異譚~ベンゼラーの義務~
「……以上が今回の巡回で得られた情報と戦果です」
「……ご苦労。怪我もなく帰還できたのは僥倖だった」
目の前で直立した緑人の顔も見ず、集落の中でも数少ない古聖緑人であり長でもあるベンゼラーは呟いた。礼儀も何もない不遜な態度だが、そのことに声を上げる者はこの場には一人もいない。それは彼自身の高い戦闘力とこれまでの人生で笑ったことがないと噂されるほどの厳格な性格故だ。
そんなベンゼラーの視線は、机の上に置かれた”機獣”の残骸に固定されている。これまでの彼の長い人生の中でも【エイリアの森】の中でこのような奇怪な魔物を目にしたことはなかった。金属で造られた全身に、およそ自然界では発生しないであろう磨かれて滑らかなフォルム、さらにその構造には、見れば見るほど作為的なものが感じられる。機獣の残骸から見て取れるのは、少しでも効率よく敵を抹殺するという確固たる意志だ。
「この森に機獣か。よりにもよってこのタイミングとはな」
「は……?」
「……」
自分のつぶやきに隣のエルフが反応したことに気づきながらも、それに返事をしないままベンゼラーは整えられたあごひげをなでながら思案の沼に沈む。彼が思わず口にしたように、この【エイリアの森】は今非常に特殊な状況に置かれている。集落の民に不安を抱かせないよう、そのことは集落の重役たちにしか知らせていないが、そのせいで彼は一人頭を悩ませることとなっていた。
そろそろ齢も千に達しようかという年齢となったベンゼラーだが、その頭脳の冴えが鈍ることはない。これまでに得られた諸々の情報を脳内で分析していると、巡回班だった一人のエルフが思い出したように口を開く。
「そういえば、例のよそ者が変なことを言っていました。なんでも機獣は何者かに造られたものだとか」
「……そうか。だが、それは私も知っている。このような醜い物を偉大なる自然が作り出すわけがないだろう」
彼が言うように、この機獣の存在ははるか昔から認知されており、【エイリアの森】周辺でこそほとんど目にすることはないが、別の地方では様々な種族に対する脅威として認識されている。
事実、ベンゼラーも若かりし頃の放浪の旅の際に機獣と遭遇し、撃退したこともあった。その時に出会ったのは今目の前に転がっている残骸よりもはるかに巨大で強力な個体だったのだが、それでも機獣がこの集落の脅威になることには変わりない。
「戦った率直な感想を聞きたい。この鉄の塊どもが集落に押し寄せてきたら、民たちを守り切れるか?」
その問いかけを聞いた兵士たちが、眉をしかめながら考えこむ。険しい表情を浮かべながら最初に口を開くのは、巡回班を率いていた集落の精鋭、ケラスタだ。
「……今回遭遇した二種だけならば容易いでしょう。ですが、別の機獣が加わるとすると話は別かと」
「先の歯車型の機獣のことか。想定外の戦闘だったとはいえ、お前があそこまで追い詰められた相手だ。あれが大挙してくるとしたら、いくら集落の兵士たちが精鋭といえども厳しいものがあるか」
ベンゼラーのその言葉に、ケラスタは恥じ入るように俯いた。だが、ベンゼラーの言葉に他意はない。事実、ケラスタほど武器や魔術の扱いに長けたものは集落におらず、狩りの腕前に至ってはベテランを含めた中でもトップクラスと言えるほどだ。その彼が重傷を負った相手を他の兵士が相手にすればどうなるかは、火を見るより明らかというのものである。
落ち込んだ様子のケラスタを目の前にして、父としての言葉をかけそうになるが、浮かんだ言葉を胸の中に無理やりしまい込む。他のエルフたちがいる手前、血縁者という理由だけで彼を特別扱いをするわけにはいかなかった。
だが、ケラスタが口にした言葉の意味は重い。その言葉通りならば、機獣が集落を攻めてきた場合に打つ手がないということだ。部屋の中を陰鬱な雰囲気が支配するが、最も若いエルフが首をかしげながら口を開く。
「あのぉ、でもその機獣とかいうのは、まだそんなに森の中にいないんっすよね?それなら、まだ準備をすればどうにかなるんじゃないんすか?」
「そうです。今のうちに襲撃に備えなければ」
兵士たちの言葉に頷くベンゼラーだが、やはりその表情は固いままだ。というのも、確認された機獣は先日ケラスタが苦渋を飲まされた【噛合う機輪】と巡回班が遭遇した【這う錆虫】と【放つ機筒】の三体だけだ。機獣を知るベンゼラーとしては、森にいる機獣がこの三種だけとも思えなかったのである。
しかし兵士たちの提案を聞いたベンゼラーは、小さく息を吐くとすぐに指示を始める。
「よし、明日より森の巡回を三倍に増やす。それと機獣は森の外から侵入してきている。侵入ルートを調べるために専用の調査班を作ることとする。すぐに人選を始めろ」
「分かりました」
