異譚~ケラスタの誤算~
”代替わり”の時期に新たに生成された御霊を狙って次のヌシ候補の魔物と機獣が現れるのは予想できていた。ケラスタが思い描いていたシナリオは、彼と妹の手で機獣を足止めし、その隙に新たなヌシに御霊を取り込ませる、というものだった。”代替わり”に立ち会うのは初めてだったが、聞いていた話の限りではそれほど難しくない任務のはずだった。いくつかの計算違いがなければ。
「兄貴!どうすんのさ!あの猿って”今までのヌシ”じゃん!なんであいつがここにいるわけ!?」
「……分からない。今のヌシが新しい御霊を求めることなんてないはずだけど、今回は特別みたいだ」
「特別とか言われたって全然うれしくない!というか、早くあの機獣を止めないと!」
そう言ってアイーシャは相棒の頭に飛び乗った。身をうねらせて機獣に突貫するハースを見て、ケラスタも懐から一つかみほどの大きさの種を取り出す。地面に落としたそれに魔力を流しながら、ケラスタは誰に言うでもなく呟く。
「状況は分からないけど、たしかにアイーシャの言う通りだ。ここでなら周りを気にする必要もないし、思いっきりやるとしよう」
ケラスタの足元の地面が唐突に隆起する。十分な魔力を吸ったことで発芽した種から純白の根が現れ、それはケラスタを乗せたまま湖の方へと伸びていく。高さだけならば魔物たちを超える高度に達したケラスタの目に映る状況は、まさに混迷を呈していた。
森でも出会った今代のヌシ、が鳴り立てる地突く剛猿は、枯木を模した魔物、招き手折る悪樹によりその身に宿していた”御霊”を抜き取られ絶命している。
手に入れた御霊を吸収しようとしていた悪樹だったが、その前に森から現れたフィラウスと名乗る機獣によってそれは阻まれることとなった。悪樹の手を離れた御霊は湖の底に沈み、今はそれをナナシと悪樹、そして機獣が追っている形だ。
「さて、とにかく機獣に御霊を奪われるのだけは避けないとね」
アイーシャも同じことを考えているようで、ハースと共に機獣をけん制している。愛用の武器である”嵐気の霊弓”から放たれるマナ矢で機獣を射続けているが、機獣の硬い装甲に阻まれて決定打にはなっていない。
だが、動きの制限はできているようで、機獣はその場から思うように行動できないようだ。その隙に、ナナシと悪樹が水しぶきを上げながら御霊に迫っているが、その体格の差から先に目的のものを手にするのが悪樹になるであろうことは明白だ。そもそも御霊が複数あることが想定外なのだが、まずは機獣を撃破するためにケラスタは足元の根にさらに魔力を流す。
「ナナシさんには悪いけど、機獣を倒してから御霊を回収することにしよう。理由は分からないけど、御霊が同時に二つ存在するのはよくないはずだ」
御霊とは、この大森林を取り巻く魔力の残滓が長い年月をかけて固体化したものだ。体外魔力と体内魔力が混ざり合って生成された御霊は、それを吸収した生物の性質を変容させ、能力を向上させる効果がある。魔物たちはそれを本能的に感じ取り、御霊の生成と同時に大森林に存在する特に強力な魔物がそれを奪い合う、その一連の活動をエルフたちは”代替わり”と呼んでいるのだ。
さらに御霊を取り込んだ生物は、御霊の効能の一部を受け継ぐ。すなわち、大森林に漂うマナを少しずつ体内に蓄積し、より強大な存在へと変容し続けることができるのだ。同時に他の生物と比較してかなりの長寿を手に入れることもできるのだが、いかに強力な魔物と言えどいつかはその許容量を超え、蓄積したマナにその身を蝕まれることとなる。その結果が剛猿に現れていた病症のような変化であった。
今代のヌシであった剛猿は、通常ならば体内に溜まりすぎたマナによりすでに命を落としているはずだったのだが、元々の個体の強靭さによりこれまで生き永らえ、さらに次の御霊までも求めて此度の”代替わり”にまで姿を現したのだろう。それだけでもエルフたちにとっては誤算だったが、さらに予想外なことに剛猿は体内に御霊を生成してしまっていた。これはケラスタの父であるヴェリエサさえも知りえなかった現象であり、その結果、同時に二つの御霊が大森林の中に存在してしまったのである。
周囲のマナとオドを吸収する御霊は、一つでもそのままの状態で存在すると、周囲に様々な悪影響を及ぼす。一つはすでに掻き挫き靡く大百足により吸収されているが、もう一つの御霊はまだ健在だ。もしこれが侵略してきた機獣に取り込まれでもすれば、どんなことが起こるか分からない。それだけは防がなければならなかった。
