異譚~カミセラの激励~
一人の若い兵士が、木床を蹴って先を急いでいる。若兵の腕には矢が満載された矢筒が山積みになっており、それを落とさないよう走ることに注意を払っているようで、その足運びはどこかおぼつかないところがある。彼が走っているのは木造の砦兼物見台の上であり、見晴らしはいいのだが、彼の目線は山積みの矢筒に注がれているため、進行方向に対しての注意は散漫だ。
それが災いし、ちょうど曲がり角に差し掛かったところで、対向の人影にぶつかりそうになってしまう。ギリギリで気づいたため正面から衝突することは防ぐことができたが、その代わりに抱えていた矢筒が腕の中から零れ落ちてしまった。一つが山から滑り落ちてしまえばそれに続いてほぼすべての矢筒が地面へと落下を始め、矢筒が下を向けば、そこに入れられた矢も自ずと地面へと向かっていく。あと数秒で目の前で起こるであろう惨事を予感して、身を固める若兵だったが矢が足元にぶちまけられることはなかった。
驚く彼の視線の先で矢は重力に逆らって矢筒の中に戻っていき、さらに矢筒までもが時間を巻き戻すかのように彼の腕の中へと納まった。落ちかけた矢筒を慌てて抱え直して若兵が視線を上げると、目の前にあったのは渋面の中に浮かぶ鋭い視線だった。
「あ!だ、だ、団長!?す、すす、すいません!!」
「……おい、戦闘の前に矢をダメにする馬鹿がどこにいる。矢は慎重に扱えと言わなかったか?」
「すす、すいません!あ、あの、あの……」
「……もういい。さっさと準備に向かえ」
「は、はい……」
若兵は団長と呼んだ壮年のエルフの前をとぼとぼと通り過ぎていく。その際に団長の後ろにいたもう一人のエルフの存在にも気づいたが、直前の叱責がよほど堪えたのか、若兵は軽く会釈するだけでその場を後にした。
「あーあ、新人をいびるなんてひどい団長様だねえ。あの子、前に言ってた見込みのある新人だろ?」
「うるさい。今そんなことを言う余裕がないことは分かっているだろう」
からかうような言葉を聞いた集落の戦闘団長―カミセラ―は、不満げに呟きながら眼下の野原で準備が進む布陣を眺める。砦の前に広がる野原には各所に巨大な防壁が設置されており、森の外から敵が押し寄せてもその進行を妨げながら応戦することができるよう、戦線が作られていた。
さらに”よそ者”が設置した気味の悪い肉壁による障壁も野原に設置されている。サイズこそ集落の民たちが用意した樹壁とそれほど変わらないそれは、気味悪く脈動し見るのも悍ましいほどだが、よそ者の説明を聞く限り防衛の役には立つようだった。
「しっかし、あの堅物の兄さんも丸くなったもんだねえ。よく知りもしないよそ者に借りた魔具を戦闘に使うなんてさ」
カミセラの横に並び立った実の弟であるアマニンは、目の前の手すりに持たれながらやはり野原を眺める。そんな弟に振り向くことはないまま、カミセラは嘆息した。
「ふん、別に信用したわけではない。あの肉壁は森から離れたところに設置させたからな。もし何かあっても十分対処できる。それにあの魔具は所詮人が作ったものだ。緑人が対処できないはずもない」
「それもそうか。別に大した魔具でもないだろうしね」
随分と傲慢な物言いだが、それを咎める人物が周りにいるはずもない。二人は直前に口にした言葉がさも当然であるかのように会話を続ける。
「なあ、兄さん。兄さんはベンゼラーから聞いてるのかい?」
「……なにをだ?」
「おいおい、そんなこと聞かなくてもわかってるだろう?しらばっくれないでくれよ」
アマニンは兄の顔を覗き見るようにして話を促すが、当のカミセラはなにも話すつもりはないと言わんばかりに視線すら動かさない。しばらく待ったアマニンだったが、やがて諦めるようにして溜息をついた。
「分かったよ。全部とは言わない。二つだけ答えてくれ」
「……内容によるな」
「まずはさっきも話した”よそ者”のことだよ。僕はまだあったことはないけど、集落にはすでに受け入れられてるみたいじゃないか。何者なんだい?」
アマニンの問いを聞いて、初めてカミセラは弟に視線を向けた。
「……俺も詳しくは知らん。だが、あの坊ちゃんと嬢ちゃんが二人ともすぐに受け入れたそうだ。悪いやつではないのは確かだろうな」
「へえ、珍しいこともあるもんだね。でもそれなら納得かな。集落の人たちにも人気があるからねえ、あの兄妹は」
二人が語る兄妹というのは、ベンゼラーの子供であるケラスタとアイーシャだ。古聖緑人である父の血を引く二人は、他者の心象に対して神がかり的な感受性を持っており、同じエルフでも相手の些細な悪意に気づくことができる。その二人が初対面で受け入れたということは、集落やエルフへのやましい気持ちはないのだろう。
