異譚~カエデの守護~
「避難は順調か?」
「まだ完了はしていませんが、数刻もしないうちに避難し終えるかと。しかし、本当に結界が破られることなどあるのでしょうか」
「確かなことは分からないが、結界の強度に任せるわけにもいかない。お前も他の兵士と共に機獣の侵入に備えろ」
指示を受けたエルフは、特に反論することもなくその場を後にする。彼はペリエンスという名の古参の兵士であり、弓と木登りの腕は集落でも随一だ。そんな彼は、ひとたび近くの大樹に手をかけると、まるでそこを駆け上がるかのような速さで樹上へと登っていく。瞬く間に太守の中でも最も太い枝にたどり着いたペリエンスは、他のエルフに並び立って弓を構えた。
それを見届けたベンゼラーは、気を取り直して目の前で甲高い衝突音を響かせる結界へと目を向ける。与えられる衝撃により魔力の奔流を迸らせる結界の向こうにいるのは、銀色の金属により全身が構成された醜い機獣たちだ。
あるものは球体の身体を結界に打ち付け、またあるものは身体に幾本も備わった鋭い鎌を振るい続け、何とかして結界を突破しようとしている。初めこそ結界が破られることはないと楽観していたエルフたちだったが、彼らを守る結界の前に集まる機獣の数は時がたつほどに増えていき、今や機獣たちの攻撃により揺れる結界を不安げに見つめている。減ることのない機獣の数と、激しくなるばかりの攻撃に対応するため、彼らはこうして結界の前で攻撃の準備を敷いているのだ。
「……しかし予想よりだいぶ早いな。まだ砦は陥落していないはずだが、どこからか忍び込んだか?」
ベンゼラーが言うように、森の入り口に建造した砦では侵攻してきている機獣を撃退するため、今もエルフたちが防衛戦を繰り広げているはずだ。まだ砦から敗戦の知らせは届いていないため、目の前にいる機獣たちは何かしらの方法で砦の防衛をすり抜けてきたと思われた。
ベンゼラーが一瞬だけ思考の沼に沈んだ瞬間、群れの中でもひときわ大きい体躯を持つ機獣が結界に突進する。破城槌のような鋼鉄の角を備えたその機獣が衝突した瞬間、結界が明滅し僅かな時間だけだが結界が消え去った。すぐに結界は修復され、その際に結界上にいた機獣は結界の縁に沿って体を切断されることになるが、一体の機獣が無傷のまま集落への侵入を果たす。
一瞬の油断があったとはいえ、ベンゼラーと騎獣の間にはまだ若干の距離がある。自分に向かってくる球体の機獣、【噛合う機輪】を視認したベンゼラーは、まるでそれを押しとどめようとするかのように右手を機獣に向けて翳した。
その手に魔力が凝縮され、今にも魔術となって解き放たれようとした瞬間、彼の頭上から急降下してきた何かによって機獣はその身体を粉砕されることとなる。その攻撃の繰り手は獣のような両腕に甲殻類のそれとよく似た巨大な鋏を肩口から生やした異形だ。
突然現れた正体不明の何かに警戒心を向けるベンゼラーだったが、すぐにその正体がナナシと名乗るよそ者であることに気づく。見覚えのない装備のようなものに身を包んだナナシは、すでに原形をとどめていない機獣を執拗に攻撃し続けている。
彼は自分の命令によって大樹の頂上に作られた樹牢に閉じ込められていたはずだ、その彼がなぜここにいるのかと内心で問うベンゼラーだったが、彼に続くようにして現れた大蛇とそれに乗る二人を見てすぐにその疑問は氷解する。よそ者を見張るように息子に命じたことと、二人がどこにいるのかを娘に教えたことが災いしたようだ。
「やれやれ……まっすぐに育ったことは喜ばしいことだが、素直すぎるのも考えものだな」
「父さん!大丈夫かい!?」
「まだ戦ってもいない。お前こそここで何をしている。あのよそ者を見張っておくように言ったはずだが?」
「そんなこと言ってる場合じゃなくない!?」
アイーシャの叫びに応えるかのように、集落の結界が再度破られ、バト・マイルが三体続けてベンゼラーたちに迫ってきていた。三体の機獣は最も近い位置にいるナナシに向かって、瞬く間にその距離を詰めていく。ナナシを守ろうとケラスタとアイーシャが駆けだすが、二人がナナシのもとに着くより早く、彼らの頭上から降り注いだ矢の雨により三体の機獣は千々の残骸と化す。樹上のエルフたちにより放たれた矢は、木製であるにもかかわらず金属で構成された機獣の身体をやすやすと貫くことができるようだ。
