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もはやなじみつつある浮遊感の中、ひとまず周囲の様子を確認する。部屋の中にいるのは自分を含めて人間が三人と、屍者たちが全部で六人、さらに皆にあがめられている様子の聖女が一人だ。おそらくは誰も今の状況を生きて切り抜くすべは持っていないと思われるので、いくつかのコレクションを使うことにする。
とはいえ、やることは単純だ。まずは”雑える封界”の四階層で手に入れた妖刀、【|夜火鬼刀(よすがら】を手に握り、部屋の壁に向かって振るう。刀身から噴き出た紫炎が三つに分かれ、巨大な爪で引き裂くようにして薄い壁を粉砕した。それにより確保できた脱出口に向けて、【封霊魂の呪霊】がつむじ風を巻き起こし、部屋の中のものはひとつ残らず外へと噴き出される。あとは同様に【封霊魂の呪霊】が制御する風に乗ってゆっくりと着地するだけだ。【封霊魂の呪霊】は人を自由に舞い上がらせるほどの力はないようだが、その分能力の操作性に優れており、命令さえすればこの程度の人数なら落下速度の調整はできるようだった。
ゲレンやレナ、さらには一緒の部屋にいたゾンビたちすらも空中をゆっくりと降下する今の状況を理解できずに喚いているが、説明は後にしてまずは安定した足場の確保を優先する。
そうして無事に着地できたのはいいのだが、地上に降りて早々に辺りは喧騒に満ちている。それもそのはず、なにせ見上げるほどに高かった塔が一本崩れ落ちたのだ。普通であれば頂上にいた存在など原形も保てずに潰れてしまうほどの高度であり、さらにその残骸が地上に降り注いだのだから周辺の被害も相当なものだろう。
事実、目に見える範囲は塔を構成していた木材で埋め尽くされており、その残骸や瓦礫からはみ出るようにして、腐肉街の住人であろうゾンビたちの体の一部が確認できる。外法遺骸なのだからそれほどやわなはずもないが、その耐久力に限界があるのも確かだ。別に何か義理があるわけでもないが救助をしたほうがいいだろうか、そう考えていると、山積みになっていた瓦礫の一角が爆発するようにはじけ飛んだ。
そこから現れたのは、巨人かと思うほどの図体を誇るアンデッドだった。だが、その形はかろうじて人の原形を保っている、と言えるほどに異様なものだ。右腕の肘の部分からもう一本の足が生え、腰の周りにはまるでスカートのように六本の腕が生えている。頭があるはずの場所にも代わりに腕が生えているのだが、その先の手の平と甲部分に一つずつ目がついており、その片方の目はまっすぐにこちらを見据えている。
口がないのでもちろん声は聞こえないのだが、その巨人は雄たけびを上げるように両腕を掲げ、こちらへと向かってきた。友好的な存在である可能性は考えなくてもいいだろう。もしかしたらあの巨人が塔を倒した犯人かもしれないので、踏みつぶされる前に無力化したほうがよさそうだ。
まずは小手調べで【時森の怪奇兵】などで牽制の矢を放つが、何の効果もなく怯みすらしない。ここはやはり自動人形で……とも思ったが、たまにはすべてをコレクションに任せるのではなく、手ずから仕留めてみよう。
とはいえ、危険を冒すつもりはない。まずは全書から【縛り呪の魔眼】を取り出し、左目の義眼と素早く付け替える。魔眼に備わる権能を起動させながら敵を見据えると、地を揺らして進んでいたアンデッドが不自然に動きを停止させた。これでこちらの視界に入っている間はあのアンデッドは動けないため、その隙に左腕に【靡かせる白樹手】を装着する。
