異譚~メリッサの難儀~
「ここが【轟く鉄滝】の最奥につながる大縦穴なの?深いけど何とかなりそう……」
全身を包む分厚いローブを着た女性―メリッサ―は目深にかぶったフードを少し上げて、眼前にある縦穴を見下ろした。しばらく縦穴を見ていたメリッサが振り向くと、仏頂面をしたイーデンと目が合う。
「言いたいことがあるようだけど、何も言わないでね?こっちも余計な仕事が増えてうんざりしてるの」
「メリッサの言う通りだぜ。簡単な任務を終わらせてさっさと王都に帰れると思ったのに、なんでこんなクソ面倒な人探しなんかしねえといけねえんだ」
イーデンとヒルダ、そしてカレムを見張るように立っている筋肉質の男が、不機嫌な様子を隠すこともなくそう吐き捨てる。メリッサは男の方に目を向けると、ため息をつきながら声をかけた。
「”ケンシス”、私たちの任務は調査団リーダーのイーデンと、副リーダーのキリムの回収。一応死亡時は遺体の回収は必要ないことになってるけど、生存しているならちゃんと回収しないといけない。さっきも説明したでしょ?」
「わあってるけどな?俺が言いたいのはなんで俺らがつく前に調査団のメンバーがはぐれてるんだってことだ。しかもよりによって魔境に落っこちたなんざ、ふざけてんのかって話だろ」
明らかに調査団に対しての侮蔑の意志が込めらているが、イーデンたちは言われるがまま黙ったままだ。その様子を見て、文句を言っていた男―ケンシス―は舌打ちをしてからメリッサに並び立つ。
「で、ほんとにここを降りるのか?俺らが乗ってきた大怪鳥は魔境には入れないんだろ?」
「そうね。グリフィンを使わずに私たちだけでここを降りるのは無理かも。でも”あの方”からお力を借りてきたから大丈夫」
少女と見まがう身体の大きさのメリッサは、肩から掛けているカバンから小さなガラス玉のようなものを取り出す。指先でつまめるほどの大きさのそれをよく見ると、透明な外殻の中に若草色の液体のようなものが揺蕩っているのが分かった。
「ああ?んだ、そりゃ?」
眉間にしわを寄せてガラス玉を覗き込むケンシスに、メリッサは恍惚とした表情で答える。
「これは”あの方”のお力を閉じ込めた【権能玉】。これがあれば、”あの方”のお力を貸していただけるの」
そう言ってメリッサがガラス玉を指で押しつぶすと、突然周囲に激しい旋風が巻き起こった。五人が手をかざして風に耐えていると数秒で風は収まり、目を開くと目の前に半透明の巨大な鷲が三羽鎮座していた。
「こ、これは……」
思わずカレムが呟いた言葉に反応したのか、大鷲がカレムに向けて首を回した。大鷲と目が合い思わず後ずさりをするカレムだったが、メリッサは微笑を浮かべて静止の声をかける。
「大丈夫よ。この精霊鷲はこちらに危害を加えたりしないわ。さあ、彼らに乗って」
「こ、これに乗るの?」
思わず聞き返すヒルダだったが、メリッサはすでに一体のエーグルの背に乗っている。調査団のメンバーもケンシスに促され、二人ずつに分かれてエーグルの背に乗った。
「さあ、しっかり掴まって。飛ぶわよ」
メリッサの言葉とともに、三羽のエーグルが同時に羽ばたいた。本当にそこに存在するのかすら疑わしい半透明の翼は確かに空気をつかみ、搭乗者もろとも空に舞い上がる。
いったん上昇したエーグルは進路を縦穴の底に定め、螺旋を描きながら高度を下げていく。向かい風と遠心力に負けないよう、やはり半透明の羽毛を握りしめる一行だったが、彼らの眼前に砿水の大滝が現れた。大滝は縦穴の四方の壁から流れているようで、縦穴を形成している岩壁のほとんどは滝に覆われているような状態だ。
その滝の雄大さに見とれている間に、縦穴の底に着いたようだ。静かに着陸したエーグルから飛び降り、各自で周囲の状況を確認する。竪穴の底は円形の広場のようになっており、特に遮蔽物も見られない。
「ここが最奥か。とりあえず魔物はいねえみたいだな」
「……そうね。キリムはこの近くにいるはずよ。魔物が来ないうちに見つけないと」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
