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異譚~フリントの不安~

『汝、誰が為に剣を振るい、盾を掲げるか』


「誰のためにって言われてもねえ……。思いつかねえもんは思いつかねえよなあ」


 従騎士のフリントは最近生え始めたあごひげをなでながら、いつものように青空を見上げた。青く澄んだ空にはそれほど大きくはない雲が三つほど浮かんでおり、フリントが眺めている間にゆっくりと防壁から離れていく。フリントはその雲をぼんやりと目で追うが、彼の脳内の大部分を占めているのは数日後に迫った”叙任の儀”についてだった。


「どうしたもんかねえ。どっかに亡国の姫様でも落ちてねえかなあ」


 ”叙任の儀”を済ませれば、十歳の頃から従騎士として働いてきたフリントも、ようやく一人前の騎士として認められることとなる。それ自体は大変喜ばしいことなのだが、彼を悩ませているのはその際に必ず問いかけられるとある質問だった。


 フリントが今立っている防壁に囲まれた都市、”ガイネベリア”で行われる”叙任の儀”は少々変わっており、叙任のために誓いを捧げる相手を二人選ぶことになる。

 二人のうちの一人は慣習上、ガイネベリア領主となるのだが、ガイネベリア領主に捧げるのは、騎士が持つ剣と盾のうちの盾のみとなる。これはガイネベリア自体が領地の外に攻めだすことはなく、その武力を防衛のみに使うという古来からの意思表示のためだ。

 そしてもう片方の剣は、従者自身が剣を振るってでも守ると誓う相手に捧げるのだ。もちろん盾と同じように剣も領主に捧げることもできる。だが、領主自身がそれを推奨していないため、ほとんどの従者は親兄弟や愛する相手に剣を捧げるのだ。


 そういった理由もあって、時折フリントのような剣を捧げる相手を探すような従騎士が現れるのである。フリントの両親は彼が物心つく頃に流行り病で亡くなってしまっていた。そのままであれば路頭に迷って道を違えるしかなかった彼を引き取ってくれたのが、両親の知人で当時から騎士として領地に尽くしていた義父だった。その義父の影響もあり、十歳になると同時に従者となったフリントは必死に働いたのだ。

 その甲斐あって考えうる限り最短で”叙任の儀”を受けることとなったフリントだったが、義父はそれを見届けることなく亡くなってしまった。苦しむこともなく、家族に囲まれながら息を引き取ったのが彼にとっては救いであったが、義父がいなくなったことでフリントの親しい人はいなくなってしまった。

 義母はまだ存命なのだが、養子となった彼のことをあまりよく思っていなかったらしく、今更剣を捧げようという気にはならない。それに従者として働いていたせいで恋人を作る時間などなかった。


「やっぱ領主様しかいねえかなあ。でもあんま好みじゃねえんだよなあ」


 今代の領主は妙齢の女性なのだが、何度か彼女を目にしていたフリントは妙に彼女に苦手意識を持っていた。それを自覚したのは従者となった時に初めて領主の顔を見た時だったのだが、その黒々とした大きな双眸を正面から見たときに、瞳の中に吸い込まれるような不気味さを感じたのを覚えている。

 子供らしく怯えた自分を、義父が励ましてくれたものだ。そうして思い出に浸っていたフリントの耳が、鎧同士が擦れあう際に響く聞きなれた歩行音を捉える。


「ああ、もう交代の時間か。おーい、待ちくたびれた……って、ありゃあなんだ?」


 交代の従者に声をかけようとしたフリントだったが、その目に防壁の外からこちらに向かってくるなにかが映った。それは彼が立つ南側の防壁の外に広がる、【無辜の丘】と呼ばれる草原をこちらに向かってきている。まだ距離は遠いものの、彼の優れた視力は近づく何かの正体を見極めることができた。


