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異譚~キリムの後悔~

「どうしてこうなったのかしら……」


 硬い地面の上に仰向けになりながら、ポツリとキリムは呟いた。そもそもの発端はイーデンが言い出した調査の成果についてだった。彼女が籍を置く調査団は王都からかなりの長旅を経てガイネベリアへとたどり着いていた。何の成果もないまま王都に帰るわけにもいかず、困っていたところでイーデンがかの隻腕の男のことを思い出したのだ。

 最初は穏便に調査に役立つものを譲ってもらおうという話になっていたのだが、何を間違ったのか山賊まがいの待ち伏せをすることとなってしまった。

 普通の状態であったならば、絶対にそんなことはしなかっただろう。だが、なにがなんでも成果が必要だったこと、そして大事な仲間だったガイムを失ったことによって彼女たちはひどく追い詰められていた。

 その結果が今の有様である。死ぬ思いをしたばかりか仲間とは別れることになり、さらに襲撃しようとしていた相手と魔境を進むことにまでなってしまった。


「もう最悪……食料もほとんどないのに」


 調査団のメンバーは各々で食料などを入れておくための収納魔具を持っているのだが、目的地に着いた直後だったこともあり、旅路で減った食料をまだ補給できていなかった。彼女が今持っている食料では一食分を賄うことすら難しい。

 キリムはひもじさを紛らわせようと地面に敷いていた毛布を体に巻き付けた。そのまま何とかして眠りにつこうとするが、先ほどから規則的に響いている硬質な採掘音が、そうはさせまいと彼女の耳に入り込む。


「……もう!いい加減うんざり!」


 キリムは早々に睡眠を諦めると、毛布を蹴り飛ばして起き上がった。そのまま肩を怒らせて向かうのは、【流液鉄】の川沿いにポツンと立つ、岩だらけの魔境には不似合いなログハウスだ。それはもちろん元から魔境にあったものではなく、隻腕の男が持っている”全書”という名の白い本から現れたものだった。


「ちょっと!あんた、いい加減にしなさいよ!?」


 ログハウスのとびらを激しく叩き、中にいる隻腕の男に向けて怒鳴る。すでに男には何度か採掘を続ける外法遺骸アンデッドを止めるように頼んでいるのだが、彼是一刻ほど返事すらしないのだ。いよいよ我慢の限界が来たキリムは杖まで取り出して扉を吹きとばそうとするが、それより早く扉が開く。

 キリムを出迎えたのは一体の白骨体だった。骨だけの体にエプロンとコック帽をかぶった奇妙ないで立ちの骸骨は、扉を開けるとすぐに家の中へと戻っていく。


「さっきから何を騒いでいる。そろそろ休んだらどうなんだ」


 開けられた扉の前で立ち尽くすキリムに声をかけたのは、椅子に腰かけた隻腕の男だった。男はキリムの方を見ることもせず、全書を眺めているようだ。


「休ませたいならさっさとあの喧しい骸骨どもを片付けなさい!!あの音のせいで魔物まで寄ってきてるのよ!?」


「そのために自動人形たちに見回りをさせているんだろう。魔物の素材も手に入るし、何も問題はないな」


「はあ!?あんた、何考えて……」


 男に詰め寄ろうとしたキリムだったが、二人の間にコック棒のスケルトンが割って入った。スケルトンは手に持っていた料理が乗った皿を男の目の前に置くと、家の端に設置されたキッチンへと戻っていく。