行動を開始しようとしたメリッサとケンシスの前にカレムが立ちふさがった。
「なんでお姉ちゃんがここにいると思うんですか?ここは魔境の最奥なんですよね?お姉ちゃんが魔境の奥に来る理由なんて……」
「それは心配いらないわ。”あの方”がここで待っていればいいと言っているもの。キリムは必ずここにやってくるわ」
「おい、さっきから言ってる”あの方”ってのはどこのどいつのことなんだ?嬢ちゃんは随分とそいつに入れ込んでるようだが、彼氏かなんかか?」
「あん?あんた、あの”色ボケ勇者”のこと知らねえのか?」
「……それはいったい誰の悪口だ?」
ケンシスが口にした聞きなれない言葉に思わず聞き返すイーデンだったが、それを聞いたメリッサが鋭い目でケンシスを睨みつける。
「ケンシス!”あの方”のことを悪く言わないで!それにその呼び方は禁止されているはずよ」
「へいへい、悪かったな。まったく、騎士団の女どもはどいつもこいつも物好きなこった」
結局”色ボケ勇者”とやらの正体を言わないまま、メリッサとケンシスは周囲の探索を始めてしまった。釈然としないまま三人もそれに加わろうとするが、彼らの耳が低い地鳴りのような音を捉える。徐々に大きくなるその地鳴りは、どうやらこの竪穴に唯一つながっている横穴の方から聞こえてきているようだ。
五人がそちらに意識を傾けると、横穴の奥から何やら言い合う声が聞こえてくる。
「ちょっと!早くなんか出してこいつを何とかしなさいよ!」
「それはこちらのセリフだ。さっさとこいつを丸焼きにしてくれ」
「こいつに火が効くように見えるわけ!?肝心な時に使えないわね!」
口論と共に通路から飛び出してきたのは、彼らが捜しているキリムと、白い本を持った隻腕の男だった。杖を片手に走るキリムとは対照的に、男は背から生える奇妙な触手により壁や天井も使って這い歩いているようだ。二人は通路から広場へと飛び出してくるが、しきりに後方を気にしているため、まだ五人の存在には気づいていないようだった。
「あ!お姉ちゃん!無事だった……」
姉の姿を見て駆け寄ろうとしたキリムだったが、二人に続いて広場に入ってきた何かを見てその足を止める。なだれ込むようにして通路から姿を現したのは、太くうねる植物の根だった。だが、それは普通の木の根ではない。根がうねるごとに光の反射による光沢が見えることから、金属か鉱石のような材質でできているように思われた。
二人を追いかけて、根の魔物はその全貌を広場に顕した。それはまさに”歩く大樹”とでもいうべき異形の魔物だ。かなり長く、何本かあるのかすら分からない根をくねらせ、その先に生える幹や葉を半ば引きずるようにしながら、魔物は二人の侵入者を踏みつぶそうとしているようだった。根と同じく、他の部位も所々が無機物で構成されているらしく、そのサイズと相まって魔物の耐久度は相当なものであると思われた。
メリッサの予想通り二人が現れたこと、そしてその二人が巨大な魔物に追われているという状況をみて、キリムたち三人は思わず動きを止めた。だが、メリッサとケンシスは二人と魔物を見るや行動を開始する。
「ケンシス、私が動きを止めるから仕留めてちょうだい」
「あいよ!」
メリッサはカバンの中から黒い革製でできた水筒を取り出した。複雑な記号が全体に刻まれたそれの蓋をメリッサが開けると、そこから赤褐色の液体があふれ出す。そのままであればメリッサを濡らすだけのはずの液体は、僅かな時間の間にメリッサの頭上で巨大な球体を形成した。
「いって」
その短い言葉により、水球は根の魔物に殺到する。水球は瞬く間に根の魔物に覆いかぶさると、魔物ごとその動きを止めた。それと同時に魔物に走り寄ったケンシスが、徐に右手を振り上げる。
「よっしゃあ!もらいいぃぃ!!」
