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異譚~イーデンの安息(後編)~

「イーデン、起きて」


 小さな揺さぶりにより、イーデンは微睡から醒めた。目を開けた先にいるのは、すでに身支度を整えた様子のヒルダだ。見慣れない景色に一瞬だけ戸惑うイーデンだったが、昨晩の晩餐とその後に案内された寝室でヒルダと二人で眠りについたことを思い出す。


「んあ……どうした、ヒルダ」


「なんだか嫌な予感がするの。なんだか、”魔境”にいた時の感覚に似ているわ」


「……こんな街の中なのにか?いや、とにかく準備だけするか」


 イーデンが今いる場所は街の領主館。街の中でも最も安全であるはずの場所だ。だが、ヒルダが時折見せる予知ともいえる神がかり的な感覚には、ガイネベリアへの旅の道中でも何度か助けられていた。そのことを思い出し、イーデンはすぐにベッドを抜け出して寝間着から着替える。

 イーデンは着替え終わると、アミュレット型になっている【機熱鋼膜サリネスク】を首から下げた。それを見計らったように、二人がいる寝室の扉が外側からノックされる。まだ日が昇る前なのにいったい誰が来たのか、そう思いながらも扉に向かおうとしたイーデンだったが、それをヒルダが止めた。


「ダメよ、イーデン。扉を開けないで」


「……分かった。だが、ずっと待たせるわけにもいかないんじゃないか?」


 そう言うイーデンだったが、それほど経たないうちにある異様なことに気づく。ノックの音は十秒経っても二十秒経っても、そのペースを変えることはなく、ノックの主は声を上げることすらせずに扉をたたき続けているのだ。二人が見つめる先でノックは続くが、一分ほど続いた後、ノックは唐突に終わる。


「おいおい、一体何が……」


 それに続くイーデンの言葉は、二人の横にある壁が破壊される轟音によってかき消された。突然の事態に驚くヒルダに壁のがれきが殺到するが、イーデンがヒルダを素早く抱えると、その場から跳び退る。

 壁に開いた穴から現れたのは、巨大な肉塊のような何かだった。辛うじて人型に見えるそれは、一抱えもある腫瘍のようなものに塗れた腕を振り回し、イーデンとヒルダに襲い掛かる。


「くそっ、なんだってんだ!”起動イック”!」


 イーデンの起動言詞により、【機熱鋼膜サリネスク】が瞬時に展開する。化け物とイーデンの間に現れた【機熱鋼膜サリネスク】は、 盾となり化け物の攻撃を防いだ。それに安堵したのも束の間、先ほどノックされていた扉が破壊されるとともに、三本の赤い綱のような何かが二人に襲い掛かる。 【機熱鋼膜サリネスク】は化け物の拳を受け止めているため、イーデンには側面から迫るそれを防ぐ手立てがない。だが、ヒルダがいつの間にか手に持っていた杖を掲げて、迫る綱に相対する。


「”阻めよ、力壁”」


 ヒルダの詠唱により中空に発生した半透明の壁と綱が激突した。その衝撃により紐を形成していた肉と血が飛び散り、部屋の床を汚す。扉を壊して現れたのは、肉で形成された綱を束ねたような不定形の何かだった。襤褸のローブを羽織ったその何かは、袖口から伸びた肉の綱を再び振るう。


「”黒刃ラッジ”!”白刃イッジ”!」


 イーデンの言葉により、【機熱鋼膜サリネスク】から二本の柄が生える。その柄をイーデンが引き抜くと、それぞれ白と黒の金属で刀身が造られた一対の双剣が露わとなった。


「次々とうっとおしい!」


 イーデンが手にした剣をひらめかせると、すべての肉の綱が切断され、切れ端が床に落ちる。切断してもなお蠢くそれを一瞥するが、それまで 【機熱鋼膜サリネスク】により阻まれていた巨大な化け物が、癇癪を起したように部屋の中で暴れはじめた。寝室は客用の部屋のためそれほど広くはない。このままでは思わぬ被害が出かねないと判断した二人は、最も近い部屋の出口、すなわち綱の化け物が立ち塞がる扉に向かって駆け出した。