「あれは……馬車か?」


 フリントの目がまず捉えたのは、箱型の何かを引く鎧を着た二頭の馬だった。義父の家でも見たことがない、専用の全身鎧を身に着けた馬たちは、よどみない足取りで背につながれた馬車を引いている。馬車はそれほど大きくはないが、幌によって囲われているため、中の様子を見通すことはできない。

 だが、フリントはその何の変哲もない場所を見て違和感を感じた。少しの逡巡の後、その違和感の正体に気づく。


「御者はどこだ?」


 そう、その場者には御者が乗っておらず、馬車を引く馬は何の指示もされていないはずなのに前へと進んでいるのだ。そのことに気づいて訝しむフリントだったが、その間にも御者が乗っていない馬車は防壁に向かってきており、あと十数分もすればこの防壁の下にたどり着くだろう。


「よお、フリント。さぼりの時間は終わり……ってどうした?」


「オブクス、あの馬車が見えるか?」


 交代のためにやってきたオブクスは、フリントより年は上だが、従騎士となってからはまだ日が浅い浅黒肌の男だ。フリントが指さす方向を向いて目を細めたオブクスは、すぐにその正体に気づいた。


「ありゃあ、馬車だな。だが御者も乗ってねえし、なによりなんであっち・・・から来たんだ?道にでも迷ったってのか?」


「そうなんだ。【無辜の丘】の先には、広い荒れ地しかないんだろう?今まで【無辜の丘】から外の旅人が来たなんて聞いたこともない」


 フリントの問いかけに頷いたオブクスは、少し考えこんだ後に口を開く。


「よし、フリント。とりあえず下に降りて馬車を待っていてくれるか?俺は一度詰所に戻って騎士を何人か連れてくる。小言は言われるかもしれないが、なんとかなるだろ」


「……分かった。できるだけ早めに頼む」


「おう。まあ、別に何か起きるとは思わんがな。ガハハハ」


 フリントを元気づけるように笑ったオブクスは、来た道を引き返して防壁の内部に作られた階段を下っていく。彼を見送ってから、フリントも別の階段から防壁を降りた。

 防壁に設置された入り口に向かう道中、フリントは向かってきている馬車の持ち主について考えをめぐらす。先ほどオブクスに言ったように、ガイネベリアでは【無辜の丘】の向こうには何もない荒れ地が広がっているだけで、いくら進めども何もない、と言われている。フリント自身は街から出たことがないのでそれが本当なのかは分からないが、領主の命令で何回か行っている遠征でも、どれほど兵糧を用意しても何も見つけることができずに戻ってくるだけだという。

 そのため、【無辜の丘】の向こうからやってくる旅人などこれまで皆無であり、【無辜の丘】に面する防壁の見張りは常に従騎士一人なのだ。大した仕事もなく、従騎士たちの間では当たりと言われる持ち場だったのだが、やれやれ面倒なタイミングに当たってしまったな、とフリントは一人肩を落とした。


 防壁の下にたどり着いたフリントは、馬車などを通すための入り口の横に作られている通用口を開けた。馬車のスピードはフリントが思っていたよりも早かったようで、もう少ししたら馬車はフリントのもとにたどり着くだろう。

 その時、初めてフリントの胸の中に不安が生まれた。こちらに向かってきているのは身元不明の馬車だ。その中にはどんな人物がいるのか分からないし、突然こちらに斬りかかってくるかもしれない。馬車が街に入る際に行う確認の手順は知っているのだが、それは通常こことは逆の北側の防壁入り口で行われているものであり、実際にフリントはその対応をしたことはなかった。

 やはり戻って騎士の到着を待った方がいいだろうか。そう迷っているうちに、馬車が防壁のすぐそばまで来てしまった。それに気づいたフリントは、覚悟を決めて声を張り上げる。


