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異譚~ゲレンの展望~

 錆びついた蝶番に引っかかっただけの薄い木の板を押しのけ、喧騒の中へと入っていく。扉としての意味を為していない押し戸のため、酒場で発生している騒音は全て外に垂れ流されているが、四方から押し寄せる音に包まれることでゲレンは懐かしさにも似た安心感を覚えた。

 ゲレンは一時の間その感覚を堪能してから、いつもの席へと向かっていく。店の中を横切る際にかけられる声に適当に返事をしながらカウンター席にたどり着くと、注文もしていないのにラガーが並々と注がれたジョッキが目の前に置かれる。置いたのは大柄な髭面の店主だ。それに小さく礼を言ってからカウンターに銀貨を一枚置き、一息でジョッキの半分を飲み干したところで、ようやくゲレンは一息つくことができた。


「ふう……しっかし、これからどうすっかなあ。やっと魔境が落ち着いたのはいいが、うちのエースがあの始末・・・・じゃなあ……」


 ぼんやりと前を見つめるゲレンは、手近にいた店員につまみを頼んでから再び思考の海に沈んだ。しばらくそのままで動きを止めていたゲレンの耳に、誰かが背後から近づいてくる足音が届く。やっと店員が注文の品を持ってきたかと待っていると、何者かがゲレンの背を力強く叩いた。


「いてえ!?」


「なーに、湿気た空気醸しだしてんの!こっちまで参っちゃいそうよ!」


 突然現れた小柄な女性は、痛みに悶えるゲレンを笑いながら彼の隣の席に座った。彼女の目の前にも店主によりエールが注がれたジョッキが置かれ、さらに小さな皿に盛られた酢漬けピクルスも一緒にカウンターに並ぶ。


「おい、なんで俺の時はなくてこいつにはつまみが出るんだ」


「そりゃあ、俺にもよくしたい奴とそうじゃない奴はいるさ。ガハハハ」


 店主はそれだけ言うと別の客に料理を運ぶために離れていった。それを見ながら、女性は嬉しそうにジョッキに口をつける。


「んっふっふー、やっぱり美人は得するねえ。あんたもこんな可愛い女にはなにか奢りたくなるでしょ?」


「美人が自分で美人とかいう訳ねえだろ。金出してほしいなら、そんな風に下品に酒を飲むんじゃねえ」


「にひひ、そう言うあんたは相変わらずみたいね。最近会ってなかったから、実は心配してたのよ?」


 女性の言葉を聞いたゲレンは、再びジョッキを呷る。そして、小さな声で「ありがとよ」と呟いた。それを聞いた女性も小さく微笑みながら、同じくジョッキを呷る。二人がジョッキをカウンターに置いたタイミングで、ゲレンが注文したつまみが運ばれてきた。

 香ばしく食欲を誘うベーコンとソーセージを二人で齧りながら、二人は美酒とは呼べない安酒をゆっくりと味わう。


「聞いたわよ、ゲレン。あんたがいたパーティーが解散したそうじゃない。今はなにしてるの?」


「そりゃあ、魔境の探索に決まってるだろ。解散してすぐに管理局に別のパーティーを紹介してもらってなんとか続けてたんだが、そのパーティーがまた困ったことになってなあ」


「困ったこと?」


「ああ、お前が知ってるかは分からないが、何日か前に魔境で妙な時期に初期化が起きてな。そん時にうちのパーティーのメンバーが、”壁に食われた”んだ」


 それを聞いた女性は、いやなことを想像したように顔を顰める。


「うわ、それは悲惨ね。助からなかったの?」


「いや、命だけは何とか助かったんだが……右腕と右足を壁の中に置いてきちまった。結構な腕を持った剣士だったんだがな。そんで今のパーティーも事実上の解散ってわけだ」


 ゲレンは深いため息をついて項垂れる。その様子を見た女性は、今度はやさしくゲレンの肩を叩いた。


「ま、とにかくまずは元気出しなさいよ。にしても、そろそろあんたも潮時なんじゃないの?別にこの街に固執する理由もないんでしょ?」


「それはそうなんだが、なんとなく愛着が湧いちまってなあ。レナ、そういうお前こそ、今でもシロテランを中心に商売してるんだろう?そろそろもっと大きな都市に移ってもいいんじゃないか?」


