異譚~ゲレンの薄運~
開いた口が塞がらないとはこのことだ、自らの唖然とした表情を自覚しながら、ゲレンはそう思った。封印区への侵入の際こそアンテスの魔術を使用したが、その後はナナシのインチキじみた力に頼りっぱなしであった。もちろん隠密行動を心掛けてはいるものの、遭遇した警備用の自動機装はことごとくナナシの前で消え失せていく。聞けば彼が手に持つ白い本によっていずこかに”仕舞われている”らしいが、そんな節操もなく物を収納できる魔具など聞いたこともない。
さらに白い本は一度仕舞ったものを自由に取り出せるらしく、虚空から巨大な姿鏡が出てきた際は腰を抜かすかと思ったほどだ。さらに【息呑む音吸い】という名の聞いたこともない貴重な装備を簡単に二人に貸し出すなど、その実力は計り知れない。
ああ、味方になってくれて助かった、魔境で遭遇した時に判断を誤らないでよかった、などと考えているうちに、一行は予定よりかなり早く”実験棟”へとたどり着いたのだった。
「ここが”実験棟”か。早速入りたいが……この門を破るのは厳しいか」
ゲレンは目の前に聳え立つ鉄門を見て呟く。実験棟は高い石塀に囲まれているためこの門以外からの侵入は難しそうだ。実験棟に入るにはこの門を何とかしないといけない訳だが、門は見るからに頑丈な鉄錠で施錠されており、もちろん三人がその錠を開けるための鍵を持っているはずもない。
自らの戦力の中にこの状況を打開することのできるものはないか、そう思案し始めるゲレンだったが、ここでもやはりナナシが一行の前に進み出る。
「鍵か。やはり事前の準備は大事だな。キシシシ」
笑うナナシの手には、いつの間にか金属製の鍵が握られている。周囲の暗さのため仔細を確認することはできなかったが、それは一見して何の変哲もない鍵と思われた。だが、ナナシがその鉤を錠に差し入れ軽くひねると、錠が落ちる音と共に門があっさりと開く。
「んな!?あんた、いつの間に実験棟の鍵なんか手に入れてたんだ!?」
「これは実験棟の鍵ではなく、【錠壊しの銀鍵】と言ってな?本当かは分からないが、どんな鍵でも開けることができるらしい」
「なんでもってそんな話があるかよ!封印区で使われる錠前なんて特別製に決まってんのに、それをこんなにあっさりと……」
「まあまあ、ゲレンさん。ここはいったん落ち着いて、ナナシさんに感謝しながら先に進みましょう。私もこうして実際に見るまでは半信半疑でしたが、世の中には便利な魔具があるのですね。鍵を開けてくださってありがとうございます」
「礼には及ばん。それでは早速中に入ることにするか」
門をくぐって実験棟に入っていく二人を釈然としない気持ちで見ながら、ゲレンもその後を追う。いよいよ三人は実験棟の中へと侵入を果たしたわけだが、屋内は外と打って変わって明るい。外からも窓から漏れ出る明りは確認できていたのだが、動くものが何一つないのに建物内の長い通路だけが煌々と照らされているというのは何とも不気味な光景だ。
入り口をくぐった三人はしばらく中の様子を窺いながら、その場に待機する。十分な時間が経ち、ひとまずは脅威になる存在はなさそうだと判断できたため、ここから行動を始めることにした。
「まずは無事に実験棟に入ることができたな。ここからが本番な訳だが……助けるのは嬢ちゃん一人だったな?」
「ええ、彼女は実験棟の中でも最も厳重なエリアにいるはずです。この辺りにはいないと思いますが、ひとまずは虱潰しに探すしかありませんね」
「それならば手掛かりになりそうなものも集めなくてはな!キシシシ」
アンテスの言葉の通り、一行は怪しそうな場所を選びながら実験棟の探索を行うこととした。とは言っても、たった三人で一部屋一部屋を訪問するわけにもいかない。そこで、ゲレンは懐から拳大の布袋を取り出した。布を逆さにすると、十個ほどの小さなガラス玉が転がり落ちてくる。
「ん?それは何だ?」
「これは”雑える封界”で手に入る素材を死霊術で加工したものさ。まあ見てな」
ゲレンは手の上に五個のガラス球を乗せると、一度強く握ってからそのすべてを上に放り投げる。そのままであればガラス玉は床に落ちるだけなのだが、ガラス玉の周囲の空間が一瞬歪んだかと思うと、そこに薄い影のような五体の実態が現れる。影たちは二、三度そこで揺れると、空気に溶けるようにして見えなくなった。
「今のは魂霊ですか。さすがは死霊術士ですね」
