四十ページ目
微睡の中から徐々に浮き上がっていく意識を感じながら、半ば無理やりに瞼を開く。視界に入るのは見慣れない天井、ではなく勝手知ったる木造の天井だ。魔境の中での宿として恒例になりつつある【考人の木屋】の中で朝食と身支度を済ませた後、早速”雑える封界”の最深部となる五階層に向かうことにする。【考人の木屋】を仕舞った後、周囲の様子を確認するが、事前の情報通り一晩経ってもこの広場には魔物が踏み込んでくることはなかったらしい。
安全に休息ができた半面、休んでいる間に素材が手に入らず損をした気分になるのはさすがに欲張りすぎだろうか。当然、見張り兼護衛として自動人形たちを広場に配置しておいたのだが、それらが役に立つこともなかった。
その分、今日の探索の戦果に期待するとして、広場から伸びる階段を下りていく。階段を下りながら今から挑む階層について下調べをした結果を思い出すが、実はこの五階層だけは十分な情報を手に入れることができなかった。というのも、”雑える封界”に挑む探索者は数いれど、この五階層にたどり着くことができる実力と能力を持った探索者はほとんどいないらしく、そもそもの情報量が少なかったのだ。
分かっていることといえば、五階層にいるのは強力な二体の魔物であり、それぞれの魔物が取り巻きを引き連れて居座っているというくらいだ。二体の魔物はいずれも人型らしいが、詳しい能力などは分かっていないという。
人型だとすればいくらか御しやすいような気もするが、おそらくは独特な能力を持っているのだろう。気を引き締めて先に進むことにする。階段を下りた先の洞窟はこれまで踏破してきた三階層や四階層とは異なり、特に目につく装飾は見られない。だが壁や床を構成するのは光さえも吸い込みそうな漆黒の石材であり、明かりを灯してなお闇の中に立っているような錯覚を受ける。
通路は細く、曲がり角も多いため先を見通すのは難しい。ここもやはり自動人形を先行させて先に進むことにするが、いくつめかの曲がり角の先に消えた【枝道伝う森衛兵】が、爆音とともに壁に叩きつけられた。
何事かとそちらを見据えると、曲がり角の先から右半身から黒い炎を吹き出した何者かが現れる。動き自体は四階層で見た【保つ鞘人】と同じようなぎこちないものだが、その顔には生きている人間が燃やされているような苦悶の表情が浮かんでいる。もしや魔物ではなく迷い込んだ探索者の一人かとも思ったが、黒い炎が悪魔のような顔を模して襲い掛かってきた瞬間、その考えは間違いだったことに気づいた。
黒い炎は自動人形たちを飲み込みながらこちらに迫ってくる。炎は無形であるが為、物理的な障壁を何の意味もなさないだろう。只ならない炎の様子からただ受け止めるだけでは危ういと判断し、【流伝する宝水体】を用いて分厚い水の壁を作り出す。
炎と水の境界から水蒸気が噴き出し、水壁の向こう側が白い靄に覆われた。蒸気とそれを生み出す黒い炎は数秒で収まったが、その頃には襲い掛かってきた何者かはちょうど自動人形に切り伏せられたところだった。炎を用いた攻撃は強力である反面、物理的な攻撃を防ぐことはできないため、防御力は普通の人間程度であるようだ。
体をほぼ切断されピクリとも動かない遺骸には、未だに炎がくすぶっている。だが、炎の勢いが弱まったことにより、遺骸の不自然な形状に気づいた。炎が消えかけた遺骸には右半身が存在しておらず、その痕跡すらもないのだ。遺骸には縦に両断されたように左半身しかなく、その断面は真っ黒な炭のような物質で覆われている。
おそらく炎が何かの形を象り再び襲い掛かってくることはないだろうが、念のため遺骸には触れないまま全書で回収してみる。
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【塗れる咎人の遺骸】
分類:魔物素材・遺骸
詳細:黒火を身に宿した創造物の残骸。創造主により不要と断ぜられた半身は黒火に取って代わられた。
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【黒火】
分類:電離気体・火炎
詳細:精霊封師ノスタにより生み出された漆黒の炎。外道により創造された炎は、生体の精神を燃料として燃え盛る。
