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”腐肉街”にたどり着いたのはいいのだが、その外観はおよそ人が住んでいる場所と思えるものではなかった。住居と思しきあばら家が散見されるものの、その半分は木製の建材が腐り落ちたのか、半壊、あるいはほぼ全壊してしまっている。さらに足を踏み入れることを躊躇わせる最も大きな要因の一つは、腐肉街が立地しているその土地そのものにあった。
信じられないことに、腐肉街は巨大な沼にも似た湿地帯の上に作られているのだ。腐肉街の入口というのは、すなわちその湿地帯が始まる場所なのである。街は一応木の柵で囲われているようだが、そもそも立てられているのがぬかるんだ泥の中のため、すでに原型がないほどに腐敗し朽ちてしまっていた。街の入口を示す門も昔は立っていたようだが、今や他より長い木の棒がかろうじて一本立っているだけだ。
さらに地盤が含んでいる水分が空気の中に染み出しているかのごとく、あたりは薄い靄に覆われている。進むのに支障があるほどではないのだが、どこからか吹いてくる生ぬるい風により腐臭と共に身体に絡みつく靄は、えも言えず不快なものだった。
ゾンビ青年をはじめとして、ゲレンとレナの三人を引き連れて入口の前に立っているわけだが、当然楽しげな表情を浮かべているものは一人もいない。
そもそも腐肉街というのはグリッサムの住人たちでさえ近寄ろうともしない場所だ。人が住む場所として適しているとは口が裂けても言えないし、ここに長くいる外法遺骸は気が触れてしまうとも聞く。当然ゲレンとレナはここを訪れるのすら初めてなので、非常に先行きが不安だ。靄にかすむようにして遠くに腐肉街の住人のシルエットが見えるが、その歩き方はまるで夢遊病者のように不安定なものである。おそらく、というよりはほぼ確実に意思疎通などまともにできないだろう。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。ここまで来るのに結構な数のアンデッドたちを退けてきたのだが、最初に店舗を襲撃してきたのと同じようなアンデッドはまだ一度も見ていない。いつ再度の襲撃があるかもわからないので、早めに要件を済ましてしまいたいところだ。
というわけで、嫌がるゲレンとレナを引っ張って腐肉街へと足を踏み入れる。門の残骸の横を通ってしまえば、足元はすでに泥濘だ。道らしい道もないので、諦めて泥を撥ねさせながら歩を進める。
腐肉街を進み始めてすぐに、街の入口では感じなかった腐臭とは異なる別の臭気が漂っているのに気付いた。それはほかの同行者たちも同じだったらしく、特にレナはそれほど経たないうちに体調の異常を訴えてきたほどだ。だが、それも仕方ないだろう。臭気の原因は、以前にも対応に手を焼いた謎の気体、【瘴気】によるものだったのだ。”古都”を出て以来全書に収納したもの以外は目にしたことがなかった瘴気に、こんなところで遭遇することになるとは思わなかったが、この独特な不快さを感じる臭気は、瘴気に他ならない。
なぜこんなところに瘴気が発生しているのかはわからないが、原因さえわかってしまえばこちらのものだ。久しく使用していなかった【瘴弾の石飾具】を全書から取り出し、レナの首にかけてやる。すると、靄と腐臭までは取り除けないようだが、瘴気は問題なくレナの周囲から退けることができたようだ。自分にもよこせとゲレンがせがむので、自分用も合わせてもう二つ生成して装着する。ゾンビ青年にも必要かと尋ねてみたが、どうやらアンデッドたちにとっては瘴気というのはむしろ好ましいものらしい。だが、腐肉街に住むアンデッドたちの気が触れる原因もまた瘴気によるものらしく、それゆえ平民街や石棺街に住むアンデッドたちは、必要以上に腐肉街に近づこうとしないのだ。
そうしてさらに進んでいたが、ふととあることに気づく。それは、瘴気が収集できるのなら、この街に漂う空気自体も収集できるのではないか、ということだ。思いついたのなら試してみなければならない。というわけで、さっそく挑戦してみる。
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【薄夢の白靄】
分類:気体・靄
等級:C-
権能:【薄夢】【瘴毒】
