異譚~ルーベの恐慌~
ガイネベリアの審問官、ルーベは目の前の隻眼隻腕の男とその後ろに立つこれまた奇妙な男を交互に見て、深いため息をついた。傍から見れば、なにかに呆れたようなその素振りは、見た者の神経をひどく逆撫でするものだ。無論、それはわざとのことであり、ルーベがこうした事情聴取を行う際によく使っている常套手段だった。少し気が強い相手であれば、こうして挑発した後に下手にでれば、ぽろっと口を滑らせることがあるのだ。
ルーベはため息をついた後に、一瞬だけ視線を二人に向ける。だが、その際に確認できた二人の様子は、ルーベの期待を裏切るものだった。長年、こうした尋問に携わっていたルーベの目が、二人の心には何の波風も立っていないことを見抜く。
「……で、もう一回聞くが、本当にあんたらが”這う野狼団”団長のグラズを殺ったっていうんだな?」
「はい、その通りです。街で声を掛けられ、ついていったところ、その”グラズ”とやらと他のならず者たちに囲まれたため、やむ負えず応戦をしました」
ルーベの質問に答えたのは、後ろに控えている方の男だった。確かキールと名乗っているその男は、先ほどから肩に赤い鱗を持つ小竜を乗せて微動だにせず佇んでいる。
ルーベがキールに目を向けると、それを迎え撃つように小竜と目が合った。理性がない獣のはずにも拘らず、そこに知性の光を垣間見たように感じたルーベは、思わずすぐに目を逸らしてしまう。
『いかん、いかんぞ、ルーベ。相手が奇抜だからといって呑まれるな。ここは審問室、ここはお前の独壇場だ』
「やむ負えず応戦、というがな、現場を確認した騎士たちが言うには、そういった状況ではなかったようだぞ?」
ルーベは手元にある紙束を捲りながらそう言うと、これ見よがしにその紙束を机の上に広げる。
「現場の死体は十一体。どれも”這う野狼団”の団員たちのようだが、妙なことにこいつらの死因は様々でな」
そう言うと、ルーベは机に広げた紙束の中から一枚をつまみ上げた。
「例えばここに書かれた内容だが……剣で斬られたような斬首体に、長槍と思われる武器に心臓を一突きにされた死体、さらには矢で頭部を射抜かれた死体に、喉元を噛み千切られたような跡があるのもいたようだ。これをあんたらだけでやったと?」
「……はい。武器を持っていたことが幸いでした」
「そんなわけないだろう!!」
キールの返事にかぶせるように、ルーベは机を殴りつけた。部屋の中に、ルーベの怒鳴り声と打撃音が反響する。拳の痺れに耐えながらルーベは男とキールを睨みつけるが、やはり二人の表情は先ほどと変わらない。というより、ルーベから見ても二人の神経の図太さは異常だった。こうした密室に閉じ込められれば、たとえ負い目が全くなくとも多少不安な気持ちになるのが人間というものだ。
だが、この二人は違う。百歩譲って隻腕の男の方はまだいい。こいつのような、飄々とした、だがどこかでこちらを見下すような顔をするものは時折いる。そういう奴はたいてい世間を知らないか、どうせ何もお咎めなく解放されると思っている勘違い野郎なのだが、それはこの際置いておこう。
だが、その後ろに立つキールという男は、ルーベの目にはすでに人間に見えていなかった。このキールは、間違いなくルーベがこの部屋に入ってからの二時間もの間、一度も表情を動かしていないと思われた。
確かに、こちらに弱みを見せないために無表情を貫こうとする人間は時々いる。だが、キールの場合は表情が動いていないだけではない。長年審問を行ってきたルーベは、キールの感情が審問の間にまったく動いていないことを察していた。動かないどころではなく、キールにはその感情が波打つ兆候すら見抜けなかった。こんなことは二十年を審問官として捧げてきたルーベをして初めてのことであり、その現実離れした事実に薄ら寒ささえ覚えるほどである。
怒鳴り声の余韻の中にごまかすようにルーベが逡巡していると、隻腕の男がキールと名乗る召使いに耳打ちをした。審問室は狭いため、たとえ耳打ちをしたとしてもその声はルーベに届く。が、ルーベは男が喋った言葉の意味を理解することはできなかった。どうやら、事前に聞いていた通り、男が異国の出身であるということは事実らしい。
「我が主はそろそろここをお暇したいと仰っています。もし何かの問題があるならば、グラズ氏の懸賞金は必要ないとのことです」
「……なに?」
キールの言葉を聞いたルーベは、睨めつけるように男を見るが、男は相変わらずさも余裕ありなんといった表情を浮かべたままだ。
「……よかろう。だが、その前にあんたらに一つ聞かなければならんことがある」
ルーベはとうとう最終手段に出ることに決めた。腰に下げていた小綺麗な巾着袋を手に持つと、それを二人に見せつけるようにして机の上に置く。そこで初めて男の表情が変わったように感じたが、ルーベは気にせずに言葉を続ける。
「実は俺の親父殿も審問官でな。だが、親父殿の相手はこんな街のごろつきどもとは比較にならんクズばかりだった」
巾着袋の大きさはちょうど手のひらにすっぽりと収まるほど。ルーベは喋りながら、袋の口をゆっくりと開く。
「だから、親父殿のやり方はここよりもずっと荒っぽくてな。子供のころその話を聞くたびに、恐ろしくて震えたもんだったよ」
開いた巾着袋の口にルーベは手を突っ込んだ。袋の大きさはルーベの手が入ってしまえばいっぱいになる程度のはずなのに、ルーベはまるで袋の中を探るようにして手を動かす。