それを抜きにしても、アマニンにしてみれば二人は赤ん坊のころから可愛がってきた我が子同然の存在だ。その二人よそ者を客人としてもてなしているのなら、それを否定する気はなかった。
「でも、ずいぶんな欲しがりって聞いてるよ?本当に信用できるのかねえ」
「欲しがり、というよりは欲深いという方が正しい気がするがな。まったく、ヒューマンに相応しいがめつさだ」
それを聞いたアマニンはとりあえず満足したようだ。体の向きを変えて手すりに背を預けると、再びカミセラに問いを投げかける。
「で、次の質問だけど、何でここなんだい?」
「……あいつが言うには、ここで間違いないそうだ。戦場となるのは」
「だからそれが何でわかるのかって聞いてるんだけど……」
カミセラは空に浮かぶ雲を眺めながら呟く。
「あいつは自分が必要だと思うことしか言わん。だから俺もすべての詳細を知っているわけではない。だが、機獣共はこの場所以外からは森に入ることすらできないそうだ」
「”この場所以外からは入れない”?別に他の場所に壁があるってわけでもないのに?」
「ああ、アマニン知っていたか?今我々が立っているこの場所は、ちょうど隣国との境界なんだそうだ」
「へえ、あんまり気にしたことなかったなあ。でもそれが何の関係があるんだい?」
「奴が知る伝承によると、機獣はとある制約に縛られているそうだ。そのせいで、この国境の先、”カシイース”なる国からしか機獣たちは攻め込めないらしい。カシイースとこの森が接する場所が、ちょうどここという訳だ」
その言葉を聞いたアマニンは、なんとも言えない顔で兄の顔を見つめる。
「……兄さん、その話本当に信じてるのかい?いくらなんでも都合がよすぎな気がするけど」
「あいつが適当な話をすると思うのか?俺以外にもこの話を聞いたものは何人かいるが、あいつのことを疑っている奴は誰もいない」
現に彼らが行った戦闘準備は全てカシイースとの国境方面に集中している。もし仮に別の方角から機獣が攻めてくるとしたら、時間を費やした防衛策が無駄になるどころか、集落を守ることすら危うくなるかもしれない。そのことからも、ヴェリアスカが語った伝承への全幅の信頼が感じられるといえる。
「だから我々はここで機獣が来るのを待っていればいい。すでに防衛の準備はほぼ完了……」
している、と言葉を続けようとしたカミセラだったが、地を揺らす轟音が彼の声を遮った。二人がそちらに目を向けると、彼らが建造した砦に相対するようにして、地面から巨大な筒が現れたようだった。筒はかなり大きなもので、距離はかなり離れており、二人は巨大な砦の上にいるにも拘らず、なおその直径はかなり大きく見える。
「兵士たち!敵が現れたぞ!戦闘配置につけ!」
筒の出現を認めたカミセラは、砦の上から兵士たちに向けて叫んだ。今彼の近くにいるのはアマニンのみであり、普通ならば当然その声が他の者に届くことはない。だが、いかなる魔術か、彼が発した号令は戦いに備えていた兵士全員に届くほどの音量となって野原に響いた。
その号令を聞いた兵士たちは、それぞれが軽やかに駆けて砦に向かって結集する。そして、砦の壁までたどり着くと、あるものはほとんど凹凸がない壁面を手足を駆使して登り始め、さらにある者は己の魔術により宙へと浮かびあがった。
号令から数分もしないうちに、総勢五百名の集落の兵士たちは一人残らず砦の上に整列した。各々の手には使い込まれた木弓がすでに握られており、さらに腰や背にはいずれも木製の近接武器が用意されている。
「森の子たちよ!我らが森を蹂躙しようとする醜い鉄屑たちが見えるか!」
カミセラが先ほど地中から現れた大筒を指し示す。エルフたちが睨む先では、大筒から続々と騎獣が現れている。大筒がどこにつながっているのかは分からないが、しばらくは機獣の出現は止まないと考えた方がいいだろう。距離が離れているため、現れている機獣の種類などを特定するのは難しいが、遠目から見るだけでも分かるほどの大小の差があることから、何種類かの機獣が混ざった群れであることが伺えた。
現れるや否や森に向けて押し寄せる機獣たちだったが、エルフたちが立つ砦にたどり着くのにはあと数分はかかるだろう。だが、カミセラが挙げた右手を合図に、エルフたちはいっせいに矢を構え、弓を引き絞る。
数瞬の間の後、カミセラは上に掲げた手を振り下ろした。
「放てえ!!」
