異譚~イーデンの安息(前編)~
「領主館への招待?」
「ええ、『王都からの旅の疲労を癒すため、調査団ご一行を是非とも我が領主館にて歓待させていただきたい』、ですって」
ヒルダが差し出してきた上等な麻紙に目を通しながら、イーデンは胡散臭げに聞き返した。ヒルダは澄んだ青色の目を瞬せてから、イーデンが腰かけていたベッドに腰かけ、彼の肩にもたれかかる。
彼女の亜麻色の髪から放たれる香水の香りを楽しみながら、イーデンは麻紙を裏返してそこに書かれた署名を読む。
「『ガイネベリア領主、ヴェリアスカ』、ね。確か最近就任したた新しい領主だったよな?」
「ええ、もともと高齢だった先代が亡くなって代替わりしたらしいわね。確か一周紀くらい前だったかしら」
一周紀ということは代替わりから三百日が経過しているということだ。まだ就任してからそれほど日が経っていないとはいえ、街に活気があるのは領主の手腕あってのことだろう。
「旅人に寛容になったのも現領主になってからだったな。街に入る際の税は免除で身分の証明もいらず、さらにある程度なら商売も自由ときたもんだ。実際に来るまでは信じられなかったな」
「でもそのおかげで調査も進みそうじゃない。まだ何も分かってないけどね」
なにもイーデンとヒルダは観光にこの街に来たのではない。彼らはこの街に起きている原因不明の現象―謎の花の群生―について、調査に赴いたのだ。まだ街に着いたばかりでそれらしいことはできていないものの、実際に目で見た花々は聞いていたよりもはるかに美しく異様なものだった。群生地の中でもひときわ巨大な花を見たときは、思わずその場であっけに取られてしまったほどだ。
「そういえば、あの男の人は何者だったのかしら?あの白い本を持った人」
「ああ、あいつか。顔立ちからしてこの辺りの人間ではないと思ったがな」
「でも召使みたいな人を連れてたから、ただの旅人ってわけでもでもなさそうよね」
ヒルダが語るのは、日中に花の確認をしていた時に見かけた隻腕の男のことだ。調査の腰を折ってでもイーデンがわざわざその男に声をかけたのには理由があった。それは男が花にしていた奇妙な行為を見たからだ。
「……なあ、ヒルダ。お前はあんな魔具を見たことがあるか?」
「あの本のこと?うーん、収納系の魔具はいくつか見たことあるけど、あんな風に触れもしないで収納しちゃうのは聞いたこともないわ」
「それにあの男、花を消してから妙に本を熱心に読んでた。花を手に入れて何か新しいことが分かった、ってことじゃないのか?」
それついて尋ねた時の召使の素っ気ない返事を思い出して、イーデンはその精悍な顔に渋面を浮かべる。遠い異邦の地のため、あの場では大人しく引き下がったが、彼はまだ本の正体を突き止めることを諦めていなかった。
だが、そんな彼の思考を自分に向けようと、ヒルダはイーデンの腕に自分の両腕を絡める。
「で、どうするの?領主の館には行く?行くならちゃんとおめかししていかないと。ふふ」
「……もちろん行くさ。立場上、断るわけにもいかないしな」
「そう言うと思ったわ。時間になったら館からお迎えが来るそうだから、準備しておいてね。あと、今晩は館に泊めてくれるそうよ」
「そいつはずいぶんと至れり尽くせりだな。もう保存食にも飽きてたとこだし、楽しませてもらうとするかね」
イーデンが了承の意を伝えると、ヒルダは満面の笑みで部屋から出ていった。イーデンはそれを見送り、早速準備を始めることにする。街について早々に花の調査を兼ねた確認を行っていたため、宿に入った時間はすでに日暮れ前だった。部屋に入ってからまだそれほど経っていないが、しばらくすれば領主館からの迎えが来ることだろう。
「……さすがにこいつをこのまま持っていくわけにはいかないか」
準備を始めたイーデンの視線の先にあるのは、様々な金属の部品が組み合わさり造られた機々械々な外套だ。大柄なイーデンが纏っても全身が隠れるほどのサイズのそのマントは、”機獣”と呼ばれる特異な魔物の素材を使って造られた、攻性防具に分類される【機熱鋼膜】と名付けられた逸品だった。
その素材のほとんどはイーデン自身が討伐した機獣が元になっており、様々な機能が備わったそれはイーデンが最も信頼している装備だ。そのままであればとても館には持っていけないのだが、イーデンがマントの中心部にある水晶のような部品に触れると、瞬く間に部品たちが折りたたまれていき、数妙後にはアミュレットとなったマントが彼の手の中に納まる。
