六十六ページ目
打ち寄せる波のように襲いかかってきた数多の魔物を打ち倒し、奇妙かつ危険な異常現象を潜り抜けて進んできた結果、ようやく"巡りし平丘"の奥地へと到達することができた。
魔境に踏み入ってからすでに五日が経過しており、こちらはともかくここまで行動を共にしてきた兵士たちはすでに限界が近いようだ。
全書や我がコレクションたちの助けがあってこれなのだから、彼らだけでここまでたどり着くのはまず間違いなく不可能だったことだろう。だが、ようやく彼らの旅も終わりを迎えようとしていた。イーデンが持っている受信機によると、彼らが探していた先発隊の隊長とやらの反応がもうすぐ近くにあるらしい。それを無事に回収することができれば、晴れて彼らの任務は達成というわけだ。もちろんその後にこの魔境を脱出するという大仕事が残されているわけだが、出るだけならばここまで乗ってきた車両をうまく使えばなんとかなるだろう。
だが、そんな彼らの行く手を阻もうとでも言うかのように、今目の前には謎の壁が聳えている。
白と黒がまだらに入り混ざった壁は、遠方から確認する限りドーム状に魔境の中心地を覆っているように思われた。周囲には真っ平らな草原が広がるだけであり、ドームはまるで白紙の上に落ちた一滴のインクの染みのように妙に目を引く。雲ひとつないのっぺりとした青空と合まって、遠近感すら狂ってしまいそうだ。
すぐそばまで近づいてみたものの、壁がどのような素材で作られているのかは見てもよく分からない。金属のようにも石材のようにも何かの生物の殻のようにも見える、見覚えのない素材だ。試しに自動人形に触らせてみたところ、壁は少し力を加えただけで崩れてしまうほどの脆さだと分かった。だが、一部が崩れても壁そのものが崩壊することはなく、触れた部分に穴が空くだけだ。その穴から少しの間だけ壁の向こうの景色を見ることができたが、少なくとも近くには魔物などの姿は見えず、壁の向こうからなにかが襲いかかってくる、ということはなさそうだった。
ひとまずは安心したものの、向こうの景色を観察している間に、開いた穴はひとりでに塞がってしまった。先ほどまで開いていた穴は、数秒のうちになんの痕跡も残さず消え去る。まるで生物の傷が癒える様を早回しで見せられたかのような生々しさだ。
穴が塞がった後もやはり壁に動きは見られない。もう少し色々と試しても大丈夫そうなので、次は全書で壁自体を収集してみることにする。収集さえできれば、この壁がどのようなものなのかも分かることだろう。
とりあえずは五メートル四方ほどの壁を回収してみよう。あまり広い範囲を回収して、なにかさっきと違うことが起きても面倒だ。
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【繁造の斑壁】
分類:魔導物質・障壁
詳細:空間を遮る魔術障壁。魔境の中にあって、障壁で区分けられた領域はより特殊な意味合いと性質を持つ。
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残念ながら全書の説明を読んでも壁の正体はいまいちわからない。だが、別に壁の向こうに行ったとしてもすぐに悪いことが起こることはなさそうだ。壁の向こう、というよりドームの内側は全方位を覆われているにもかかわらず行動するのに支障がない明るさが保たれている。こうしている間にもぽっかりと空いた穴が端から塞がっていってはいるが、その速度は決して速いものではない。先ほど自動人形があけた穴はこぶしほどの大きさだけだったためすぐに修復されたように見えたが、失われた範囲が広いほど修復にも時間がかかるらしい。
そのため、壁が塞がったのを見計らい再び全書で広範囲の【繁造の斑壁】を回収し、それにより空いた穴を【グレルドーラ軍式魔導機装車】で通過する。車両が壁を通過する際は、【ファイネ式試作夜叉鎧・雷型】を纏った兵士たち全員で周囲を警戒していたが、結局何も起きないままドームの中へと侵入を果たした。
ドームの中は空が【繁造の斑壁】により覆われている以外は外側と変わった様子はない。ただ、ドームの外側の地面は不自然なほどに平坦だったが、内側はまた様々な起伏の丘が存在している。そのせいで目標地点を見据えることはできないが、その代わりというかのように自分たち以外に動くものも全く見当たらない。ここまでの道中に襲い掛かってきた魔物の群れが嘘だったのかと疑いたくなるほど、ドームの内側は静けさで満ちていた。
とはいえ、兵士たちもさすがの歴戦の兵だ。交代で休憩を取りながらも警戒を怠らず、進行速度を落とさないまま体力の回復を図っている。
だが、そんな中で受信機を見るイーデンはどうにも浮かない顔だ。こちらが話しかけても何が気に入らないのか無愛想な返事しか返ってこないので、まだ対応がマシなヒルダに聞いてみたところ、どうもこのドームに入ってからいくら進めども、発信機への距離が変わらないらしい。正確に言うと確かに近づいてはいるのだが、明らかに移動距離と反応までの距離の整合性が合わないというのだ。