度重なる突破により結界の強度も落ちてきているらしく、すでに結界を超えて続々と機獣が集落の中へと進行してきていた。しかし、結界が破られているのは集落を囲む中でも一部だけのため、現状では機獣の侵入経路はかなり限られている。それが功を奏し、エルフたちの迎撃は機獣たちを侵入した傍から鉄屑へと変えていく。
そのままの状態で機獣が押し寄せていれば、集落のエルフたちで十分対処ができただろう。だが、集落の結界を境とした攻防が始まってからしばらく経った頃、これまででも一際強い地鳴りと轟音と共に、森の奥から巨大な異形が現れる。鋼鉄の巨人の上半身を二つ背中合わせに張り付け、それを金属製の戦車に乗せたような大きく重々しい機獣は、地響きをまとったまま結界に突撃した。衝突と同時に腕と上半身の一部を結界の隙間にねじ込んだ機獣は力任せに結界の隙間を広げ、広がった結界の穴からさらに多くの機獣が集落に入り込んでくる。
「父さん!本当に悠長なことを……」
「なにを慌てている。こんなもの、脅威でも何でもない」
そう言い放つベンゼラーが、迫る機獣に向けて右手をかざす。たったそれだけの動作で、迫りくる機獣の大半が丸められた紙屑のようにひしゃげた。時が経つにつれその体積を減らしていく鉄塊たちは、やがてその密度をこの上なく増した後、一様に地面を転がる。生物で同じことをしたならば辺りは血の海と化しただろうが、今押し寄せているのは血も涙もない鋼鉄の獣たちだ。残骸となった同族を踏みつぶしながら、むしろその勢いを強めて結界の隙間になだれ込む。
それを見たベンゼラーは右手はそのままに左の掌を上に向けてゆっくりとあげる。それに引かれるように、機獣のそれとは異なる地鳴りが響き、エルフと機獣の間の地面が隆起した。そこから現れるのは岩の鎧をまとった極太の樹根だ。地中から爆発するように現れた幾本もの根は、機獣を羽虫のように蹴散らしながらこじ開けられた結界の隙間、すなわち巨大な機獣に向かって殺到する。
その勢いのまま機獣を押しつぶすかと思われた岩根の波は、結界との境に達した瞬間に破片をまき散らせながら砕けた。なおも押し寄せる根を砕け散らせる機獣の手には、先ほどまではなかった棒状の鉄塊が握られており、その得物でもって当たるを幸いに根を粉砕しているようだ。
「……しつこいな」
いらだちを含んだベンゼラーのつぶやきと共に、根の勢いがさらに増す。三倍ほどの勢いとなった根が機獣を串刺しにせんと迫るが、機獣もそれに応戦するためにすべての腕に握られた武器が霞むような速度で振り回した。
ついには根の生成速度を上回る勢いで殲滅を果たした機獣が、揚々と集落へと足を踏み入れる。そのまま集落への攻撃を始めると思われた機獣だったが、広場の半ばまで進むと唐突にその足を止めた。その行動を訝しむエルフたちだったが、機獣から発せられた意味のある音声に驚き、動きを止めることとなる。
「ワガナハ”フィラウス”。イダイナルワガチチノメイニヨリ、”アラミタマ”ヲチョウダイニマイッタ。ソッコク、ガイトウノモノヲサシダセ」
その音声は、感情こそ感じさせないものの確かに流暢なエルフ語だった。意味を解せるにも拘らず機獣が発する言葉はエルフたちが語るそれと比べて決定的な違和感が感じられ、音声を聞いたエルフたちは一様に顔を顰めている。
信じられないことに、どうやら機獣はエルフたちが自分の指示に従うまでそこで待つつもりらしい。それに気づいたケラスタとアイーシャは思わず父の顔を見るが、ベンゼラーはやはり表情を変えないまま右手を頭上に掲げる。
それと同時に彼らの頭上から弦を弾き絞る軋み音が響く。弓を構えたエルフたちは、ヴェリエサの合図一つで必殺の矢を放てるよう、敵へと狙いを定めていた。
それを認めた巨大な機獣も臨戦態勢となり、まるで主を守るかのように他の機獣もその周囲に集う。
