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明けましておめでとうございます。
今年最初の更新になります。
今年も何卒、よろしくお願いします。
目の前に座っている上等な服を身にまとった老婦人の言葉を話半分に聞きながら、歓迎のために出された紅茶の香りを楽しむ。顧客の一人と商談を行うために通されたのはサロンのような個室だったのだが、訪れた客を温かくもてなすためか、はたまた自らの財力を見せつけるためか、部屋は品の良さを損なわないぎりぎりの範囲で飾られていた。
今ゲレンと共に腰かけているソファも見るからに高級感があるものだし、壁に掛けられた絵画や装飾品も一目見てそれとわかる上等な代物だ。物欲が強烈にそそられるものこそ見当たらないが、今ゲレンが話している老婦人が価値の高い芸術品を集めているという話は、あながち間違いでもなさそうだった。
終わる兆しが見えない世間話はゲレンに任せて寛いでいると、カップの中に入っていた紅茶が空になってしまった。手に持っているカップとソーサーもなかなかの逸品なのでしげしげと眺めていると、部屋の隅に控えていた使用人が空になったカップに適温に調整された紅茶が注がれる。
それを見て、老婦人も結構な時間が経っていることに気づいたようだ。世間話をいったん中断し、手をたたいて使用人に商品を持ってくるよう声をかけた。
使用人が二人掛かりでサロンに運んできたのは、布に包まれた一抱えほどの大きさの何かだった。なぜかもったいぶるように外から見えないように布で覆われているが、事前にどのような商品を紹介されるのかはすでに話を聞いている。早々にはがした布の下から現れたのは、大きな金色の盃だった。普通の人間が使ったならば両手で抱えないと使えないであろうその盃は、大きな宝石やきらびやかな装飾で飾られている。だが、確かに高級なものなのだろうが過度な飾りのせいでどこか重苦しい印象を受けた。
話は聞いていたのだが、やはり実物を見てみると受ける印象も変わるものだ。ゲレンもそれは同じだったようで、少し落胆したような表情を浮かべながらこちらに目配せをしてくる。
商品は残念ながら期待通りのものではなかったが、それでもやることはやらねばならない。ゲレンが老婦人に説明をしている前で、手にした全書を盃に触れさせる。これまでのように全書に収集するのではなく、盃に触れさせた全書はすぐに手元に戻した。すぐに全書を開けば、そこにはたった今全書が触れた盃についての情報が記載されている。
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【ケレヌ作:金酒盃】
分類:道具・食器
等級:D+
詳細:かつて貴族の依頼により作られた酒盃。実用性よりも見た目の華美さが優先されている。
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全書の説明を読む限り、やはり盃には見た目以上の価値はなさそうだ。ゲレンも全書の文章を読んだので、さっさと商談を終わらせるべく買取価格の値切り、あるいは買取自体の中止について老婦人との舌戦を始めた。取引相手との話はすべてゲレンに任せることにしているので、二人のやり取りが終わるまで紅茶やそれに添えられた茶菓子に舌鼓を打つ。王都-グリッサム-に来てからすでに一カ月ほどが経つが、こういった洒落た菓子などはこれまで訪れた街の中でも種類も質もかなり良いように思われる。味だけでなく見た目も凝っており、聞いた話によると置物として飾るための菓子まで存在しているというから驚きである。王都を巡ってすでにいくつかの菓子もコレクションとして収集しているのだが、まだそういった物品には出会っていないため、いつかは手に入れたいものだ。
そんなことを考えているうちに二人の会話が済んだようだ。話し合いの結果、【ケレヌ作:金酒盃】は当初の提示金額より若干安い価格で引き取ることにしたらしい。代金を老婦人に手渡し、盃を全書に収納してはるばる訪問した館を後にすることにする。
外から改めて眺める老婦人の館は、古い歴史を持つ王都にふさわしい貫録を携えた豪邸だ。石造りの館はところどころコケや蔦に覆われているが、決して雑然とした印象を抱かせることはなく、むしろ館がこれまで経てきた時の流れを示しているようだ。今いる”貴族街”にはこういった立派な館が多く聳えている。それぞれの館の敷地が広大なため、密集しているというわけではないのだが、それでもここまで大きな建物が集まっていると息が詰まるような気さえしそうだ。
帰路の途中で聞いてもいないのにゲレンが愚痴るが、彼自身は【ケレヌ作:金酒盃】を買い取るつもりはなかったらしい。だが、老婦人の身分と作ったばかりの”商会”のことを考え、ほぼ向こうの言い値で引き取ってしまったのだという。確かにいまだ軌道に乗ったとは言い難い”商会”のことを考えれば、今後のためのコネを作っておくのも重要なことだろう。こちらとしては、あまり関係のない話ではあるが、一時とはいえ籍を置いている身なので突き放すのもはばかれる。まあ、こうして商談に協力して取引物品の査定に協力しているので、穀潰しということもないのだが……。
