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随分と離れていたようで実はそう時間もたっていないレナの店舗に戻ったのだが、帰りを迎えてくれたのは板にくぎを打ち付ける打音だった。それもそのはず、レナの店舗が謎の外法遺骸に襲撃されてからまだ数日しかたっておらず、ゲレンやレナが店舗に戻ることができたのはそのさらに後、まだ二、三日ほど前のことのはずだ。
アンデッドにぶち抜かれた穴には現在、おそらくは仮止めであろう薄い木の板が張り付けられている。その前には四本の腕を備えたアンデッドが三人立っており、建材やそれを固定するための道具を手に握りしめていた。腐肉街や石棺街ならば、道具の代わりに武器や鈍器がその手に握りしめられていたであろうが、やはりこの平民街までくれば治安もかなり良くなる。そのことに安堵とほんの少しの退屈さを感じながら店舗に足を踏み込んだが、どうやら二人はちょうど店を開けているらしい。いささか不用心な気がするが、商品はまだ店の中に陳列しておらず、店の奥にある倉庫には施錠がされている。もちろん先日のように壁を粉砕されてしまえばそんなものは何の役にも立たないのだが、そうそう店が破壊されるような事件も起こらないだろう。
そのまま店を後にしてはレナやゲレンと会うことができないので、簡単な書置きを残すことにする。最近はこちらの言葉でもようやく読み書きが自由にできるようになってきたので、全書から出した【デミスの指筆】で軽くしたためておいた。
とりあえず簡単に現状を文字に起こしてみたが、我ながらなんとも面倒でややこしい状況に置かれたものだ。対価を得るためには苦労も仕方ないのだが、どうせ働くのならそれに見合った報酬を得れなくてはやる気も起きない。スキラートの話を信じるのならば報酬について特に心配することもないのだが、王都にいるアンデッドを信じることなどできるはずもない。が、アンデッドが暮らすこの街ではアンデッドと関わらなければろくに取引ができないこともまた事実だ。
敵の腹の中にいながら行動しなくてはならないというのは何とも不安な気持ちになるが、虎穴に入らずんば虎子を得ずという言葉もある。こんな状況だからこそ、より貴重な物品を求めて行動しなければならないのだ。
そういう訳なので、店を後にした後はさっそく貴族街に向かう。スキラートに依頼された物品は貴族街にあるらしいのだが、まずは彼から紹介されたとある人物に会わなければそもそもの在処を知ることすらできない。そのため、まず尋ねるべきは、その人物のもとというわけだ。
”ネズミ”と呼ばれているその男は、この筋では有名な情報屋だという。スキラートがコレクションを集める際にはよく利用している情報屋らしく、金さえ積めば大概の情報が手に入るそうだ。そういうことであれば利用しない手はないし、さらに贅沢を言うなら個人的なコネも作っておきたい。というのも、これまではコレクションに励むのはいいのだが、どういった物品が存在するかを知るには実際に足を運ぶか全書から断片的な情報を得るという方法しかなかった。そのため、目に入るものは片っ端からコレクションするという少々乱暴な手法をとることしかできなかったのだが、事前にこの世界にどういった物品が存在するのかを知ることができれば、より効率的に収集を行うことができるだろう。
そうして今後の算段を立てながら、目的地を目指して貴族街の中を歩く。以前に少しだけこの区画を歩いたことがあるが、やはり平民街と比べても随分と華麗な印象を受ける。それに立ち並ぶ店舗の数は増えているのに歩く人影は少ないため、通りは静かかつ落ち着いた雰囲気で満たされている。本当にここが腐肉街や石棺街と同じ都市の中かと疑いながら先を急ぐが、規則正しく石畳で覆われた表通りをしばらく進んだ後、事前に聞いていた道順に従ってわき道に入った。わき道とはいっても道幅がそれほど狭いわけでもなく十分に開けた道なのだが、そうしたことを何回か繰り返すうちに段々と区画の中でも奥まった場所になっていく。そして、一、二時間ほど歩いたころ、ようやく目的の地点にたどり着いた。
人一人がようやく入れるほどの道の突き当りに入り口を備えたその店は、表向きは酒場として経営されている小さな飲食店だ。貴族街にあるにもかかわらず小汚い扉を開けると、強いアルコールの臭いがこちらを出迎えてくれる。中は薄暗いがグリッサムでは珍しい火による明かりが天井や壁に備え付けられており、風に揺られる灯により店内にゆらゆらと揺れる影が投げかけられている。
店内に座っている客は僅か三人、あとは狭い厨房に店主とおぼしき老婆が一人いるだけだ。店自体もかなり狭いため、たった四人の人間がいるだけでそれなりの圧迫感を受ける。入り口からそんな店内の様子を見ていると、何かの違和感に気づいた。しばらくの間、その違和感の正体に気づくことができずその場に立ち尽くしていたが、隣にいるハリットの姿を見て違和感の原因に気づく。
店内にいるのは、全員が”人間”なのだ。石棺街こそ外部からの旅人が訪れるため、アンデッドと人間の数はおよそ半々、あるいは少しばかりアンデッドの数が多い程度なのだが、平民街より先に入れば見かける人間の数は一気に減る。貴族街など普通に生活している人間はほぼ皆無なのだが、その貴族街の端でひっそりと経営されている酒場で四人もの人間を目にするとは思わなかった。