「よし、後は着替えとけばいいか。確かヒルダが祝宴用の衣装を入れとくって言ってたな」
イーデンが訳あって王都の騎士団を追放されそうになった際に、今いる調査団に所属を移す形で匿ってくれたのが、彼の幼馴染でもあったヒルダだった。調査団に入ってから行動を共にするようになったヒルダは、いろいろとイーデンの世話を焼いてくれているのだ。それは無論、幼馴染としての友情以上の感情からくるものであり、イーデンもそれを好意的に受け止めていた。
ヒルダに感謝しながら着替えを終え、一階にある宿のロビーに下りる。彼らが泊まっている宿はガイネベリアで随一の高級宿であり、内装も落ち着いたものに統一されている。その雰囲気を楽しみながらイーデンがロビーで待っていると、二階からイーデンがよく知る調査団のメンバーたちが下りてきた。
「よお、イーデン。似合わない格好してんな!ガハハハ!」
「お前に言われたくねえよ、ガイム。他の二人はどうした?」
「おお、キリムとカレムは正装を持ってきてないからこの宿で休むんだそうだ。まあ、理由は適当で本当は面倒なだけだろうがな!ガハハハ!」
「まあ、そうだろうな。どのみち荷物が置いてある宿を無人にするわけにもいかんし、あいつらを責める理由もないさ」
彼らが語るキリムとカレムは、緑人と呼ばれる亜人の姉妹だ。エルフらしく内向的で人との関わりを避ける傾向がある彼女たちは、こういった人が集まるイベントは何かと理由をつけて避けるのが常だった。イーデンもガイムももはや慣れっこなため、特に気にすることもない。
ガイムはわざわざイーデンが腰かけているソファの隣に座ろうとするが、イーデンよりさらに大きな体格を誇るガイムがソファの隙間に身体をねじ込んだため、二人だけなのにすし詰めのような状態となる。
「……おい、なんで横に座るんだ。別のソファが空いてるだろ」
「まあそう言うな!同じ調査団としてのスキンシップってやつだ!ガハハハ!」
イーデンが何とか邪魔者をどかそうと腕を動かすが、ガイムは頑なにそこから動かない。そうして二人してもみ合っていると、二人の背後から声がかけられる。
「あ、あの……調査団ご一行で間違いないでしょうか……?」
「おお、もう来たのか。これは失礼」
後ろからの呼びかけに、イーデンとガイムはすくっと立ち上がる。二人とも背丈はかなり高く、ガイムに至ってはイーデンと比べても一回りは大きな図体だ。その二人が並べば、その気はなくとも領主館からの使節を威圧することになってしまったようだった。
「え、えー……ほ、本日はわざ、わざ、ガイネベリアへご、ごしょくろう……」
「ちょっと二人とも、せっかくお迎えに来てくれた方を脅かしてどうするのよ」
「ん?来たのか、ヒル、ダ……」
後ろからの咎める声に振り向いたイーデンだったが、今度は彼が言葉を詰まらせる番だった。階段から降りてくるヒルダの衣装は、先ほどの旅用のそれとは打って変わり可憐で見事なものだ。彼女が纏っているのは黒を基調としたエンパイアドレスで、知的な彼女の容姿と非常に合っていた。
口を開けて自分に見惚れるイーデンと、ついでに同じような状態になっているガイムと迎えの使節に微笑み、ヒルダは使節に向かって優雅に挨拶をする。使節はやはり慌てた様子でそれに応え、三人は使節が用意した馬車に乗ることとなった。
それほど大きくはないものの、イーデンとガイムも余裕をもって乗ることができるその馬車は来賓時に使うものなのだろう。使節は御者も兼ねていたため、三人だけが乗ることとなった馬車の内装を見回しながらガイムがぼやく。
「しかし、辺境とはいえこんな立派な街で一調査団がここまで歓迎されるとはなあ。王都じゃ考えられん」
「確かに一日目に私たちを見つけて、歓迎の準備まで済ませたってことだものね。旅人を歓迎してくれるとは聞いてたけど、正直ここまでとは思ってなかったわ」
ガイムもヒルダもわずかに困惑しているようだが、歓迎されること自体は嬉しいと思っているようだ。それはイーデンも同じであったため、窓を流れる街の景色から目を逸らし、二人に笑いかける。
「とにかく歓迎してくれるならありがたいじゃねえか。この街では食用の鳥を育ててるんだろ?飯も期待できるってもんだ」
