八十二ページ目
それまでは買う気がなかったのに、品物を眺めているとなぜか無性にそれが欲しくなる、というのは誰しもが経験したことがあることだろう。それが貴重であったり自分の趣味に合うものであるほど、どれ程高価でも物欲がくすぐられてしまうものだ。
それを改めて実感したのは、孤児たちに案内を頼みながらグレルゾーラの街を観光をしていたときだった。観光とはいっても、一応はまだ追われる身のため、大手を振って表通りを歩くわけにも行かない。だが、そこは街の構造を知り尽くした孤児たちの助けで、うまく人目を避けたり巡回の兵士と鉢合わせにならない道を選ぶことで、問題なく歩き回ることができた。
以前にも街を巡ってみようと思っていたのだが、その時は宿の出口で待ち構えていた兵士たちにより観光どころではなくなってしまった。それからもなにかと忙しくまとまった時間を確保することができなかったのだが、疲れが溜まった心身を休ませたいという思いもあり、こうして今日はゆったりと街を回っているのだ。
グレルゾーラの街並みはほぼ同一の石材により造られているのだが、建物の規模や石材の使い方は多岐にわたる。街の外から見ても圧倒されるほどの巨塔がいくつも聳え立っているかと思えば、その周囲の隙間を埋めるようにして、大小様々な建造物が入り組んだ迷路のような通りを作り出している。
中でも、その歴史や建築技術の高さから、グレルゾーラに住む人々からしても観光の対象になるような建物がいくつかある。今目の前にしているのも、そういった歴史的建造物のひとつだ。
今は時計塔として使われているらしいその尖塔は、真っ黒の石材のみで建てられており、その高さと相まって一際大きな存在感を放っている。雲を突き抜けて聳え立ついくつかの巨塔と比べるとさすがにそこまで巨大ではないのだが、それでも近づけば視線を思いきり上に向けないと頂上はおろか上部に取り付けられた大時計すら見えない始末だ。これでは時間を確認するのも難儀しそうだと思ったのだが、住人たちはもっぱら時計塔から奏でられる鐘の音で時刻を把握しているという。
夜間を除き、正確に一日十回回鳴り響くベルは時間ごとに決められた十通りの音楽を奏で、この国に住む住民たちはその音楽を聴けば今の時刻が分かるのだという。文字通り生まれてから死ぬまで毎日聴くことになる音楽は、全ての住人に愛されてその耳にしみこんでいるのだろう。
そんなことを考えているとちょうど時間になったらしく、時計塔から重々しくも透き通った鐘の音が響き渡った。近くにいてもそれほど喧しく聞こえないこの音が街中に届くということは、何かしらの魔具が使われているのだろう。
しばらくそこに立ったまま鐘が奏でる音色を楽しんでいると、自分の中の物欲がさらに高まるのを感じる。建物自体を全書に収納したことはまだないのだが、うまくやれば魔境のときのように都合よく建物が複製されたりしないだろうか。
物は試しとやってみようと思ったのだが、街を案内してくれているトニトルたちが妙に必死に止めるので、実験は次の機会に回すしかなさそうだ。だが、彼らと押し問答をしているうちに全書の新たな機能が判明した。時計塔に全書で触れてしばらくしてから、その中に新たなページができていることに気づいたのだ。そこには、なんと建物の作り方が記載されている。もちろん作り方というのは単純な時計塔の建て方ではなく、その生成方法だ。
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【モンテナロの大時計塔】を生成します
以下の物品を消費する必要があります
黒のグレル岩 0%/100%
白のグレル岩 0%/100%
没する石樹の木質材 0%/100%
没する石樹の石質材 0%/100%
アルネコの大時計 0%/100%
アルネコの輪唱鐘 0%/100%
座らずの指揮棒 0%/100%
物品が不足しているため、生成を行えません
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見ての通り生成に必要な素材はひとつも持っていないのだが、生成のレシピが分かったのは大きな進展だ。材料の中にはどうやって手に入れればいいのか見当がつかないものもあるが、今後情報収集を続けていけば何か手掛かりがつかめるかもしれない。
さらに、これで新たな収集分野を開拓できることも判明した。これまではどんなに見事な建造物と出会ってもただ眺めているだけで終わっていたが、全書でその生成方法だけでも記録しておけば、素材が集まり次第、全書の中の土地にその建造物を建てることができるだろう。建造物の規模が大きくなるほど必要となる素材の量も飛躍鵜的に増えていくことは想像に難くないが、根気強く続ければ、いつか全書の中に都市を作れるほどになるかもしれない。
