異譚~コベスの対価~
「……そうか。ここまでよく頑張って来たね」
一通りの事情を聴き終えたコベスは、可愛い姪であるカレムの頭を優しくなでた。彼女の服は土埃で汚れており、その陶器のような白い肌も心なしか煤けているように見える。その様子と彼女の疲れた様子を見るに、ここまでよほど過酷な旅を続けてきたのだろう。
「その様子だと、ここまで来るのにかなり疲れたんだろう?私の家を使っていいから、ゆっくりと休むといい」
「ありがとう、叔父さん。でも、別に歩き疲れたってわけではないの。旅はずっとナナシさんの馬車に乗せてもらってたから。でも……」
「でも?」
コベスの問いかけに答える前に、カレムは両手で顔を覆って深くため息をつく。
「とにかくナナシさんの話が終わらなくて……。手当たり次第に質問攻めにしてきたと思ったら、次は自分が持っているものの自慢話が止まらないの。ここまでの十日間、馬車にいる間はほとんど喋りっぱなしだったわ……」
「……それは災難だったね。彼はしばらくこちらで預かるから、心もしっかりと休ませておくんだよ?」
心底疲れた、という雰囲気を漂わせるカレムに、やはりコベスはやさしい言葉をかける。カレムは昔から気が優しく、人の頼みを断るのが苦手な性格だった。その性格のために彼女が損な役回りとなることも多いことを知っていたコベスだが、それが彼女の大きな長所であることも確かだ。
そんな目に入れても痛くない姪を困らせた”ナナシ”という名の輩は、今はコベス自らが行った義眼の取り付け作業が終わったため、別室の寝台で安静にしている。姪をここまで連れてきて十数年ぶりに再会させてくれたことには確かに感謝をしている。しかし、彼女が集落まで来た経緯をすべて聞いた今では、素直に感謝の気持ちを述べる、ということはできないのが正直なところだ。
人を疑うことをあまりしないカレムは、ナナシという男のこれまでの行いに対して深く感謝をしているようだが、コベスに言わせればナナシは私利私欲だけで行動しているように思えたのだ。確かにカレムやその姉であるキリムを助けたのは事実なのだろう。だが、それはたまたま彼の目的と彼女たちの都合が合致しただけなのだろう、話を聞き終えたコベスは、内心でそう結論を出していた。
「うん。でも、あまりここでゆっくりもしてられないわ。早くお姉ちゃんを助けに行かないと」
「キリムは王都に連れ去られたと言っていたね。だがキレムは王都で調査団として働いているのだろう?そのキレムが、なぜ王都に無理やり連れて行くんだい?」
一連の事情を確認したコベスは先ほどからその点が気になっていた。二人が王都で立派に働いていることは、時折届く便りで確認していた。話を聞く限り王都で特段失態を侵したということでもなさそうだし、任務の途中に強制的に送還されるような理由がないように思われたのだ。
その問いを聞いたカレムは露骨に顔をしかめる。彼女にしては珍しい反応だと思うコベスだったが、カレムは再びため息をついてから語りだした。
「実はお姉ちゃん、ちょっと厄介な人に目を付けられちゃって……今回の調査もその人から離れたいってお姉ちゃんが言ったから参加することにしたの。でも、結果は今説明したとおりになっちゃった」
「厄介な人っていうのは、あのナナシよりも面倒くさいっていうのかい?」
思わずそう問うたコベスに、カレムは無言で首を縦に振ることで答えた。あの素性不明のナナシより厄介など俄かには信じられないが、カレムがそう言うからにはキリムが関わってしまったのは相当な人物のようだ。
少しでも彼女の助けになろう。そう思ったコベスが何かできることがないかを尋ねたところ、カレムの第一声はなんと金の工面の頼みだった。
「実はお姉ちゃんがナナシさんにすごい借りを作ってたみたいで……それに私もここに来るまでの道中で食べ物とか乗り物とか全部お世話してもらったし……」
「……それは本当に払う必要があるのかい?」
ここまで聞いたコベスはすでにすべての事情を理解していた。彼が愛する姪は、ナナシという怪しく碌でもない男に騙されているのだ。私欲のためにカレムにエルフの集落に入る助けをさせたばかりか、彼女の優しさに付け込んで法外な金銭まで要求していることをコベスは見抜いた。
そうと決まれば一刻も早くカレムをあの男から開放してやらねばならない。自分には考えすぎる節があり、思い込みが強いことは自覚しているが、今回ばかりは自分の予想が当たっていると確信していた。
早速行動に移ろうと考えたコベスだったが、彼の背後から聞きなれない言語による呼びかけが響く。振り返った先にいたのは、先ほど彼自身が義眼装着の作業を行った男、ナナシだった。彼が安静にしている間に聞いた話により、コベスの中でのナナシの印象は先ほどとはかなり変わっているのだが、まずは取り付けたばかりの義眼の調子を確認することにする。