「……私にも愛着があるのよ。でも、あんたが協力してくれるなら話は別かもね。ちょうど色々あって、この辺りからちょっと離れようかと思ってたところだし」


「色々?愛想だけはいいお前がトラブルとは、珍しいな」


 女性―レナ―は少しの間ジョッキの外側を垂れる水滴を黙ったまま見つめる。そして、意を決したように口を開いた。


「実は依頼でこの街に運んだ荷物が訳ありだったことが分かって……どうにかしてそれを取り返したいのよ」


「……訳ありってのはどの程度のもんなんだ?」


「……有り体に言うと”人質”ね」


 レナの言葉にゲレンが眉を顰める。ゲレンは頬杖を突きながらレナの方に顔を向けた。


「お前がそんな仕事を受けるとはな。まっとうな商売がお前の主義だっただろ」


「騙されたのよ。確かにまとまったお金が必要だったからちょっと怪しくても引き受けたんだけど、まさか運ぶ荷物の中に人が閉じ込められてるなんて思わなかったわ」


「ふーん……だが、お前がその人質やらをこの街に連れてきたとしても、別に何かをする義理はないんじゃないか?お前は頼まれた仕事をこなしただけだろ」


「それはそうなんだけど……事情とかを聞いたらほっとけなくなっちゃって……」


「その事情ってのは、俺らの後ろで聞き耳立ててる、あの坊ちゃんから聞いたのか?」


 ゲレンがそう言うと、彼の背後から小さく椅子が動く音が響いた。ゲレンがそちらに視線を向けると、驚きで見開かれた瞳と目が合う。


「驚きました。私は一度もそちらに意識を向けていないはずなのに。それにあなたの後に店に入ったことには気づいていなかったでしょう?」


「探索者舐めんな。こんなうるせえ酒場にいれば、いやでも会話なんて耳に入ってそれなりの反応をするもんだ。それがねえってことは、バレねえように肩身狭くして隠れてるってことだろうがよ」


 ゲレンに存在を看過された男は席を立って、カウンターの前、レナの隣の席に座り直した。男の顔を見たゲレンは、こいつはきっとどこぞの貴族に違いない、と内心で呟く。

 男は端正な顔立ちをしており、その肌はまるで上等な絹のように白く滑らかだ。どこか人間離れしたような印象を受ける彼の表情はひどく落ち着いており、先ほどの言葉から感じられた驚きの感情は露ほども表情に現れていない。


「レナさんから事前に伺ってはいましたが、一流の探索者というのは本当のようですね。そんなあなたにお願いしたいことがあるのです」


「俺に頼みたいこと?それより、お前はレナとどういう関係なんだ?」


 なぜか表情を険しくするゲレンの問いに、レナが答える。


「この人とは今回の仕事でシロテランに着いてから会ったのよ。依頼人に積み荷を引き渡した後、どうしようか悩んでた時に声をかけられたの。人質を引き渡す直前に彼女・・と話ができて事情を聞けたんだけど、そこで聞いた”想い人”と彼の容姿がそっくりだったから信用することにしたわけ」


「おいおい、ほんとにこいつを信用できるのかよ。人の顔なんて、説明しようとしたらどれも同じもんだろ」


「”お伽噺から抜け出してきた王子様のような綺麗な顔と、金と銀のオッドアイ”を持つ人なんてそうもいないでしょ?それに彼女、きっとその人が自分を助けに来てくれる、って言ってたし」