ケラスタの決心を感じ取ったかのように、純白の根は爆発的にその体積を増やしていく。さらに別の根が地表を突き破り、機獣を捉えんと波打ち殺到した。
「”豊魔の白絢樹”でまずは小手調べかな。集落ではあんまり無茶できないから、久しぶりに暴れさせてもらおう」
そう呟くケラスタの顔には、滅多に他人に見せることがない好戦的な笑みが広がっている。普段は温厚な性格で人望を集めているケラスタだが、その内面には戦いに身を置く兵士特有の凶暴さを秘めているのだ。
ケラスタはその戦気でもって根を操り、機獣を激しく打ち据えた。さらに根はその全身を取り巻き、身動きが取れないように拘束してからすさまじい力で締めあげる。何かがきしむ音を響かせながらされるがままだった機獣だが、唐突にその身を震わせた。
それまで頑強な装甲で守られていた機獣の身体が、突然泥のように崩れ落ちた。灰色の半固体の物質が根の隙間から流れ落ちると、それは意志を持つ粘体のように湖へと向かう。粘体となった機獣は水に触れても動きを鈍らせることはなく、湖の底を這って進んでいく。
「はあ!?なんかキモくなったんだけど!兄貴なにしたの!?」
「僕のせいな訳ないだろ!それよりなんとかしてあれを止めてくれ!」
「なんとかって、兄貴にしてはずいぶん雑な言い方ねっ!」
愚痴りながらアイーシャが湖に向けてマナ矢を放つと、着弾した場所に小規模の竜巻が発生し、湖の水ごと機獣を巻き上げた。巻きあがった機獣に追撃をかけようとする二人だったが、それより早く根の牢から飛び出した球体がそこに飛び込む。
球体を中心に機獣の身体が再構成され、地響きを立てて湖に着地した。人を思わせる金属製の顔を二人に向ける機獣は、いつの間にか両手に握られた双棍を振りかざす。
「ミタマヲカイシュウスル。ジャマヲスルバアイハガイテキノハイジョヲキョカサレテイル」
「誰がどの権限で許可したのか知らないけど、そもそもこの森に足を踏み込むのを許した覚えはないよ!」
「さっさと自分の家に帰れー!」
アイーシャが矢をつがえようとするが、その前に機獣が鉄塊のような棍棒を振り下ろした。それに反応したケラスタが足元に手をつくと、棍棒を受け止めようと巨大な根が地面からとび出す。そのままであれば棍棒と根が衝突するかと思われたが、その軌跡の中で機獣の腕がぶれ、分裂するようにもう一本の腕が現れた。新たな腕には巨大な鎌が握られており、棍棒とは異なる軌道で二人を狙う。
「もう!うざったい……なあ!!」
アイーシャが両手で霊弓を握りしめると、弓幹の先端から半透明の刀身が出現した。アイーシャが剣に見立てた霊弓で鎌を打ち返すと、一瞬の均衡の後に機獣の刃を打ち砕く。だが、その結果を喜ぶ暇もなく、イニエルの視界の外から機獣の身体から生えた鎖が横なぎに振るわれた。
「おっと、危ないな!」
だが、柱のように生えた三本の根により、鎖はその場に絡めとられる。機獣の初撃を凌いだケラスタが一度だけ足を踏み鳴らすと、地中から巨大な何かがはい出してきた。これまでの根とは一線を画す巨大な何かは、地面に両手をつくとその全容を露わにする。
それは樹木で作られた巨人だった。全身を”豊魔の白絢樹”で構成された巨人―白樹巨人―は両手に漆黒の樹槍と樹盾を握り、下半身を地中に埋めたまま機獣への攻撃を開始する。
「……ハイジョスル」
機獣の体表にさざ波が立ったかと思うと、その全身をこれまでよりも一層強固に見える装甲が覆った。さらに手に握る武器は棍棒から鋭利な半月刀に変形し、両肩には一対の砲身が形成される。
変形を終えた機獣は下半身に備わるキャタピラを回転させ、水と泥をまき散らして二人に迫る。それを白樹巨人が手に握る槍と盾を突き出して迎え撃った。シミターと衝突した盾が樹木とは思えない高音を響かせる一方、槍が貫いたはずの機獣の胴体は攻撃の瞬間に液状化し、槍の威力を受け流した。機獣は槍を捉えたまま固体に戻ることにより敵の動きを封じるが、白樹巨人は槍から手を離さないまま、機獣の身体もろとも腕を振り上げる。白樹巨人が頭上に達した機獣を思い切り地面にたたきつけると、湖の水が爆発したように跳ね上がった。
「さっすが兄貴!やるー!あたしも頑張るし!」