「そん時は親父殿の仕事は恐ろしいもんだと思ってたが、何の因果かこの俺も気づけば審問官に仲間入りだ。で、俺が審問官になった時に親父殿がとあるものを餞別にくれたんだ。『これを使う日が来ないことを祈る』なんて言ってたが、残念なことにしょっちゅう世話になってる」
言葉を切ったルーベは、巾着袋の中から何かを握った手を抜きだした。手に握られたなにかは巾着袋の大きさを優に超えるものであるにも拘わらず、まるで手品のようにその全体をあらわにしていく。
「中でもこいつは俺のお気に入りで……」
そう言いながら隻腕の男の顔を見た瞬間だった。いつの間にかそこに現れていた壮絶な笑みを視認した瞬間、ルーベは悲鳴の代わりに咄嗟に息を短く吸う。そして反射的に、手に握っていた手斧を振り上げた。身の危険を感じたわけではない、ただ突然沸き上がった嫌悪感によって、その一瞬後には男の頭めがけて斧が振り下ろされていただろう。
だが、審問室に響いた扉を叩く音が、ルーベを我に返らせた。体中から溢れる冷や汗を感じながら斧を下ろしたルーベは、その場から後ずさりをすると扉を小さく開ける。
「……ど、どうした。今は審問の途中だ」
「は!それが、領主様がお話があると……」
「……俺にか?」
頷く従騎士を見て、ルーベは考える。だが、気味の悪い不審者と領主からの呼び出しのどちらをとるかなど、比べるまでもなかった、
「分かった。少し席を外すから、お前は審問室を見張っていろ」
従騎士に指示を出したルーベは審問室を出て廊下にでる。廊下を少し歩いた先に、ルーベを呼び出した張本人が立っていた。
「お待たせしました、領主様。私にお話があると」
「ええ、その通りよ。あなた、今男二人を審問しているでしょう?」
「……?はい、その通りですが」
意図の読めない質問に、ルーベは思わず領主―ヴェリアスカ―の顔を見返す。ヴェリアスカはその吸い込まれそうに黒い瞳を瞬かせて口を開いた。
「話を聞いたらあのグラズを仕留めたらしいじゃない。さぞ強いんでしょうね?」
「……それが審問をする限り、あの二人だけで”這う野狼団”を殲滅したとは思えないのです。もうしばしお時間をいただければ、必ずや真相を吐かせてみせますので」
「ふーん……」
その言葉を聞いたヴェリアスカは、なぜかその場で何やら考え始めた。そして、その様子を窺うルーベに信じられない言葉を言い放つ。
「分かったわ。ルーベ、彼らを帰してあげなさい」
「……は?」
目を丸くするルーベに、ヴェリアスカはさらに言葉を続ける。
「だから、彼らを帰すのよ。あの厄介だったグラズの問題を片付けてくれたんだから、何も問題はないでしょう?ちゃんと懸賞金も渡してね」
「しょ、少々お待ちを。確かにグラズを倒したのは彼らでしょうが、その方法がまだ明らかになっていないですし、それに彼らは昨日この街に来たばかりで……」
「それなら猶更よ。『来たるものは迎えるべし』、この街の主義を忘れたの?」
「た、確かにそうですが……」
ヴェリアスカの言うように、このガイネベリアでは外からの来訪者を可能な限りもてなすこととしている。身分を証明するすべを持たないキールたちが、少しの取り調べで街には入れたのもそれが要因になったことが大きかった。だが、そのせいで街に歓迎されない者が入ることもある。グラズはまさにその典型であり、少し前に街に入ってすぐにもともと街にいた育ちが悪い人間をを集めて悪さをし始めたことは、彼らの目下の悩みだったのだ。
ただのごろつき集団であれば、領主を守る騎士団で討伐すればよいのだが、グラズが持つ【震血鉄槌】はこの辺りでは滅多に見ないほどの魔具であり、うかつに騎士団も手を出せなかった。そのため、これまではその動向を警戒しながら静観していたのである。
そのグラズを倒すなど、おそらく彼らは並みの強さではない。なのにその戦闘跡は不可解な点ばかりで、さらにはグラズが持っていたはずの【震血鉄槌】も見つかっていないのだ。あの男たちがどこかに隠していることは間違いなく、それを回収するのは自分たちの責務である。ルーベは必死にそう説くが、ヴェリアスカの意志は変わらなかった。それどころか、ルーベにこれ以上の男たちの調査を禁じると命じさえした。
「……承知いたしました……すぐに彼らを解放いたします」
納得いかない、その気持ちをありありと表情に浮かべながら、ルーベはその言葉をひねり出した。ヴェリアスカはそんなルーベを見て微笑を浮かべる。
「ありがとね、ルーベ。あなたのその真面目さにはいつも助けられるわ。でも、私が間違ったことを指示したことがあって?」
「それはそうですが……いえ、領主様の仰せのままに」
「分かってくれて嬉しいわ。そしたら、あとはよろしくね?旅人さんたちには、くれぐれも丁寧に対応するように」
現領主との十年間の付き合いを思い返したルーベは、最後にはヴェリアスカの言葉に頷いた。ルーベはヴェリアスカに軽く礼をすると、踵を返して審問室へと戻っていく。
ヴェリアスカはその後姿を眺めながら、いやに艶めかしい笑みを浮かべた。その笑みを見たらルーベは己の判断に迷いを抱いただろう。だが、ルーベは振り向くことなく歩みを進める。
「顔が気になるけど、今はやめておきましょうか。きっとすぐ会えるわ。だって”お母様”が気になさるような人ですものね。ふふ……」
そして、その笑みから漏れ出た呟きも、ルーベの耳に届くことはなかった。