「そこの馬車!停まれ!身元を確認するゆえ、下りてこい!」


 フリントが指示をするや否や、馬車はゆっくりとその場に停止した。少しの沈黙の後、馬車の扉が開き、中から一人の男が下りてくる。

 フリントはその男、というより男の肩に乗った何かを見てギョッと目を見開いた。


「ま、待て!止まれ、そこの男!か、肩に乗っているそれは何だ!」


「……」


 男の肩に乗っているのは真っ赤な鱗を体中に生やしたトカゲのような生き物だった。フリントが見たことがないその生き物は、まるでフリントの言葉に応えるようにして背に備わった小さな羽を広げた。


「ち、近づくな!そのままそこに……」


「兵士さん、あなたの指示に従いましょう。ですが我々は街に入りたいだけなのです。どうか、我々に安全な寝床と食事を恵んでいただけないでしょうか」


 赤いトカゲを肩に乗せた男が、フリントに向けて懇願するように口を開いた。じっと自分を見つめる男とトカゲの視線にたじろぎながらも、フリントは少しずつ馬車に近づく。


「おい、そのトカゲは魔物か?き、危険なものではないだろうな!」


「……ご安心ください。この小竜は勝手に人を襲ったりなどしません。それにほら、ちゃんと首輪もつないでいますから」


 そう言って男が挙げた右の手首には鎖がつながった鉄の輪がつけられており、その鎖の先端は小竜の首輪につながっている。フリントが用心深く確認する限り、首輪と鎖はすぐに切れるようなことはなさそうだ。

 それを確認したフリントはようやく、ほんの少し気が楽になった。フリントは男と小竜を視界に入れたまま、馬車の確認をする。


「よ、よし……。お前、一体どこから来た?【無辜の丘】の向こうから、御者も乗せずに何しに来たのだ?」


 馬車と小竜の間を忙しなく行き来するフリントの目線に何かを思ったのか、男は少し考えこんでから答えた。


「【無辜の丘】、というのがどこなのかよく分かりませんが、我々はあちらにある名もない集落からやってまいりました。目的と言いますと……行商が近いでしょうか。特段価値があるものを持っているわけではないですが、いくつかのものを売って路銀を頂戴できればと思います」


「あちらということは、やはり【無辜の丘】の向こうから来たのか。集落、ということは身分を確認できるものは持っていないな?」


 その問いに頷く男を見て、フリントはしばし考える。身分を確認できない人間を街に入れる場合は、騎士の同伴の元、監視所で聞き取りをする決まりとなっている。その際にはまずは馬車などの検分を行うことになっているため、それを先にしてしまおうと決めた。


「よし、それならばここで馬車の検分を行う。邪魔をするぞ」


「あ、待って……」


 男が制止の声を上げる前に、フリントは馬車の扉を開けた。そのまま乗り込もうとするが、その前に馬車の中にいた何者かと目が合う。


「……おい、そこの男。名前と身分を言え」


「……」


 馬車の奥に座っていたもう一人の男を見て、フリントは警戒のレベルを一段階上げた。男の左目には眼帯が巻かれ、さらにその左腕は肩口から切断されているようだ。明らかに堅気ではないその風情に、無意識のうちにフリントの右手が腰に下げられた剣の柄へと向かう。


「聞こえているだろう!名を名乗れ!」


「……」


「貴様、名を……!」


「お待ちください、騎士様。我が主は異国の出身故、言葉を解することができないのです」


「……異国の出身だと?」


 確かに、男の容姿の特徴はフリントや街の人間とは違うように思われた。フリントは剣から手を放すが、まだ警戒は解かないまま馬車の中の男を見つめた。中の男は、その視線から目を逸らすこともなく真っ向からフリントを見返している。少しの沈黙の後、フリントが防壁の方に視線を移すと、通用口から二人の騎士とオブクスが出てきたことに気づく。

 それを見てフリントはヒュウ、と息を吸い込んだ。これでようやくこの奇妙な一団から解放される。今日はこの後非番なので、酒でも飲みに行こうかという考えが頭を巡る。

 いつの間にかかいていた冷や汗と、その冷や汗の原因から逃れるように、フリントはオブクスたちの方に歩き出した。

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