アイーシャがつがえるマナ矢が赤く発熱する。渾身の力で引き絞った矢が放たれると矢じり部分が発火し、紅蓮の一閃となって機獣を襲う。着弾と同時に爆発を引き起こしたアイーシャの一撃により、機獣の顔部分が大きくえぐれた。潰れた土人形のような見た目となった損傷部位だったが、顔の奥にあった球体が数回瞬くと、液体化した機獣の身体の一部が寄り集まり数秒と経たないうちに元通りに復元される。
それを見たケラスタが渋面を浮かべた。
「随分厄介な素材でできてるな……でも弱点は予想がつく」
「兄貴、どうする?”アレ”、やっちゃう?」
「僕も同じことを考えてたよ。陽動はこっちでやるから、牽制と心の準備を頼む」
二人が話している間に態勢を整えた機獣の胴体から、樹が削れる破砕音が響く。黒い木っ端を散らしながら機獣が起き上がると、白樹巨人が握っていた樹槍が機獣との接合面で綺麗に切断された。白樹巨人は半分ほどの長さになった槍を躊躇なく捨て去ると、盾で機獣に殴り掛かる。振るわれた二本のシミターにより右腕が半ば切り離され、さらに砲身から放たれた巨弾により盾の一部が砕けるが、押しつぶすような打撃により機獣が地面に押し倒された。
背中のあらぬ方向から別の腕を生やし、白樹巨人を押しのけようとする機獣だったが、ここで思わぬ難敵が増えることとなる。地べたに押さえつけられた機獣に横から激しい衝撃が加わり、白樹巨人もろともその身が宙を舞う。
湖の底に叩きつけられた機獣にさらに追撃を加えるのは、先ほどまで大樹の頂上で動きを止めていた大百足だ。御霊を取り込み終えた大百足の体躯は先ほどよりも一回りほど大きくなっており、肉々しかった表皮は黒く変色し硬質化している。
大百足はいつの間にか生えていた大牙で機獣に食らいつきながら、その全身を巻き付けて締め上げる。表皮から分泌される液体に特別な成分が含まれているのか、液体に触れた機獣の体から白い煙が立ち上り、少しずつだが装甲が溶けていく。
機獣に痛みという感覚があるのかは定かではないが、少なくとも身の危険は感じたのだろう。機獣は先ほどと同じように全身を液体化し、大百足の拘束から逃れた。その場に唯一取り残された人の丈ほどもある金属球も宙に浮いて距離を取ろうとするが、それが飛び去る前に白樹巨人の巨大な左手が球体を鷲掴みにする。
「よし、捕まえた!アイーシャ、やるよ!」
「よっしゃ!待ってましたー!」
アイーシャが手に持つ霊弓を地面に突き立てる。周囲の地面から現れた白根がそれに巻き付くようにして寄り合わさっていき、瞬く間に巨大な横弓を形作った。根と蔓により作られた大弓に番えられたのは、大弓に相応しいサイズの特大のマナ矢だ。
全身を使って特大マナ矢を引き絞るアイーシャは、渾身の力と魔力を矢に込め続ける。
「うんぎぎぎぎ……」
注ぐ魔力の量が増えるごとに矢から陽炎のような揺らぎが立ち昇り、やがて周囲に紫電が弾けるようになる。見るからに凶悪な攻撃を回避しようと、金属球の周囲に液体金属が戻り始めるが、すでにそれを防御する時間は残されていなかった。
注いだ魔力が飽和する直前に、アイーシャはとっておきの一撃を解き放つ。
「いっけええ!天元射抜く剛弓アアッ!!!」
弦から放たれるのとほぼ同時に、矢は狙い過たず金属球に着弾した。その際に発せられる威力は先ほどの攻撃の比ではなく、文字通り周囲の空間が震える。巻き起こるのは爆発ではなく、空間が歪んだかと錯覚するほどの衝撃だ。周囲に熱が逃げるのを許さない異質すぎる攻撃により、金属球はその場でねじり拉げられ、数十の破片へと砕かれた。
それと同時に機獣を構成していた液体金属が粘度を失い、その場に流れ落ちる。それを確認したケラスタは、ようやく止めていた息を吐いた。
「よし、何とか二人で倒せたか。にしても、何で毎回技の名前を叫ぶんだい?」
「そっちの方が気合入るじゃん!撃った時もなんか気持ちいいし!」
アイーシャの返答に苦笑で応えるケラスタ。二人がそんなやり取りをしていると、大樹の方から大きな笑い声が聞こえてくる。
「キシシシシ!手に入れたぞ!これは俺のものだ!!」
そちらに目を向けると、大猿の体内から現れた御霊を手にしたナナシが呵々大笑を上げていた。握りしめた御霊を掲げるナナシの顔には、正気を疑うほどの絶笑が浮かんでいる。