「ああ。あのゴーストたちが俺たちの代わりにここを探索してくれるってわけだ。こいつらの視界は俺につながってくれるから、何か見つければすぐにわかる」
「おい!そのガラス玉、ぜひ譲ってくれ!」
「おい!分かったからもう少し声を抑えろ。ほら、一個くれてやるから」
ガラス玉を受け取ったナナシは、目を輝かせて指でつまんだそれを眺めている。まるで子供のような様子に少し呆れながら、ゲレンは実験棟の通路を歩きだす。
「とにかく先に進むぞ。どうやらこの辺りには本当に誰もいないみたいだしな」
ゴーストから送られてくる情報によると、少なくとも入り口に近い場所に見張りはいないらしい。目ぼしいものがないかはゴーストからの情報である程度把握できるものの、細かいところまではゴーストで調べることはできない。だが、時が経てばゴーストの探索範囲も広がっていくだろう。
しばらくはゴーストにより安全だと分かった場所について、三人で直接確認していく。途中で見つかった物品を”収集”するナナシを引っ張るようにして先を急いでいると、不可思議な部屋に行き当たった。
そこは解剖室、とでも言うのだろうか。医療器具のようなものが多く置かれており、さらには臓器の標本が壁に並べられている。今でこそ職員は誰もいないため部屋は静かなものだが、日が昇っている間はここで一体どんなことが行われているというのか。
「うへえ、気色悪い部屋だねえ。死霊術士なんかよりよっぽど死者を冒とくしてるぜ」
「人っていうのは、よく分からないものですね。わざわざ生あるものから命を奪うなんて」
「それよりもなかなか興味深い物品が揃っているな!すべて頂いていこう!」
三者三様の反応を示しながらも、一行は部屋を後にして先に進む。いくつかの部屋を回って分かったことだが、この実験棟という建物はその名前の通り、様々な研究が行われているらしかった。
建物の中には用途が分からない機器がいくつもあり、それらは本来の用途で使われるのを待っているかのように静かに佇んでいる。
「……なかなかそれらしき場所がありませんね。そろそろ階層を移りましょうか」
「ああ、それもいいかもな。いつまでもこんなところを歩いてても……ちょっと待て」
制止の言葉を放ったゲレンは、その場に立ち止まり虚空を見上げる。ややの後視線を戻したゲレンは、顎に手を当てて思案を始めた。
「ゴーストが俺ら以外の人間を見つけたんだが、どうも様子というか風貌がおかしい。衛兵の制服を着てないし、どうも堅気のやつではないみたいだ」
「……もしや、その人物は体のどこかに髑髏のエンブレムをつけていませんでしたか?」
「ああ、つけてたな。胸鎧の真ん中に趣味の悪い髑髏マークがあったぞ」
ゲレンの言葉を聞いたアンテスが一度だけ頷く。
「間違いありません。その人間がいるところに彼女は囚われています。すぐにそこに向かいましょう」
「……おいおい、本気か?なんでわざわざ見つかりに行くような真似をするんだよ」
「彼女はこの都市から見ても極めて特殊で、保護すべき対象と看做されています。そのため、彼女の周囲には専用の護衛隊がいるのですよ」
「護衛隊とはねえ……それはどんなお姫様なんだよ」
「それはもう、彼女は僕のお姫様ですから」
アンテスの返事にゲレンは肩をすくめながら、二人をその場所へと案内する。目的地が決まったのはいいのだが、ゲレンが言うように今向かっているのは彼らの脅威となる存在がいるであろう場所だ。
三人はこれまでよりも一層慎重に歩を進めていく。ゲレンが使役するゴーストもその大半を行く先の警戒に当て、まさに厳戒態勢といった様相だ。
だが、その慎重さとは裏腹に、いくら進めども誰かと鉢合わせることはない。ついにはゴーストが護衛を発見したという場所に到着したのだが、そこにもやはり誰もいなかった。そこは通路の一番奥に当たる場所であり、彼らの目の前には石壁が鎮座しているだけだ。
「ここのはずだが……誰もいないな」
「近くに特に変わったものもなさそうだな……つまらん!」
「騒ぎにならないのは不幸中の幸いですが、また手掛かりがなくなってしまいましたね」
三人は何かないかと辺りを見回す。
「だが、誰もいないっていうのも変な話だぜ?この先は行き止まりなのに、ここまで来た俺らは誰とも遭遇してない」
「確かに、先ほどまでここにいたはずの人はどこかに消えてしまったことになりますね」