「確かにここ最近は乾パンと干し肉ばっかりだったからな。最初の頃はキリムがスープを作ってくれてたが、材料もすぐなくなったしなあ。ガハハハ!」
「笑い事じゃなかっただろ。ヒルダが持ってきた草は食おうとしたら大変なことになるし」
「ちょ、ちょっと!そのことはもう謝ったでしょう!?」
王都からの実に四十日以上に及ぶ旅の思い出に花を咲かせているうちに目的地に着いたようで、馬車はゆっくりと停止した。すぐに外側から馬車の扉が開かれ、外、すなわち領主館へと誘われる。門と広間につながる館の扉はすでに開かれており、使節とは別の執事に先導され、三人は中へと入った。領主館の構造は貴族の家によくあるような構造であり、入り口の傍の広間を中心として三本の廊下と二階への階段が伸びている。
「食事の準備ができましたらお呼びいたしますので、少々お待ちください」
執事にそう言われ通されたのは、廊下の一角にあるサロンだった。部屋には背の低い卓子を中心として対面するようにして二つのソファが置かれている。執事に促され最初にイーデンがソファに座った。それに続いてガイムがまたしても同じソファに座ろうと足を踏み出すが、その後ろからヒルダが進み出て、当然のようにイーデンの横に腰を下ろす。
「……?どうしたの、ガイム。そっちのソファが空いてるわよ?」
「まったく、無自覚というのはたちが悪いな。ガハハ」
首をかしげる執事をよそに、ガイムは空いたソファに腰を掛ける。それを見守ってから執事は、準備が出来たらまた呼びに来る、と言い残して部屋から退出した。
残された三人は馬車の続きとばかりに旅の間の話に花を咲かせる。そして十数分が経った頃、ドアをノックする音と共に執事が再び迎えに来た。執事に連れられ再び廊下を歩く三人を出迎えたのは、館の中でも特に大きな扉だ。扉はその大きさにも拘らず、音もなく内側へと開いた。
「おお、これは見事な……」
その部屋は客人をもてなすための広間であった。部屋の中心には大きな円卓が置かれており、椅子が四つ置かれている。まだ領主は来ていないようで、三人は執事に代わって配膳係に促されて席に着いた。
三人が座ったのを見計らったように、三人が入ってきたのとは逆方向の扉が開き、そこから一人の妙齢の女性が現れる。ヒルダとは対照的に華やかな真紅のドレスをまとったその女性は、三人に向かって優雅に会釈する。
「こんな辺境の街にようこそおいでくださいました、調査団の皆様。ガイネベリア領主のヴェリアスカと申します」
「ご丁寧な対応痛み入ります。調査団団長のイーデンと申します。今宵はお恥ずかしながら、ご厄介になりに参りました」
「ふふ、そんなに畏まらないでくださいな。無理を言ったのはこちらだもの。どうしても皆様のお話が聞いてみたくて、我儘を言ってしまったわ」
柔らかに微笑むヴェリアスカに、ガイムとヒルダもそれぞれ挨拶をした。和やかな空気の中、四人は席に着きいよいよ晩餐が始まる。
「まあ、王都から四十日も旅を?」
「ええ、もちろん途中は馬車なども使いましたが、やはり”魔境”の近くを通るときはそれなりの準備がいりますからね。徒歩での移動もかなりありました」
「なので道中の食料も現地調達になりましてなあ。そういえばあの【吊るす鳴木】に実った果実は絶品でしたぞ、ガハハ」
「あの果実を見つけた時ののあなたの顔すごかったものね。まさに”鬼気迫る”って感じだったわ」
ヴェリアスカが用意した料理はどれも素晴らしい出来で、中でもガイネベリア名産の【コンク鳥】を使用したオーブン料理は絶品だった。濃いめに味付けされたその料理はワインとの相性も良く、ガイムはすでに十回は空にしたグラスを再び煽る。
「……本当にお二人はお酒はよろしいの?実はワインもこの街の隠れた名物なのだけど」
「お気持ちは嬉しいんですが、我々は筋金入りの下戸でして」
「こんな素晴らしいお屋敷で醜態を晒すわけにはいきませんわ。それにこの果実水もすごくおいしいですし」
「……そう。もちろん無理にとは言わないわ。そちらの騎士様が三人分は飲んでくださりそうですもの、ふふ」
ヴェリアスカが見つめる先では、ガイムがグラスに並々とは言っていたワインを飲みほしたところだった。
「いやあ!お言葉の通り、このワインは絶品ですわい!これだけでもこの街に来た甲斐があるというもんです!ガハハハハ!」
