異譚~アレクの見栄~
「おいおい、あんた何してんだよー」
「ん?いや、ちょっと戦闘準備をな」
何が面白いのか、アレクは猫のようにつり上がった目を細める。その視線の先には、頻りに左目を掻くナナシの姿があった。妙な動作をするナナシを見つめるアレクだったが、そんな彼の目の前で、ナナシはおもむろに自分の指を左目に突きこむ。
「のわー!?あんた、気でも狂ったのか!?」
「喧しい。これはただの義眼だ」
叫ぶアレクをよそに、ナナシは慣れた様子で【魔流の義眼】を取り出す。用意していた清水で義眼を洗いながら、ぽっかりと空いた眼窩をアレクに向けた。
「うわっ!その状態でこっち向くな!キモいだろ!」
「なんだ、お前、兵士の癖にこういうのが苦手なのか?肉獣や機獣と戦うときは平気そうだったではないか」
「それとこれとは話が別だ!お前はただでさえ気味悪いんだから、それを悪化させるなよ!」
「ふむ……まあ、確かに子供には刺激が強かったかもしれないな。気遣いが足りなかったか」
珍しく自分から折れたナナシだったが、どうやらその物言いが気に入らなかったようだ。アレクがまたしても声を荒らげる。
「おい!子供扱いするなって何度も言ってるだろ!俺はもう十五歳だ!」
「嘘はいけねえなあ、アレク。お前、まだ誕生日きてねえだろ?」
「う、うるさい!あと少しなんだから、もうほとんど十五歳だ!」
話を聞いていたベリルが二人の会話に入ってくる。すぐに二人は仲間内の話題で盛り上がり始めるが、ナナシは気にせずに全書から出した【縛り呪の魔眼】を右手に乗せた。それを空っぽの左目にあてがうと、一息に押し込む。ナナシはそのまま中の義眼を揉みほぐすように右手を押し付けるが、すぐに顔から手を離した。
いつの間にかナナシを見ていた二人の視線が、ナナシの手の下から現れた義眼とぶつかる。
「というか、その義眼、造りが良すぎないか?本物じゃないと判ってても目が合ってるような気がするんだが」
「義眼とはいえ、これをつければちゃんと視力が戻るからな。それにおまけの能力も付いてる」
「おまけの能力?なんだよ、そ……」
好奇心旺盛な表情で義眼を覗き込んでいたアレクの動きが唐突に止まった。身体を横に傾けてナナシの顔を見ていたアレクの体勢はいかにもツラそうだが、それにも拘わらずピクリとも動かない。
「……あー、旦那。そろそろ許してやってくれるか?」
「まあ、いいだろう」
ベリルの要望に応えてナナシが目を逸らすと、自由を取り戻したアレクの身体が後ろにひっくり返る。どうやら、動かなくなった身体を何とかして起こそうとしていたらしい。
「いてぇ!?今何したんだ!?」
「それがこの義眼のおまけの能力だ。さて、義手と義足も交換するから少し下がってくれ」
ナナシはそれだけ言うと、二人の反応も見ずに自分の左腕を外した。少し遅れて二人はナナシから距離をとるが、それ以上離れる気はないようだ。
床に置いた義手を見ながら、ベリルが口を開く。
「……あんたもよくやるよなあ」
「ん?なにがだ?」
ナナシは聞き返しながらも手を止めない。半透明の赤い鉱石できた【赤水の石義手】を装着するナナシの姿を見て、兵士は言葉を続ける。
「あんた、腕や目を失ってもこうして旅を続けてるんだろ?普通の奴なら、魔境はおろか家の外にだって怖くて出れねえぜ。なあ、アレク?」
「ふん!俺は平気だね!片腕でも魔境なんて余裕で……」
「はいはい、分かった分かった」
そっけない返事を返すベリルにアレクが掴みかかろうとするが、その騒ぎには触れないままナナシは笑う。
「キシシシ。何を怖がる必要がある。一歩進むだけで欲しいものがいくらでも増えていくんだ。俺はそうやって物欲に従って歩いてるだけだからな」
「ふーん、意志が強いのか、ただがめついだけだけなのかよく分からないねえ。それに自分でわざわざ魔境に足を運ぶなんて、酔狂以外の何物でもない」
「仕方なかろう。欲しいものがここにあるんだ。だが、今回無事に目的のものが手に入ったら、しばらくはゆっくりできるかもな」
意味ありげな言葉を残しつつ、ナナシは次に右足に手をかける。着用していたズボンをめくりあげると、そこから見るからに血色の悪い無毛の足が現れた。ほとんど紫色に変色してしまっているそれは、ナナシの体型からすると不自然に太いように見える。
「うえぇ……キモ……」
「確かに見てくれは悪いが、使い勝手はなかなか良くてな。【爛肉の不養足】という義足なんだが、余計な機能がない代わりにちょっとした破損であれば勝手に治癒してくれる」
左腕と同じようにナナシは右の太ももあたりから義足を取り外すと、やはり別の義足と付け替える。新しく装着された義足は【爛肉の不養足】と打って変わってすべての部品が金属で作られていた。表面は綺麗に磨き上げられており、覗き込むアレクやベリルの顔が映り込むほどだ。形状としては鎧のグリーヴに近い。軽く湾曲した鉄板が隙間なく組み合わされており、ナナシの動作を見る限り結構な重量があるようだ。