首をひねる二人だったが、ナナシはそれをつまらなさそうに眺めている。やがてその場に立っていることすら飽きてしまったのか、行き止まりになっていた石壁によりかかろうとする。
「まったく、まさかここまで来て無駄足だったとは言わないだろうな?手に入れた物品も正直まだ……どわあ!?」
愚痴を言っていたナナシの身体が、二人の目の前で壁に飲み込まれた。慌てて壁にかけ取る二人だったが、すぐにナナシの姿が壁の中から現れる。
「な、なんだこれは!?」
「これは……どうやら映像が投影されているだけだったようですね。ずいぶんと精巧だったので騙されるところでした」
「いやいや、俺ら三人とも完全に騙されてただろ。ナナシ!お前、お手柄だぜ!」
ナナシを助け起こし、三人は改めて壁の向こうへと進む。映像の向こうには地下へと続く階段がらせん状に続いており、先を見通すことはできない。三人がゆっくりと階段を下っていると、とうとう前方に人影が見えた。だが、その人物は彼らがおりている階段の隅に倒れ伏している。
「お、こいつはゴーストが見た奴だな……息はあるが、完全に気を失ってるってとこか」
「やはりこのエンブレム、間違いありませんね。ですが、なぜ彼はこんなところで気絶しているのでしょうか」
またも思案気となる二人だったが、ナナシは足すら止めずに先へと進む。またしても二人がそれを追う形となったが、それほど下りないうちにさまた別の男が倒れていた。やはり気絶しているだけだったが、不穏な状況に面々の表情が険しくなる。
やがてようやく階段の終わりが見えたころ、三人の耳に剣戟音が届いた。地下もそれなりの広さがあるのであろう。剣戟の音は小さく、離れた場所から響いてきているようだが、平常時のような状況ではないのは確かだ。
一度だけ目を見合わせた三人は、意を決して先へと進む。地下室は地上階とはまた違った様子だ。部屋の両脇には鉄格子が設置され、まさに牢獄といった風情である。牢獄の半分ほどは空っぽだが、もう半分には共通して真っ白な箱が置かれていた。箱は正方形で、四方の長さは大人の身の丈二人分ほどはあるだろう。それ以外に置かれているものはないが、箱を見たゲレンは得も言われぬ薄ら寒さを感じた。
「随分悪趣味な部屋だな……おい、ナナシ!その箱に手を出すのは後にしろ!」
「……別に一個くらいならいいのではないか?」
「中に何が入ってるのかも分からねえだろ。まずは目的のお嬢ちゃんを見つけてからだ」
先を急ぐ三人だが、彼らの耳に聞こえていた戦闘の音はいつの間にか消えていた。そのことに気づきながらも足を止めない三人は、とうとう地下室の最奥へと到着した。そこにはやはり壁に面して牢があり、牢の前の床には十人ほどはいるであろう兵士が折り重なって倒れている。兵士たちは階段で見かけた男と同じ鎧をまとっていたが、一人として意識を保っている者はいなかった。
倒れた兵士たちとゲレンら一行、その全員に背を向けて何者かが牢の前に立っている。何者かは部屋の最奥にある黒い箱をまっすぐに見つめているようだ。
「あの箱は……確かレナの馬車に置いてあったものだな。なるほど、あの中に目的の奴が閉じ込められていたわけか」
黒い箱に見覚えがあったナナシがそう口にする。黒い箱はナナシがシロテランに到着する前に、レナが率いていた旅商人の馬車で見たものだった。
ナナシの声が聞こえたのだろう。牢の前の人物がゆっくりと振り返った。その見覚えのある顔に、またしてもナナシが声を上げる。
「む、もう会えないかもなどと言っていたが、意外と早く再開できたではないか」
「ああ、その通りだ。何事も思わぬ方向に転がるものだね、ナナシ」
牢の前の人物、ジーンは気だるげな笑みをその顔に浮かべた。
「彼らは友人かい?死霊術士に王子様とは、なかなか面白い面子じゃないか」
「王子様?それはなんのこと……」
「ジーン。なぜあなたがここにいるのですか?」
ゲレンの言葉を遮り、アンテスが問いかける。その声は、二人が聞いたことがない固いものだ。
「なぜ?それは無論、未知の探究のためですよ。王子がご存知か分かりませんが、最近”雑える封界”で異変が起きてましてね。それの原因をたどってきたら、こんなところに行きついたという訳です」
「異常ってのは初期化のタイミングがずれたことか?」
「それもあるが、あれはほんの始まりだよ、ネクロマンサー殿。もしかしたら、今頃はもっと大変なことになってるかもね」
その言葉により静かになった三人から目線を逸らし、ジーンは黒い箱へと視線を戻す。