ドームに入ってから異常が起きたようには思わなかったが、もしかするとこの空間自体が特異なものになっているのかもしれない。例えば、これまで乗ってきた車両の中のように空間自体が拡張されている、という可能性はあるだろう。兵士たち曰く、自然の空間自体が拡張されているなど聞いたこともないというが、魔境の中では常識など吹けば飛ぶほどに軽いものだ。自分の中の常識と目の前で起きている現象のどちらを疑うのかと問われれば、それはもちろん前者である。
だが、その仮説が正しいのだとすると、もう終わりかけていた旅路もまだしばらくは続くと思われた。ここまで進んできた距離と発信機との距離から概算するに、このままの速度で進んでいれば発信機の元までは二日ほどかかりそうだという。幸いなのはドームの中に入ってからは魔物を一切目にしていないため、襲撃を警戒して進む速さを抑える必要がないことだ。そのため、ここからは【メイコツ汽車】を使って先を急ぐことにする。
【メイコツ汽車】を使えば、地形にもよるが【グレルドーラ軍式魔導機装車】と比べて二倍近い速度で進むことができる。受信機の元にも、より早くたどり着くことができるはずだ。
そうと決まれば話は早い。早速全書から出した【メイコツ汽車】に乗り込み、草原を走りだす。周囲の警戒はできないが、その分汽車に乗っている間はゆっくりと休息をとることができる。ここまでの道中では安眠できる時間などなきに等しかったこともあり、座席に座って早々に寝息を立て始めた者もいる始末だ。
別にそれを咎める必要もないので、こちらも今のうちに休息をとることにする。まずは腹ごしらえをするために、前に汽車に乗っていた時のように【骨人形・調理師】を全書から出す。それと同時にいくつかの調理器具と材料も出したので、適当に見繕って料理を作ってくれるだろう。ちなみに、【メイコツ汽車】の中には当然ながら調理設備など用意されていない。車両の中で焚き火を燃やすわけにもいかないので、ここではグリッサムで購入していた【魔導調理セット・上級】を使用している。
魔力を流すだけで火を起こしたり水を流すことができるこの設備は、大枚をはたいて購入しただけあり、残飯や排水まで処理できるという優れものだ。使用するために必要な魔力もごく微量なため、【骨人形・調理師】でも自由に扱うことができるのも長所だろう。鍋や包丁などの器具もそれなりに高いものを買い与えているためか、【骨人形・調理師】が作る料理の質も日々上がってきているように感じられる。【聳え立つ壁剣の威光】や【瘴気愛す夢死姫】のようにより高位の物品に生成してやればさらに料理の腕が上がるかもしれないが、全書にはまだその候補すら現れていないことが、最近の目下の悩みになっているほどである。
【骨人形・調理師】が料理を作り終えるのにはもう少し時間がかかるので、先に喉の乾きを潤しておこう。次に全書からリエッタを出せば、すぐにこちらの意図を察して茶の準備を始める。【家事屍人】という外法遺骸に分類されるリエッタは俗に家事と呼ばれる作業全般が得意なのだが、特に食べることに対しての関心が強いようだ。これは食事を本来必要としないアンデッドには珍しいことで、恐らくは生前の趣向が彼女の中にまだ色濃く残っているためだと思われる。中でも飲料についてのこだわりは人一倍強いようで、なぜか持ち主であるこちらに対して購入する茶葉の種類を指定してくるほどだ。
まあ、どうせ見かける品種は全て購入するし、彼女が挙げる品種を使った茶はどれも美味だからいいのだが、その勢いは時折喧しさを感じるほどである。そのため、静かに過ごしたいときはリエッタと同時にコレクションとなった【無顔幽体】のクサツナズに供をして貰うこともあった。今回はそうまでして落ち着きたいわけでもないので、別に多少うるさくても構わないだろう。
リエッタの淹れた茶を飲むと、ようやく身体から緊張が抜けてきたように感じられる。自分ではいつもと変わらない心持ちでいたつもりだったのだが、気づかないうちに気を張りつめていたようだ。折角なので、さらに全書から【幽体能黒金貯音機】を取り出す。これも【魔導調理セット・上級】と同様にグリッサムで購入した高価な調度品であり、一度録音した楽曲をいつでも再生できるという便利な物品だ。すでに何曲か録音しているため、その中からちょうどいいものを見繕って再生させる。録音した楽曲はどれもグリッサムで参加した、アンテスとカシーネの披露宴で演奏されていたものだ。貯音箱の機能により一切の雑音が排除された音色を聴くと、グリッサムでの日々が鮮明に思い出される。披露宴の後は散々な目に遭ったわけだが、披露宴自体は素晴らしいものだったし、なによりグリッサムでは様々な物品を手に入れることができた。まだまだ入手できていないものも数多く残されているだろうから、また機会を見つけて訪ねてみたいものである。