 無論、化け物は二人を狙おうと腕を振るうが、その前にヒルダが杖の先端を敵に向ける。


「”押せよ、力風”」


 ヒルダが放った魔術により、肉綱の化け物は背後の壁を壊しながらその場から弾き飛ばされ、二人は部屋を飛び出すことに成功する。巨大な化け物の攻撃を防いでいた【機熱鋼膜サリネスク】もその後を追うようにしてひとりでに宙を舞い、イーデンの背中を覆い、いつもの場所に収まった。


「イーデン、ガイムは……!」


「……今は状況を把握するのが先だ。生きていれば、館のどこかで会えるさ」


 ガイムの寝室は二人がいた部屋の隣、化け物が壁を破って現れた部屋だった。あの化け物に寝込みを襲われたとすると、無事でいると思うのは希望的観測が過ぎるというものだろう。周囲を探そうにも部屋の中からは巨人が迫り、たった今吹きとばしたもう一体の化け物もすでに動き始めている。二人は、一瞬だけ目をあわせると、同時に廊下を駆け出した。それは巨人が現れたのとは逆の方向、すなわち館の奥へと続く道だ。

 何が起こったかは分からないが、領主館の内部で魔物が暴れているなど尋常な状況ではない。今すぐにこの場を後にするよりも、領主や街の重役を救い事態の収束に動くのが先決である、そう考えての行動だった。


 館を進むうちに、二人はまた一つの違和感に気づく。まだ日の出前の時間帯とはいえ、このような状況にもかかわらず館の中が静かすぎるのだ。廊下に面した扉からは今も魔物が現れ続け、イーデンとヒルダにより時には斬られ、時には吹きとばされているのだが、物音と言えばその際の戦闘音だけだ。


「イーデン!これ、絶対何かおかしいわ!」


「んなこと分かってるが、このままにしておくわけにもいかないだろ!とりあえず、領主だけは助けねえと!」


 十数度の戦闘の後、二人はようやく目的としていた領主のそれと思しき最奥の部屋へとたどり着いた。イーデンは【機熱鋼膜サリネスク】で体の前面を守りながら、走る速度を緩めずに躊躇なく扉に突っ込む。その衝撃により扉は勢いよく中へと開き、二人は領主の部屋へと転がり込んだ。


「あら?騒がしいと思ったら、お二人だったのね。どうしたのかしら?」


「領主様、悠長なことを言っている場合ではありません!はやく避難を……」


「ふふ、そんなに慌てないで。昨日も言ったけど、今日はおめでたい日なのよ?なにせ、”あの子たち”の誕生日だもの」


 ヴェリアスカは部屋の奥にある窓から外を眺めていた。窓からはちょうど昇り始めた朝日が顔を出しており、その日差しに照らされたヴェリアスカの顔には慈愛すら感じる笑みが浮かんでいる。


「……領主様、館の中に見たこともない魔物が出没しています。事態を収束するためにも、一旦ここを離れなければ」


「あらあら、そんなに怖がらないであげて。彼らも別に悪気はないのよ。彼らはただ、”お母様”の助けになろうとしているだけなの」


 先ほどからヴェリアスカの様子を窺っていたヒルダが、領主からイーデンを守るようにして前に進み出た。手に握られた杖を前に掲げるその姿は、魔物を相手しているときの警戒度と相違ない。


「領主様、もう一度だけお尋ねします。私たちと一緒にこの館を出るつもりはありませんか?」


 険しい表情のヒルダに、ヴェリアスカはやはり変わらない態度で微笑みかける。


「お気持ちは嬉しいけど、それには及ばないわ。それに今更、中も外も変わりませんもの。ほら、この可愛らしい赤ん坊たちの泣き声が聞こえになって?」


 ヴェリアスカの言葉を聞いた二人が耳を澄ますと、確かにかなり遠くの方から何かの鳴き声が響いてきているようだった。その音は、ヴェリアスカの言うように赤子の啼泣に聞こえなくもないが、その音量は計り知れないほど大きいと思われた。