「しかし、これは本当に素晴らしい。【剛鉄鋼】で作られた箱から漏れ出るほどの濃厚な”呪詛”。これほどの呪詛が魔境にどのような影響を及ぼすのか、興味が尽きないな」
「”呪詛”だあ?何のことを言ってやがる」
「さっきも言っただろう?この箱から流れている”呪詛”が先の魔境での異変の原因さ。呪詛の影響を遮断するために、わざわざ【剛鉄鋼】製の箱に元凶を閉じ込めたようだが、そこの王子様はその元凶を解放しようとここまで来たという訳だ」
「……その元凶ってのは一体何なんだ?」
「それは前に伝えたとおりです。僕のお姫様ですよ」
アンテスはそれだけ言うと、ジーンに向かって歩み寄る。近づいてくるアンテスを、ジーンはただ見つめているだけだ。
「ジーン、あなたの行動を邪魔するつもりはありません。真理の探究も続けていただいて結構。ですが、今はそこをどいてください」
あくまでも柔らかなアンテスの声。だが、それに応えるジーンの声はどこか人を食ったような軽さを孕んでいる。
「それは困りますな、王子。私はこの呪詛が魔境にどういった影響を与えるのか、もっと知りたいのです。そのためにはこの箱はこのままの状態で置いておきませんと」
「……それは許容できません」
「んー、それは困りましたなあ、フフフ」
空気が変わったことに気づいたゲレンとナナシがアンテスに並び立つ。それを見たジーンは、さらに笑みを深くした。
「おやおや、三人とも怖い顔をしてか弱い女一人を虐める気かい?こんな時はそうだな……かつて愚王から民衆を救った義賊、”カスパーナ”に助けてもらおう。君たち、カスパーナは知っているかい?容姿端麗で類稀な身体能力を持っていた彼は、有能な部下を引き連れてとある王国で起こった革命を先導したんだ。彼が持っていた二振りの魔剣、【金陽の魔剣】と【銀月の妖剣】は、彼が振るうと輝く剣筋を残したそうでね」
「おいおい、俺らは別に授業を受けに来たわけじゃ……」
呆れたようなゲレンの言葉は、彼らの前に現れたぼんやりとした人影を見て途切れることとなる。現れたばかりの人影はゴーストのようにおぼろげなものだったが、ジーンの説明が進むにつれ輪郭が固定され、色彩が塗られていく。
「……そういう訳で、彼とその仲間たちならばこんな哀れな女を助けてくれると思うだろう?」
ジーンが説明を終えた時には、彼女が語った通りの偉丈夫が一人と、それに付き従う三人の戦士がそこに立っていた。彼らの顔には何の表情も浮かんでいないが、一様に武器を握り、ゲレンらをまっすぐに見つめている。
「おい、アンテス。どうやらお前はあいつを知ってるらしいが、今現れたこのイケメン共はあいつの魔術かなんか?」
「彼女は魔術は使えません……ですが、あの戦士たちは間違いなく彼女によって生成されたものです。その能力や戦闘力は、余さず彼女の説明の通りですよ」
「それなら俺らは過去の英雄とここで一戦交えるってことか?笑えねえな、おい」
探索者として日々戦闘に身を置いていたゲレンは、突如現れた戦士たちの恐るべき戦力を察していた。見たところ、自分一人であれば、ここから逃げることすら難しいと思えるほどの絶望的な戦力さだ。
こめかみを流れる冷や汗を感じながらその場から動けないでいるゲレンだったが、そんな彼の背後から能天気な声がかけられる。
「まったく、邪魔するのは結構だが、こちらにはあまり時間がないのだ。早々に帰り路について、この封印区を物色しなければならないからな」
「おや、君は泥棒までするのかい?それならば、なおのこと彼らに討伐してもらわなくてはな」
その言葉と共に、ジーンにより生み出されたカスパーナたちが、戦闘態勢に入った。それを見たナナシが白い本を開くと、彼らの前に十体ほどの自動機装が現れる。牢の前の空間はかなり広いため、自動機装の展開は容易いが、このまま戦闘が始まれば床に倒れ伏したままの兵士たちは無事では済まないだろう。
ゲレンがそう考えている間にも、カスパーナたちと自動機装は互いを打ち砕かんと距離を詰めていく。こんなところで戦えば、封印区を守る衛兵たちに侵入がばれるのは必至なのだが、どうやら両陣営もそんなことは気にしていないらしい。
「おいおい、どうしていつもこうなるんだ。頼むから自由な身で明日の朝日を拝ませてくれ……」
そんなゲレンの願い虚しく、実験棟の地下で黒い箱を巡った激しい争奪戦が始まるのであった。