そんなことを考えているうちに【骨人形・調理師】が軽食を作り終え、それで腹を満たす。何人かの兵士はこちらに羨ましげな目を向けるが、残念ながら彼らはイーデンによりこちらの施しを受けることを禁じられているらしい。なので、心置きなく食事を続けることができた。最も大柄な兵士など、視線だけで人を殺せるのではと思うほどの鋭い目付きで終始こちらを凝視していたが、文句があるのなら自分の上司に言ってほしいところである。
音楽で心が癒され、旨い食事により空腹も満たされると、どこからか睡魔が忍び寄ってくる。さすがに寝るわけにはいかないと落ちようとする目蓋に力を込めていたのだが、どうやらいつの間にか眠気に屈してしまっていたようだ。
揺蕩っていた意識が、激しい振動により不意に呼び戻される。霞む視界を咄嗟に手で擦ると、さらに強烈な揺れにより一瞬だが身体が宙に浮く。どうやら【メイコツ汽車】自体がなにかとぶつかり合っているようだが、ここから見える景色だけでは状況を把握することができない。
外の様子を確認するために窓に近づこうとしたが、その前に巨大な何かが車両の壁を陥没させ、そしてその衝撃により、ついに【メイコツ汽車】自体が横へと傾いた。このままであれば、数秒のうちに車両は横転し、中にいる人間は残らず挽き肉と化すことだろう。その前にこの窮地を脱するには、まずは【メイコツ汽車】の外に出る必要がある。
そのため、まずは【メイコツ汽車】が横倒しになる前に丸ごと全書に収納してしまおう。ピンボールのように跳ね回っている球体の車掌やほかの物品もろとも車両が消え去れば、当然中にいた人間たちは外に投げ出されることになる。イーデンやヒルダはともかく、生体装甲を纏っていない兵士たちは、何もしなければ車両の壁の代わりに地面に叩きつけられるのがオチだ。
それはさすがに寝覚めが悪いので、【律流の輝紅水】と【三叉の金触腕】、【狂い合う死生杖】を使って空中の兵士たちを確保し、自分は【脚歩きの水体】を使って無事に着地する。仰向けで柔らかなクッションの上に着地したことで、襲撃者の全貌を見ることができた。
それは一対の翼をもつ巨大な竜だった。ただ、その全身は大小さまざまな金属の部品で作られている。体はぶ厚そうな装甲に覆われており、さらに羽毛を模した金属が幾層にも重なり合った翼を携えたその竜は、遠目で見る限り【メイコツ汽車】を抱えて飛べそうな大きさだ。なるほど、あの巨体に襲われればいかに頑丈な車両であっても破損してしまうだろう。謎の金属竜は突如消え去った獲物を探しているのか、頭上で羽ばたいたままその場に留まっている。このままどこかに消えてくれないだろうかと叶いもしない願いを頭に浮かべるが、それは竜の腹部に発生した爆発によりあえなく霧散することとなった。爆発したのはどこからか飛来した筒状の砲弾と思われたが、それが飛んできた方向を見てみるとヒルダが作り出した結界のようなものに守られたイーデンの姿があった。どうやら先制攻撃のつもりで砲撃を仕掛けたようだが、竜は何の痛痒も受けた様子はない。
さらに悪いことに、竜は次の標的を二人に定めたようだ。目を象った六つのレンズすべてでイーデンとヒルダをねめつけた金属竜は、人の背丈ほどはある鋭い牙が生えそろった口を開く。するとそこに強烈な光が収束し始めた。魔術が発現する瞬間にも似たその光景から予想されるのは、竜が上空から何かしらの攻撃を二人に加えようとしているということだ。
ヒルダがさらに展開する結界の数を増やし、イーデンも【機熱鋼膜】を使って防御しようとしているようだが、輝きを増していく竜の口元を見る限り、彼らだけでその攻撃を完全に防げるとは思えなかった。狙われているのはこちらではないのだが、もしもあの竜の攻撃でヒルダがから譲り受けるはずだった【カルミナの機巧魔杖】が壊れてしまっても困る。
謎の金属竜を倒すことができるかはわからないが、二人を助け出すくらいならばなんとかなりそうだ。二人を救助することを嘆願する兵士たちの叫びもうるさいので、ここは少し張り切って空飛ぶ鉄トカゲの相手をすることにしよう。
【グレルドーラ軍式魔導機装車】:六十三ページ目初登場
【ファイネ式試作夜叉鎧・雷型】:六十三ページ目初登場
【メイコツ汽車】:六十一ページ目初登場
【骨人形・調理師】:五ページ目初登場
【聳え立つ壁剣の威光】:九ページ目初登場
【瘴気愛す夢死姫】:異譚~カシーネの歓喜~初登場
【幽体能黒金貯音機】:五十六ページ目初登場
【律流の輝紅水】:六十四ページ目初登場
【三叉の金触腕】:二十五ページ目初登場
【狂い合う死生杖】:九ページ目初登場
【脚歩きの水体】:二十ページ目初登場
【機熱鋼膜】:異譚~イーデンの安息(前編)~初登場
【カルミナの機巧魔杖】:六十二ページ目初登場
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