四十八ページ目
行く先を遮る濃い霧を、無駄とは知りながらもかき分けながらひたすら歩き続ける。腐肉街の奥に進むほど濃くなっていた出所不明の霧は、すでに自分の手すらぼやけるほどの濃度になっていた。当然、近くにいるはずの同行者たちの姿など一切見えず、泥を跳ねさせて響く足音だけが聞こえる様は、まるで不可視の幽霊に囲まれているような気分だ。今は六人の屍者(ゾンビ)と、いまだ気を失っているため最もガタイのいいゾンビに背負われたカシーネを連れているのだが、彼らも必要最低限の言葉を発するだけでただひたすら足を前へと進めているようだ。
そんな霧の中をやみくもに進んではものの数分で逸れるのは明白なため、今はそれぞれの腰に長いロープを括り付け、互いが互いを引っ張るような形で先を急いでいた。はぐれる心配がなくなる反面、誰かが足を取られれば全員がその場から動けなくなるため進む速度は遅くなるのだが、背に腹は代えられないというやつである。霧のせいで進む方角すら分からないのだが、それは同行しているゾンビたちが道案内をしてくれたおかげで大した障害にはならなかった。どうやら彼らは周囲の瘴気の濃度を見分けることができるらしく、瘴気が濃い方向に進めば自ずと最奥にたどり着くというわけだ。
巨大外法遺骸の襲撃を受けた腐肉街の居住地を出発してほぼ半日が経っているが、進行具合は予想よりかなり悪い。それは霧の濃さも十分に関わっているのだが、もう一つの大きな要因は、霧と同様に進むほど濃度を増す【瘴気】であった。出発する時点ですでに自分の身体は【瘴弾の石飾具】により【瘴気】から保護していたのだが、同行していたアンデッドやなぜか【瘴気】の影響を受けないらしいカシーネは特に何の対処もしないまま進んでいた。だが、それほど時間が経たないうちに目に見るほどの速さで【瘴気】の濃度が上がっていき、数人のアンデッドが意識を失ったり錯乱状態に陥ってしまったのだ。
出発する前に聞いていた【瘴気】が及ぼすゾンビたちへの影響は思っていたよりも深刻だったようで、そのままであればそれほど時間もたたずに彼らは発狂してしまっただろう。必死に意識を保とうとしている彼らをそのままにするのも些か気が引けたので、それぞれに【瘴弾の石飾具】を渡すとともに、少しでも【瘴気】を遠ざけるために【悲愛姫の樹骸】を全書から取り出した。【悲愛姫の樹骸】により結界が構築されると、本能的に周囲から【瘴気】が消え去ったのを感じる。同行者たちも俄かに正気を取り戻したため、ようやく気を取り直して先に進むことができたのだ。
目的地に向かって進むのはいいのだが、奥地に進むほどに周囲に潜む魔物と化したアンデッドたちの襲撃も厄介なものになっていく。中心部近くにはすでに数十体は撃退した”握る怪手”のみしか存在しないようだったが、先に進むほどに現れる魔物の種類も増えていく。巨人の腕のようなサイズの握る怪手に別の腕が何本も生えた”握りしめる怪怨手”や水を大量に吸収して水膨れした肉塊と化した”滴る潰肉”、さらに全身が灰色の靄で構成された霧に潜む幽体”巻きこむ半影”などが霧に紛れて大量に押し寄せるため、自動人形たちを広く展開して索敵範囲を広げる必要があった。自動人形たちは視界に頼らずとも周囲の探索が可能なため、通常通りの戦闘を行えることは幸いだったが、霧のせいで自分の視界は頼りにならず適切な命令ができないため、何度か【悲愛姫の樹骸】の結界に魔物が激突することもあった。
そのたびに結界に守られているゾンビたちが怯えるが、彼らを待たせつつ魔物たちの死骸はしっかりと回収する。
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【握りしめる怪怨手の多触腕】を収集しました
【握りしめる怪怨手の病爪】を収集しました
【握りしめる怪怨手の大骨】を収集しました
【滴る潰肉の湿膨肉】を収集しました
【滴る潰肉の節足】を収集しました
【滴る潰肉の歪顔】を収集しました
【滴る潰肉の球脳】を収集しました
【巻きこむ半影の灰霞】を収集しました
【巻きこむ半影の涙眼】を収集しました
【巻きこむ半影の霧核】を収集しました
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自動人形たちが討ち漏らす敵も多いため、必然的に自分の手で武器を振る機会も多くなる。普通であれば濃い霧に難儀して戦闘どころではないだろうが、ここでエルフの森で譲り受けた【魔流の義眼】が役立つこととなった。この義眼には”魔流睨み”という権能が備わっており、少量の体内魔力を使うことで、周囲に存在する魔力を視認することができる。霧や瘴気すらも素通りして魔物が持つオドを見通すことができるため、この義眼さえあれば完全な暗闇の中でも生物を見分けることができるのである。空気中に存在する体外魔力の影響かそれほど遠くまで見ることはできないのだが、結界に群がる魔物たちの処理程度ならば全く問題なかった。
