三十二ページ目
全書から【ヌガノーラ】という保存食を取り出し、それを一齧りする。ナッツと干した果実を虫蜜で固めたこの食料は、大きさの割に腹持ちがよくさらに保存も効くためエルフたちの保存食として好まれているらしい。ひと時だけナッツの香りと蜜の甘さを楽しむが、いつまでもこうして呆けているわけにもいかない。
というのも、ついさっきまでエルフたちと共に森の巡回を行っていたのだが、突如急襲してきた魔物の襲撃によりエルフたちとはぐれてしまったのだ。驚くべきは襲ってきたのは機獣ではなく、この森にもともと住む魔物だったことだ。つい先日魔物たちはエルフを襲わないと聞いたばかりだったのだが、早速話が違えることになってしまった。
襲ってきたのは蛇の身体に百足の脚、さらには猪の頭を持つという珍妙な魔物だった。その戦闘力もさることながら、襲ってきた群れの数は二十を下らない数であり、さらにそれの相手をしているうちにより多くの魔物が集まってきたため、魔物を討伐し終えるころには巡回班は散り散りになってしまったという訳である。
これからどうしたものかと考えるが、まずは周囲に散らばっている魔物たちの残骸を収集してみる。それにより何かわかるかもしれないし、何せ【エイリアの森】初の魔物素材だ。理由はなくとも自然と手が伸びるというものである。
――――――――――
【拗れる牙虫のたてがみ】を収集しました
【拗れる牙虫の頭骨】を収集しました
【拗れる牙虫の毒牙】を収集しました
【拗れる牙虫の鱗皮】を収集しました
【拗れる牙虫の締筋】を収集しました
【拗れる牙虫の虫腺】を収集しました
【拗れる牙虫の棘尾】を収集しました
――――――――――
【拗れる牙虫】という名の奇妙な見た目の魔物からは、それぞれの部位に応じた素材を手に入れることができた。素材から得られる情報は特になかったが、今はコレクションが増えたことを喜ぶとしよう。
さて、周囲にあった残骸は綺麗に回収し終えたわけだが、このまま集落に戻るだけでは何とも味気ない。せっかく一人で森を探索するチャンスが巡ってきたので、少し寄り道をすることにしよう。
そうと決まれば迅速に行動に移らなければならない。移動用に【脚歩きの水体】を取り出し、さらにいつものように周囲を自動人形に守らせながら先に進んでいく。大雑把な集落の方向は分かっているが、今はコレクションを増やすためにも【エイリアの森】中心部を目指すことにする。
【エイリアの森】自体の環境は以前に探索した【揺らぐ時森】とそれほど変わらないようだが、どこか空気が澄んでいるような清涼な雰囲気を感じる。地面も平坦でぬかるみなどもあまりないので、先に進む足は実に軽やかだ。
移動は【脚歩きの水体】が、周囲の警戒は自動人形たちがやってくれるので、森の植生を確認する余裕もある。森には様々な種類の樹が生えているらしいが特に【サリラ樹】と【ヒメラ樹】はエルフたちも魔具の作成などに使用する有用な樹木だ。【サリラ樹】は樹皮や葉までもが純白の美しい樹であり、【ヒメラ樹】はそれと対をなすような漆黒の樹木だ。それらで造られた魔具は集落の取引での取引で手に入れていたのだが、樹木自体はまだ持っていないので、他の素材と一緒に見かけたものから収集しておこう。
――――――――――
【サリラの白葉】を収集しました
【サリラの白枝】を収集しました
【サリラの白樹液】を収集しました
【サリラの成樹】を収集しました
【ヒメラの黒葉】を収集しました
【ヒメラの黒枝】を収集しました
【ヒメラの黒樹液】を収集しました
【ヒメラの成樹】を収集しました
【タンミの香樹皮】を収集しました
【タンミの香花粉】を収集しました
【香液滴る水根】を収集しました
【苔むす草玉】を収集しました
――――――――――
いくつかの素材を手に入れることができたが、あまり特別な効能を持つ植物は原生していないようだ。そうして素材を集めている間にも、やはり魔物たちが行く手を阻んでくる。