なぜこうして王都に来てゲレンと共に”商会”に所属しているのかというと、別に大した意味はない。逃げ出すようにシロテランを脱出した際、成り行きで道中を共にしたゲレンとレナに厄介になっているだけだ。それに王都にきて早々に単独行動をしても、土地勘もない広大な王都でコレクションの収集が捗るとも思えない。それを考えれば、こうして雇われの身で王都を巡るというのもあながち無駄な時間の過ごし方でもないだろう。
貴族街を抜けるために足を進ませているうちに、あたりが徐々に薄暗くなってきた。落ちた日の代わりに街路の脇に立っている街灯が灯り、隙間なく並べられた石畳を淡い光が照らす。日中に営業していた店の多くが店じまいを始めるが、それと入れ替わるようにして仕事で疲労した住人の疲れを癒そうと居酒屋やレストランが看板を掲げ始めた。旅の中では感じることのなかったかぐわしい香りや暖かな空気に思わず吸い寄せられそうになるが、今はいったん商会の拠点に戻らねばならないのでゲレンと二人して足早に貴族街の出口に向かった。
貴族街に隣接しているのは”平民街”と呼ばれるエリアになるのだが、現在商会の拠点としている店舗は貴族街にほど近い平民街の一角に建っている。平民街にある店舗としてはまさに破格の立地といってもいいらしいが、この店舗、何を隠そうシロテランのオークションで競り落とした借用書により手に入ったものなのだ。オークションではとある男と競り合った末にかなりの高額で借用書を購入したわけなのだが、レナ曰くその価値は十二分にあるとのことだった。もともと借用書は彼女への礼のつもりで競り落としたものだ。それを喜んでくれるのならば、譲った甲斐もあるというものだ。
空の上で月が明るく輝くころ、ようやく店舗へと戻ることができた。中に入ると、ちょうど帳簿を付け終えたレナが店に並べる品を整理しているところだったようだ。帰って早々レナに近づいていくゲレンを横目に、改めて店内を見回してみる。
王都を訪れてから早いうちに店舗に入るための手続きを行ったのだが、如何せん三人とも王都で暮らしたこともなかったので、諸々の準備が終わったのはつい最近のことだ。そのため、並んでいる商品もまだかなり少なく、率直に言って物寂しい印象を受けるくらいである。その品ぞろえをなんとかして揃えようと、こうしてゲレンと二人して日が落ちるまで商品を探しまわっているのだ。
とりあえず手近にあった陳列台に【ケレヌ作:金酒盃】を置き、接客用の座椅子に腰を下ろす。小休止している間にゲレンへの折檻が終わったらしく、レナが改めて【ケレヌ作:金酒盃】を検分し始めた。だが、やはりそれほどの価値はないようで、レナは落胆した様子で盃を抱えて奥へと持っていった。その後を追うゲレンは放っておいて、店舗の二階に用意された自室へと向かう。
自室とはいっても、置いてあるのはそれなりの質のベッドだけだ。持ってるものなどすべて全書に収納しているため、ため息すら部屋の中で反響しそうなほどである。さて、これからどうしたものかと考えていると、一階のほうが何やら騒がしいことに気づいた。
すぐに部屋を出て手すりの上から一階を覗き見てみると、床に倒れた一人の男とその両脇に立つゲレンとレナの姿があった。店の状況が悪いとは知っていたが、まさか人を襲うまでに切迫していたとは思わなかった。死体は全書で回収するとして、他に目撃者がいれば面倒だ。そんなことを考えながら階段を降りると、どうやら状況は思っていたものとは少し異なるものだということを二人が教えてくれた。
なんでも、この謎の死体はついさっき店の外から飛び込んできたらしい。それならば、力尽きる前の最後の力を振り絞ってここまでやってきたのかと問えば、それもまた違うという。だが、うつぶせに倒れる男の肌は青白くなるほどに血の気が引いており、それだけでもこと切れてから結構な時間が経っているということが読み取れた。
まさかこんな生気がない人間がいるものか、そう思った時、とあることに思い至った。自分の予想があっているかをを確かめるため、うつぶせになっている死体をひっくり返し、死に顔を拝むことにする。男はまだ青年と呼んでも差し支えない歳のようだ。長めの白髪の下にある目と口は真一文字に閉ざされているが、特に痛みに苦しむ表情が残っているわけでもない。やはり病的に青白い肌の青年を眺めていると、探していたものを青年の首元に見つけた。服の下から僅かにのぞくそれを観察するために、青年が着ているシャツの襟もとを引っ張る。なぜかレナが慌てたように顔をそむけるが、気にせず露わになった刺青を注視してみる。刺青は両手で握られた心臓を模しており、赤いインクで肌に刻まれているようだ。最近聞いたばかりの情報を脳内で思い出してみると、刺青を見たゲレンがそれの正体を教えてくれた。
刺青が意味するのは支配された命、すなわちこの刺青を持つ謎の青年は、”屍者”と呼ばれる外法遺骸であるということを示していた。”腐肉街”からめったに出ないはずの屍者がなぜこんなところにいるのか。そう考えた途端、青年がうめき声をあげながら目を開けた。仰向けになっているゾンビ青年と目が合うが、彼は驚く様子もなくこちらを見つめている。
ゾンビ青年が何者かはわからないが、すぐに襲い掛かってくるということもなさそうだ。このグリッサムにいるゾンビならば意思疎通もできるはずなので、ここからは彼に直接事情を聴いてみることにしよう。




