表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
110/130

七十ページ目

 そうと決まれば、まずは安全に夜をこせる寝床が欲しいところだ。あの"輝ける神鳥亭"にあった快適な寝具ほどの寝心地には至らずとも、ベッドの一つくらいはある拠点が欲しいものである。

 別に全書のなかで一夜を過ごせないこともないのだが、それはそれで心配ごとはあるし、何よりも趣に欠ける。追われる身であるからこそ、安心できる拠点というのは心の拠り所になるのだ。


 しかし、今立っているのは人気がない路地裏のつきあたり。一軒の民家すら見当たらないので、まずはここから移動する必要がある。当然、兵士たちがいるであろう表通りに戻ることはできないため、ここからはさらに街の奥に向かうしかないだろう。

 ここにたどり着くまでにも、力なく地べたに座り込んだ浮浪者を何人か見かけたが、やはり表通りから離れるごとに、その数は増していくように思われた。それに浮浪者は奥に進むほど、その数だけでなく年齢や性別の幅も増していく。枯れ木のように痩せ細った二人の男児が互いに寄りそいながら石壁に背中を預けて座り込んでいたり、中年と思われる女が、花でも売るつもりなのか、露出が多い服を纏って近づいてきたりもした。それを時にあしらい、時に無視しながら進んでいると、自然とこちらに向けられる視線も増えていく。

 この裏通りは道幅こそ狭いが、これは密集した建物により産み出された複雑に入り組んだ間隙だ。表通りよりも幾分か暗い色の石材で造られた建物たちは、まるで地面を埋め尽くし、その隙間に入り込んだものを押し潰そうとしているかのような圧迫感を生み出している。上を見上げれば空は見えるのだが、その大部分は高い建物により遮られており、細い川のようになった青空を見ると、本来感じるはずのない閉塞感に囚われるかのようだ。それも相まり、外にいるにも拘わらず、空気は淀み、それを吸えば陰鬱な感情が身体に入り込んでくるような心地となる。

 周りにいる浮浪者たちの姿も、この暗く沈んだ空間から生じたなれの果てだとでもいうのだろうか。


 浮浪者の数が減ることはないが、なにも住民全てがそのような状態になっているわけではない。浮浪者たちはこの辺りの住人の何分の一かで、ほとんどの住人はずらりと立ち並ぶ建物の中に居を構えているようだった。風雨を十分に凌げる家をもつ彼らだったが、やはりその表情は暗く、動きはどこか疲れているような気だるげなものだ。だが、そんな彼らでも突然現れたよそ者は気になるらしく、奥に行くほど、こちらに向けられる奇異の視線も増えていった。薄汚れた服を纏った住民たちが、道を挟む住居の各層に並んでいる様は思わず気圧されてしまいそうな異様な光景だが、実害はないため足を止める必要はない。そう割りきっていたのだが、ついに進行方向の先に立ちふさがる者たちが現れた。


 その集団による襲撃は突然だった。ちょうど狭い十字路に差し掛かろうとした瞬間、左右の道や物陰から、十人ほどの小柄な人影が躍り出てきたのだ。慌てて後ろに下がってみると、彼らはどうやら少年少女の集まりであることが分かった。ぼろ同然の薄汚れた服を纏い、十分な食事ができていないことが明らかな痩躯の子供たちは、武器のつもりなのだろう、各々が棒や石を握り、こちらへと襲いかかってきた。

 数が多く、また突然の襲撃ではあったが、相手は所詮子供で振りかざすものも武器とすら呼べないものばかりだ。自動人形を使えば、向こうに思わぬ被害が出る可能性もあるため、グリッサムで手に入れていた屍人(ゾンビ)を同じ数だけ出し、それぞれに相手をさせる。やはり十分な食事が摂れていない影響か、子供たちの動きは精彩を欠き、その力も強いわけではない。

 むしろ突然現れたゾンビたちの異形に悲鳴を上げる者もいる始末で、碌に戦うこともなくほとんどの子供を取り押さえることができた。これでひとまずは落ち着いたかと思ったのだが、まだ動きを止めていない子供が一人だけ残っていた。集団の一番後ろにいたその子供は、おそらく子供たちのリーダー格なのだろう。痩せてはいるが、子供にしては高い身長で、さらにその手には子供たちのなかで唯一、まともな武器を握っている。

 ところどころ、刀身が錆びたり欠けてはいるが、もとの造りは良さそうなショートソードを振り回す子供の相手をしているのは、かつて冒険者として生計を立てていた【神託(オレク)屍人(ゾンビ)】のアサームだ。出鱈目に振るわれる斬撃を軽い身のこなしで避け続けているアサームは、リーダー格の子供の息が上がったのを見計らって距離を詰めると、腹部に強烈なパンチを見舞った。子供の身体がくの字に曲がるほどの一撃により、すぐにその全身から力が抜ける。

 制圧した子供たちは手足を拘束し、一列になるよう地面に並ばせた。ちょうどいいので情報収集がてら彼らの事情を聞こうと思ったのだが、どうにも子供たちの反応が悪い。別にこちらを無視したりという訳ではないのだが、話をしようにも一向に泣き止まないのだ。

 確かに周りを何人ものゾンビに囲まれている状況は彼らにとって恐怖以外の何物でもないだろうが、それにしたってもう少し静かにしてくれてもいいのではないか。ゾンビを戻すわけにもいかないので、このままでは質問もできないばかりか目立つことこの上ない。