拳を固めたケンシスの右腕が、突如大きく膨らむ。瞬く間に見上げるほどの大きさとなったケンシスの腕が、水球に囚われた魔物に向かって振りぬかれた。衝突音と水しぶきを上げて魔物に激突したケンシスの拳は、魔物の身体を砕くだけでは飽き足らず、その巨躯を大きく吹きとばしす。
「ちょ、ちょっと!次はなに……って、カレムじゃない!なんでこんなところに!」
「お姉ちゃん!」
カレムは今度こそキリムの元へ駆け寄り、その胸の中に飛び込んだ。予想だにしなかった突然の再開に目を丸くするキリムだったが、その存在を確かめるようにカレムをかき抱く。お互いに怪我がないことを確認していると、イーデンとヒルダも駆け寄ってきた。
「無事でよかった……!怪我はないか!?」
「ええ、大丈夫よ。イーデンは無事だったのね。てっきりあなたもあの時に谷に落ちたのかと……」
「イーデンは私との距離が近かったから何とか助けられたのよ。あの時は本当に悪かったわ。まさかあんなことになるなんて」
しきりに謝る二人に、キリムは気にするなと返す。そもそもあの橋でも待ち伏せは全員の同意の元実行したのだ。今更、キリムは誰かを責める気にはなれなかった。
「あなたが副リーダーのキリムね?あなたを回収しに来たわ」
再会を喜びあう四人だったが、先ほどから気だるげな表情を浮かべたままのメリッサが四人の会話に割り込む。ケンシスは依然として魔物と戦闘を繰り広げているが、メリッサは特に慌てている様子もないようだ。
「ええ、そうよ。あたしを迎えに来るためにここまで下りてきてくれたのね?」
「任務にはあなたの回収も含まれていたから。用も済んだし、早くここから脱出を……」
「随分と珍しい物を持っているな!?他にもまだあるんじゃないか!?」
キリムを連れていこうとするメリッサの肩掛けカバンに、無遠慮な手が入り込む。メリッサがその腕の先に視線を動かすと、そこには片方しか残っていない手をカバンに突っ込み夢中で中を漁っている男がいた。その奇行をしばらく眺めていたメリッサだったが、男がカバンの中から二つほど道具を取り出したところで声をかける。
「……あなた誰?」
「んん!?俺か!?俺は……そうだ、”ナナシ”だ!最近そういう名前になってな?」
「そう。とりあえず、私のカバンから手を放してくれる?自分で作った魔具にはあまり触ってほしくないの」
メリッサの言葉を聞いた隻腕の男―ナナシ―は、あっさりと手を引いた。だが、その視線はまだカバンから離れておらず、いかにも物欲しげな目でカバンを見ている。
「ほお、魔具を自作とな!?俺も素材が揃えば魔具を生成できるが、そういう感じで作るのか!?」
「はあ……話はあと。ケンシスの方も終わりそうだから早くここを出ないと……」
メリッサがため息をついてそう言った瞬間だった。突然強い地鳴りが一行を襲い、広場を囲っていた分厚い滝が波打つ。
「な、なんだ!?」
「……ケンシス!そいつはいいから早くここを出ましょう」
「ちょっと待てって!ちょうどこいつに止めを刺すところだ!」
いつの間にか根の化け物を数多の破片へと変えていたケンシスは、最後に残った大きな幹の部分を蹴り砕いた。すぐにその場から身をひるがえそうとするケンシスだったが、彼が立つ場所を中心とした地面を巨大な影が覆う。
「……おいおい、なんだよこれはぁ!」
ケンシスの頭上で光を遮っているのは、滝の向こうから生えるようにして現れた巨大な手だった。指の間から夥しい量の砿水を流す謎の手が、未だに状況を飲み込めないケンシスを叩き潰そうと振り下ろされる。
「ケンシス!」
「っ!”手繰れよ、力指”!」
ヒルダの魔術により、ケンシスの身体が六人がいる方向へと引き寄せられた。それにより、ギリギリのところでケンシスは広げられた手の下から逃れることに成功する。
ヒルダも必死だったのだろう。引き寄せられたケンシスは半ば放り投げられるような形で地面に転がるが、素早い身のこなしですぐに体勢を立て直した。
「メリッサ!ありゃあなんだ!?」
「知らないわ。こんなことならこの魔境のことをもっと調べておけばよかった」