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全書の説明を読む限り、たった今倒した魔物、【塗れる咎人】と【黒火】という名の黒い炎は何者かによって造られたもののようだ。【黒火】の説明文にある”ノスタ”なる名前の人物は初めて目にするが、この階層に現れる魔物と何かの関係があるのだろうか。
とにかく、なんとかこの階層も先に進むことができそうだ。黒炎に呑まれた自動人形たちの損傷が心配だったが、彼らは体のほとんどが金属でできているため、長時間火炎に晒されるならまだしも、先ほどの攻撃くらいならば痛痒も感じていないようだ。
最初の攻撃を受けた【枝道伝う森衛兵】はひどく破損してしまったため、代わりにコレクションの中でも特に頑丈な【轟割の自動岩塞】を戦闘にして進むことにする。分厚い四つ足を順番に踏み出しながら進む【轟割の自動岩塞】の動きは決して速いものではないが、その分慎重に探索を続けることができるだろう。
そうして警戒を続けながら奥を目指すが、しばらく通路を進んだころ、前方から人型の魔物が大挙して押し寄せてきた。その中には先ほど倒した【塗れる咎人】も含まれているが、その他にも体の一部あるいは全身が濃い煙で構成された実体と、泥水のような液体に肉体の一部を置換された個体もいるようだ。
いずれにしてもその集団をそのまま迎え入れる訳にはいかない。自動機装や進精魂機、さらには種々の武器を総動員して魔物の波を乗り越えていく。いくら倒せども、魔物は次から次へと通路の奥から押し寄せ、こちらへと襲い掛かってくる様子はまるで獲物を見つけた空腹の猛獣のように一心不乱で凶暴なものだ。
それでも魔物の群れを押しのけ先に進んだ結果、ついに開けた空間に到達することができた。やはり漆黒の岩石で構成されたその部屋は魔物たちで満ちており、部屋の中央部には一体の木乃伊が胡坐をかいた姿勢で宙に浮いている。
ミイラが指を立ててこちらを指し示しすと、部屋の魔物たちがその指に追従するようにして、獣を思わせるどう猛さで襲い掛かってくる。
そのまま戦闘に入ったならば自動人形たちで魔物を駆逐することができただろうが、やはり一番の強敵となったのは謎のミイラであった。ミイラを取り囲むように赤、青、緑の球体が発生し、それぞれが見上げるほどの大きさの動物のような形を象った。それらは魔物と同じく、牙あるいは爪を振りかざして迫ってくる。
そうして広場全体が激しい戦闘音に満たされることになったわけだが、十数分の戦闘の末、なんとか勝利を掴むことができた。夥しい数の人型の魔物とミイラが操る精霊獣とも呼ぶべき敵は強力だったが、手持ちのコレクションでそれぞれの敵に対して効果的に対処できたことが勝利の要因だったといえる。【塗れる咎人】を始めとした実体を持つ敵は自動機装で受け止め、精霊獣は【流伝する宝水体】や【悲愛姫の樹骸】、【赤水の石義手】を駆使して侵攻を妨げている間に、【反芻する凝肉】と【樹衣の鬼猿代】というコレクションの中でも最大級の巨躯を誇る二体で力任せにミイラを撃砕したのだ。
ミイラが叩き潰されるのと同時に、人型の魔物は糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ち、精霊獣は水晶のような核だけを残して空中に霧散した。唐突に静かになった広場に転がっているのは、夥しい数の戦利品たちだ。一息つきながら、ありがたく回収することにする。
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【乗せる咎人の遺骸】を収集しました
【掻きこむ咎人の遺骸】を収集しました
【黒水】を収集しました
【黒風】を収集しました
【架せられし火霊の輝核】を収集しました
【架せられし水霊の輝核】を収集しました
【架せられし風霊の輝核】を収集しました
【憎み憎まれ沈みし精霊封士の木乃伊】を収集しました
【憎み憎まれ沈みし精霊封士の霊手】を収集しました
【憎み憎まれ沈みし精霊封士の防腐布】を収集しました
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手に入った物品はいずれも使い道がすぐに思い浮かぶものではないが、全書によっていくつかの物品が生成可能となった。だが、それらの内容を確認する前に、五階層の奥につながる通路からまたしても人型の魔物が現れる。