せっかくの機会なのでこれまで全書の中に死蔵していた武器たちも使って魔物たちの相手をしていたのだが、やはりこういったものは実際に使ってこそ愛着が湧くものだ。コレクションたちの性能がいいだけに武器を扱う心得がなくても面白いように魔物たちを倒すことができる。そのため、それほど気分を害することもなく霧の中を進んでいたのだが、それを咎めようとでもいうように、出発前に討伐した揃いし巨眼屍を優に超える巨躯を誇る何かが向かっている方向から現れた。【魔流の義眼】で見る限り、それは数えきれないほどの握る怪手が寄り集まって人型を成しているようだ。遠目で見ても五メートルはあろうかという身長を持つ謎の魔物は、まっすぐにこちらへと向かってきているようだ。このままぶつかっては結界の中のアンデッドたちなどあっけなく踏みつぶされてしまうだろう。そのため、すぐに【時森の怪軽兵】や【歩行銃筒・蠢虫】、【空裂く憎剣】などの遠距離攻撃が可能な物品で総攻撃を仕掛けた。攻撃が当たるごとに巨人から肉片と化した握る怪手の残骸が飛び散っていくが、巨人は全く歩を緩めることなく進撃してくる。闇雲に攻撃しては時間の無駄になりかねないので、特に下半身に集中して攻撃を仕掛け、さらに【樹衣の鬼猿代】で足を取ることで巨人を地面に押し倒すことに成功した。あとはもてる火力をつぎ込んで巨人の身体を削りきるだけだ。
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【集い纏わる幽手体の巨大腕】を収集しました
【集い纏わる幽手体の百目腕】を収集しました
【集い纏わる幽手体の百口腕】を収集しました
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無事に巨人、集い纏わる幽手体を倒すことができたが、体のほとんどが別の魔物でできていたため、手に入った素材はそれほど多くはなかった。だが、手に入ったそれぞれの素材は特異な能力を持つものらしく、これまでに収集していた素材も利用した新たな物品を生成することができた。
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【夢掴む悪手】
分類:魔具・義手
等級:C
権能:【夢覗】【夢奪】【喰夢】
詳細:他者の思考や夢を奪い、あらぬ物へと捻じ曲げ、喰い尽くす怪手。心の弱い者であれば容易く正気をなくしてしまう。
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【心潰しの多義腕】
分類:魔具・義手
等級:C+
権能:【操義腕】【魂殴】
詳細:複数の義腕が接続された巨大義腕。接続された義腕は持ち主の技量により通常の手と変わらないほどの精度で操作できる。
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この辺りには手を模した魔物が多くいたため、それを使った義手を二つも手に入れることができた。二つのうち、【夢掴む悪手】は見た目こそ普通の腕のように見える精巧な義手だが、どうやらこれまでにない方法での攻撃ができるようだ。さらに【心潰しの多義腕】は握りしめる怪怨手をそのまま義手にしたかのような巨大すぎる魔具である。つけるのが巨人だったならばちょうどいい大きさだったのかもしれないが、ただの人間であるわが身に着けるには少し大きするようだ。なにせ義手の全長が身の丈ほどはあるため、装着すれば確実に引きずることになるし、つけたままでは移動すらままならない。説明にある権能を使ってみたが、使いこなすにはかなりの訓練が必要だと思われたため、しばらくは全書にしまっておくことになるだろう。
だが、使い勝手の良い義手が手に入ったのは幸いだ。これまでに入手していた義手はどれも重かったり見た目が奇抜だったため、日常生活で使うには少しばかり不便だった。【夢掴む悪手】は権能さえ使わなければ少し血色が悪い腕くらいにしか見えないので、今後はこの義手を常用することにしよう。
先に進みながらさらに多くのものを収集するために【魔流の義眼】を起動し続けていたが、残念ながらこれ以上目新しいものはなさそうだ。魔物から得られた素材を周囲の霞や泥ごと回収しつつ、ペースを維持しながら歩き続ける。やがてさらに数時間が経った頃、いよいよ霧は濃くなり義眼がなければ歩を進めることすら躊躇するほどになった。だが、その霧が突如晴れる。まるで直前まで霧などなかったといわんばかりの環境の急変に思わず足を止めるが、どうやらとある場所を中心として霧の中にドーム状の何もない空間が形成されているようだ。そして、その空間の中心には一本の巨大な樹と、その幹にもたれて倒れている女性がいた。樹の周囲の地面はひどく隆起しており、波打つように根が地中から飛び出ている。さらに目を凝らしてみると地面の隆起部分は土や泥ではなく、無数の人の死体や白骨体が積みあがりできていることが分かった。
目の前の景色を観察しているうちに、倒れていた女性が音もなく立ち上がる。重力を感じさせないその動きからして、その人物はおそらく実体を持たない幽体なのだろう。冷たい美貌を放つ麗人は、半透明に透けるドレスの裾をなびかせて宙に浮かぶと、背を向けていた樹にゆっくりと溶けていった。
ようやく目的地だった腐肉街の最奥にたどり着いたかと思ったのだが、まだゆっくり休むことはできなさそうだ。ここまで丸一日近く歩いてきた疲労感ゆえか思わずため息が出そうになるが、それが空気に溶けきる前に、メキメキという音と共に大樹がねじり動き出す。それまでは一枚の葉すら生えていなかった枝に瞬く間に暗紫色の花が満開に咲き誇り、幽体と融合した大樹は爪牙の代わりに枝や根を振り上げてこちらへと襲い来るのだった。
【瘴気】:一ページ目初登場
【瘴弾の石飾具】:四ページ目初登場
【悲愛姫の樹骸】:八ページ目初登場
【魔流の義眼】::二十九ページ目初登場
【時森の怪軽兵】:七ページ目初登場
【歩行銃筒・蠢虫】:三十ページ目初登場
【空裂く憎剣】:三十九ページ目初登場
【樹衣の鬼猿代】:三十四ページ目初登場