それに、以前に目下の目標としていた城作りにも役に立つに違いない。あの空き地に城が一つだけ立っていても寂しいかもしれないが、都市を広げるとっかかりと思えば悪くはない。それならばさしあたり、このグレルゾーラの中心にある王城に行ってみたいところだが、残念ながらいまだ追われる身から脱することはできていないしその目途すら立っていない。王城近くに本部を持つらしい”グレルゾーラ軍”にコネがない訳ではないのだが、以前はその軍に所属しているらしき魔術師に追われたのだから、そこにも近づかないほうがいいだろう。口惜しいが、王城の生成方法を手に入れるのはもうしばらく後になりそうだ。
だが、そのことに落ち込んでいる暇はない。王城を抜きにしてもグレルゾーラには一見に値する建造物はたくさんあるのだ。全書の新たな機能が判明した今、コレクションの数を増やすためにものんびりしている暇はない。さすがに一日や二日でグレルゾーラ全域を回ることはできないが、孤児たちが効率的な観光ルートを知っているらしいので、今後も折を見て街を巡ることにしよう。
とりあえず今日のところは【モンテナロの大時計塔】を中心とした”工房通り”を散策することになった。そもそも先ほど生成方法を知ったばかりの【モンテナロの大時計塔】は、グレルゾーラが誇る高い技術力を示すためにずいぶん昔に建てられたのだそうだ。全書に載っていた素材を見ても珍しい魔具が使用されていることが伺えたが、時計塔は定期的に補修が行われており、その都度グレルゾーラが持つ最新の技術を惜しげもなくつぎ込んでいるのだという。そのため、特にこのあたりの建物は歴史的建造物でありながらも卓越した機能性を併せ持っているのだ。
中でも”工房通り”の技術の粋が集結しているとまで言われるのが、時計塔から少し離れたところに建っている”工房”と呼ばれる大建造物だ。通りの名前にそのまま使われているこの”工房”は、一つの建造物というよりは様々な大きさの家屋が寄り集まった構造になっており、それぞれの家屋に職人たちが自分の仕事場を構えている。そのため、この”工房”に来ればモノづくりに関してのことであれば大抵のことは解決するし、中心部に設置された巨大魔力窯が魔力や火を絶えず供給しているので、職人たちは時間を忘れて仕事に没頭することができる。まさにこの国の技術を支える重要地点なのだ。
そんな”工房”の中にある職人の仕事場をぜひ見学してみたかったのだが、非常に不本意ながら今回は建物の中に入ることはできなかった。というのも、国としてもこの建物はよほど重要な場所と認識しているのか、”工房”の内外には数人の兵士が駐在しており常に見回りが行われているのだ。もちろん魔境に入った時のように忍び込めないことはないのだが、結局中で何もできなければ意味がない。そのため、今回は”工房”の生成方法だけ手に入れて、泣く泣く立ち去ることになってしまった。
そうして時には隠れ、ときにはほかの観光客に紛れつつ無事に”工房通り”を回りきることができた。手に入った建造物のレシピはちょうど十種。やはりどれも現時点で生成することはできないのだが、どの生成方法にも共通して記載されている素材があった。【グレル岩】という名のその素材は、孤児たちに聞いたところ、グレルゾーラのすべての建物の建材として使われているあの赤や茶色の石材のことを指すそうだ。
それではその【グレル岩】はどこで手に入るのかと聞いてみたところ、あっさりとその答えが返ってくる。以前にグレルゾーラで流通している物品のほとんどは魔境から供給されているということは聞いていたが、どうやら建物を作るための建材もその例に漏れないらしい。
”生じる岩壺”と呼ばれるその魔境では岩や金属に関する物品が多く産出されており、この街で使われている【グレル岩】はすべてその魔境から運ばれてきているそうだ。ほかの魔境と同様、”生じる岩壺”もここからそれほど遠くない場所にあるそうで、やはり貧しい者が半ば強制的に移送され、そこで働かされているらしい。
ということは"被る食辺"と同様、"生じる岩壺"に行くことも可能ということだ。グレルゾーラ探訪も捨てがたいが、今のうちに魔境に行っておけば新たなコレクションが手に入ることだろう。当然、【グレル岩】以外の希少な物品も数多くあるはずなので、生成の幅も広がるに違いない。これからの行動についてしばしの時間悩んだが、結局は沸き上がる物欲に負けることとなった。ちょうど二日ほど休んで前回の魔境探索で溜まった疲労も解消できたところだ。あまり怠けていたら身体も鈍ってしまうため、休暇はこの辺りで切り上げることにする。
移動手段はまた【巧みな機肉化師】が運営している商会に頼めばいいし、事前に計画を立てておけば前回のような強行軍を敢行する必要もないだろう。二回目ということで魔境の大雑把な危険度も目星がつくので、今回こそは孤児たちを連れていってもいいかもしれない。彼らにとっても、きっと他では得難い体験になるはずだ。
そうやって今後の計画を巡らせていくほど、魔境とそこで手に入るであろう物品が欲しくてたまらなくなってくる。つい先ほどまでは静まっていた物欲がすでに燃え盛るほど大きくなっているのを感じつつ、改めて人の欲望とは度しがたいものだと、自分のことながら呆れ果てるのだった。
【巧みな機肉化師】:六十五ページ目初登場




