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異譚~カシーネの歓喜~

 目を覚ました時、彼女はまだ夢の中にいるのだと思った。これまで夢の中でしか見ることができなかった、愛しい人の顔が目の前にあったからだ。

 その人に会うために彼女はこれまで長い旅路を歩んできたのだが、まさか自分が眠りついている間にそのたびが終わりを迎えることになるとは思っていなかった。地面に横たわったまま震える瞼をゆっくりと開いた先にいたのは、まぎれもなく彼女の母親だった。物心つく前に引き離された母の顔は記憶の中にあるものとほとんど変わっておらず、まさに時が止まったように当時の容姿が維持されている。

 だが、それもそのはず、彼女ははるか昔に幽体ゴーストになっており、引き離されてから百年以上が経った今でもわずかの老化も起きていないのだ。しかし、目を覚ました少女-カシーネ-はそのことに何の違和感も感じないまま、思わず母親の顔に向けて手を伸ばした。カシーネの母は自分の膝に頭をもたれさせる娘の手を取ると、ゆっくりと自分の頬にその手を押し付ける。その顔に浮かんでいるのは、どこまでも優しげな微笑みだ。


「ああ、私の娘……やっと会えたわね」


「お母さん……ほんとにお母さんだよね?」


 親子は万感の思いがこもった視線を交わしながら、必死に頷きあう。二人の目からは情愛が涙となってあふれだし、それぞれの頬をゆっくりと伝った。

 カシーネは自分の思いを声にしようと口を開け閉めするが、あまりにも大きすぎる思い故に何の言葉も発することができない。そんな彼女を慰めるように、カシーネの母-アリアナ-は、娘の髪をゆっくりと撫でた。その手に促されるように、カシーネの頬を流れる涙が量が増していく。やがて耐え切れなくなったカシーネは身体を起こすとアリアナに抱きつき、声をあげて泣いた。

 数分後に泣き止んだカシーネは、ようやくポツリポツリと言葉を発し始める。話の内容はこれまでカシーネが歩んできた旅路の記憶だ。懸命に記憶をたどって言葉を紡ぐカシーネの話を聞きながら、アリアナは楽しそうに相槌を打っている。


 そんな二人を見守るのはここまでカシーネを連れてきたナナシとゾンビたちだ。アリアナと同化していた魔樹、”歪み捻じれしディオスト・幽瘴樹ゴシュアーリ”を無事に倒した一行だったが、腐肉街の奥地にあのような強力な魔物がいるとは思っておらず、訳も分からないまま戦闘へと突入していた。数多の攻撃により幽瘴樹を切り倒すことに成功したナナシ達だったが、それと同時にアリアナが樹の中から再び現れ、彼女とカシーネの関係を知ったのだ。

 そんな彼らは思い思いの様子で親子の周りで過ごしている。二人の近くに立ち、話の内容を聞こうとするものや、周囲を警戒して彼らの聖女様を守ろうとするものなど様々だ。そして、そんな中でナナシはつい先ほど手に入れた歪み捻じれしディオスト・幽瘴樹ゴシュアーリの素材を物色していた。物色といっても全書に収納した素材の一覧を眺めているだけなのだが、にやけながら全書のページをめくる姿は何とも気味が悪く近寄りがたいものだ。

 ページをめくる手を止めたナナシが何かを呟くと、彼の前方の空間がゆがみ、人型の何かが二体現れた。二体は木製の人形であり、一体は奥地に来るまでにゾンビたちを瘴気から守っていた【悲愛姫の樹骸】に見えたが、もう一体はゾンビたちには見覚えがないものだった。筋骨隆々の男性としわがれた老人が背中合わせに張り付けられた造形のその人形は、暗紫色の木材でできた体を滑らかに動かしてその場を離れていく。その場に残った【悲愛姫の樹骸】をゾンビの一人が眺めていたが、あることに気づいたゾンビーハリットーが思わずといった様子で呟いた。