砦から数百本の矢が一斉に放たれる。エルフたちによりまさしく風のような速度で射出された矢は、通常では考えられない飛距離でもって機獣の大群を射程圏内に捉えた。空に突き刺さらんと高度を上げる矢がやがて重力に引かれ始めると、矢の一本一本に変化が現れる。
その変化を目視で確認することができたものはエルフにも機獣にもいなかったが、上空で矢が枝分かれするように分裂を始め、五倍から十倍の数となって機獣に殺到する。本数だけでなくその太さと重量まで増した矢は、空から降り注ぐ木杭となって機獣たちを穿ち、地面に縫い留めた。
エルフたちの第一射により多くの機獣が金属の残骸と化すが、機獣たちの侵攻が鈍ることはなく、野原を鉄色に染めながら進み続ける。なおも止まることのない木杭の雨に怯むことすらない機獣たちの戦線は、少しずつだが森に近づいてきている。さらに第一陣の後、数多くいる機獣たちの中でも目を引くほど巨大かつ分厚い装甲を身にまとった機獣も現れ始めた。その機獣の装甲はエルフたちの矢すらも弾き、自らが盾になることで他の機獣を矢から守っているようだ。
その機獣の出現により、戦線が見る見るうちに押し上げられていき、ついに機獣たちはエルフが野原に設置した樹壁に到達した。樹壁は侵攻する敵の動きを妨げるように点在しており、さらにその周囲には敵を迎え撃つようにして、一抱えはある丸太から切り出した槍が地面から突き出るようにして設置されている。もちろん攻めてくる機獣たちは壁を避けて進もうとするが、壁の隙間を狙って放たれたエルフたちの矢によりその悉くが射抜かれていった。
さらに壁の前に機獣たちが屯するようになったころ、木の槍のいくつかが膨張を始め、数秒のうちに見上げるほどの大きさの木製進精魂機が立ち上がった。エイリアの森の大樹に匹敵する大きさのゴーレムは、人に似せられた四肢を振り回して機獣を木っ端のように吹きとばしていく。さらに例のよそ者が設置した肉壁からも、見慣れない肉の塊のような獣が現れ、近くにいる機獣に襲い掛かっている。
計十体の樹のゴーレムとその数倍はいる肉の獣により機獣の侵攻は止まったように思われたが、やがてゴーレムの攻撃を掻い潜った小型の機獣たちが砦に迫る。エルフたちの迎撃によりその多くは砦にたどり着く前に矢の餌食となるが、ついに一体の機獣が砦の下にたどり着いた。球体に四本の虫の脚と金属の鎌をつけたような見た目のその機獣は、砦の壁に鎌を突き立てて転がるようにして砦の壁を上っていく。
それに気づいたエルフたちは真下に矢を放って機獣を止めようとするが、重力を感じさせない機獣の動きをとらえることができず、とうとう機獣がエルフたちの目の前に到達した。機獣に最も近いエルフはまだ弓を握ったままであり、突如目の前に現れた機獣を見上げて硬直してしまっている。
そんな哀れな獲物をあざ笑うかのように、機獣は鎌を振り上げた。鈍色の鎌に日の光が反射し、まるでその先にいるエルフを手招きするように光沢を放つ。
「あ……」
あと数秒もしないうちに、哀れなエルフは機獣の一撃により頭頂から串刺しにされていただろう。だが、その狂刃が振り下ろされるより先に、機獣の側面にすさまじい衝撃が加えられる。その衝撃の強さは相当の重量を誇る機獣を宙に舞わせるほどで、機獣は体内から部品をまき散らせながらその場から弾き飛ばされ、砦の下へと落下していった。
「おいおい、新人くん。あまり呆けている暇はないよ?しっかりと団長にいいところを見せないと」
「す、すいません……」
アマニンは振りぬいた戦斧を肩に乗せて、まだ呆けている新兵に微笑みかけた。その新兵は先ほど矢を落としそうになっていた新人であり、まだ魔物との戦闘の経験もなかったようだ。
アマニンは新兵に手を貸して立ち上がらせると、未だ押し寄せ続ける機獣に目を向ける。
「さあ、新人くん。ここからが本番だ。やつらがここを超えて森に入れば集落がどうなるかは分かるね?」
「は、はい!」
「よし、それならまた弓を構えてひたすら矢を射るんだ。俺たちが森を守らないとな」
その言葉に頷いた新兵は、傍に転がっていた弓を拾うと歯を食いしばって矢を射続ける。その様はどこか鬼気迫るものがあり、これならば再び機獣が近くに現れても独力で対処することができるだろう。
それを確認したアマニンも、背負っていた弓を手に取り新兵の横で眼下の機獣に矢を射かける。まだ砦に機獣が押し寄せているわけではないが、機獣の群れと砦との距離は確実に近くなってきている。自分がここに立っているうちは一体の機獣すらこの砦を通さない、そう心の中で誓いながら、アマニンも手を止めることなく矢を放ち続けるのだった。