まさに一触即発と言うにふさわしい空気を破かんとヴェリエサが挙げた右手を振り下ろそうとした瞬間、一つの火球がその空間に舞い降りた。それは一直線に巨大な機獣―フィラウス―に向かうと、その速度と勢いのまま着弾する。着弾と同時に盛大な爆炎を引き起こした火球は周囲に閃光と熱気を振り撒き、エルフたちの髪が風に煽られはためいた。
衝撃により後方にのけぞりながら倒れるフィラウスだったが、爆炎の中から小さな何かが飛び出す。それはフィラウスが倒れるのとは逆の方向、すなわちベンゼラーたちの方へと落下してくる。
そのままベンゼラーの目の前に着地した何かは、長く朱いスカートの裾をはためかせて機獣たちの前に立ちふさがった。
「ちょっと”ベン”!結界破られてるのになにのんびりしてる訳!?集落に何かあったらただじゃおかないって言ったわよね!?」
「おい、”カエデ”。お前には反対側の守りを任せたはずだが?」
「あっちはもうあらかた片づけたわよ。今は私の優秀なお弟子ちゃんたちがしっかり守ってるわ」
カエデと呼ばれた女性は、子供と見まがう体躯ながら気の強そうな眼差しで背後のベンゼラーを睨みつける。睨まれたベンゼラーは口調こそ変わらないものの、若干気圧されている様子だ。
「”母さん”、こっちは僕らと父さんとナナシさんで……」
「だまらっしゃい!これを見てそんな言葉が信じられるわけないでしょうが!」
「うう……」
目の前に群がっている機獣を指し示しながら怒鳴るカエデの剣幕に、ケラスタは何も言えずに項垂れる。そのやり取りの間に甚大な損傷を受けていたフィラウスに変化が現れる。カエデの一撃によりほぼ真っ二つに引き裂かれるようになっていた上半身が蠢くと、その傷に従うようにして巨体が二つに分かたれる。液体とも個体ともつかない不可思議な素材により分離したフィラウスの上半身は、地に落ちるや否や双方が逆の方向へと移動を始めた。腕で這いづるような移動方法にも拘らずその速度はなかなかのもので、片方はカエデに向かって突進し、もう一方の片割れは集落から離れるように結界に開いた隙間に向かっていく。
「あら、意外と根性がないのね。直々にたたき直してあげましょうか」
「こっちは俺が相手をするからお前は逃げたのを……」
「ダメよ、あなたに任せたらどうなるか分らないもの。ここは私がやるからあなたがあっちを……って、あら?」
猛然と突進してくるフィラウスの片割れに向かって身構えるカエデだったが、さらにフィラウスの下半身を構成していた戦車がその後ろから迫ってくることに気づいた。戦車は車輪と装甲の下部に剣のような棘を生やし、地面を抉り巻き上げながらちっぽけなエルフをひき殺そうと爆走している。
「んもう、めんどくさいわね!ベン!ここは二人で相手するわよ!ケラスタ、アイーシャ!あなたたちで逃げたのを追いかけなさい!お客さんにも手伝ってもらうのよ!」
「分かった!」
「うん!」
二人の返事と同時に、ベンゼラーが操る根が結界の隙間へとつながる道を作るために二つの壁を作り出した。壁に挟まれた空間にも数匹の機獣が取り残されたが、その道を一掃するように赤熱した旋風が吹き抜け、哀れな鉄人形たちは一瞬で物言わぬ残骸と化す。
そこをエルフの兄妹を頭に乗せた大蛇、ハースが駆け抜ける。ハースは近くにいたナナシも器用に頭にのせると、まっすぐに結界の隙間を抜けて森の中へと消えた。
「おい、カエデ。本当にあの子らだけに任せるつもりか」
「あら、当然じゃない。あの子たちはいつまでも非力な子供じゃないの。しっかりと役目を果たすことができるわ。それより……」
カエデは今度こそ向かってくる機獣を打ち倒すための構えを取った。昔から変わらず強情な妻に並び立ったベンゼラーも、両手を前に掲げて自らの膨大な体内魔力を練り上げる。
「まずはこいつらを追い払って、あの子たちが帰ってくる家を守らないとね」
「分かっている……無理はするなよ」
低く唸るようなベンゼラーの言葉にそっと微笑みながら、カエデは迫りくる機獣に駆け出すのだった。