しかし、ナナシはそれを抱えると二つか三つの動作で義足の装着を終える。両足で立ち上がった彼は、その場で軽く足を踏み鳴らして義足の着け心地を確認する。
「よしよし、生成したばかりだったが特に問題はなさそうだな」
「ずいぶんごつい義足だねえ。だけど、確かに強そうだ」
「さて、全書によるとここをこうすると……」
ナナシが何かを探るように義足に意識を向けると、義足の両側面を覆っていた鉄板がずれ、それにより空いた隙間から、細長い筒のようなものが現れる。それは小気味よい音を立てながら外に展開されると、一秒ほどで二門の銃身が完成した。ナナシはそれを見て満足げに頷くが、本人よりも目を輝かせてそれを見る少年が横にいた。
「すげえー!!かっこいい!俺も!俺も欲しい!」
興奮するアレクを見て、ナナシはどこか自慢げだ。気が済んだのか銃身を義足に戻すと、気を取り直して戦車の出口に目を向ける。
「さて、そろそろ着くころじゃないか?お前たちも準備しろよ」
「言われなくてもそうするさ。ほら、アレク、お前もさっさと準備しろ。そんな義足より俺たちの鎧のほうがよっぽど出来がいいだろうに」
「それもそうなんだけどさー。やっぱああいうのっていつ見ても良くね?」
軽口をたたきながら、二人は車内の壁に向かう。その壁にはいくつかの機器とそこから伸びるケーブルが張っている。そして、ケーブルの先端は、彼らの剣であり、鎧でもある【ファイネ式試作夜叉鎧・雷型】に接続されている。彼らが扱う”機巧武器”は、一般的な武器と比べて性能・威力共に折り紙付きだ。だが、だからこそ補修には特殊な設備が必要であり、この【グレルドーラ軍式魔導機装車】にそのための設備が完備されているのだ。ナナシと同じように彼らもまた、魔境で最後となるであろう戦いの準備をしていた。
二人は示し合わせたかのように自分たちに支給された生体装甲に身を委ねる。ケーブルに繋がった生体装甲はちょうど両膝をついて項垂れるように置かれている。胴体部分がくりぬかれた着ぐるみのような構造の生体装甲に二人が手足を通すと、それまでピクリとも動かなかった鎧に魔力が巡り、軽やかに身を起こした。機械の手を器用に使ってケーブルを外し、二人は車両の後方に広いた出口から外に出る。それに続いてナナシが外に出ると、すでに四体の生体装甲とヒルダが前方に歩を進めていた。
樹木のような何かが乱立する森は、山の上から見たよりも木々同士の間隔があり、戦車に乗ったままでも十分に進むことができた。下山を始めてからはすでに数時間が経っており、穴の縁にかなり近づいている。それを証明するかのように、木々の隙間からは竜の姿が見え隠れしている。二体の竜はこちらに気づいていないわけがないのだが、見る限り動き出す予兆は感じられなかった。
いよいよ森が途切れ、地面に寝そべる竜との間に立ちふさがるものがなくなるころ、車両を操縦していたレガランも外に出てくる。生体装甲を装着し、すでに戦闘準備は万端だ。
「戦車で竜に突っ込むのかと思ったが、意外と慎重なんだな」
「いや、そういう訳ではなく……」
どこか皮肉気に問いかけるナナシに、レガランは言葉少なく答える。
「戦車よりこれを着た俺のほうが強いってだけだ」
「……なるほどな」
操縦者がいなくなれば、当然車両が動くことはない。使い道がなくなった車両を全書にしまおうかとナナシが申し出るが、兵士たちの希望で戦車は樹の隣に置いておくことになった。理由を聞けば、彼らは歯に衣着せぬ物言いで、『お前が死んだらここから移動する手段がなくなる』と口にする。ナナシもナナシで、それもそうか、とすぐに納得したため、一行は戦いの準備を完全に済ませた状態でいったん足を止めた。
標的を見据えた兵士たちが、木の陰に隠れて正面の様子を確認する。穴の淵から百歩ほどの範囲には何も生えておらず、そこから前に進めば彼らと竜の間に立ちふさがるものは何もない。固唾をのんで敵を見る兵士たちとは対照的に、竜は微睡みを楽しむように地面に横たわっている。だが、ヒルダたちの視線は一転に注がれていた。
二体の竜の前、ちょうど竜への供物であるかのように、二人の人間がいた。だが、二人はただそこに立っているわけではない。二人は、有体に言えば牢に囚われていた。ちょうど人が一人入る大きさの透明な卵の中に、男と女が一人ずつ入っている。どちらも意識を失っているが、男の正体は彼らの目的だったイーデン本人だ。女のほうには見覚えがないが、なぜか一糸まとわぬ姿で卵の中に納まっている。その顔を唯一知るヒルダが、目を丸くして呟いた。