詳細:死が揺蕩う土地から染み出した魔性の靄。生ある者からは生気を奪い、死を超えた者からは夢を奪い去る。
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【薄夢の黒水】
分類:液体・毒水
等級:C-
権能:【夢啜】
詳細:夢が溶け込んでいるといわれる魔水。これを飲んだ者は自己と夢の境界を見失う。
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【薄夢の灰泥】
分類:砂土・泥
等級:C-
権能:【薄夢】【瘴毒】
詳細:淀んだ想いが堆積する、停滞をもたらす灰泥。泥に沈んだものは浮き上がる気力を失い、その中に横たわり続ける。
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案の定収集が可能だったようで、収集と同時に目の前の靄と、ついでに足元から続いていた湿地帯の一部も消え去った。進行方向とは別の向きの地面を収集したため、進むのに特に支障はないのだが、地面が焼失した場所に腕ほどの大きさの虫のような何かが蠢いているのが見える。それらは少しの間身を悶えさせていたかと思うと、突如こちらに向かって猛然と這い寄ってきた。虫のような何かは収集によりえぐり取られた地面の底にいたのだが、すさまじい速度で傾斜をのぼりながらこちらに向かってくる。明らかに敵意を持っているようなので、【封霊魂の呪霊】を使って対処するが、【封霊魂の呪霊】によって生み出された不可視の力場により原形を保ったまま押しつぶされたそれは、一言で説明するのならば人の腕であった。遠目から見たとおり人の胴体に当たる部分はないのだが、ちょうど肩の部分で切断された腕が意思を持って動いている、としか説明できない見た目である。襲ってきた動く腕は全部で五本いたのだが、すでにそのすべてが無力化され、今や【封霊魂の呪霊】により空中にぶら下げられている。
幸い脅威となるような存在ではないようだが、これがなにかも分からないのでとりあえず回収してみよう。
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【握る怪手の腕体】
分類:魔物素材・遺骸
詳細:【薄夢の灰泥】に捕らわれた者たちの残滓。夢に落ちた者にもはや身体は不要となり、虚無を掴むための腕だけが残された。
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説明を読んでもいまいち正体はぴんと来ないが、この【握る怪手】とやらはどうやら魔物の一種であるらしい。これまで魔物と呼ばれるものは魔境以外に生息していないと思っていたのだが、まさかこの腐肉街が魔境であるなどというのだろうか。レナやゲレンに聞いてみてもそんな話は聞いたことがないというが、かといって街中に魔物が潜んでいるとも思えない。ただ確かなのは、腐肉街には魔物がおり、さらにかなりの数の【握る怪手】が泥の中に潜んでいるであろうということだけだ。
だが、腐肉街に入ってから今襲ってきたもの以外にこれまで同じ物を見たことはない。きっと彼らは普段は泥の中でおとなしく蠢いているだけなのだろう。コレクションの収集のために思わぬ被害が出てしまったようだが、結果としてはコレクションの数が増えることにもなったので怪我の功名というやつだ。
ゾンビ青年曰く、腐肉街の中心部に当たる場所では、一応集落としての体裁が保たれているらしい。そこにわざわざ腐肉街までやってきた理由、すなわちゾンビ青年の尋ね人もいるというので、気を取り直して先を急ぐことにする。
ここらで改めて腐肉街に来た目的を確認しておく。そもそも店舗を襲撃してきたアンデッドたちは、ゾンビ青年の捕獲を目的としていたらしい。というのも、彼らの本当の狙いはゾンビ青年の知り合いである、”聖女”と呼ばれている女性なのだ。ゾンビ青年はとある偶然からその”聖女”と親しくしており、彼女の居所も知っている。敵はその情報を狙ってゾンビ青年を襲ったわけだ。そんなゾンビ青年を連れて今どこに向かっているかというと、何を隠そう、その”聖女”が隠れている場所である。