メリッサがのんきにぼやいている間に巨大な手はその数を増やし、全部で12本の腕が広場を取り囲むようにして現れた。12本の腕は異なる色の鉱石と砿水でできており、それぞれが異なる意志を持つかのように蠢いている。
「……早く上に上がるわよ。全員エーグルに乗って頂戴」
「あいよー」
少しの間空を見上げていたメリッサは、それだけ言うと全員に背を向けて待機しているエーグルの方に歩いていく。ケンシスも彼女の後に続くが残された一行はメリッサの言葉をにわかに信じられず、思わずその場に立ち尽くしてしまう。
「まさか、あの手の間をすり抜けて上に戻るつもりか!?どう考えても途中で撃ち落とされるのが落ちだろう!?」
思わず声を荒げるイーデンだったが、メリッサは振り返ることもせずにエーデルに騎乗する。なおも抗議しようとしたイーデンだったが、彼らの元からさらに一人が離れていくことに気づいた。だが、その方向はメリッサとは逆の方向だ。
「ちょっと、あんたまでどこにいくつもりよ!?」
「決まっているだろう!あれほど巨大で美しい手など、今を逃したらもう手に入らないかもしれないではないか!」
岩石の塊のような手を一体どうやって手に入れようというのか、キリムはそう言葉を継ごうとするがその前に上空から紐のようなにかが近づいてきていることに気づいた。キリムが目を細めてそれを見ているうちに、紐はみるみる大きくなっていき、ついにその全貌を現した一対の竜が縦穴の底へと舞い降りる。
大蛇を思わせる竜の体躯は、キリム自身の感覚を信じるのならば燃え上がる炎と流動する清水から形作られていると思われた。二重らせんを描いて高度を下げる竜を掴もうと滝から生える手が蠢くが、竜は自らに触れた手をいとも簡単に砕いていく。
「”あの方”の助けが来たわ。今のうちに脱出するわよ」
「見るのは二回目だが、相変わらずふざけた力だ」
打ち砕かれる手の残骸が降りしきる中、メリッサを乗せたエーグルが強く羽ばたいた。それを見たイーデンもキリムを連れてエーグルの方に向かうが、いざエーグルに乗ろうとした際にメンバーが一人少ないことに気づいた。慌てて彼が振り向くと、彼らが先ほどまで立っていた場所には足りなかったメンバー、カレムがいた。
「おい!なにやってるんだ、カレム!早くここから逃げないと!」
「逃げるならあの人も一緒じゃないと!置いてはいけないわ!」
そう言ってカレムはエーグルが待機しているのとは逆の方向、ナナシの方へと駆け出す。それを見たイーデンたちは彼女の後を追おうとしたが、突如彼らの身体が空に浮いた。
「ちょ、ちょっと!次はなに!?」
エーグルの爪に掴まれた三人は、遠ざかる地面を見ながらもがくことしかできない。イーデンは彼らの頭上を飛んでいるメリッサとケンシスを怒鳴りつける。
「おい!このアホ鳥を下に戻せ!カレムがまだ下に残ってる!!」
「その必要はないわ。私たちの任務はあなたとキリムの回収。他のメンバーは関係ない」
「なんだと!?そんなふざけた話があるか!なんでもいいからさっさと下に……」
イーデンが叫んでいるうちにも、彼らと地面の間の距離は離れていく。もはや下を見ることしかできない彼らの目に映るのは、瓦礫を避けながらナナシの元にたどり着いたカレムの姿だ。
「ナナシさん!はやくここから逃げないと!」
「その必要はない!見ろ!この美しい眺めを!降り注ぐコレクションたちを!全部、俺のものだ!あれもこれも全部!!ギシシシ!ギギャギャギャギャ!」
カレムが懸命にナナシの腕を引こうとするが、当のナナシはその場で気が狂ったように大笑するだけだ。その目は大きく見開かれており、周囲に降り注ぐ煌めく残骸を掴もうとするかのように空に向けて腕を伸ばす。
「カレム!早く逃げて!カレムー!!」
姉の悲痛な叫びも、もはや二人には届かなくなる。彼らが見ている間に炎と水の竜はさらに激しくなり、岩石の手だけではなく縦穴の壁までもが脆く崩されていく。やがて、イーデンたちが竪穴を抜けて大空へ飛び立つ頃には、ナナシとカレムの姿は数えきれない数の瓦礫と土埃の中へと消えてしまったのだった。