先ほど撃退した【拗れる牙虫】とは別の魔物によって構成された群れが自動人形たちに襲い掛かるが、特に被害を出すこともなく対処することに成功した。襲い掛かってきたのは、芋虫の身体に蟷螂が持つ鎌を六つくっつけたような見た目の巨大な虫だった。鎌は鋭く大きかったものの、鎧を貫くほどの威力はなかったため、それほど強敵という訳ではなかった。移動速度も速くはないため、今後も脅威となることはないだろう。
とはいえ、森を進むにしたがって魔物の数が増え、襲撃の頻度も多くなっていく。これまで出会った魔物を思い返してみると、この森に生息する魔物は二種、あるいはそれ以上の動物や昆虫の特徴が混ざったような外見を持っているようだった。そのおかげで多様な素材が手に入るという利点もあるのだが、持っている特徴によってはなかなか手ごわい魔物がいることも事実だ。
特に手こずったのは人の背丈の二倍はある熊の身体に蟹の鋏と虫の翅を備えた魔物だった。この魔物も例にもれず五体ほどの群れで現れたのだが、その膂力は腕の一振りで自動人形を吹きとばすほどで、タフネスも相当なものだった。一体ずつ戦力を集中させて倒すことはできたものの、不意打ちを受ければどうなったかは分からないだろう。
――――――――――
【刻む肉鎌の虫鎌】を収集しました
【刻む肉鎌の針毛】を収集しました
【対する蠢脚の鋭足】を収集しました
【対する蠢脚の太足】を収集しました
【対する蠢脚の長足】を収集しました
【引き裂く爪熊の毛皮】を収集しました
【引き裂く爪熊の甲殻】を収集しました
【引き裂く爪熊の大鋏】を収集しました
【引き裂く爪熊の熊手】を収集しました
【引き裂く爪熊の蟲髄】を収集しました
――――――――――
だが、敵が手強かかった分、得られた戦果も大きい。特に【引き裂く爪熊】から手に入れることができた素材を使用した【潰墜の四腕】という生成品は、これまで手に入れた装備品の中では随一の破壊力を持った逸品だ。
――――――――――
【潰墜の四腕】
分類:魔具・生体装具
等級:C+
権能:【半同化】【重潰爪】【剛切断】
詳細:爪熊の剛腕と巨大鋏を操ることができる生体装具。剛腕は装備者の両腕と合わさり、膂力と耐久力を飛躍的に向上させる。
―――――――――
現状ではこれを装備できるのは自分だけしかいないという問題はあるものの、うまく立ち回れば魔物を一方的に殲滅することも可能だろう。来たる機獣との戦闘でも、大きな戦力となってくれるに違いない。
機獣について考え始めてふと思いついたが、そういえばなぜ機獣はこの森に現れ始めたのだろうか。全書の説明では機獣を操る何者かがいると思われた。であるならば、機獣がここにいる理由も何者かの意図があってのことなのだろう。
では何が目的なのか、という話になるが、こんな森にわざわざ機獣を引き連れてやってくるということは、普通にエルフたちに頼んでも絶対に叶わない理由があるのではないか。だが、しばらく集落で過ごしたがそれに相当しそうな物品やなにがしかの事情があるようには思えなかった。もちろん集落のすべてを把握しているわけではないので確かなことは言えないが、どうもその理由とやらはこの森、すなわち【エイリアの森】という魔境の中にあると思えて仕方がない。
それが何かを是非とも知りたいところなのだが、さすがにエルフたちに聞いても部外者には答えてはくれないだろう。森の中を探そうにもこれまではエルフなしで森を歩くことすらできなかったため、今が千載一遇のチャンスという訳だ。
森を歩いているのが見つかっても咎められることはないだろうが、集落に連れ戻されるのは必至だ。その前に少しでも森の奥へと進む必要がある。
そういう訳でエルフたちと別れてから森の中をけっこうな時間進んだのだが、周りの景色にあまり変化がないため一向に深部に向かっている気がしない。現れる魔物にしても数は増えている気がするが、種類や生態が変わっているようには感じなかった。
あまり目新しい物品も見つからないまま森を進んでいると、いつの間にか日が傾いてきていることに気づく。森をひたすら進み、魔物と十数回の戦闘を繰り返した後ではあるが、こちらの被害はそれほどでもなく探索を続けるのに支障が出るほどではない。このまま日が落ちた後も探索を続けることはできそうだが、見知らぬ土地だし暗い中での行動は控えたいところだ。