 どうやらこの街が置かれている状況は自分たちが思っていたよりも、ひどく複雑で危険なものらしい、それに二人が気づいた瞬間、二人の背後にあった扉がけたたましい音を立てながら引き裂かれた。そこから現れたのは、先ほど何とかやり過ごした肉の巨人だ。巨人は二人を見るや否や襲い掛かろうとするが、それを見たヴェリアスカが巨人に語り掛ける。


「落ち着いてくださって、”騎士様”。今、お二人とお話をしているところなの」


 ヴェリアスカのその言葉が巨人に届いた瞬間、巨人は不自然なほど唐突にその動きを止めた。イーデンは巨人がヴェリアスカの指示に従ったように見えたことに驚いたが、なによりヴェリアスカがの口から発せられた一つの言葉を聞いて背筋を凍らせる。


「おい、あんた。今なんて……」


「ふふふ、騎士様ったら、あんなにワインを気に入っていただけるなんて。おかげでいい男になったわあ」


 昨日の晩餐では、出されたワインに手を付けていたのはガイムだけだった。あのワインに何か仕掛けがあったなら、二人が無事なことにも頷ける。だが、それは必然的にガイムが無事ではないと認めているようなものだ。


「おい!貴様、なんでこんな……!」


「ごめんなさいねえ。でも赤ちゃんたちを育てるためには仕方なかったの。最初は街の貧民たちを食べさせていたんだけど、段々必要な量が増えてきちゃってね?最近はよくこうやって旅の方に協力してもらっていたの。だけど、それも今日で終わりだわあ」


 そう言ったヴェリアスカは、懐から何かを取り出した。影から現れたそれを見て、二人は息をのむ。それは拳大ほどの巨大な眼球だった。だが、それはただ大きい眼球ではない。ギョロリと二人を睨め付ける瞳の中には、さらに小さい眼球がいくつも押し込められており、その瞳たちは別々の意識を持っているかのように蠢いているのだ。


「本当は”叙任の儀”が終わるまではあの子たちを愛でるつもりだったのだけど、あなたたちが来たってことは王都ももうここに目をつけてるってことだもの。それに今日は赤ちゃんたちのお誕生日。お母さんとしても、ちゃんと祝ってあげないとね」


 ヴェリアスカは、唖然とする二人の目の前で手に持っていた瞳の塊を口に放り込んだ。丸呑みにするには大きすぎるはずのその瞳は、二人からも分かるほどにヴェリアスカの喉を拡張しながら、彼女に飲み込まれた。


「んぐっ……あはあ、これで私も”お母様”の傍にいけるわあ。ほら、あなたたちも祝福して……」


 ヴェリアスカの言葉が途切れ、その腹部が唐突に膨れ上がる。それは産気づく直前の妊婦のように見えなくもなかったが、腹部の膨張は止まることなく、ヴェリアスカの腹部は加速度的にその体積を増していく。すぐに自身の体重を支えきれなくなったヴェリアスカが仰向けに倒れるが、それでも肉体の膨張は止まらない。やがて、肉の巨人をも上回る大きさとなったヴェリアスカの腹部は内側から捲れるようにしてさらに変態を続ける。

 巨大な肉の花、そう呼ぶにふさわしい肉塊と化したヴェリアスカの身体だったが、最早人としての原形をとどめていないにも拘らずその変容は収まる気配はない。増える肉は部屋にいるすべてを押しつぶそうとするかのように、赤黒い津波となってイーデンとヒルダに襲い掛かる。


「ヒルダ!防御だ!”雷壁ラル”!」


「”重く閉ざせよ、剛力門”!」


 二人の周囲を青白い閃光が駆け抜け、さらに半透明な灰色の力場が二人を囲む。各々の防御により肉の津波は二人に達することはないが、すぐに八方の視界は塗りつぶされた。さらに衝突の衝撃により、抱き合った二人はそのまま後ろへと押し流されてしまう。

 肉の巨人となり果てたかつての戦友も津波に呑まれているため、挟み撃ちになることはないと思われたが、二人にそれ以上なすすべもない。イーデンとヒルダは必死に防御を維持しながらも、肉の津波にその身体を攫われていくのだった。

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