ナナシに取り付けた義眼は、コベス自身が作成した【魔流の義眼】という名の義眼型魔具だ。近年作成した魔具の中でも自信作であるこの義眼は、視力の回復だけでなく周囲に漂うマナを視覚化することができるという特殊な機能がついている。そこらの二流魔具師には作れない一級品の魔具なのだが、如何せん試験をするための対象者、すなわち目に重い外傷を負い、怪我が治らなくても問題のない者がおらず、さらにこの魔具の装着により体内魔力が激しく乱れる可能性があったために、これまで集落のエルフに施術することができなかったのだ。
そんなところに正に被験者にふさわしい男が現れたため、さすがのコベスも少し興奮してすぐに施術に移ってしまった。そのせいで若干副作用などについての説明が足りなかったような気もするが、特に施術後の体に異常が起きているわけでもなさそうなので問題はないだろう。
「どれ、視界に問題はないかい……って、言葉が分からないんだったか」
「私が通訳するね」
コベスの意図をくみ取り、カレムが共通語でナナシの様態を確認する。専門家であるコベスの目から見てもその問診は的確であり、彼女の知識の高さを示すようだった。
そのまま話し込む二人だったが、それを眺めるコベスの目には特にカレムがストレスを感じているような様子は見えない。時折呆れ笑いを漏らすカレムの様子は、むしろとてもリラックスしているようにも見える。やはりいつもの自分の思い込みか、内心でそうため息をついていると、ナナシとの会話を一度止めて、カレムが振り返る。
「叔父さん、さっきの借りなんだけど、もう返さなくてもいいって!叔父さんの義眼がすごく気に入ったみたい!」
「それは良かった。なにせ【魔流の義眼】は開発に一周紀を費やした自信作だからね。倉庫で埃をかぶらずに済んでよかったよ」
久しぶりに見えるようになった自身の左目の前に手をかざしたりするナナシと、それを見て喜ぶカレム。最初こそ自身の衝動に任せて義眼の施術をしてしまったが、それが功を奏してよい結果となったのは喜ばしいことだった。
「そうしたら【魔流睨み】を使えるか試してみよう。オドを目に集中させれば、視界に変化が現れるはずだ」
オドの操作はそれほど難しい技術ではなく、人種を問わず大体の人族は行うことができる。【魔流の義眼】にはそのオドの流れを利用して、周囲に漂うマナの流れを視認することができる【魔流睨み】という権能が備わっているのだ。権能を仕込んだ義眼はコベスも初めて作ったもので、是が非でもその効果を確かめたいのだ。
だが、カレムの通訳で指示を受けたナナシは首をかしげるだけで特段何かをしたような様子は見えない。やがて、ナナシの言葉を受けたカレムが、申し訳なさそうにコベスにあることを伝える。
「……やっぱり駄目ね。叔父さん、ナナシさんはオドの操り方が分からないみたい。そんな言葉聞いたこともないって言ってるわ」
「何だって!?オドを使えないなんて、一体どうやって生きてきたんだ!?」
思わず声を荒げるコベスだったが、オドの操作というのはそれほどに一般的なもので、そして生活には欠かせないものだ。今や広く普及することとなった生活用の魔具を使う際にも必要になるし、旅や戦闘を行おうとするならばなおさらである。
この集落までたどり着いたナナシもさぞや戦闘に熟練しているとばかり思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。随分と想定外な事態が重なることとなってしまったが、今更義眼を取り外すわけにもいかないので、権能の作動確認はまた別の機会に移すことに決めた。
そう決めた途端、心に余裕ができたのか、まだカレムに叔父らしいことをまだ何もしていないことに気づく。事情はどうあれせっかくの十年来の再会なのだ。姪以外の客人もいることだし、家に招いてお互いの近況等について話すことにしよう。この集落が置かれている状況は決して平穏ということはないが、それでも久方ぶりの家族との再会を喜ぶ時間はあるだろう。
確かカレムの好きだった茶葉が家にあったはずだ。そんなことを考えながら、コベスは腰かけていた椅子から立ち上がるのだった。
投稿の間隔がかなり空いてしまい申し訳ありません。
お待ちいただいていた方がいるか分かりませんが、また少しずつ続きを投稿させていただきます。
しばらくは不定期の投稿になるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。