どこか夜を過ごせるような空間がないかと探してみるが、なかなか思うような場所が見つからずに周囲は刻一刻と暗くなっていく。
ようやくそれなりに広い場所を見つけたと思ったが、そこに足を踏み入れた瞬間、広場の逆の方角から馬か鹿のような形をした魔物の群れが現れる。それはこれまで見たことがない魔物だったが、二メートル弱はある巨躯に樹木でできた双角と虫の複眼を備えた異形だ。数は五体、そのすべてが広場を横切るようにしてまっすぐにこちらに突っ込んでくる。
単純に突進してくるだけのようだが、そのまま巻き込まれてしまえば負傷は免れないだろう。それを防ぐため、【エリオン式自動重歩兵人形】や【エスカ式自動重兵人形・壁剣将軍】を中心とした重量級の自動人形たちで壁を作らせる。
壁を作った八体の自動人形のうち、一体が魔物の角に掬い上げられて後方へと放り投げられる。さらに残った魔物の角から急速に枝葉が伸び始め、自動人形たちの動きが阻害されていく。そのままであれば自動人形たちが枝葉によりその場に縫い付けられてしまうため、【鳴砦の銀剣】や【聖地佇む炎剣士】を出し、早急に魔物を仕留めさせた。角で自動人形を拘束している分、魔物自体もその場から動けなくなっていたため、さほど時間もかからずにすべての魔物の首を掻き切ることができた。
早速魔物の素材を回収しようとするが、戦闘が終わるや否や先ほど魔物が現れた方角からまたしても何かが飛び出してくる。だが、そのサイズは先の魔物の比ではない。
五メートルに迫ろうかという巨人のようなその魔物の表皮は褐色の剛毛に覆われており、人に似た六本の指を備えた右手には所々が朽ちた丸太が握られている。宝石のように輝く両眼は爛々と見開かれており、口から突き出た牙からは粘り気のある唾液が滴っていた。その威容だけでも圧倒されるものがあるが、中でも異質なのは極端に膨れ上がった左腕と尻尾だ。身体的特徴というよりは病的に腫れているように見えるその部位からは毛が抜け、皮膚には赤黒いあざのようなものが広がっている。
大猿の魔物というべきそれは、広場に現れるや否や巨大な咆哮を上げる。音だけで地を砕かんばかりの轟音に思わず耳をふさぐが、それを隙と見たのか大猿は手に持つ丸太を振り上げこちらに向かって投げ飛ばしてきた。慌てて未だ枝葉に囚われたままの自動人形たちの後ろに隠れると、背後で自動人形の盾と丸太が奏でる衝突音が響く。
自動人形の肩から大猿の様子を伺うと、大猿は両腕を地についてこちらに駆け出そうとしているところだった。その勢いのままこちらに突撃されればひとたまりもないため、全書に仕舞ってある物品で対処しようとするが、それよりも早く背後から飛来した何かが自動人形と大猿の間の地面に突き刺さった。それが何かを見極める前に地面が軽く揺れたかと思うと、地面に刺さった何かがねじりうねりながら爆発的に膨張していく。ほんの数秒で大樹へと変貌したそれは、なおも膨張のスピードを緩めることなく、広場にあるすべてを飲み込みながら成長していく。大樹の成長に飲み込まれるわけにはいかないと慌てて自動人形たちを全書に収納していると、背後から何者かに抱き寄せられた。後ろを振り向いた先にいたのは、日中にはぐれた兵士エルフだ。
兵士エルフはエルフ語で何か早口で言いながら、こちらの身体を抱えて後ろに跳び退る。その一瞬後に先ほどまで立っていた場所が大樹に飲み込まれた。兵士エルフは広場の外に狼の騎獣を待機させていたようで、広場を出るとすぐに機獣に飛び乗り、二人でその場を後にすることとなった。
すでにコレクションも魔物の素材もすべて回収済みなので、別に不満があるわけではないが、兵士エルフの様子を見るに先ほどの魔物は尋常な存在ではなかったようだ。あの魔物の素材を手に入れることができなかったのは口惜しいが、あのまま戦闘になっていれば無事だったかどうかは分からない。とりあえず今回は諦めて、大人しく兵士エルフに集落まで送り返してもらうことにしよう。