「おや、なにやら姫様の体の色が変わっておるような……」


「おお、気づいたか!実はたった今手に入れた素材で新たな物品を作れるようになってな!早速この【瘴気愛す夢死姫パラモセス】を作ってみたのだ」


 ハリットが見るに、ナナシが【瘴気愛す夢死姫パラモセス】と呼ぶ人形はまさに精工という言葉がふさわしい出来栄えだった。色こそ材料に使われている木材そのままになっているが、それに目をつぶれば木でできた人間といっても差し支えないと思われるほどだ。目をつぶったまま微動だにしないパラモセスをぶしつけに眺めるハリットだったが、瞼の下から現れた水晶のような瞳と目が合う。


「おお!し、失礼しました……」


 ハリットの謝罪に応えるかのように、【瘴気愛す夢死姫パラモセス】は色とりどりの葉で作られたドレスの裾をつまみ、上品な礼を返した。それに恐縮しながら何度も頭を下げるハリットに呆れたようなまなざしを向けながら、ナナシはもう一体の人形が歩き去っていた方角を眺める。


「暇そうだからと素材集めに向かわせたが、さすがにほかの自動人形も一緒についていかせたほうがよかったか。考えてみれば、せっかく獲物をしとめてもその素材を持って帰れないならば意味がないしな」


 歪み捻じれしディオスト・幽瘴樹ゴシュアーリを倒した時を境に周囲の霧の密度は徐々に薄くなってきているが、まだ沼地を見通せるほどではない。その霧の中を見つめていたナナシだったが、先ほど送り出した人形がこちらに戻ってきていることに気づいた。徐々に鮮明になっていくその姿を見たナナシとハリットは、それぞれが違った理由で声を上げることになった。


「おお!期待以上の戦果ではないか!」


「な、なんと面妖な姿……!」


 歪み捻じれしディオスト・幽瘴樹(ゴシュアーリの素材を使って作られたもう一つの外法遺骸アンデッド、【幽融の奇双男ゴゾリアオ】は背面の老人をかたどった木像部分から生えた蔓で網を作り、その中に手に入れた素材を入れてナナシの元まで運んできたようだ。その数は自動人形一体で運べる程度の量を優に超えているように見えたが、【幽融の奇双男ゴゾリアオ】は前面の大男部分から伸びる剛腕で網の根元をつかみ、泥に足を埋めながらも速度を一切緩めることなく進み続けている。それほど時間もかからずナナシのもとにたどり着いた【幽融の奇双男ゴゾリアオ】は、彼の目の前に手に入れてきた素材を置くと、彫像のように微動だにしなくなる。


「これは……間違いなくここまでの道中で襲ってきた魔物たちの死骸ですな……これほどの数の魔物を一人で倒すとは」


 【幽融の奇双男ゴゾリアオ】の網の中身を恐る恐るのぞき込むハリットだったが、その言葉の後に二体の木像、そしてナナシに畏怖の感情がこもった視線を向ける。だが、その視線の先にいるナナシはハリットのことなど気に掛ける様子もなく、上機嫌に【幽融の奇双男ゴゾリアオ】を眺めていた。


「うむうむ、これほどの物品を手に入れることができたのなら、ここまで来た甲斐もあるというものだな」


 満足げに頷きながら感動の再会を果たした親子に目を向けるナナシだったが、その動きを唐突に止めた。親子の隣に並び立つローブを羽織った見覚えのない人影に気づいたからだ。ほんの少しの間どう動いたものか迷っていたナナシだったが、フードの奥から覗く双眸を見た彼は眉をはねさせる。


「んん?もしや……」


「やはりあなたでしたか、ナナシさん。ここに向かっている間はまさかと思っていましたが、なかなか面白い縁もあるものですね」


 フードの下から現れた端正な顔は、ナナシの予想通りアンテスのものだった。湿地帯を抜けてきたとは思えない清潔な格好のアンテスは、優しげな表情でカシーネとアリアナを見つめている。やがてアンテスの存在に気づいたカシーネは、母に向けるものとはまた異なる満面の笑みでもって彼に抱き着いた。


「アンテス!お母さんと会えたわ!」


「ええ、ようやくあなたの願いが叶いましたね。私の手で夢を成就してあげられなかったのが少し心残りですが、まあそれは些細な問題でしょう」


 服が汚れるのもいとわずにカシーネを抱き寄せると、アンテスとアリアナの目が合った。少々気まずげに目をそらすアンテスだったが、二人が何かを言う前にナナシが声を上げる。