「おお、旨そうだな。では早速」


 運ばれてきたのは肉と卵が使われた焼き料理のようだった。食欲を刺激する香りを放つ料理は、キリムが見ている間に次々と男の口の中に放り込まれていく。


「……ちょっと、わたしもおなか減ったんだけど」


「そうか、空腹というのは厄介なものだ。腹が減れば情緒が不安定になり、適切な判断ができなくなることもある」


「……そうよ。だからわたしも何か食べないといけないわ」


「そうだな」


 男はそれだけ言うと、料理の最後の一口を飲み込んだ。満足げにため息をつき、グラスに注がれた果実水を呷る。


「さっきからそんなところに立って何をしてるんだ?」


「だから!わたしも!おなかが減ってるの!!」


 キリムは男の向かいにあるもう一つの椅子に座ると、両手で机をたたいた。それにより揺れる食器を抑えながら、男は驚いた顔でキリムを見る。


「突然どうした。腹が減っているならば、何か食べればいいだろう」


「食べれるならそうするわよ!でも食べ物がないの!」


 それを聞くと、ようやく男は合点がいったという表情を浮かべる。


「それならば腹を空かせないように寝ていた方がいいんじゃないか?ここで喚いていてもお前の食い物はないぞ?」


「少しくらい食事を恵んでやろうとは思わないわけ!?こっちを魔境の真ん中で野宿させておいて、そっちは安全なところで優雅に食事なんて、良心は痛まないの!?」


「こうなったのはそもそも誰のせいだと思っている。人を橋から突き落としておいて物を強請るとは、大層な神経の図太さだな」


「う……ベ、別にわざとやったわけじゃないじゃない!わたしだってこんなことになるなんて思ってなかったわよ」


 目を伏せるキリムに憤っているのか、はたまた本当に興味がないのか、男は全書から果実を出して齧り始めた。やはりそれを羨ましそうに見るキリムだが、先ほどのような威勢で詰め寄ることはない。


「あ、あの……なんでもいいから食べるものを貰えないかしら」


「断る。なぜタダで俺のものを渡さないといけないんだ」


 にべもなくキリムの要求は拒否されるが、彼女はなおも男に言い寄る。


「お願い!お礼ならするわ。今は持ち合わせはないけど、後で必ず……」


「……持ち合わせならばあるではないか」


 そう言って男は椅子から立ち上がると、キリムの横に歩み寄った。突然の行動に身を固めるキリムをよそに、男は彼女の顔をじっと見つめる。


「な、なによ。食べ物の代わりに身体でも差し出せってわけ?悪いけどそこまで落ちぶれてはいないわ」


 キリムは他の緑人エルフと同じように非常に整った顔立ちをしている。男に言い寄られたことも初めてではないが、男の視線に混ざった底知れない気味の悪さに思わず顔を背けそうになる。


