三十八ページ目
異変は突然起きた。二階層の最奥に居座っていた巨大魔物、【切り出される不形の白岩】を物言わぬ数多の石片に変えて三階層へと至った後、苦戦をしながらもいくつかの新たな素材も手に入れ順調かと思われた矢先、突き上げるような強い衝撃が足元を襲う。
魔物による強襲かと身構えるが、振動はどうやら今いる洞窟全体を揺さぶるものらしい。最初こそ立っていられないほどの震動だったため、自動人形を支えに耐えていたが、それほど経たないうちに震動は収まってきた。だが、それと入れ替わるようにして、遠くの方から地鳴りのような音が聞こえてくる。その音は徐々にこちらの方へと近づいてきているようだ。
何事かと思い最低限の護衛だけ残して自動人形たちを収納することにしたが、その選択は正しかったようだった。押しつぶされるようにして閉じていく通路の先をみて、地鳴りの正体を察する。魔境ゆえの仕掛けか、はたまた未知の魔物による攻撃か、どちらかは分からないが、今残されている道は後方にしかない。すぐさま【三叉の金触腕】による立体駆動で退避を始めるが、こちらの移動速度より通路が閉じていく方がわずかに速いようだ。このまま逃げ続けていても、いつかは通路の壁や床もろともすり潰され、どす黒い血の染みとなり果てるのは確実だろう。その思いが脳裏をよぎった瞬間、【三叉の金触腕】によって支えられていたはずの身体がガクリと傾いだ。何が起きたかを理解する前に、それまで床だったはずの岩壁が眼前に迫ってくる。
慌てて右腕と義腕で顔をかばうが、衝撃はそのまま受けることになる。岩壁に押されるまま、我が身はなくなった床を踏むことができず、奈落へと落ちていった。
突然の展開に思考がついていかないが、虚空の中を落下するのは初めての経験ではない。それに前とは違っていくつかの有用な物品も増えている。
まず全書から【流伝する宝水体】を取り出す。透き通った青色の球体から溢れ出す清水で体を支えるだけで、落下の速度はかなり緩まった。このままでも十分着地は可能だろうが、今いる空間にはほとんど光源がないため、着地地点の確認すらもおぼつかない。洞窟に入ってから何度も助けられている 【幽郭の灯篭】により周囲の様子を確認するが、四方を囲む白壁が照らされるだけでやはり穴の底は見えない。どうやら縦穴のようなところを落下しているようだが、そうだとしたらかなりの深さである。
いったいこの縦穴はどこにつながっているのか、そんなことを考えているうちにようやく着地できそうな地面が見えてきた。落下の速度が遅いとは言っても、低い段差から飛び降りる程度の衝撃はあるため、膝を軽く曲げて負荷を軽減する。
数分ぶりの地面に思わず安堵のため息が出るが、そうゆったりともしていられない。どうやら舞い降りたこの場所はかなり広い空間のようだ。明りを頭上に向けてみると、たった今落ちてきた縦穴が天井に虫食いのように開いている。どうやって脱出するかも考えものだが、まずは周囲の状況を確認しよう。
ざっと視線をめぐらせてみた限り、自分以外に動くものはなさそうだ。周りの地面には上でもよく見た白い石材が散らばっており、まるで瓦礫のように所々で山になっている。
確認したそのままの感想で言うと、廃墟か発掘された遺跡のような印象を受ける場所だ。上の階層のように松明や魔具などの灯りとなるものもないため、【幽郭の灯篭】をさらに全書から出し、広場全体を照らしてみる。ここは半球状のドームのような部屋で、今立っているのはその中心部といったところだろうか。
部屋を照らしてみても何か目ぼしいものがある様子はない、が、過去に廃墟と化した古都では数多の物品を手に入れることができたし、何よりこういった遺跡風の場所から物品を探し出す、というのは宝探しをしているようでなんとも心が踊る。誰かに文句を言われる理由もないので、目につくものは瓦礫を含めて収集していくことにする。
――――――――――
【錆びた封緘銀】を収集しました
【封緘銀鏡の破片】を収集しました
【サデナ縛石の破片】を収集しました
【朽ちた黒墓石】を収集しました
【千切れた封魂金鎖】を収集しました
【閉墓所の灰壁】を収集しました
【穢れた鎮聖水】を収集しました
――――――――――
どうやらここは遺跡ではなく、荒れ果てた墓所であるらしい。ただの墓、にしては手に入れた残骸がいささか物騒な気がしたが、やはりその嫌な予感は的中した。
全書を眺めていると、急に背筋が凍るような寒気を感じる。周囲に視線をめぐらせると、半透明な何かが地面から湧き出るように現れた。数は五体ほど、それぞれは重力を感じさせない様子でゆらゆらと宙を漂っていたが、徐々にその輪郭が鮮明になるとともに本性を露わにした。顔と思しき場所に開いた穴から怨嗟の悲鳴を吐き出して、亡霊たちはこちらへと襲い掛かってくる。
動きはそれほど早くないし、特段おかしな挙動をするわけでもないが、亡霊たちはひどく厄介だった。というのもこの亡霊、見た目の通り実体がないらしく自動人形での攻撃を素通りしてしまう。一応【聖地佇む炎剣士】の斬撃など、火を伴う攻撃ならば効き目があるようだが、決定的な攻撃にはならなそうだ。
だが、亡霊の攻撃を掻い潜りながらいろいろと試行錯誤していると、いくつかの打開策が見えてきた。まず効果的と分かった物品は【エリオン式自動鏡鉄人形】だ。これまでは珍しいばかりであまり戦闘力が高くなかったため使う頻度は少なかったのだが、この自動人形が持つ【エリオン軍式対霊剣】は亡霊たちに特攻ともいえる効果を発揮した。