「アンテス!なぜお前がこんなところにいるのだ!こっちは追手から逃れようと苦労してここまで来たというのに、ずいぶんと綺麗な恰好ではないか!」


「ナナシさんを巻き込んでしまったようで申し訳ない。ですが、きっと巻き込まれたのがあなたでなければこうして幸せそうなカシーネを見ることもできなかったかもしれませんね。ぜひお礼を言わせてください」


 そう言ってアンテスはナナシに向けて頭を下げた。礼を受けたナナシもそれ以上何か言うことはできず、ため息をつきながら全書に視線を落とす。確かにナナシの言うように彼らは苦労をして腐肉街の奥地にたどり着いたわけだが、それによりナナシのコレクションが増えたのも事実だ。同行してきたゾンビたちもカシーネの目が覚めて嬉しそうで、ナナシの言葉の反面、アンテスに対して負の感情を向けている者はいなかった。

 それを知ってか知らずか、アンテスは刻一刻と薄くなっていく霧に目をやった。それを見たナナシも霧がかなり薄くなっていることに気づく。


「ここに来るまでは不気味なほどに濃かったが、こうして晴れていくということは、この霧も自然のものだったということか」


「いえ、この霧はナナシさんの予想通り、人為的に作られたものですよ。この霧を止めることも間接的な我々の目的だったんですが、ナナシさんに先を越されてしまいましたね」


「何?先を越したといっても、ここに来てからしたことなど魔物の討伐だけ……まさか」


 何かに気づいた様子のナナシに、アンテスは答え合わせをするように頷く。


「ええ、この霧を発生させていたのは先ほどナナシさんが倒した樹の魔物、ひいてはそれと融合していたカシーネの母親、アリアナだったのですよ」


「魔物があの霧を作り出していただと?だが、あの霧には【瘴気】まで混ざっていたんだぞ?そんなものをこれほど大量に作れるなど……」


 ナナシの訝し気な様子にアンテスは苦笑を返すが、それほど不愉快な様子も見せずに言葉を継いだ。


「カシーネやアリアナの家系では、代々女性だけが特異な体質を受け継ぐそうです。中でもその影響が色濃く出た二人は、方や瘴気を作り続ける幽体ゴーストとして、方や永遠に眠り続ける人形として利用されてしまったのですよ」


「で、それを助け出したのが、どこぞの王子様、と。そういうわけだな?」


「何をおっしゃいますか。アリアナを助け出したのはナナシさんでしょうに。故意ではないとはいえ、これであなたも私の片棒を担ぐことになったわけです」


 露骨に顔しかめるナナシだったが、アンテスはその様子を気にもせず微笑を向ける。


「ナナシさん、どこかの世界では”毒を食らわば皿まで”、という言葉があるそうですよ」


「……だからどうした。別に食事をしたつもりなど……」


「その食事会が”王城街”に入ることができる機会に繋がっていたとしても、ナナシさんは断るんですか?」


 その問いを聞いたナナシが、目を剥いてアンテスに詰め寄る。


「なに!?それは本当か!?」


 ”王城街”というのは”貴族街”の先につながる居住区だ。それなりの身分があればある程度自由に行き来ができる貴族街とは異なり、王城街はグリッサムに古くから住む貴族階級の者しか入ることができず、よそ者が入るには相当のコネが必要となる。王城街には希少かつ高価な物品が多く販売されているらしく、レナたちもまずはこの王城街に入ることを目標としていた。必然的にナナシの食指が向く物品も数多くあると思われたため、ナナシも何とかして入場のためのコネを手に入れようと画策していたのだ。

 その機会が思わぬ形で転がり込んできたため、ナナシは特に考えることもなくアンテスへの協力を申し出た。それを受けたアンテスは、うれしげにナナシの手を握る。


「ナナシさんならそう言ってくれると思いました。私の故郷とはいえ、味方は多いに越したことはありませんからね。なにせ王様にケンカを売るんです。いくら準備をしてもしすぎということはありません」


「……なに?」


 アンテスの言葉を聞いたナナシが手を引こうとするが、いくら力を込めてもアンテスが手を離すことはない。そこでようやく、ナナシは面倒ごとに巻き込まれたと気付いたのだった。

【悲愛姫の樹骸】:八ページ目初登場


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