「彼女、”ハルメイン”だわ。先発隊の隊長よ」
「ってことは、俺らの最初の救出対象じゃねえか。なんでそいつがこんなところにいやがる。しかもまだ生きてるみたいじゃねえか」
「分からない……分からないけど、生きているのなら助けることができるわ」
「ここまで来たら一人助けようが二人助けようが変わらねえよ。おい、アレク。いくら相手が寝てるからって、あんまり裸をじろじろ見るもんじゃねえぞ」
「うっ、うるさい!別にじろじろなんて見てねえ!!」
顔を真っ赤に染めたアレクが反論するが、他の四人は聞く耳を持たず会話を続ける。
「さて、隊長を見つけたはいいがこれからどうする。正直に引き取りに来ましたって言っても渡してくれそうにはないが」
「そもそも言葉が通じるわけないでしょう?ここは特大の先制攻撃を叩き込んで……」
ヒルダが難しい顔で思案していると、竜の周囲で変化が起きる。風も吹いていないのに砂埃が待ったかと思うと、それが二つの渦を作り出した。黒と白の二色に分かれた渦は密度を増していくと、やがては何も見通せない筒へと変わる。
そして、その渦が唐突に消えた。渦があった場所には、いつのまにかイーデンとハルメイン以外の人影が二つ立っている。
現れた人影もやはり男女の組み合わせのように思われたが、それが確実だと言い切れる者はその場にいなかった。なぜなら、その二人はおよそ色と呼べるものを持っていなかったからだ。それぞれのシルエットから辛うじて性別は判断できそうだが、女と思われる人物は服も、皮膚も、顔すらも真っ黒に塗りつぶされており、男はそれと対照的に全身が純白に塗りつぶされている。
更に異様なのは、その二人の身体から感じる質感だ。妙に光沢がありつつのっぺりとしたその身体を見ていると、まるで白と黒のゴムを固めて作った人形のようにも見えてくる。
突然の乱入者にとるべき対応が見つからず兵士たちがまごついていると、竜がいる方から声が響いた。
「いつまでそこに立っているつもりかしら?私たちも暇ではなくってよ?」
思わぬ展開に、兵士は顔を見合わせる。まさかこれほどの魔境の奥地まで来て、言葉を解する相手に会うとは思っていなかったのだ。
呼び掛けてきたのは女の声だ。少しの間をおいて、彼らはその声が突然現れた黒い人型から発せられていることに気づいた。なにせ顔にあるはずの目も鼻も口も見当たらない。その女が話せると言うだけで予想外だったのだ。
またしても顔を見合わせようとした兵士たちだったが、その前に進み出る人物がいた。ナナシである。
樹の影からでたナナシは、怯むこともなく竜と謎の人型へと歩み寄る。
「どうせこちらの目的は分かっているんだろう。邪魔をしてくれるな」
「"オトシモノ"の分際で、偉そうに指図しないでくれる?私、すごく不快よ。ねえ、"レマネ"?」
「そうとも、"カレオナ"。まったく、なぜこのような無粋な輩を父上が注目しているのか、甚だ疑問だね」
にべもなくナナシの言葉を切り捨てた二人は、揃ってため息をついたようだ。そして、ナナシや兵士を置いて会話を始める。
「せっかく捕まえた男も目的とは違ったし、作戦失敗ねえ。もうこの二人は要らないんじゃないかしら」
「それも一理あるが……もう少し待ってみようじゃないか。幸い、暇潰しの相手もいる。それから考えてもいいのではないかな?」
「私は正直もう飽きてるのだけど……あなたが言うならそうしましょうか」
黒と白の人物、カレオナとレマネは会話を終えると、兵士たちが隠れる木立を見やる。
「そういう訳だから、もう少し付き合ってもらおうかしら。大丈夫よ、私はもう飽きてるから、すぐにあなたたちを殺すわ」
「ふむ、私も別に思い入れがあるわけではない。カレオナもこう言っているし、さっさと終わらせようか」
その言葉と同時に、それまで沈黙していた竜が身体を起こした。その視線は、明らかに隠れている兵士たちを捉えている。
「なんかよく分からんが、ただで隊長を返してくれるってことはなさそうだな」
やっぱりか、という言葉を暗に含ませて、ベリルが呟いた。それに頷きながら、ヒルダは戦闘態勢を整えた兵士たちに命令を下す。
「そうね……戦力を分散させるわけにもいかないわ。まずイーデンの救出を優先するから、アレクとベリルはイーデンを回収して。残りで人型の魔物と竜の牽制よ」
「「了解!」」
たしかに奇妙な状況ではあるが、倒すべき敵と上官の指示があるならば、ここは彼らが馴染み親しんだ戦場だ。五人の兵士は、いつものように陣形を組み、その銃口を敵へと向けた。
【魔流の義眼】:二十九ページ目初登場
【縛り呪の魔眼】:三十九ページ目初登場
【赤水の石義手】:二十六ページ目初登場
【ファイネ式試作夜叉鎧・雷型】:六十三ページ目初登場
【グレルドーラ軍式魔導機装車】:六十三ページ目初登場




