八十四ページ目
早速"生じる岩壺"の中へと侵入……と行きたいところだが、その前にまず身なりの準備からしなければならない。 ここに至るまでに多くの警備兵がいたのに、魔境の中には一人も兵士がいない、というのは考えづらいだろう。土にまみれた労働者のなかに四人だけイヤに小綺麗な子供連れが混ざっては目立つことこの上ない。幸い、労働者たちが着ているずた袋より幾分かマシ程度の作業着が入口付近に山積みに置かれていたため、透明になっている間に人数分確保してある。今のうちにこれに着替えて、目立たないようにしておこう。
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【労働者の褪せ服(上)】を収集しました
【労働者の褪せ服(下)】を収集しました
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全書に収納できたということは、この服は労働者たちに無償で支給されているものらしい。粗雑な作りの服は通気性が非常に素晴らしく、肌を隠す程度の機能しかないが、重労働に明け暮れる労働者にとってはそれがちょうどいいのだろう。ただ、当然耐久性は望むべくもなく、もしこれで魔物と戦うことになれば裸も同然の防御力しかない。
とはいえ、それは労働者たちが魔物と戦うような状況に置かれていないことの裏返しとも考えられる。魔物が現れるほどの深層まで行けば労働者や警備兵の目を逃れられることを考慮すれば、服装に関してはさして問題にならなさそうだ。
準備も済んだのでいよいよ下へ降りるためのスロープに足を踏み入れる。やはり予想どおり警備兵の姿がちらほら見えるが、入口ほど熱心に見張っているわけではないので、そこらに転がっていたつるはしやシャベルを抱えて俯きながら歩いていれば、声をかけられることはなかった。連れている三人の孤児たちが目立ってしまうことも心配していたのだが、労働者の中にはそこそこの割合で子供が混ざっていたため、それもいらぬ心配となった。孤児たちからはある程度の年齢にならないと労働者として駆り出されることはないと聞いていたが、そのような決まりはもともと存在しないか、建前上だけの話らしい。
この場で目立つわけにはいかないので鉄の意思でもって全書に伸びそうになる手を押し止めているが、労働者たちがつるはしを振るう度に、なんらかの鉱石や結晶が地面に転がっていくのが見える。外から見たときは気づかなかったが、"生じる岩壺"の表面は【グレル岩】が大部分を占めるものの、そこに埋没するかたちで多様な鉱石が存在しているらしい。つるはしで表面を崩さなくても目視できる鉱石も多く、採掘を行うのにはそれほど労力はいらないようだ。
しかし、だからといって全く疲労がたまらないということはなく、恐らくは毎日休みなく働き続けている労働者たちは一様に疲れきっており、手に持つ採掘道具に逆に振り回されている者も多い。"被る食辺"では労働の結果手に入るのが食料だったため、労働者たちは食い物に困っている様子はなかったが、こちらで働いている労働者たちは明らかに十分な食事と休息が与えられていなかった。これでは生産性などあったものではない。それを見る警備兵たちはなにもしようとしないため、これがこの魔境の日常なのだろうが、息を切らせながら痩せ細った身体で壁を掘り続ける労働者たちの姿は、見ていて同情の念が湧くほど悲惨なものだった。
それを見る孤児たちもなにか言いたげな表情を浮かべるが、だからといって今できることはなにもない。早々に割りきって、先へ進む足を早める。怪しまれないよう、時折適度に採掘をしたり手に入れた鉱石を背負った網籠に放り込んだりしながららせん状の通路を下っていくと、次第に周りで作業をしている労働者や警備兵の数が減ってくる。そしてついには、遠くから採掘音がするだけの無人の空間にたどり着いた。まだ目を細めれば上層で働く人影を見ることができるが、おあつらえ向きに近くの壁に奥に通じていそうな横穴が開いているため、そこに入れば完全に他人の目を逃れることができそうだ。
いそいそと穴の中に進み、四人揃って装備を付け替える。義手と義足をそれぞれ戦闘用の物に交換し、子供たちには防具として前にも貸し与えた【若肉の皮鎧】を、武器として男児二人には【緑森兵の樹小刀】を渡しておく。ハイニアには得意の魔術を生かしてもらうため、使用者の魔術起動を助ける効果がある【琥珀魔杖】を使ってもらおう。今回彼らに渡した武器はコレクションの中でもそれほど貴重なものではないが、戦いに慣れていない子供たちに強力な武器を渡しても自滅につながる危険性もあるし、そこまでいかなくとも武器に振り回されるような真似になっては彼らのためにならない。少なくとも今回の探索の間くらいは、この程度の武器が彼らの実力にちょうどいいだろう。