 ただでさえこちらは追われる身なのだ。そろそろこの場を離れなくては、追っ手に追い付かれる可能性が上がっていく一方だ。


 そこで、この中で唯一話ができそうなリーダー格の少年を使うことにした。少年はまだアサームの一撃で気絶したままだが、水を浴びせて目を覚まさせる。

 目を覚ました少年は少しの間だけ自分に何が起きたか飲み込めていないようだったが、何回か瞬きをするうちに状況を理解したようだ。ほかの子供たちと違い泣きわめくようなことはなく、ただ諦めたように俯いた。

 だが、こちらの呼び掛けに応えて顔を上げた少年の目には、なにか決意のようなものが宿っている。そして、少年はこちらがなにか言う前に、情けをかけてくれと懇願してくる。

 曰く、子供たちは自分の命令で動いていただけで、悪いのは全て自分である。だからほかの子供たちを見逃す代わりに、自分のことは煮るなり焼くなり好きにしろ、ということらしい。


 大変結構な覚悟だ。その心意気は非常に好ましい……が、端から彼らをどうこうしようなどというつもりはないし、ただの子供など収集対象にすらならない。

 そこで、少年にある取引を持ちかけてみる。こちらが要求するものは彼らにしてみればそれほど用意するのは難しくはないはずで、すぐにそれを準備してくれるのならば、その場で子供たちを全員解放する。そんな内容だ。


 こちらの事情をある程度伝えたところ、少年は少しの間だけこちらの真意を探ろうとするかのように見つめてきたが、すぐに頷いて了承の意を返した。ちょうど心当たりがあるのか、少年は両手を後ろ手に縛ったまま立ち上がり、ついてこいとこちらに声をかけてくる。もちろんほかの子供たちも一緒なので、三体のゾンビに見張らせながら移動する。少年以外の子供は手を縛ったりしていないが、そのせいでこちらに危害が及ぶことはないだろう。


 しかし、この一団のなかで、少年が持つ信頼とリーダーシップは非常に強力らしい。先程まで泣き叫んでいた子供たちは少年の一声でピタリと静かになり、いまや笑顔を浮かべて少年のあとについて歩いている。さすがにゾンビに対する恐怖心は克服できていないようだが、それでも少年の説明を聞いて、ゾンビがすぐに自分たちに襲いかかることはないと信じているのだ。

 歩を進めながら子供たちの会話に耳を傾けていると、彼らの身の上が少しずつ分かってきた。彼は俗に言う"孤児"というものらしい。身寄りがなく、頼るものが何一つない彼らは自然と集まり、自分達の食いぶちを得るためにああいった追い剥ぎ紛いの手段に手を染めていたのだ。

 これまでは少年が慎重に獲物を選定して、子供だけでもやり込める相手だけを狙っていたらしいが、ついに彼らにも焼きが回ったというわけだ。だが、それも仕方がないことなのかもしれない。なにせ、こちらは荷物も持たず供もつれず、一人でこんな裏通りの奥まで来ていたのだ。事情を知らない者からすれば、格好の獲物に見えたに違いない。


 そんなことを考えているうちに少年はどんどん裏通りの奥へと進んでいく。この辺りは彼らの縄張りなのだろう。時には見つけることすら困難な道や建物のなかを通り抜け、一時間ほど歩き続けた。

 ついに少年が足を止めた場所は、袋小路のようになった一角だった。この辺りにしては広めの空き地は今にも崩れそうな石造りの建物に囲まれ、広場に通じる道は一本しかない。その道もずいぶん細く、子供たちは不自由なく出入りができるが、大人であれば身体を横に向けないと通れないほどだ。

 まるで秘密基地のような空間に感心していると、少年が目的地に着いたことを告げてくる。ということは、この場所こそが、少年に取引の対価として求めた"拠点に使える場所"だということになる。確かにこの場所であれば周囲の住民たちですらなかなか寄り付かなさそうだし、視覚的にも外界から遮断されているため、潜伏するには絶好の拠点になりそうだ。

 よくこんな場所を知っていたな、と少年に声をかけてみれば、なんとここは少年や子供たちの家としても使っているのだと言う。言われてみれば、自衛の手段を持たない彼らとしては、こういった隠れ家に身を潜めることでしか平和な暮らしは送れないのかもしれない。

 そんな場所を自分たちが襲った相手に教えるのは意外だが、彼らにも何かしらの事情があるのか、あるいは条件に当てはまる場所がここだけだったかのどちらかだろう。ともかく、こちらとしては邪魔をしてこないのなら彼らがいようがいまいがどちらでもいい。むしろ、しばらくこの辺りで生活しようとすれば、彼らの生きる知恵に助けられることもあるだろう。


 経緯はどうあれ、これで目的だった拠点の確保には目処がついた。まだまだやらねばならないことは山積みだが、まずは少年と子供たちに拠点の礼がてら食い物でも振る舞うことにしよう。子供たちの服から覗く手足はひどく痩せ細っており、普段からまともな食事にありつけていないのは明白だ。図らずもしばらくは隣人として生活していくことになったのだから、ご機嫌取りも兼ねて腹一杯にしてやることにしよう。

面白いと思ってもらえましたら、お気に入り登録、高評価いただけると泣いて喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