ベンゼラーの指示によりエルフたちが部屋から退出していく。最後に部屋を後にしようとしたケラスタだったが、その背に声がかけられた。
「ケラスタ、そういえばあの異邦人はどんな様子だった?」
「ああ、それがすごいんだよ……じゃなかった、すごいんです!」
「今はそんなに畏まらなくてもいい。巡回班に異邦人を入れるのは特に問題はなかったか?」
ベンゼラーの問いに、ケラスタは満面の笑みで答える。
「ああ!あの人はエルフでもないのに僕たちのペースにもついてこれていたよ。まあ、少しはこっちも合わせてあげたけどね」
「ふむ、人の割にはそこそこ動けるというところか。機獣との戦闘でも役に立ったらしいが」
「そうなんだ。どうやら彼が持っている本は何かの魔具みたいだね。あの本の中に例のあの……勝手に動く鎧をしまっているみたい」
「自動機装だな。物体を自由に保存できる魔具か。収納に特化した魔具というのはそれほど珍しいわけではないが、問題はそこに入っている物だな」
思案気に俯くベンゼラーを見て、ケラスタが戦闘時の状況を説明する。彼が目にしたオートマタは大柄な男が分厚い鎧を纏ったかのような重厚な鎧人形が四体だけだった。芋虫型の機獣、【放つ機筒】の銃撃を受けても微動だにしなかった鎧の頑強さと重量は相当なものだっただろう。
他の物品こそ目にしていないが、集落を訪れてからの彼の動向を見る限り、手持ちの戦力があの鎧だけということはあり得ないと思われた。なにせ集落を訪れた次の日には、すでに何名かのエルフと物々交換をしていると聞いている。その手の早さと取引の際の様子から考えるに、どうやら物品を収集することが彼の行動の根幹になっているようだ。
あまり集落で造られた品を外部の者に渡すということはないのだが、取引に応じた者曰く彼が引き換えに提示した物品があまりにも魅力的だったため、取引に応じてしまったらしい。
特に集落の工房を預かっているイニエルの喜びようはすさまじく、森で手に入らない素材を手に入れた彼はここ数日工房にこもって制作を続けているという。ベンゼラーカの娘でありケラスタの妹でもあるアイーシャも取引をしており、大して珍しくもない使役獣用の道具と引き換えに手に入れた美しい装飾品を気に入っているようだった。
おそらくこうして二人が話している間にも、ナナシと名乗る異邦人は集落を巡って取引を持ち掛けているのだろう。平常時ならばベンゼラーも眉を顰めるところだが、今の状況を踏まえると決して悪いことばかりではない。
「……イニエルが異邦者から手に入れたのは、森の外の”魔境”の品だと言っていたな?」
「ああ、僕も実際に見せてもらったけど、とても美しいものだったよ。宝石でできた樹、っていうのかな。森の外にはあんなものがあるんだねえ」
そう語るケラスタの目に浮かぶのは、外の世界に対する羨望だ。これまで【エイリアの森】から出たことがないケラスタは、特に最近森の外に対する興味が逸っているのだ。ベンゼラーも過去に放浪の旅を経験しているため、特段それについて悪く思うこともない。むしろそろそろ旅に出てはどうかと提案するつもりだったのだが、そんな折にこの騒ぎが発生したという訳である。
集落の長という役割の手前、あまり面には出さないようにしているが、我が子が可愛くないわけがない。そんな息子を集落に留めることになることを歯がゆく感じながらも、ベンゼラーは言葉を続ける。
「ということは魔境を攻略できるくらいの戦力はあるということだ。異邦者本人にそこまでの能力があるとは思えないから、おそらくはいくつかの魔具を所持しているんだろう。……うまくいけば使えるかもしれんな」
「ナナシさんが持ってる魔具を貸してもらうってことかい?快く貸してくれればいいけど……」
「別に戦力としては期待しないが、もしかしたら防衛用の準備に使えるものがあるかもしれん。相応の対価を渡せばおそらく協力してくれるだろう」
それを聞いたケラスタは笑みを浮かべると、駆け足で部屋の出口に向かう。そのまま扉をくぐろうとしたが、思い出したように父親の方に振り返った。
「そういうことなら僕がナナシさんに頼んでくるよ!二回も助けてもらったし、お礼もしないとね」
それだけ言って部屋を後にした息子を見送ると、ベンゼラーは部屋にあった椅子にゆっくりと腰かけた。目の前にある機獣の残骸を改めて見つめながら、ベンゼラーは誰に聞かせるでもなく呟く。
「私の故郷にものこのこと現れるとはな。十中八九、ヌシの”御霊”が狙いだろうが、そうはさせんぞ。私の集落を、家族を壊されてなるものか」
彼の表情には何の感情も浮かんでいない。だが、その心に鉄すら溶かしそうなほどの憤怒の炎を燃やしながら、ベンゼラーは機獣を撃滅することを固く誓うのだった。