準備も完了したので、いよいよ本格的に魔境の探索を行うことができる。さしあたり見える限りの横穴の先には動くものは何もないが、ここは常識の通用しない魔境の中だ。わずかな油断が命取りになることを子供たちに念入りに伝えてから、横穴の先へ進む。壁にはところどころ淡く発光する水晶が埋まっており、そのおかげで薄暗くはあるが視界の確保は可能だ。以前に”轟く鉄滝”を訪れた際に様々な種類の水晶を手に入れたが、自然に光を放つものは見たことがなかった。
ようやく人目をはばからずに収集ができると喜び勇んで水晶に駆け寄ったその時だった。トニトルたちの警告の声とほぼ同時に頭上の岩盤がひとりでに剥がれ、真っ逆さまに落ちてくる。ギリギリのところで気づき、左腕に装着していた【赤水の石義手】で岩盤を殴りつけると、小規模の爆発と同時に岩が砕け散った。
……降り注ぐ瓦礫の先で、子供たちの何とも言えないジト目と目が合うが、きっと彼らにとってもいい教訓になったことだろう。他者の失敗から反省点を探すことも、大人へと成長するためには必要なことだ。
気を取り直して水晶と天井から落ちてきた岩の破片を回収する。おそらくただの岩ではないとあたりを付けていたのだが、やはりそれは予想通りだった。
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【火光晶】を収集しました
【ずれる岩板の外縁石】を収集しました
【ずれる岩板の内覚石】を収集しました
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これまでも周囲の環境に擬態する魔物は何種類か見てきたが、この"ずれる岩板"の擬態はその中でも随一だったように思う。一度見たとしても擬態したままの魔物を見つけ出すのは至難の業だと思われたため、ここからは【追いたてる赤鉄兵】を先導させることにする。【追いたてる赤鉄兵】は機獣の部品を使って生成した人型の進精魂機だ。全身が金属でできているため、岩が落ちてくる程度の衝撃で壊れることはないだろう。
初めて見るゴーレムを前にして目を輝かせているトニトルとニックを適当にあしらいつつ、気を取り直して横穴を進む。穴の幅は四人で横に並んでいても余裕があるほどに広く、戦うためのスペースを心配する必要はない。壁に埋まる鉱石を回収したり、時折現れる魔物を三人に相手させたりしていると、自然にいくつかの物品が手に入った。
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【熱鉄の原石】を収集しました
【冷鉄の原石】を収集しました
【擦る堀蟲の甲殻】を収集しました
【擦る堀蟲の土牙】を収集しました
【呑む泥腕の片腕】を収集しました
【呑む泥腕の岩爪】を収集しました
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どうやら横穴と思っていたこの空間は、"生じる岩壺"の外側に張り巡らされた坑道のような造りになっているらしく、入り組んだ道を進んでいると、再び縦穴に面した通路に出た。そこは上層部に存在したらせん通路とはつながっておらず、ここから下に進むには壁の中にある坑道とらせん通路を行き来する必要があるようだ。まるで立体的な迷路のような構造だが、今回はしっかりと探索のための時間を確保している。もともと相当の時間がかかると見込んだうえでの挑戦なので、今更焦ることもない。
ここまでで遭遇した魔物の処理は、最初のものを除いてすべて子供たちに任せていたのだが、そちらについても今のところは問題ないようだった。剣を握るトニトルとニックが敵の牽制をしつつ、それにより稼いだ時間を使ってハイニアが杖で増強された魔術を叩き込む。ハイニアはともかく、前衛の二人はすでに何度かの死地を乗り越えている。ほかの生物に対して剣を振るうために必要な胆力はすでに持っていたようだ。
ただ、ここからさらに下層に行けば、現れる魔物はより手ごわくなっていくだろう。行けるところまで魔物の相手は三人に任せるつもりだが、どこでその限界が来るかはしっかりと見極めなくてはならない。
そんなこちらの心配をよそに、続く勝利に気をよくした三人は休憩も入れずに先を急いでいる。日程的に急ぐ必要はないことは伝えているのだが、今の彼らは少しでも早く自分たちの実力を発揮したくてたまらないらしい。
ここで説教じみたことを言っても聞かなさそうだし、なによりせっかくついた自信を無下にするのも忍びない。ここは彼らの意思を尊重して、もうしばし戦闘は任せることにする。なに、心配せずとも自動人形たちを使えば大概の苦境は乗り越えられるし、怪我を負っても回復手段はいくつもある。彼らにとってはこの上ない腕試しの場になるのだから、気が済むまで戦ってもらうとしよう。
【グレル岩】:八十二ページ目初登場
【若肉の皮鎧】:七十二ページ目初登場
【緑森兵の樹小刀】:二十九ページ目初登場
【琥珀魔杖】:三十五ページ目初登場
【赤水の石義手】:二十六ページ目初登場
【追いたてる赤鉄兵】:六十一ページ目初登場




