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異譚~???の喪失~

 彼の最初の記憶は、緑色の液体が口に流れ込んでくる際に感じる奇妙な味と自分を覗き込む無機質なだった。目覚めた当初は、何人かいる世話人たちが”感情”と呼ぶなにかは彼には備わっていなかった。彼が最初にそれを認識したのは、どこからか施設に迷い込んできた一匹の青虫を目にした時だ。

 そのころには、自分の世話人も一日に数度給仕に来るだけだったので、日がな一日青虫を眺めていた。世話人たちも彼のその様子は知っていたが、特に何か言うこともなく半ば放置するような形で静観することにしたようだった。その代わりに世話人たちは彼の質問にはなんでも答えてくれた。それが”虫”であること、さらには彼がいる世界の外には数えきれないほどの”虫”が存在していることを教えてくれたのも世話人たちだった。


 ある日、彼がいつものように青虫を眺めていると、彼の目の前で青虫は口から糸のようなものを出して作った部屋の中に閉じこもってしまった。だが、他にやることもなく、何より胸の中から込み上げてくる何かに後押しされて、彼はやはり青虫を眺め続ける。

 変化が起きたのは、それから世話人が二十回ほど部屋を訪れた後だった。それまでピクリとも動かなかった小さな糸の部屋が内側から何かに押され、ゆっくりと亀裂が入る。その亀裂から現れたのは、中にいた青虫とは全く異なる色鮮やかな何かであった。その何かは、小さく身震いをしたかと思うと、ゆっくりと彼の目の前で羽ばたいた。

 彼の目の前で、羽化したばかりの小さな蝶がひらひらと頼りなさげに舞う。彼はそれを目で追い、さらにその後を追い始めた。これまで世話人か与えられた部屋から出ようなどとすら考えなったにも拘らず、蝶に導かれるようにして彼は部屋から出て施設の中を進んだ。

 いったいどれほどの時間歩いたかは分からない。だが、彼が気づいたときには、頭上にはこれまで常にあった白い天井はなく、彼が考えたこともないような広い空間が広がっていた。蝶は呪縛から解き放たれたようにどこまでも澄んだ青空へと消えていく。


 そうして”世界”という新たな概念を知った彼は、施設には戻らずに身一つの旅を始めた。幸い、彼の足は地面を踏みしめるのに十分な硬さを持っていたし、その気になれば補給をしなくてもかなり長い期間活動することができる。あてもなく歩き続けているうちに周囲の景観も変わってきたが、そんなことも気にせず彼は歩き続けた。


 だが、とある場所に足を踏み入れた時、その状況は一変した。初めて自分に向けられた明確な敵意と攻撃に対し、あまりにも彼は無力でそこから逃げ出すしかない。損傷を追い、それでも追ってくる敵から逃れようと彼が逃げ込んだのは、煙と腐臭立ち込める荒れ果てた渓谷だった。もともと渓谷に存在している敵もいるが、彼にとって何よりも恐ろしいのは背後から自分を追う存在だ。

 無我夢中で渓谷の奥へ奥へと進む彼の体は、追っ手を撒いたころにはすでに満身創痍で、前に進むのも一苦労といった有様だ。やがて最奥に至ったところで、とうとう彼は力尽きる。立とうとしても立てないという初めての経験に戸惑っていると、彼の耳が何かの音を捉えた。それが久方ぶりに聞いた”世話人たち”の声であることに、一瞬遅れて気づく。


「まったく、思わぬ損害だ!【エスカ軍式自動剣歩兵人形】二体と【時森の怪軽兵】五体が壊されるとはな!」


 残った僅かな力で声の方向に顔を向けると、一人の男が巨大な肉塊の前で何かを喚いているかのが見えた。男はひとしきり喚き散らすと気が済んだのか、肉塊に向けて手を伸ばす。すると、一瞬のうちに、肉塊が忽然とその場から消え失せた。

 そのことに彼が驚いていると、突然その男と目が合う。こちらの存在に気づいた男が動く木像のようなにかを引き連れて近づいてくるが、彼にできることは大人しくそこで地面に伏していることだけだ。やがて、男はあと数歩で彼の目の前に辿りつくほど近づいてきた。その場で男は立ち止り、言葉を発しようと口を開く。

 が、男が言葉を発するより早く、男の背後、すなわち彼の前方に、巨大な何かが舞い降りた。地が揺れたかと思うほどの轟音と共に空から突如現れたのは、男が見上げるほどのサイズの巨大な金属塊だ。円盤に四本の平べったい帯のような長い足を取り付けた形のその機械は、円盤に取り付けられたモノアイを赤く光らせて、男あるいは地に伏せた彼に相対する。


 男はすぐに振り返ると、手に持っていた本を開き何かを呟いた。すると、男の前方の空間がゆがみ、そこに金属の全身鎧と歪な形をした人型の兵士たちが計六体現れる。さらに男の手にはいつの間にか杖と蛇のような文様があしらわれた盾が握られていた。男は手に握られた杖を掲げて叫ぶ。


「【叫骨】!」


 彼の目の前で杖から幾条もの骨が飛び出し、機械の足の一本に絡みつく。おそらくは機械の動きを止めようとしたのだろうが、機械は難なく骨の束を引きちぎると、もう片方の前脚に当たる足を振り上げた。その質量のままに足を男に叩きつけようとするが、その一撃は先ほどから男を囲っている光の壁に弾かれる。