以前はさっぱり使うことのできなかった魔術だったが、この義手を使った訓練を積むことで、最近は安定した発動を行えるようになったのだ。とはいえ、まだ使うことのできる魔術も多くないので、【ケミシナ魔術写本】に記載されていた初級魔術、”舞う火閃”を発動する。【靡かせる白樹手】の補助により、腕ほどの太さがある炎の槍が五本形成され、すべてが狙い過たずアンデッドの身体に着弾した。爆発を伴う攻撃はさすがに効き目があり、少なくはない肉片が巨大な体から飛び散った。腰のあたりに着いた余分な腕も数本が千切れ飛び、肉が焦げる嫌な臭いがこちらまで届くが、巨大な体はいまだ健在であり、このまま動きを止め続けていても仕留めることは難しそうである。
要はデカすぎるのがいけないので、右手の武器を【|夜火鬼刀(よすがら】から【血吸いの朱鎌】に持ち替える。鎌を横なぎに振るうと、事前に鎌に吸わせていた血液が刃となり飛び出し、アンデッドの両足をすっぱりと切断した。それにより巨体が横倒しとなり、ようやく弱点であろう眼球がついた腕が手の届くところに降りてきた。いまだアンデッドは動くことができないので、手持ちの武器の中でも最重量を誇る【剛戦剣】を取り出す。その重みゆえ生身では持ち上げることすらできないため【潰墜の四腕】で柄を握り、兜割りの要領で気色悪い腕を胴体から切り離した。
これでアンデッドを仕留めることができると思っていたのだが、普通の生物とは違いこの巨大アンデッドは頭部と思しき場所を失っても事切れることはないらしく、魔眼の呪縛から逃れようといまだに体をびくつかせている。仕方ないので、これ以上暴れることがないよう、動けないうちに一通り四肢を解体することにした。少し時間はかかったが両腕でと両足、さらに上半身と下半身を切り分けたあたりで、ようやくアンデッドは完全に動きを止めた。
少し離れたところから戦闘の様子を眺めていたゲレンたちがこちらに歩いてくる間に、あたりに散らばってしまった戦果を回収しておく。
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【揃いし巨眼屍の腐腕】を収集しました
【揃いし巨眼屍の腐足】を収集しました
【揃いし巨眼屍の腰腕】を収集しました
【揃いし巨眼屍の大眼掌】を収集しました
【巨屍の死肉】を収集しました
【巨屍の死血】を収集しました
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派手な解体作業のせいで肉片や血しぶきがそこら中に飛び散ってしまったので、【デミス著・血材肉材の保管書】で残らず回収しておく。この本は名前の通り血と肉だけしか収集できないのだが、その分周囲の素材を吸い寄せるようにして集めてくれる。さらに【垂涎する食箱】を使えば、素材の回収はあっという間だ。
しかし、回収が終わり皆の無事を確認できた頃にさらに四体の揃いし巨眼屍がこちらに向かってきているのが見えた。確かにあの程度のアンデッド一体だけで塔を倒すことができたとは思えなかったので、おそらくはこの五体で一緒になり塔を襲撃したのだろう。さすがに四体ともなると自分だけで処理するのも面倒なので、自動人形たちを総動員して対処する。その甲斐あって数分もしないうちに周囲が静かになり、ようやく状況の確認を行えるようになった。
まず件の聖女についてだが、彼女の正体はシロテランで救出したはずの少女、カシーネだった。シロテランの封印区でアンテスと共に消え去った後の行方など知る由もなったが、まさかこんなところで再会することになるとは予想外である。そんな聖女様は塔からの落下を経てもなおまだアンデッドと融合したままであり、その両目は固く閉ざされたままだ。苦悶の表情を浮かべているわけでもないので何か危険がある行為をしているのではないだろうが、やはり普通の状況ではないので気になるところではある。ゲレンも様子を確認しようとカシーネに近づくが、なぜかレナに頬を引っ叩かれそれは断念していた。
次に襲撃者たちの正体についてだが、やはりアサームの後を追う者たちの仲間とみるのが自然だろう。ここまで後をつけられていたとは思えないが、タイミングから見てもカシーネが狙いと思って間違いないと思われる。ということは、わざわざここまで逃げてきた結果として襲撃者に追いつかれてしまったということだ。
