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五十ページ目

 儀式場はまさに清浄という言葉がふさわしい場所だった。墓標を思わせた外観とは裏腹に、内部はすべてが白を基調とした石材で作られている。たった今くぐった見上げるほどの高さの入口を作るだけでも、作成のために相当の労力と技術が費やされたことは間違いなく、その佇まいだけでそれが歩んできた歴史を思い知らされるようだった。それぞれの石材をよく見てみると石材一つ一つに精巧な彫刻が施されていることに気づいた。貧相な鑑定眼で見聞したところ、エルフの森で見た期の彫刻と比べても遜色ない出来のように思われる。


 その光景に圧倒されているのは自分だけではなかったようで、同じタイミングで儀式場に入った人間たちは言わずもがな、先に入場した大勢も呆けた顔で天井を見上げていた。その視線につられて頭上に目を向けると、天井に描かれた巨大絵が視界に飛び込んでくる。その絵が何を描いているのかは……正直分からない。おそらくは四人、あるいは五人の人間を描いているようだが、人物も背景もあまりに抽象化されており、事前知識なしに正確な意味を読み取ることは無理そうだ。だが、それでも絵が持つ迫力のようなものにそこにいるすべての者が飲み込まれていた。それほど教養のない者でも、この絵を前にすれば本能的に見惚れるに違いない。そう思わせるほど、絵が放つ力は強大なものだった。


 だが、そのような見事な絵でも、毎日目にしていればやはり普通の景色と化してしまうらしい。奥から現れた神官と思しき外法遺骸アンデッドたちは天井の絵などには目もくれず、儀式場に入ったばかりの人間たちの誘導を始めた。今いる部屋はかなり広く、すでに百人ほどが収容されているにも関わらずまだ余裕があるのだが、ここはまだ儀式場の入口に相当する場所らしい。神官たちは慣れた様子で入場者たちを二つの集団に仕分け始めた。どうやら儀式場に訪れた人間たちの要件を確認し、儀式を受ける者とそうでない者に分けているようだ。儀式を受ける者には赤い布を渡し、それを手首に巻くよう指示しており、受けない者はそのまま儀式場への奥へと誘われている。

 案の定、こちらにも神官が近づいてきたため、返答をしながらそれとなくその様子を観察してみる。その神官は法衣をまとったアンデッドだった。アンデッドなのだから見た目からわかる年齢など何の参考にもならないのだが、こめかみにある一対の目さえなければ、多少血色が悪いだけの青年のようにも見えそうだ。

 神官の後ろには護衛であろう鎧姿の騎士と見習いのような小柄なアンデッドが付き従っている。騎士のほうは一見してコレクションとして多く所持している自動人形とそっくりだった。もちろん黒光りする鎧の形状や意匠は異なるのだが、中には人が入っておらず、各関節から覗く隙間から見えるのは何もない空洞だ。だが、その動きの滑らかさは【エスカ式自動剣歩兵人形】などの性能が低い自動人形とは比べるべくもない。よどみなく歩を進める様子と中身がないにもかかわらず背中に芯が入っているようなきれいな立ち姿からは、相応の戦闘力を持っていることが予想された。

 見習い風のアンデッドは神官とは異なりそれほど華美な衣装は身に着けていない。だが、白を基調とした長衣からは清潔感が感じられ、儀式場全体が持つ神聖な雰囲気と調和しているといえるだろう。そんな上等そうな服を身につけた神官見習いは、一つしかないまなこを頻りに瞬きさせながら、手に持つ網籠を差し出してきた。籠の中に入っている銀貨たちを見るに、どうやら入場料、あるいは儀式を受けるための布施を要求しているらしい。入場料と比べると、当然ながら布施のほうが高額となるが、今回は自分で儀式を受けるつもりはない。そのため、連れているハリットの分を含め、銀貨二枚を籠に入れる。ちなみに、アサームは敵方に顔が割れているということもあり、儀式場に入る前に全書に収納済みだ。

 かごに入れられた銀貨を確認した神官は、部屋から下へと延びる階段を指し示した。今いる部屋からは二つの階段が伸びているのだが、どうやら儀式を受ける者とそうでない者で別々の階段を通っていくようだ。神官は階段を指さしていた手をすぐに下すと、別の入場者のもとに歩いていく。後ろに付き従う見習い風アンデッドはこちらに目もくれずそのあとを小走りについていくが、騎士は一瞬だけ立ち止まったかと思うと、こちらに一瞬だけ視線を向けてきた。何事かとつい身構えるが、結局騎士は何も言わず目の前を通り過ぎっていった。鎧だけの姿からは何の感情も読み取れないが、別に深い意味はなさそうだ。そう判断し、特段神官の指示に従わない理由もないので、おとなしく指し示された階段に向かう。階段も部屋と同じ石材で作られており、壁に設置された発光する液体で満たされた容器により、柔らかくも明るい光で照らされている。この液体はおそらく【光幽水】と呼ばれている魔水だろう。グリッサムでは照明として広く利用されており、作るには特別な技法が必要だが、それほど労力がかかるものでもないらしい。そのため、先に訪れた商店街でも比較的安価で売られており、すでに相当量の【光幽水】を確保済みだ。