さらにそれ以外だと【躍心の鉄童】という進精魂機が振るう鉄爪も亡霊を引き裂くことができるらしい。この【躍心の鉄童】、最近分かったことなのだが、機獣の素材などを使った物品を取り込み、自分の身体の一部として操ることができるのだ。種類こそ違うものの、【反芻する凝肉】という名の外法遺骸も血肉でできた物品を取り込むことができるため、それの無機物版と言えるかもしれない。現状で取り込ませているのは【歩行銃筒・蠢虫】のみだが、今後手に入れる物品によってはさらなる強化が見込めるだろう。
ちなみに、武器の中では【十鬼抜き】という魔槍を使えば亡霊を穿つことができると分かったので、慣れない槍を振り回す羽目になってしまった。
半透明の亡霊が霧散すると、その場に小さな水晶のような球体が落ちる。実体がないため得られる素材はないかと思っていたが、一つでも戦果があったのは僥倖だ。
――――――――――
【咽びし忘霊の魂核】
分類:魔物素材・魂核
詳細:忘れられた亡霊が最後に残した魂の残滓。これまでの悲嘆を凝縮した魂核は、それを嘆くように鈍く輝く。
―――――――――
手に入った素材は一つだけだが、なんとも意味深な物品である。これまで”魂核”に分類される素材はいくつか手に入れてきたが、魂核だけを残す魔物、というのは初めてである。
今現れた魔物についてだが、大方この墓所に埋葬されていた死者の慣れの果て、といったところだろうか。墓所の惨状を見る限り、手厚く葬られていたとは言えなさそうなので、無事に成仏させてやれたことを今は喜ぼう。
【咽びし忘霊】については手持ちの物品で何とか対処することはできたが、それらはコレクションの中では特に強力なものという訳ではない。実体を持たない、より強力な魔物がこの先で現れない保証もないので、ここは一旦体制を整えるためにもこの墓場から脱出する道を見つけたいところである。
落ちてきた穴を戻る、のは何とかできないことはなさそうだが、どのみち通路の床に開いた穴はもうふさがってしまっているだろう。無駄になるかもしれない労力をかけるよりは、他の脱出口を探したほうがよさそうだ。
空間を形成する岩壁に沿って歩いてみたところ、墓所から出ることが出来そうな通路を一つ見つけた。狭い通路で魔物に挟撃されるのは避けたいので、できるだけ足早で通路を進む。
通路を抜けた先にあったのは、先ほどの墓所よりも幾分か原形を保った空間だった。やはり明りはないが、壁や床は明らかに人工の石材で造られており継ぎ目すら見当たらず、装飾もそのほとんどが健在なままだ。
神聖さ、とはまた違う独特な雰囲気のこの空間は何かを奉る祭壇か神殿だと思われた。というのも、広場の最奥にその奉っているであろう何かが鎮座しているのだ。
広場の薄暗さから最初は巨大な岩と見まがえたそれは、なんとも異様な心臓だった。岩と見間違えるだけあって、そのサイズは大きいどころではない。直径にして五メートルはあるだろうか、心臓はなにかの魔術によりその場に浮遊しており、直接触れているものは何もない。にも拘らず、目の前の心臓は鼓動を続けているのだ。
心臓にはそれを埋め尽くすように記号―おそらくはなんどか全書などで目にしている”ルーン”だろう―が描かれている。焼きごてか何かで刻まれたのだろうか。黒いルーンは心臓が脈打つたびに紫色の光を放ち、まるで心臓を締め付けているようだ。
目の前の物体は確実に他では見られない希少なものであるはずだが、一向に食指が動こうとはしないのはその薄気味悪さ故か、はたまたまだ不気味に胎動しているからか。この心臓のために用意されていそうな物品も見当たらないため、さらに探索を続けようかと思った矢先、背後から声がかけられた。
まさかこんなところで他の人間に会うとは思っていなかったが、振り返るとそこには確かにひとりの女性が立っている。この辺りでは見たことがない白衣を身にまとったその女性は、ぶつぶつと呟きながらこちら、ではなく心臓へと近づいていく。自然と並び立つ形になるが、女性の視線は心臓に向けられたままだ。
その視線はどこか夢心地になっているかのように虚ろで、病的な熱を伴ったものだ。それに加えて浮かれたような薄い笑みが浮かんだ表情を見ていると、どこか自分を見ているような既視感を覚える。
しばらくそうして心臓を眺めていた女性は、気が済んだのかこちらに視線を向けた。少し話をしてみるが、やはりこの女性はこれまでに出会ったどの人間ともどこか違うように感じる。せっかくなので腰を据えて話をしてみよう、そう思い全書から【黒羊の毛長椅子】と【宝樹拝する玉座】を取り出し、女性に座るよう勧めてみる。
女性はこちらの勧めに従い腰を下ろしたため、ゆっくりと話が出来そうだ。そうして始まった問答は、有益であり、そして多くの新たな謎を呼び込むことになるのだった。
【三叉の金触腕】:二十五ページ目初登場
【流伝する宝水体】:二十五ページ目初登場
【幽郭の灯篭】:十四ページ目初登場
【聖地佇む炎剣士】:二十五ページ目初登場
【エリオン式自動鏡鉄人形】:十三ページ目初登場
【エリオン軍式対霊剣】:十三ページ目初登場
【躍心の鉄童】:十四ページ目初登場
【反芻する凝肉】:十三ページ目初登場
【歩行銃筒・蠢虫】:三十ページ目初登場
【十鬼抜き】:十四ページ目初登場
【黒羊の毛長椅子】:二ページ目初登場
【宝樹拝する玉座】:二十四ページ目初登場