すでに居場所を捕捉されているゾンビ青年がそこに行っては本末転倒な気もするが、彼によると”聖女”が敵に発見されてしまうのも時間の問題らしい。それならば、敵より先に”聖女”のもとに向かい、彼女を助け出そうということだ。そのため、ひとまずは腐肉街の中心部にたどり着かなければならない。
やはり当初の予想通り、先に進めば進むほどアンデッドたちの襲撃にあうが、石棺街での戦闘と同様にそれほどてこずることもない。唯一の懸念は、やはり足場の不安定さだろうか。戦闘を行う自動人形たちも泥に足を取られるようなことはないが、やはり動きに精彩を描く場面もある。さらに時折思い出したように地面から【握る怪手】がはい出てきて足を掴んだりしてくるため、不意の妨害にも警戒する必要があった。戦闘が多いので得られる素材もそれなりだが、残念ながらそれほど有用と思えるものは少ない。
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【下等屍者の肉片】を収集しました
【下等屍者の遺骨】を収集しました
【下等屍者の魂核】を収集しました
【下等屍獣の獣皮】を収集しました
【下等屍獣の獣毛】を収集しました
【下等屍獣の汚爪】を収集しました
【皮肉屍者の腐皮】を収集しました
【皮肉屍者の腫肉】を収集しました
【多眼屍者の三眼】を収集しました
【漁る屍者の喰らい口】を収集しました
【漁る屍者の狂歯】を収集しました
【犬頭屍者の獣鼻】を収集しました
【鳥足屍者の嘴口】を収集しました
【鳥足屍者の羽毛】を収集しました
【鳥足屍者の羽毛尾】を収集しました
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襲撃の回数が回数だったため、手に入った素材の種類も多岐に及んだ。そして、それらの素材を寄せ集めたような生成候補が現れる。
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【寄り肉の腐魂体】を生成します
以下の物品を消費する必要があります
下等屍者の遺骨2350%/100%
下等屍獣の獣毛540%/100%
下等屍獣の汚爪620%/100%
皮肉屍者の腐皮 120%/100%
多眼屍者の三眼 180%/100%
漁る屍者の喰らい口 110%/100%
犬頭屍者の獣鼻 160%/100%
鳥足屍者の羽毛尾 170%/100%
瘴気 13500%/100%
生成を行いますか?【はい/いいえ】
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生成の結果手に入ったのは、新たな自立駆動が可能なアンデッドだったが、素材となったそれぞれのアンデッドたちに特有だった器官がすべて詰め込まれているため、その造形はひどく不自然なものに見える。戦闘能力もそれほど高いというわけではなさそうなので、なにか理由がない限りはコレクションとして全書にしまっておくことになりそうだ。もう少し使い道のあるものが欲しかったというのが正直なところだが、手には要らないのならば仕方ない。せめてコレクションの量を増やそうと、襲ってくるアンデッドたちはすべて撃滅していくが、結局それ以上価値のありそうなものを得ることができないまま、腐肉街の中心部にたどり着いてしまった。
今にも倒れてしまいそうな木造の塔が四本聳えているそこには、これまでで見た地域の中でも最も多くのアンデッドたちが徘徊している。だが、中心部にいるアンデッドたちは比較的理性が残っているようで、これまで出会ったゾンビたちのようにすぐに襲い掛かってくることはなさそうだ。それをどこか寂しく思っていると、ゾンビ青年が一つの塔を指し示し、その中へと入っていく。どうやらその塔の中に”聖女”がいるらしいが、塔は倒れていないのが不思議なほどに老朽化が進んでいるように見える。そこを登っていくなど自殺行為以外の何物でもない気がするが、躊躇するこちらを置いてゾンビ青年は迷うことなく塔の中へと入っていった。
思わずゲレンたちと顔を見合わせるが、他に選択肢もなさそうだ。せめて中で暴れる必要がないことを祈りながら、三人揃って塔へと足を踏み入れるのだった。
【瘴気】:一ページ目初登場
【瘴弾の石飾具】:四ページ目初登場
【封霊魂の呪霊】四十一ページ目初登場




