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どうしてこうなった……。真っ先に浮かぶ言葉はこれだ。幸い四肢や内臓に大きな損傷はないようだが、軽減したとはいえ見上げるほどの高さの崖から落下した衝撃はすさまじく、全身から打ち身による痛みを感じる。
身体の状態を確認しながら、ゆっくりと状態を起こした。その場に座ったまま周囲を確認するが、地面は固い岩でできており、さらに今いる場所を囲むように肉片や粘液が飛び散っている。これは落下の際に衝撃を和らげるために使った【再生する肉壁】や【脚歩きの水体】、さらにどうにか落下の速度を緩めようとしがみついた【腐灰の餓鬼珠】たちの残骸だ。せっかくの貴重な物品が四散してしまったのは非常に悔やまれるが、これらがなければバラバラになっていたのは自分だっただろう。
すぐに残骸を回収して物品を修復したいところだが、その前に少し離れたところに倒れていたもう一人の人影が起き上がってしまった。その人物は、辺りを見回してから猛然とこちらに近づいてくる。
それは、つい先日に共闘した覚えのある魔術使いの姉妹の片割れだった。青いイヤリングをつけていることから姉妹のうちの姉の方だとわかるその女性は、目じりに涙を浮かべながら何事かを捲し立てている。
だが、喚き散らしたいのはこちらの方だ。元はと言えばこうなった原因は彼女たちの方にあるのだから。
ガイネベリアで例の肉の化け物―【歓喜せし孕む異肉母】―を討伐したのが三日前。その後、街中に残された物品を救うために、姉妹たちとはいったん別れたのだが、すぐにその後を追うことになった。というのも、元凶と思われた【歓喜せし孕む異肉母】を討伐しても、他の魔物たちの行動は変わらず、さらに根管などによる肉の浸食も止まることがなかったのだ。
最初こそ魔物たちを討伐しながら街の探索を敢行していたのだが、それほど経たないうちに街全体が肉に覆われるような形になってしまったため、探索を始めてから一日ほどで街を後にすることになってしまった。
その後は事前に話を聞いていたガイネベリアから最も近い街、”コレスゲト”とその道中にあるという魔境、【轟く鉄滝】を目指して移動を始めたのだが、丸一日馬車に揺られたころ、思わぬ相手に行く手を遮られることとなった。
下調べをして知ってはいたが、【轟く鉄滝】はガイネベリアとコレスゲトの間に線を引くようにして存在している深い渓谷の底にある。そのため、【轟く鉄滝】にたどり着くには、いくつかの橋を渡って渓谷を降りていく必要があるのだが、そこにかかる橋の一つで姉妹を含めた四人が待ち伏せをしていたのである。
姉妹以外の二人は領主の館で助け出した男女だったため先日の礼でもしてくれるのかと思ったが、彼らはぶしつけにも開口一番に全書を渡せなどとほざいてきた。話を聞く限り、全書で収集した【笑痴の生き蕾】や【歓喜せし孕む異肉母】に由来する物品が欲しいようだったが、何の対価もなしに物を強請るなど言語道断である。
四人のうちのリーダー格の男が身に着けている機械で構成されたマントを差し出すなら考えてやると伝えたが、相手は一切取り合うこともなく剣まで抜いて迫ってきた。彼らはこちらが橋の中ほどまで進んだところで橋の両端をふさぐ形で現れたため、逃げようにも行き場所がない。まるで山賊のようなやり方だし、すでにリーダーの男と双子の姉が各々の武器を構えながら挟み撃ちするように迫ってきていたため、一人二人やってしまうのは仕方ないかと思っていた時、予想だにしない現象が起きた。
その予兆は橋の下、渓谷から吹き上がる強い上昇気流だった。橋の上にいたため、その風の異様な鉄臭さに気づくことができた。血の匂いなどというレベルではない。空気に鉄が染みこんでいるような、重々しさすら感じる風の後に押し寄せてきたのは、大量の水が流れる轟音だ。轟音はすさまじい速さで下から迫ってきていた。一体何が起きているのか、脳裏をよぎった言葉が消えるより早く、橋の下から打ち付けられた強烈な力により身体が舞い上がることとなる。
急激に上昇する視界の大部分を占めるのは、灰色の水だった。その水はまるで金属のような光沢を放っており、渓谷から打ちあがっていると思われたが、打ち上げられた水と我が身は必然的に落下を始める。衝撃により橋から弾き飛ばされたため、落下する先には橋もなければ地面もない。そうして、重力に引かれるままに渓谷へと落下したという訳である。偶然にも姉妹の姉の方―話を聞く限り”緑人”という種族のようなので今後は”姉エルフ”と呼称しよう―は落下の際にこちらの近くに飛ばされていたため、こちらが施した落下軽減の恩恵を被ることができたようだ。男の方は近くにいないあたり、幸運にも落下を免れたのだろう。