おそらくこの店に人間が集まっているのには何かしらの理由があるのだろう。そして、その理由は間違いなく、ここまで来た要件と関係しているのだろうが、それゆえか店内の人間がこちら、特にハリットに向ける視線は非常に鋭い。どうやらアンデッドがここにいることを歓迎していないようなので、何か文句を言われる前にハリットを全書に収納しておく。
アンデッドが突如消え失せたことに驚いて目を見開く客はそのままに、店に足を踏み入れる。ただ一人厨房に立つ老婆だけはこちらに何の注意もむけずにグラスを拭き続けているが、唯一空いていた老婆の目の前の席に腰を下ろし、改めて厨房の中を眺める。厨房の奥には棚が備えられており、そこには何本もの酒瓶が並べられている。すべて商品なのだろうが、琥珀色の液体で満たされたガラス製の瓶が埃一つ付いていない状態で並べられているのは、なかなか壮観な景色だ。
この王都ではこうした嗜好品としての酒類も非常に好まれているらしく、話を聞くに人気のあるブランドの酒をコレクションとして集めている収集家もいるという。確かに高級酒は瓶の造りなども凝っており、所有欲が掻き立てられるものも多い。実際に平民街や貴族街で目にした酒類はほとんど手に入れているのだが、買えば買うほどほかの商品が欲しくなる一方で時折自分の欲深さに驚いてしまうほどだ。
そう言った目で棚を見てみると、情報を集めていた際に存在を知った高級酒がいくつか鎮座していることに気づく。生産量が少ない高級酒などは需要に対して供給が全く追いついておらず、中にはそもそも市場に流れることすら稀なものもある。棚の片隅に置かれている【天上頂く蒼雫】も例にもれず目にすることすら難しいほどの逸品なのだが、まさかこんなところでお目にかかれるとは思っていなかった。
早速購入の打診をしてみるが、老婆はなかなかに法外な値段を吹っ掛けてきた。相当な希少性なので確かに取引をする際は言い値で売られることも多いのだが、それを踏まえても老婆が口にした価格はさすがに高すぎる。しばしの間値切り合戦が続くことになったが、結局はかなりの高額で購入することになってしまった。まだ財布事情は余裕があるものの、ここグリッサムでコレクションを収集しようとするといくら金があっても足りなくなってしまう。ここらで一度金稼ぎの算段をつけたほうがいいだろうか、そんなことを考えながら適当に注文した発泡酒で舌を湿らせていたが、ふとここに来た用件を思い出した。
こんなところで酒で酔いつぶれるわけにもいかないので、スキラートから教えてもらった合言葉を老婆に伝える。すると、老婆は一瞬だけこちらに視線を向けてから、カウンターの下から取り出したベルをけたたましく鳴らした。ベルの音が響いた瞬間に店にいた三人の客は一斉に席を立ち、何かを告げることもなく店から出ていく。老婆はそれを見届けることもなくベルをカウンターにしまうと、何事もなかったようにまだグラスを吹く作業に戻った。
いったい今何が起こったのか、そう考えていると、突然背後から声がかけられる。慌てて振り向いた先にいたのは、先ほどまで客の一人が座っていた椅子に腰かけたフードの男だ。客が出ていってから誰かが店に入った様子はなかったのだが、いつの間にか背後にまで回り込まれていたらしい。まるでその場に突然現れたかのようなフードの男は、深くかぶったフードにより素顔を隠したまま、存外軽快な口調でこちらに話しかけてくる。
どうやら彼が話に聞いていた”ネズミ”と呼ばれる情報屋のようだ。裏の界隈での彼の評判はすさまじく、その情報量は彼以外の同業者たちが持っているすべての情報を合わせても追いつけないほどだという。逆に彼を敵に回してしまえば、己の情報など次の日には王都中に広まっていると言われ、どんな組織や個人であっても彼には一定の敬意を払っているのだ。
そんな王都でも間違いなく随一である情報屋を雇うには、もちろん相応の報酬が必要となる。今回はスキラートから情報を買うための金を預かっているのだが、その総額は先ほど【天上頂く蒼雫】を購入するために老婆に払った代金とは比べ物にならないほど高額なものだった。
ネズミは金貨や白金貨が詰まった布袋を受け取ると、中身を確認することもせずにそれをカウンターの上に置く。そして、まだ要件を伝えていないにもかかわらず、スキラートが求める逸品の在り処を説明してくれた。
ネズミが口にするのは、いつ作られたのかすらわからない古代の魔本についてだ。表紙や背表紙を目がくらむ宝石で飾られたその魔本には古代の英知が余さず記載されていると言われるが、手にした者に新たな”命”を授けるという。一度生を手放したアンデッドがそれに触れてしまえば、強制的に授けられた生命力に耐えきれずに例外なく消滅してしまい、正常な人間が触れた場合も二つ目の命がどのような影響を及ぼすか分からない。
そんなまさに魔本と呼ぶにふさわしい逸品の在りかがネズミの口から漏れ出るが、そこはやはりというべきか、なんとも面倒くさい場所だった。話を聞き終えてから今後の行動について思いをはせるが、一瞬の思考の後に我に返ると、直前までそこにいたはずのネズミの姿は跡形もなく消え失せていた。入口から店内に戻ってくる客たちを見ながらまさか今の出来事は夢だったのか、などと考えるが、カウンターの上にあったはずの金が詰まった布袋の消失が、唯一ネズミが存在していたことを証明してくれるのだった。
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