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兵士に連れられて辿りついた緑人の集落は、一見してそこに何者かが住んでいるとは思えない場所だった。というのも、集落を囲う高く分厚い木の柵を抜けた先にあったのは、森の中でもひときわ高く太い大木が何本も聳えた広い空間だったからだ。
本当にここで合っているのかと兵士に問いただそうとしたが、その前にどこからか鋭い叱責のような声が響く。声の主を探して視線をめぐらしていると、少し離れたところにある大木の上に人影があることに気づいた。
その人物まではかなりの距離があるため詳細な容姿は確認できないが、笑顔で出迎えてくれているということはなさそうだ。とりあえず話をしなければ始まらないのでその人物のところまで行こうと足を踏み出したが、上げた片足が地を踏む前に足元に一本の矢が突き刺さった。大人しく上げた足をもとの場所に戻して射手を探してみるが、今度はその気配すら見つけることができない。
さて困ったと考えていると、妹エルフが前に進み出て木の上の人影に何かを伝えた。喋っている言葉が分からないので内容を理解することはできないが、おそらく兵士を助けた顛末を語ったのだろう。妹エルフが一通り話し終えてから数十秒の間周囲を静寂が満たすが、突然目の前に一人のエルフが舞い降りる。
おそらく先ほど妹エルフと話していた人物であろう目の前のエルフは、険しい視線をこちらに向けている。こちらが話す言葉が分からないかもしれないので思わず妹エルフの方を見るが、彼女も目の前のエルフを見るだけで口を開こうとしない。
このままでは埒が明かないと思い始めたころ、自動人形に担がれている兵士を認めたエルフは何かの言葉を口にした。それを合図にして、背後や周りの木の陰から複数人のエルフが現れる。すべてのエルフの手には弓やナイフなどの武器が握られており、まさに厳戒態勢といった様子だ。
エルフたちは警戒しながらも自動人形から兵士を受け取ると、木材や蔓でできた担架に乗せてどこかに運び始める。どうやらその後についていけと言われているようなので、担架の後を追ってようやくエルフの集落に踏み入れることができた。
近づいてみて分かったが、入り口からはただの大木にしか見えなかった集落の木には、よくよく見ると多くの足場やウッドハウスが建造されていた。さらに先ほどまでは部外者を警戒して隠れていたのであろう多くのエルフたちが、樹上からこちらを見下ろしている。距離が離れているためそれらの視線にどういった感情が込められているのかは分からないが、実害がないのなら特に気にする必要はないだろう。
周囲をエルフに囲まれながら進んでいくが、その間に見ることができたエルフの集落は非常に美しいものだ。宝石のような煌びやかさはないものの、もはや一体化といってもよい人工物と自然の調和は、集落自体が一つの美術品とさえ思える景観を生み出している。
このまま進んでいれば木の上にある建物に案内されるものと思っていたのだが、兵士とそれを運ぶエルフたちが入っていったのは、地上に建設された大きな建物だった。家や小屋というよりは、枝葉で造られた巨大なテントに見えるその建物は、どうやらエルフたちの医療施設のようだった。中には治療を施しているエルフとそれを受けているエルフが結構な数おり、また治療器具であろう用途が分からない数々の物品を目にすることができる。
そういえばまだ治療用の物品はあまり手に入れていないなと思いながら施設の中を歩いていると、ようやく目的地に着いたらしく、エルフたちが一つの道具の前で立ち止まった。道具とは言ったが、それを道具と表現してよいかは疑問が残る。目の前にあるのは、直径五メートルはありそうな巨大な水球だ。薄い緑色の液体は容器もないのに球体を保っており、下部にある切り株のような見た目の機器から常時液体が注がれているようだ。
エルフたちがその水球の前に兵士を乗せた担架を下ろすと、白衣をまとった別のエルフが手慣れた様子で兵士の鎧をはぎ取り、なんと裸になった兵士を水球の中に放り込んだではないか。
兵士はまだ意識がもうろうとした状態であり、そんな状態で水の中に放り込まれれば溺れてしまいそうなものだが、兵士は苦しむ様子もなく水球に身を委ねているようだ。白衣のエルフたちはしばらくその様子を眺めていたが、問題がないことを確認したのか、それほど時間が経たないうちにその場を後にしてしまった。