通路から飛び出してきたのは、腹部から二つの上半身を生やした巨体だ。それぞれの上半身に備わる腕には剣がひと振りずつ握られている。計六本の剣を手に持つ魔物は最も手近にいた自動人形に斬りかかるが、残念ながら今回は相手が悪かった。
【祓い流れる水体呪剣】が一度に振るった四本の剣により六の斬撃は一瞬で弾かれ、三つの首がぽとりと地に落ちる。様子を見るために通路の方に進んだところ、通路の奥から魔物がまたしても大挙して迫ってきているのが見えた。今こちらに近づいてきているのもやはり人型の魔物だが、いずれの魔物にも一つ、ないしはそれ以上の器官が後付けされたように備わっているようだ。先ほどの上半身が追加された魔物然り、明らかに不自然さを感じるパーツがどの魔物にも付属されている。
そんな魔物たちがこちらに群れを成して迫ってきている様は背筋が寒くなるような迫力があるが、今回はこちらが敵を迎え撃つ形である。幸い態勢を整えるだけの時間は残されているので、通路の出口を囲うようにして自動人形たちに陣形を組ませた。なんとか準備を整えたタイミングで魔物の第一陣が陣形に激突し、瞬く間に広場は再び喧騒に満ちる。
最初こそ自動人形によって押しとどめられていた魔物たちだったが、やがて積み重なった同胞の死骸を乗り越え、自動人形たちの陣形から溢れ始めた。包囲を逃れた魔物は【歩行銃筒・蠢虫】や【時森の怪軽兵】、【糸引く胞掌】などの遠距離攻撃が可能な物品を使って対処していくが、もしこれ以上魔物の勢いが強まれば陣形を突破されることも考えなければならないかもしれない。
だが、その心配も杞憂となった。百は確実に超える数の魔物を切り伏せたころ、ようやく通路から現れる魔物の数が目に見えて減り始める。この機会を逃さないために、魔物が現れた通路をこちらから進み、その発生源を叩くこととした。無論、文字通り山のように積みあがっている魔物の死骸を回収してからである。
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【繋いだ被人の遺骸】を収集しました
【繋いだ被人の縫合皮】を収集しました
【込める被人の遺骸】を収集しました
【込める被人の外臓器】を収集しました
【接する被人の遺骸】を収集しました
【接する被人の増腕】を収集しました
【開いた被人の遺骸】を収集しました
【開いた被人の骨器】を収集しました
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通路を抜けた先にいたのは、極大の包丁を持った肥満体型の大男だった。元は白かったのであろうエプロンを身に着けているが、返り血などの汚れにより余すところなくどす黒い茶褐色に染まっている。身の丈は二メートル半を超すであろう大男の頭部には一本の毛髪もなく、充血した両目は血走りながらも大きく見開かれている。口からは力を失った舌がだらりと垂れ、二本の包丁を握る両手は引き攣りを起こしているかのように時折痙攣している。
大男の周りには数体の【繋いだ被人】などが屯している。こちらを視認した魔物たちは一目散に襲い掛かってくるかと思いきや、こちらを睨みつけるだけで動こうとしない。ほんの少しの間にらみ合うような形となるが、突如大男が包丁を振り上げたかと思うと、手近にいた【接する被人】を頭からまっすぐに切り裂いた。
二つに分かたれた【接する被人】の身体は普通であれば重力に引かれて崩れ落ちるだろう。だが、どういう訳かそれぞれの半身は姿勢を保ったまま、そこに立っている。包丁を振るった大男は、内臓がこぼれている右半身の切断面に腕を突きこみ、何かを探るように手を蠢かせる。数秒で大男が手を抜き取ると、切断面から骨や肉が飛び出し、それが何かの形を形成して始めた。残った左半身にも大男が同じことをしている間に、気味が悪い変容が完了した。
切断面から溢れ出るようにして現れたなにかをそのまま説明するなら、”女性が抱えた水瓶から生える山羊の首”であった。骨と肉で形成されたそれは、台座として使われている魔物にさえ目をつむれば彫刻に見えないこともない。遅れて残った左半身にも変化が現れ、そちらには”男性が握る剣の柄から生えた牛の頭”が造られている。
