ち止まると屋敷の歴史や美術品についての説明を時折挟んでくれた。
そうして屋敷の廊下を進んでいると、他の召し使いともすれ違うこともある。これほど広い屋敷だ。やはり相応の数の世話人が働いているようで、最初に案内された客室までの道のりでは誰とも遭遇することはなかったが、普通に歩けば数分のうちに一人か二人の世話人を目にすることとなった。世話人たちはどれもそれほど奇怪な見た目をしているわけではなかったが、やはり普通の人間と見間違えるような見た目をしているのは前をいく少女アンデッドくらいである。総じて人型を保っている程度、といったところだろう。それに愛想もあまりよくないようで、こちらに向けて会釈をするならば上等、ほとんどの世話人はこちらに視線すら向けてこなかった。なにか理由があるのか、あるいは単純に生身の人間が屋敷をうろついているのが気にくわないのかは分からないが、こちらとしても静かに屋敷の中を進むことができるので願ったりかなったりだ。
チャンスがあればなにか珍しい物品が手に入らないかと考えながら屋敷を見て回ったが、残念ながらその機会は訪れないままサロンに到着してしまう。サロンとは名ばかりの大広間には、ここまでの移動中に目にしたものよりも一層品の良い絵画等が飾られており、まるで美術館のような様相だ。さらに外に面する壁は一面がガラス張りになっており、曇りひとつないガラス壁の向こうには丹念に手入れされた中庭が絶景となって広がっている。複雑にくねり混ざり合う樹木やきれいに切り揃えられた色鮮やかな花々は、そこだけ切り取ればかつて訪れた緑人の集落で見たものに負けない見事さだ。
なるほどこれならばどれほど位の高い客が何人来ようが品格が不足することはないだろう。特に咎められることもなさそうなので、ガラス壁近くに置かれたソファーに腰を下ろすと、いつの間に持ってきたのか、少女アンデッドが紅茶が入ったティーカップを差し出してくれた。
静かな雰囲気につい忘れそうになるが、今いるのはなにとも知れないアンデッドの魔窟だ。だが、そんな場所であっても、紅茶が放つ芳醇な香りを楽しみながら、のどかな日の光の中でひとときの平穏を楽しむというのも悪くないかもしれない。
【星鳴の風車】:四十二ページ目初登場
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