 そうして建物の造形や異邦の文化を眺めながら階段を下っていたが、存外周囲には似たような様子を見せている旅人たちが多くいた。今この階段を進んでいるのは儀式を希望していない人間たちのはずだ。入るだけでもそれなりの金額を徴収されるため、物見遊山ならいざ知らずこれほど多くの旅人が集まる理由が分からなかった。

 だが、旅人たちの会話をそれとなく聞いていると、次第に彼らの意図がつかめてくる。とはいっても、それほどたいそうな理由があるわけではなく、要は様子見に来ているのだ。確かに、考えてみれば儀式を受けるということはすなわち自分の命を手放すということだ。有体に言えば死を迎えるのと同義なわけで、一度思い立ったという理由だけで儀式を受けるのは憚れるのかもしれない。

 現に前方にいる男女の二人組は、しきりに”繰生の儀”を受けることに対しての恐怖を口にしている。漏れ聞こえてくる会話の内容から察するに、二人して永久の命を得るためにここまではるばるやってきたが、直前になって尻込みをしている、というところだろう。それなりの割合の旅人がそうして儀式を受けるか悩んでいるようで、その決心を固めるためにこうして実際の儀式の風景を見に来ているようだ。先ほどの男女をはじめとして、親子や冒険者同士など様々な組み合わせの集団がいるようだが、一人で先を急いでいる者も一定数は見受けられた。そのような人間は一様に深刻そうな表情を浮かべながら歩を進めており、能天気に周囲の様子を観察しながら歩いている者など自分くらいである。


 周囲の観察を続けながら十分近く階段を下ったり狭い通路を進んでいると、ようやく目的地であろう広い空間に出た。その空間はまるで闘技場を思わせるような特殊な構造になっている。通路がつながっていたのは闘技場でいうところの観客席の部分であり、十メートルほどは低くなっている中心部の広場を余すところなく俯瞰できる。広場にはまだ誰も入っていないようだが、おそらくはそこで”繰生の儀”を行うのだろう。広場の中央には教壇と開いた本を置くための書見台が設置されていた。

 今いる広場の上部には何重もの円を描くように木の板が段になるように設置されており、そこに腰かければ百人を超える観客が儀式の様子を見ることができそうだ。

 特に席の指定などもないようなので、遠慮せずに最前列の席に陣取る。一度席に座ってしまえばほかにやることもないので、露店で買い求めた食料を全書から取り出して食事をしながら待つことにした。アンデッドたちには食事の必要はないのだが、旅人たち向けや純粋な嗜好品として少なくない数の食品がグリッサムでも販売されている。食文化の違いゆえ、普通の感性からすると口に入れることを憚られるような物も売られているのだがそういったものはコレクション用に一つ、あるいは少量だけを購入しており、食料分はちゃんとまともな物を確保済みだ。今回取り出したのは”グリス”と呼ばれるこの王都特産の家畜の肉を挟んだサンドイッチだ。牛とも鳥とも豚とも違う不思議な食感が癖になるグリスの肉には新鮮な野菜と深みのあるソースが合わさり、さらに食べごたえのある黒パンでそれらを挟んだ逸品は、子供であれば一つでも満足できる大きさがある。さらにそれと一緒に購入した果実水を飲みながらサンドイッチに舌鼓を打っていると、観客席が徐々に埋まってきた。人数は多いのだが、この場の雰囲気にのまれているのか、声を張り上げてしゃべっている者は一人もいない。声を発するにしても最低限の音量でささやくように話しているため、儀式場は波がさざめくような静かな喧噪に満たされていた。

 三つ目のサンドイッチを食べ終わるころ、ようやく下層の広場に動きが現れる。ひときわ豪奢な法衣に身を包んだ肥満体系の神官が広場に足を踏み入れると、直前まで空間を支配していた話し声が一斉に止んだ。その服装から神官長に当たるのだろうと思われたそのアンデッドの後ろには、儀式に使う祭具だろうか、いくつかの用途不明の道具を手にした二人の神官が付き従っている。さらにその後ろでは儀式場の入口でも見た見習い風のアンデッドたちが十人がかりで巨大な箱を積んだ荷車を引いていた。箱は五メートル四方ほどの立方体であり中に何かを収めているようだが、外側からはその中身をうかがい知ることはできない。


 ひとまずは儀式場に入場する神官たちはそれだけらしい。最初に現れた神官長が中央の説法台に上がると、他の神官たちがその周りに道具を設置してから広場を後にした。神官見習いたちは儀式の補助のためか、荷車を広場の中央に設置した後もその場に留まっている。神官長は懐から一冊の教本を取り出して書見台に置くと、他の神官たちが用意した祭具、銀色の小さな鐘とそれを叩くための金属棒を手に取った。鐘と棒がぶつかると、澄んだ音が儀式場を包み込み、そしてその音が儀式の開始を告げるのだった。

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