肉の彫刻を身に宿した魔物たちは、先ほどの襲撃よりも増した勢いで駆けてくる。攻撃方法こそ変わらないが、その勢いは自動人形たちを押し返すほどに強いものだ。さらに周囲にいた魔物をあらかた変容させた大男も、魔物に混ざり襲い掛かってきた。大男が手に持つ二振りの包丁の重さと切れ味はすさまじく、【時森の怪軽兵】や【エリオン式自動鏡鉄人形】などの比較的軽量な自動人形は魔物たちと同じく一刀のもとに両断されてしまうほどだ。
大男は強力だが、貴重な自動人形を破壊されることは避けたい。そのような消極的な考えがいけなかったのだろう。魔物たちをすべて倒した後も大男はいまだ健在で、やはり当初と変わらず自動人形たちが蹴散らされている。まだ自動人形たちのストックはあるし修復も可能だが、これ以上被害を出す前に戦力を集中して倒すことにした。
幸い魔物の増援はないため、近・中・遠距離の攻撃手段を総動員して一斉攻撃を仕掛ける。その甲斐あって、大男はすぐにその損傷により活動を停止した。些かやりすぎな気もするが、被害がこれ以上広がる前に倒せたので良しとしよう。
大男を倒したことにより、ようやく周囲の動く敵の数がゼロになった。ほっと一息つきながら、周囲に散らばった残骸たちを回収する。
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【デミスの男剣像】を収集しました
【デミスの女瓶像】を収集しました
【デミスの奇肉像】を収集しました
【デミスの肉骨車】を収集しました
【デミスの皮服】を収集しました
【デミスの骨呪剣】を収集しました
【引き裂き捩じる埋まりし肉造士の封体】を収集しました
【引き裂き捩じる埋まりし肉造士の造指】を収集しました
【引き裂き捩じる埋まりし肉造士の前掛け】を収集しました
【引き裂き捩じる埋まりし肉造士の大肉包丁】を収集しました
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手に入れた物品を見ていると、過去に生成したとある物品を思い出した。切断した人の指で造られた【デミスの指筆】という名のその物品は、見た目のインパクト故作ってからは全書に保管したままだったが、それとよく似た造りの物品が今新たに手に入ったのだ。もしやと思い全書で物品の詳細を確認したところ、その予想は確信へと変わる。
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【引き裂き捩じる埋まりし肉造士の封体】
分類:魔物素材・遺骸
詳細:”雑える封界”の最下層に封印された【肉造士デミス】の遺骸。悠久の時を経たことにより、生前の特徴を残したままデミスの存在は魔境に取り込まれた。魔物と化した後も、彼は魔境に侵入する探索者を材料として、自らの作品を造り続ける。
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やはり、この【引き裂き捩じる埋まりし肉造士】というのは、かつて存在していた”デミス”なる人物の成れの果てらしい。説明を読む限り、”デミス”とやらはよほど嫌われていたようだ。おそらく直前の部屋で倒した木乃伊も、元は人か緑人のような亜人だったのだろう。
色々と気になることはまだあるが、とにかくこれで最下層にいるという二体の強力な魔物たちを倒すことができた。今いる五階層はこの広場が最奥のようで、これ以上先に進む道はない。ここからは今まで来た道を引き返すだけなので、これまでの戦利品を確認しながら、のんびりと戻ることにしよう。
無論、初期化に間に合うように戻らないといけないのだが、まあ多分なんとかなるだろう。
【考人の木屋】:二十四ページ目初登場
【枝道伝う森衛兵】:二十九ページ目初登場
【流伝する宝水体】:二十五ページ目初登場
【轟割の自動岩塞】:二十五ページ目初登場
【悲愛姫の樹骸】:十ページ目初登場
【赤水の石義手】:二十六ページ目初登場
【反芻する凝肉】:十三ページ目初登場
【樹衣の鬼猿代】:三十四ページ目初登場
【祓い流れる水体呪剣】:三十九ページ目初登場
【歩行銃筒・蠢虫】:三十ページ目初登場
【時森の怪軽兵】:七ページ目初登場
【糸引く胞掌】:十二ページ目初登場
【エリオン式自動鏡鉄人形】:十三ページ目初登場