ナナシと御霊を奪い合っていたはずの悪樹は、いつの間にか現れていた大量の自動人形により木くずへと粉砕されていた。所々炭化している残骸があるのは、オートマタの中でも特に目立つ、炎を噴き上げている騎士によるものだろう。活動を完全に停止した今でも執拗に攻撃が加えられていた悪樹の残骸は、ナナシが触れることによりいずこかへとかき消えた。
嬉しそうに白い本のページを捲るナナシは、笑みをたたえたまま二人の方へと歩いてくる。
「ナナシ!無事でよかった!けがはないかい?」
「キシシ、全く問題ないぞ。二人も無事に敵を倒せたようではないか」
心底嬉しそうに言うナナシの手にはすでに御霊は握られていない。それに気づいたケラスタは、ナナシに向けて手を差し出した。
「ああ、ナナシが協力してくれたおかげだ。これから集落に戻るから、御霊を返してくれ」
「……なに?」
その言葉を聞いたナナシの顔から笑みが消える。それを知ってか知らずか、ケラスタは言葉を続けた。
「なぜ御霊が二つあるのかは分からないけど、残った御霊は僕が責任をもって集落に送り届けるよ。集落に戻ったら、父と相談して適切に扱おう」
「……断る」
「なんだって?」
ケラスタが差し出していた手を下ろし、目を細めた。それを隣で見ていたアイーシャは、空気が変わったことに気づいてオロオロと二人の顔を交互に見る。
「これは俺が魔物を倒して手に入れたものだ。決してお前に渡すために手にしたものではない」
「ナナシ、その御霊はこの森で僕らによって管理されるべきものだ。それを渡せないと言うなら、こっちも相応の手段を取るしかないよ」
「ほお?それならば何をするというんだ?」
「っ!?……本当にそれを渡すつもりはないのかい?」
ナナシはそれに答える代わりに、後ろ歩きでケラスタから距離を取る。そして二人の間に主を守るように大柄なオートマタが立ち塞がった。重厚な鎧と盾、そして身の丈ほどはある巨剣で構成されたそのオートマタは、ケラスタを見下ろして仁王立ちしている。
「……そうか、残念だよ。一度は命を助けてもらった身だけど、仕方な……」
ケラスタが懐に忍ばせていた魔樹の種に手を伸ばそうとしたその時、森から小型の機獣が飛び出してきた。数はそれほど多くはないため、アイーシャだけでも十分に対応できるかと思われたが、新たな機獣の出現と同時に完全に停止したと思われていた液体金属が再び揺れ動く。
ノイズのような異音をどこからか発しながら、砂と化した液体金属の一部が動きを取り戻し、ちょうど人のそれと同サイズの腕を形作る。それがとある生物を指さした。それが指さすのは自らを粉々にした怨敵、ではなく、外敵の破壊と同時に湖の一角で体を休めていた大百足だ。
大百足を指さした腕は数秒と経たず、再び崩れ落ちた。最後のエネルギーを使い切ったのだろう。今度こそ、その残骸が動き出すことはなかった。
だが、森から現れた機獣たちの動きに現れた変化は劇的だ。一斉に体の向きを変えたかと思うと、まっすぐに大百足に襲い掛かる。一体だけならば大百足に叩き潰されて終わっただろうが、機獣たちは次から次へと森から現れる。機獣たちは広場にいる他の存在を全く意に介さず大百足に向かっているため、ケラスタたちはそれを避けるために別々の方向に跳び退ることとなった。
「くそ!でかいのが片付いたと思ったら次は小物がわらわらと!」
「兄貴!ナナシちゃん、あっち行っちゃったよ!」
アイーシャが離れ行くナナシを指さすが、二人が彼の後を追う前に、機獣に狙われている大百足が空に向けて甲高い咆哮を上げた。すると、それに呼ばれたかのように機獣が現れたのとは別の方角から、森に原生する魔物たちが現れる。魔物たちは大百足に群がる機獣に思い思いに襲い掛かり、その牙や爪で金属製の甲殻を引き裂きはじめた。
「これどうなってんの!?あ、兄貴ー……」
「僕だって意味が分からないよ!なんで魔物と機獣が殺し合うんだ!?」
状況に全くついていけていないアイーシャをかばいながら、ケラスタは安全な場所に退避しようとその場を後にする。魔物と機獣の大乱闘の中を何とかしのいで広場の端まで移動した二人だったが、そこで湖を挟んで反対方向の広場の端にたどり着いたナナシと目が合った。
かなりの距離があるものの制止の声を上げようとしたケラスタだったが、その前にナナシは非常にさわやかな笑顔と共に手を振りながら、身をひるがえして森の中へと消えたのだった。