「お前の身体なんぞ興味ないわ。それよりもこのイヤリングはどういった物なんだ?」


 男はキリムの右耳につけられたイヤリングに手を伸ばす。だが、キリムは伸ばされた手を咄嗟に払いのけた。


「これに触らないで。これはあなたが触っていいものではないの」


「……ふむ。それはずいぶんと心惹かれる言葉だな。だが、それを対価とするなら、お前といる間の衣食住は全て保証してやるぞ?」


「うう……お願い、これ以外のものだったら対価として渡すわ。王都に戻ればお金もあるから、言い値を払ってもいい」


 瞳を潤ませながら男にそう懇願する。もちろん涙は演技なのだが、どうやらそれを見て男は考えを変えたらしい。


「対価を支払うというなら、貸しを作ってやるのも吝かではないな。おい、こいつにも料理を……」


 男の指示が終わる前に、キリムの前に料理が置かれた。驚くキリムが料理を置いたスケルトンを見るが、スケルトンは料理を置くとすぐにまたキッチンへと戻っていく。


「あんたと違ってあのスケルトンはずいぶんと気が利くのね」


「気が利くだけでなく料理の腕もかなりのものだぞ?せっかくやるんだから、しっかりと味わえよ」


 それだけ言うと、男は何事もなかったかのように椅子へと戻った。皮肉に全く動じない様子を恨めしげに見ながら、キリムは料理を口に運ぶ。


「……あんた、名前はなんていうの?」


「んん?どうした藪から棒に。感謝の手紙でも書くつもりか?」


「そんなもの書くわけないでしょう。ただ、食べ物をくれた相手の名前もわからないなんて嫌なだけよ」


「なるほどな。それも一理ある。だが、生憎名前はなくてな」


「はあ?名前がないってどういうことよ」


 男の言葉に思わずそう聞き返すキリム。そんなキリムにやはり本に目を向けながら男が答える。


「実はつい最近までの記憶しか無いんだ。三ヶ月……ああ、こっちでは”一廻”というんだったか、とにかく一廻以前の記憶はどこかに落としてしまったらしい」


「そしたら家族がいたかどうかも分からないわけ?」


「まあ、そうなるな」


 それを聞いたキリムの目に同情の光が宿った。だが、それはキリムが瞬いた途端に消え、代わりに獲物を狙うような鋭い目つきとなる。キリムが見るのは男が持っている全書だ。

 男との距離は机を一つ挟んだだけで、近くにいるのは明らかに戦闘力がないスケルトン一体のみ。さらに男は隻腕のため、もみ合いになっても男から全書を奪うことができるだろう。全書さえ奪ってしまえば、男を無力化できるだけでなく、全書に収納された数々の物品も利用できるかもしれない。

 男の素性には同情の余地があるし、この魔境に来ることとなった直接の原因は確かにキリムたちにある。だが、彼女はなんとしてでも仲間たちに合流したかったし、なによりも男の顔を見ると不思議と同情しようという気がなくなるのだ。生理的嫌悪とも異なる、本能にこびりついた不快な感情を顔に出さないようにしながら、キリムは男の様子を窺う。


 すると、男はそんなキリムの心情を知ってか知らずか、徐に全書を机の上に置いた。あまりに都合がいい展開にほんの少しの躊躇いが生じるが、キリムはそれを押さえつけて全書に手を伸ばす。キリムが動いても男は反応すらできていない。それを見て奪取の成功を確信したキリムだったが、指先が全書に触れた瞬間、彼女の体はその意思に反してピクリとも動かなくなる。

 予想だにしない現象にパニックを起こすキリムだったが、いくら心の中で叫んで暴れようとしても、やはり指一本動かず、表情を崩すことすらできない。


「ほお、所有者以外が全書に触れるとこうなるのか。様子を見る限り、身体が動かせなくなるといったところだな」


 男は微動だにしないキリムの周囲を歩きながら、彼女の様子を観察しているようだった。眼球すら動かすことができないため、時折視界に入る男を見ることしかできないまま、しばしの時間が過ぎる。


「そろそろいいか。次からは人のものを盗ったりしようとするんじゃないぞ?」


 男がキリムの手から本を取り戻すと、すぐに彼女の体に自由が戻った。動けない間に必死に本から手を放そうとしていたのだろう。動けるようになった瞬間、キリムは後ろにもんどりうって倒れる。


「な、な、なんなのよその本!?」


「俺もよくは知らんが、有用なものであるのは間違いないな。コレクションをいくらでも収集できるし、さらに盗難対策も万全だ」


 不快なニヤけ顔を浮かべて男が言う。思わずもう一度つかみかかろうとするキリムだったが、その前に男はキリムの背後にある扉に向けて声をかけた。


「おい、”銀剣”。もう出てきていいぞ。目的だった検証は済んだからな、キシシシ」


 男の指示により、扉の向こうから全身が銀の鎧で構成された自動機装オートマタが現れる。そのオートマタは、驚くキリムの目の前を通り過ぎて家の外へと出ていった。どうやら、男に万が一のことが起きないようにキリムがログハウスに入ってから、扉の向こうでずっと見張っていたらしい。


「さて、俺は寝るが、お前はどこで休むんだ?どこで寝ようとお前の勝手だが、この家で休むつもりなら貸しが増えることになるから、それを忘れるなよ」


 そう言って男はオートマタが出てきた部屋に入っていく。その背中にキリムが言葉を投げつける。


「あんたにこれ以上貸しを作るなんて身の毛もよだつわ!あんたの名前なんて”ナナシ”で十分よ!」


「ふむ、”ナナシ”か。響きは悪くないな」


 隻腕の男―ナナシ―は、そう言い残して扉を閉めるのだった。

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