これまでの襲撃の様子やアサームの話を聞く限り、襲撃者たちの拠点は貴族街付近にあるのだろう。捕らわれたアサームが石棺街から貴族街に向けて運ばれていたこともその証拠だ。そのため、これ以上彼らから逃れようとするならば、進むべき場所はただ一つ、腐肉街の奥地である。
だが、助け出したゾンビたち曰く、腐肉街の最奥は住民である彼らも踏み入ったことがない場所だと言う。というよりも、踏み入ったことがある者がいない、というほうが正しいだろうか。なにせ、最奥に向かって戻った者は、これまでただの一人もいないと言うのだから。
わかっていることはただ一つ、腐肉街の全域に漂っている瘴気は奥地に行くほど濃くなっている、ということだけだ。その濃度はゾンビの理性を容易く奪い去り、彼らを一瞬で言葉通りの動く屍に変えてしまうほどらしい。奥地のことを話すゾンビたちは、筋肉が削げ落ちてずいぶんと分かりにくくなった表情を恐怖にゆがませている。こんなところに住んでいる彼らをもってしても、腐肉街の奥地というのは考えたくもないほど恐ろしいようだ。
だが、そうは言っても残されている道は二つに一つ、進むか引くか、すなわち敵が待ち受けるであろう貴族街へと向かうか、あるいは腐肉街への奥へと逃げるかだけだ。正直言って、こちらとしてはどちらに転んでも大した差はないのだが、この場の多くを占めるゾンビたちは意外にも逃亡という道を選びそうな気配である。彼らがその選択をする大きな要因は、彼らが守りたい存在であるカシーネがまだ目を覚ましていないことだ。そもそも彼らも、そしてこちらもカシーネを狙う者たちの正体が全く分かっていない。分かっていることはその謎の人物あるいは組織が強力なアンデッドを自由に使役することができる、ということくらいだ。そのため、たとえ貴族街に向かったとしてもこちらから何かアクションをとることはできずに、棒立ちで敵からの接触を待つことしかできないのである。それならば、カシーネが目を覚ますまでの時間稼ぎも兼ねて、一旦奥地へと逃げようということらしい。
個人的に腐肉街の奥地にも興味があるため、今からそこに向かうことも吝かではない。だが、ここまで共に行動してきたゲレンとレナは話が別だ。彼ら、特にレナは長年の目標として掲げてきた店舗の経営のためにこの王都に来ているのだ。店舗を今後軌道に乗せようと思うのならば、王都でこれ以上のトラブルに関わるのは愚行以外の何物でもないだろう。
それをレナに伝えたが、やはり彼女もそう感じていたようだ。彼女もいろいろと思うところがあり言い出せなかったようだが、今がいい機会なのでここでレナにはこの逃避行から離脱してもらうことにしよう。当然レナを一人ここから帰らせては無事では済まないことが明白なので、ついでにゲレンも同行させる。死霊術士である彼が一緒ならば、アンデッドたちの襲撃があっても問題なく切り抜けられるだろう。
二人とも言いたいことがあるようだが、それほど時間が残されているわけでもないので、別れの挨拶もそこそこに奥地へと出発する。思わぬ形で騒動に巻き込まれることになったが、うまく立ち回れば得られるものも多そうだ。一つでも多くのコレクションを手に入れるため、奥地への道中ではゾンビたちの護衛業に励むとしよう。
【夜火鬼刀】:三十九ページ目初登場
【封霊魂の呪霊】:四十一ページ目初登場
【縛り呪の魔眼】:三十九ページ目初登場
【靡かせる白樹手】:三十四ページ目初登場
【ケミシナ魔術写本】:三十五ページ目初登場
【血吸いの朱鎌】:三十九ページ目初登場
【剛戦剣】:三十九ページ目初登場
【潰墜の四腕】:三十二ページ目初登場
【デミス著・血材肉材の保管書】:三十七ページ目初登場
【垂涎する食箱】:三十九ページ目初登場