兵士の行く末が気になるところだが、エルフたちに先導され別の建物へと移動する。今度の目的地は樹上にあるらしく、医療施設を出て、一本の樹に設置された急勾配の階段を上がっていくこととなった。階段と言っても通常のように切り出された木材が使われているわけではなく、どういう方法かは分からないが元となっている樹の一部を階段の形に変形させて作られているようだ。
片腕しかないため少々難儀しながら階段を上がった先にあったのは、やはり階段と同じく樹と一体化した家屋だ。そこに通され、中にあった椅子に先ほどから先導していたエルフとこちらが腰かけたところで、ようやく問答が始まった。
少し驚いたことに、先導していたエルフはガイネベリアで使われていた言語―共通語―を話すことができた。そのエルフはこの集落の長であるらしく、若く端正な顔立ちの男のように見えるが、その話すさまは落ち着いており、見た目にそぐわない妙齢さを醸し出している。その長エルフ曰く、現在この集落、というより【エイリアの森】全体が”機獣”による侵攻を受けているらしい。先の怪我を負った兵士も機獣の警戒のために行っていた巡回の途中に襲われたようだ。
侵攻が始まったのは数日前らしいが、すでにエルフたちにも少なくない被害が出ており、機獣による森の破壊も進んでいるという。その対応に追われ、さらに機獣による集落の襲撃を警戒していたため、先ほどのような過激な出迎えを受ける羽目になったというわけだ。長エルフはそう説明をするが、謝罪の言葉は出てこないあたり、妹エルフが言っていたようにエルフのプライドが高いというのは本当らしい。
説明の途中でここに来た目的、すなわち妹エルフの血縁者に会いに来たことを伝えたところ、その人物のところまで案内してもらえることになった。自分だけでは集落を追い出されることになっただろうが、妹エルフが口利きをしてくれたおかげで無事に要求が呑まれたのだろう。
案内に従って再び集落の中を進むこととなったが、すれ違うエルフや樹上から向けられる眼差しは何とも言えない精神的な距離を感じるものだ。排他的、というほどではないように思われるが、歓迎されていることはなさそうである。だが、コミュニケーションを拒絶されるということはなさそうなので、物品の取引を行うためにも彼らが扱う言語を少しでも覚えたいものだ。
この集落にいる何人かのエルフは共通語を扱えるようだが、ほとんどの会話は彼ら独自の言語―エルフ語―で行われているという。集落の珍しい物品を手に入れるためにも、やはりエルフ語の習得は急務だ。
そんなことを考えているうちに、妹エルフの血縁者がいる、集落の中でもひときわ高く太い樹にたどり着いたようだ。息を切らしながら大樹を上っていった先にあったのは、大きな洞の中に造られた研究所のような施設だ。下にあった医療施設とは違い、スタッフは三人だけのようだったが、全員が忙しそうに書類に目を通したり、複雑そうな機器の前で作業をしている。
案内をしてくれたエルフの一人が入り口からスタッフに呼びかけると、その中の一人が呼びかけに応えてこちらに向かってくる。その人物こそが、妹エルフの叔父、名付けて叔父エルフだった。
色とりどりの液体で汚れた白衣に身を包む叔父エルフは、姪との再会をひとしきり喜んだあと、ここを訪れた理由、すなわち姉エルフの借金返済について聞いたようだ。エルフ語で結構な長話をしていたため、一連の事情も含めて説明していたのかもしれない。
これでようやく姉エルフが作った貸しを返してもらえる、そう思っていたのだが、なぜかエルフ語で何かを捲し立てる叔父エルフに腕を引かれ、研究室の一角にある椅子に座らせられてしまった。妹エルフの通訳によると、叔父エルフはエルフ姉妹を救った礼をしたいらしい。礼という割には叔父エルフの顔に浮かんでいる笑顔がひどく歪んでいるような気がするが、その内容を聞いて礼とやらを受けることに決めた。
というのも、叔父エルフは見ての通り研究者だそうで、特に欠損が生じた人体のための治療、すなわち義腕などの義肢を専門分野としているというのだ。中でも最近は義眼の実用化に向けた研究を進めており、その研究成果を施術したいと申し出てきたのである。研究段階のものということなので安全性などが気になるところだが、叔父エルフは何の心配もいらないというので大丈夫なのだろう。
なぜ集落のエルフではなくどこの馬の骨としれぬ外の人間にせっかくの研究成果を試すのか、そしてなぜ叔父エルフは息を荒げて興奮しているのかは分からないが、別に何か悪いことが起きることはないだろう。妹エルフが不安げな表情を浮かべているのも気になるが、これには彼女をここまで連れてきた分の礼も含まれているのだ。ガイネベリアからここまでくるのにエルフ姉妹には結構な世話を焼いてきたことだし、しっかりとその対価を受け取ることにしよう。