 ゲレンが改めて男の顔を見てみると、確かに男の右目は金色、左目は銀色であった。それを確認しながら、ゲレンはとあることに気づく。


「ん?レナ、お前、”彼女”って言ったか?」


「ええ、姿を見ることはできなかったけど、声は聞けたから。あの声からするに、かなり若い女の子でしょうね」


「……ふーん、お前が必死になってる理由が分かった」


 これはゲレンを含めて数人しか知らないことだが、レナは幼いころに自身の妹を事故で失っている。おそらく彼女は、人質としてシロテランに送り届けてしまった女性をその妹と重ねているのだろう。

 事情を聞き終えたゲレンは、一度だけ小さく息を吐いた。それをレナが不安げに見つめるが、ゲレンは彼女を見ると小さな笑みを浮かべる。


「分かった。話を聞こう。とはいえ、もう大体の話の予想はついてるがな」


「ありがとうございます。お察しの通り、あなたにはシロテランに連れてこられた少女を助ける手助けをしていただきたいのです」


「手助けね……それよりもあんたの名前はなんていうんだ。いつまでもあんたって呼ぶわけにもいかないだろ」


 ゲレンの言葉を聞いた男は、人当たりのよさそうな笑みを浮かべて名を名乗る。


「これは失礼しました。私はアンテスと申します。以後お見知りおきを」


「アンテスか。俺の紹介は必要ないだろう?」


「ええ、ゲレンさんのお名前は、すでにレナさんから聞いています。なんでも凄腕の探索者だとか」


 アンテスの言葉を聞いたゲレンは、やはり顔を顰めながらエールを呷る。


「やめろやめろ。俺は他の奴より多少器用なだけだ。で、そんなどこにでもいる探索者の手を借りたいってことは、一筋縄じゃあ救出はできなさそうだな」


「ええ、なにせ彼女は”封印区”に閉じ込められてるから」


「封印区だと!?まさか、そこにのこのこ入って、顔も知らん少女と手をつないでここまで戻って来いとか言わないよな?」


 今度はゲレンの言葉を聞いたレナが顔を顰める。


「なに?あんた少女趣味でもあるわけ?あんた一人に任せるわけないじゃない。私たちももちろん協力するわよ。でも、この三人でそれをやるのは難しいのも事実ね」


「お前の商会の奴らは使えないのか?」


「私のとこは商会なんて大層なものではないわ。ほとんどが日雇いだし、仕事は信用できるけどこういうことを頼むような関係じゃない。今回の旅なんて、準備を任せた奴がとちったせいで、危うく行き倒れるところだったんだから」


 会話がいったん止まったところで、アンテスが言葉を引き継ぐ。


「二人が仰る通り、我々にはさらなる協力者が必要です。私もこの街ではほとんど伝手がないのですが、ゲレンさんはどなたか心当たりはありませんか?」


「心当たりって言ってもな……封印区に忍び込んで好き勝手しようってんなら、相当の実力が必要だぞ?それに何が起こるか分からないから、戦闘以外のこともこなせないと話にならない。そんな奴、探索者の中にもほとんど……ん?」


 不自然に言葉を切ったゲレンを二人が見つめる。


「ゲレン、どうしたの?まさか、今更断るとか言わないわよね?」


「そんな情けねえこと言うかよ。一人思い当たる奴がいることを思い出しただけだ」


「本当ですか!?」


 目を輝かせるアンテスを、ゲレンは手をかざして制止する。


「待て待て、心当たりがあるってだけだ。そいつが信用できるかもわからねえし一回話しただけだが、もしかしたらってことがあるかもしれねえ」


「それでも構いません。是非会わせてください!」


「そいつが今どこにいるのかはしらねえが、泊ってる宿の名前は聞いたな。確か”笑う角犬亭”だったか」


「その宿なら知ってるわ。私もよく使うから、そこの女将とは顔見知りよ」


「そういうことなら、早速行ってみるとするか。この時間なら、ちょうどそいつも宿に戻ってるかもしれねえ」


 そう言うと、ゲレンは銀貨を二枚カウンターに置き、席を立った。並び立つレナとアンテスと共に、ゲレンは店の出口へと向かう。その歩みは、店に入った時とは比べ物にならぬほど軽やかなものであった。

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