 あの光の壁がある限り男は安全なように思われたが、機械の足と光の壁が激突した瞬間、男の横に立つ女型の木像が苦しそうに身をよじらせる。今は攻撃を防げているが、それもいつまで持つか分からないだろう。

 男もそれに気づいたようで、続けざまに杖を振るい、中空に半透明の巨大な手を作り出した。さらに先ほど現れた鎧たちも機械の足に向かって攻撃を加える。


 巨大な手により機械の動きを止め、その隙に兵士たちの剣や矢で攻撃を加えるが、機械の頑強さゆえに金属同士がぶつかる硬質な音を響かせるばかりだ。現に足にとりついていた三体の金属鎧は、機械が足を横に振るっただけで投げ飛ばされてしまった。半透明の手による拘束も、機械が身を揺らすと崩れるように消えてしまう。戦闘など目にしたことがない彼の眼をもってしても、機械の力は圧倒的に見えた。


「……こいつはえらく強敵と見えるな。どうしたものか」


 再び振り上げられる足を見上げる彼の耳に、男の呟き声が届いた。無力感に包まれた彼はその足を見ていることしかできなかったが、その足が振り下ろされるより先に、機械の姿勢が大きく揺らぐ。その原因は彼らから見て後ろ脚に当たる一本の足にあった。その足の傍にはひときわ大きい全身鎧が立っており、全身鎧が握ったこれまた巨大な大剣が機械の足を半ばまで食い込んでいたのだ。

 全身鎧が今度こそ足を断ち切ろうと大剣を振り上げるが、機械も身の危険を察したのか、注意を彼らから巨大な全身鎧に移したようだ。他の足で自らに傷を負わせた敵を踏みつけようとするが、他の兵士たちと違い、手に持っていた大剣でその攻撃を受け止める。その質量の差から大きく後ろに下がったものの、動きに支障は出ていないようだ。


 態勢を整えた金属鎧が再び機械に肉薄しようとするが、それよりも先に機械の円盤部分の一部が開いた。そこから三つの鎖付き鉄球が現ると、それらがひとりでに円を描くように空を切りながら敵、すなわち金属鎧や男たちを襲う。

 その衝撃は足による踏み付けの比ではないようで、金属鎧は剣で攻撃を防いでいるが受けるので精いっぱいのようだ。それを見た男は光の壁で攻撃を受けきるのは無理だと判断したのだろう。男が手をかざした先に、これまた巨大な肉と骨が合わさった肉壁ともいうべき何かが出現し、鉄球の攻撃を受け止めた。その威力により肉と骨が周囲に飛び散るが、肉壁は鉄球を埋め込んだまま見る見るうちにその体積を回復させていく。

 男も意図したものではなかったと思われたが、鉄球が肉壁に取り込まれたことにより機械の動きが妨げられた。また、同じ個所から伸びた鎖のために鉄球の動きも制限され、それにより全身鎧への攻撃も一時的に途絶える。


「おっと、これはチャンスだな。【叫骨】、【影手】。お前も【恵木】で奴の動きを止めろ」


 綱のような骨と半透明の手、さらに地中から現れた太い木の根により機械が雁字搦めに拘束される。さすがの機械の馬力でもすぐにその拘束から逃れることはできないようで、その隙に全身鎧によって鉄球の鎖と先ほど半ばまで切られた一本の足が切断された。さらに、他の兵士たちによりもう一本の鎖も切られ、円盤部分の位置が傾ぐようにして低くなる。

 そうしてようやく手が届くようになった弱点と思われる部位に、彼らの中でも大柄なハルバードを持った兵士がそれを叩きつける。ちょうどモノアイに食い込むことになったその一撃は、機械にとっても痛手だったようだ。激しく身を震わせて外敵を引き離そうとするが、脚を一本失った状態ではその動きも精彩を欠いたものになっている。

 むしろ時間が立つごとに強くなる拘束から逃れられないまま、それほど時間も経たないうちに地に伏せた機械の頭部(?)に金属鎧の大剣が突き立てられた。それと同時に機械から歯車がきしむような甲高い音が鳴り響き、その動きが止まった。


「ふう……なんとかなったか。まったく想定外というのは重なる……」


 男がそう言って機械の方向に踏み出した瞬間だった。完全に停止したと思われた機械の足が突如天を指し、男の方向に振り下ろされる。

 突然の敵の襲来とそれの対処、そして自身が敵から十分な距離をとり光の壁に守られた状態だったことが、男の中に完全な油断を生んでいたのだろう。そのままであれば男には到底届かないはずの一撃は、機械の足の蛇腹のような関節が伸び、さらにその先端から人の身ほどもある刃が現れたことにより、男を攻撃圏内に捉えていた。


「な……」


 突然の自分への攻撃に男は身をかわすこともできない。辛うじて左手に握っていた盾を掲げるが、光の壁を薄いガラスのように切り裂くその斬撃の前では、何の抵抗にもならなかった。


「があああああああ!!!」


 男と機械の距離が攻撃範囲ギリギリだったことが幸いし、男の身体が縦に両断されることはなかった。だが、その代わりに斬撃を防ごうとした左腕が盾ごと宙を舞い、ちょうど斬撃の延長線上にあった左目が切り裂かれる。


「ぐあっ……!ぐっ……くそ……」


 男は自らに攻撃を加えた機械に残った右手を伸ばしながら地に倒れた。男の隣にいた木像や全身鎧が慌てた様子で男に駆け寄る。だが、未だ地に倒れた彼にできることは、やはりその場でそれを見守ることだけなのだった。


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