すでに三本のワイン瓶を空にしたガイムは、赤ら顔で大笑する。まだまだ彼の飲むペースは変わりそうにないが、彼の酒に対する強靭さを知っているイーデンたちは、特に気にすることもなく本題を切り出した。
「ところで領主様、我々がこの街に来た目的についてなのですが……」
「もちろん知っていてよ。あの可憐な花畑についてでしょう?」
ヴェリアスカの返答を聞いて、ヒルダが頷いて言葉を引き継ぐ。
「そうです。これまで街や周辺の地域に大きな影響を与えることがなかったので王都でも特に重大視していませんでしたが、一向に成長が止まらなくさらにこれまで確認されていない種類ということもあり、調査のために我々が派遣されたのです」
「つきましては、是非とも我々があの花を調査する許可をいただければと思うのですが」
「ええ、もちろん構いませんわ。遠路はるばる出向いてくださったんですもの。拒否するつもりもございませんわ」
ヴェリアスカの快諾にイーデンとヒルダは顔を綻ばせる。礼を口にしようとした二人だったが、その前にヴェリアスカがふと思い出したという様子で言葉を発した。
「そういえば、あなたたち奇妙な異国風の男を知っておいで?」
「異国風の男、ですか。もしや、真っ白な本を持った隻腕の男のことで?」
「そう、その男よ。実は彼も最近この街に来たのだけれど、いくつか問題を起こしていてね?特に昨日は犯罪者とはいえ街の中で殺生沙汰まで起こしているの」
ヴェリアスカの言葉を聞いて、ワインを楽しんでいたガイムも目を剥く。
「なんと!?こんな平和な街で人殺しですと!?そんな不届き者、この私が成敗いたしましょう!ガハハハ!!」
「あら、さすが騎士様、頼もしいわ。でも、昨日は証拠が不十分で開放してしまったの。そして、彼が今日あの花畑にもいたと聞いたわ。この街を守る領主としては、彼が自由に歩いていることはすごく不安なのよ」
「心中お察しいたします……。我々は調査団であると同時に、この国を守る戦士でもあります。調査の傍らにはなりますが、我々もその男について注意を払うことを約束いたしましょう」
イーデンの言葉を聞いたヴェリアスカは、心底ほっとしたように笑う。
「そう言っていただけると安心ですわ。そうしたら、皆様そろそろ休みになられた方がよろしいんじゃないかしら。夜も更けてきたし、大きな騎士様もお疲れのようですもの、ふふ」
ヴェリアスカの言葉を聞いてイーデンとヒルダが目を向けた先には、大きな身体の割に静かな寝息を立てるガイムの姿があった。どうやら先ほど謎の男について安請け合いをした途端、力尽きて眠ってしまったらしい。
「あー……これはなんともお恥ずかしいところを……お言葉に甘えさせていただいてよろしいですか?」
「ええ、もちろん。今世話の人間を呼ぶわね」
「いえいえ、それには及びません。この男を運ぶのはなかなか力がいることでして」
「私たちは慣れてますから、領主様はお気になさらないでくださいませ。その代わりに、ガイムの寝室に案内いただけると助かります」
ガイムを両脇から支える二人を見て、ヴェリアスカもその通りだと思ったようだ。召使いを呼ぶと、部屋への案内を命じる。
「あ、そうだわ。一つだけ調査の時に気をつけてほしいことがありますの」
「気を付けること?なんでしょうか?」
ガイムに肩を貸しながら広間の出口へと向かうイーデンの背に、ヴェリアスカから声がかけられた。振り向くイーデンに、ヴェリアスカがほほ笑む。
「いえ、別に大したことではないの。調査の時には、できるだけ花を傷つけないでいただけるかしら」
「……理由をお聞きしても?」
ヴェリアスカは微笑みを浮かべたまま答える。
「実はあの花が咲いてから明日でちょうど一周紀になるの。花が咲き始めてから暇があったらあの花を見ているうちに、情が湧いてしまってね?元気に咲かせてあげたいのよ」
「……承知いたしました。ですが、我々の任務には王都に花を持ち帰ることも含まれています。必要最低限の花を持ち帰ってもよろしいでしょうか」
「ええ、それは構わないわ。でも、その時は大事に持ち帰ってあげてね。そう、赤ん坊を抱えるように、優しく、優しくね、ふふ」
そう言い残して、ヴェリアスカは部屋から退出していった、イーデンは一抹の違和感を感じながらそれを見送るが、ヒルダに急かされながら、あてがわれた寝室に向かうのだった。