さて、状況の把握は大体できたし、直前の出来事を思い返している間に物品の残骸の回収もできた。多少の痛みをこらえれば移動もできそうなので、ますはこの渓谷を進んでみることにしよう。姉エルフは未だになにか言い寄ってきているが、元々この渓谷を降りようとしていたのだ。手間が省けたと思えばいいだろう。
渓谷の底は隆起した岩とぬかるんだ土に覆われており、岩と岩の間にできた亀裂を先ほども目にした鉄色の水が流れている。両脇はかなり高い岩壁に囲まれており、さらに壁にも鉄色の水が流れているため、とてもではないがよじ登ろうという気にはなれなかった。ちょうど目の前に鉄色の水がたまった大きな水溜りがあるので、試しにその水を収集してみる。
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【流液鉄】
分類:液体・砿水
詳細:液体の特性と金属の特性を併せ持つ素材。様々な魔具や武器の素材として重宝され、通常の鉄以上の価格で取引される。
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なんとも幸先の良い出だしである。まだ新たな生成候補はないが、他の素材を回収していれば自ずと現れることだろう。本来であれば次々と物品を収集したいところだが、周りにあるのはたった今収集した【流液鉄】と【白結岩】という何の変哲もない岩だけのようだ。無論、【流液鉄】は片っ端から収集していくが、他にすることもないため、先ほどからやかましい姉エルフの声に耳を傾けることにする。
姉エルフたちは”王都”と呼ばれる、この国―グレルドーラ―の首都からガイネベリアを訪れたらしい。彼らの任務はガイネベリアで繁殖していた謎の花、【笑痴の生き蕾】を調査することだったようだ。
だが、街について早々にあの騒ぎに巻き込まれ、調査ができなかったどころか街の壊滅を防ぐこともできなかったため、せめてもの成果としてこちらが所持していると思われた物品を求めたという訳である。
説明の途中にも姉エルフが【笑痴の生き蕾】を譲ってほしいと頼んでくるが、別に彼女らに物品を渡すことは吝かではない。ただ、こちらとしては相応の対価を要求するだけだ。例えば彼女が身に着けている青い宝石があしらわれたイヤリングや右手の中指につけた指輪はなかなかの逸品なように見える。それと交換してくれるならば、むしろ喜んで物品を渡そうではないか。
姉エルフにそう伝えると、彼女は非常に難しそうな顔をして黙ってしまった。拒否されることもなかったため、取引は一旦保留といったところだろう。
そんな話をしている間にも足を動かし続けた結果、段々と辺りの風景に変化が現れてきた。岸壁や地面には所々【流液鉄】とも異なる色合いの金属光沢が現れ始め、岩の色もこれまでの白一色から黒や灰色、はたまた赤や緑のものまで見かけるようになってきた。進むほどに周囲を彩る色彩は増えていき、やがて頭上から差し込む細い陽光が反射して煌めくほどの絢爛な石壁となる。
天然に形成されたとは思えないその光景は、まるで自然が作り出した一つの芸術品だ。隣に立つ姉エルフと並んで、思わずその光景に見入ってしまう。無音の中しばらくそれを眺めていたが、湧き上がった感動を追いかけるようにして強烈な物欲が煮えたぎる。とりあえず手近にある岩壁の素材を収集してみよう。
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【吸銀原石】を収集しました
【蜜金原石】を収集しました
【蜜金晶塊】を収集しました
【剛銅水晶】を収集しました
【剛鉄水晶】を収集しました
【黒銅鉱】を収集しました
【赤魔晶】を収集しました
【黄魔晶】を収集しました
【剛蒼銀】を収集しました
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岩壁は複数種類の鉱石が折り重なってできているようだ。手の届く範囲にある鉱石を集めただけでこれほどの種類になるならば、探索を進めればまだまだたくさんの鉱石を手に入れることができるだろう。すでにここが【轟く鉄滝】であるならば、進んでいるうちに特有の魔物も出現するはずだ。ああ、早く新たな物品を収集したい、その心の声に急かされるように、魔境の奥へと足を踏み出すのだった。




