異譚~サーマスの弱音~
「一時はどうなることかと思ったが、何とかなるもんだなあ」
「何とかって言っても、状況はひどいもんだがな!ガハハ!」
安酒で満たされた皮袋を呷って、部隊の仲間に筋肉お化けなどという不本意なあだ名で呼ばれているグラキドは赤ら顔で大笑する。それに付き合うサーマスも、器に移し替えた酒に口をつけた。上を見上げれば四つの月が夜空を照らし、満天の星がその光の隙間を埋めるように散りばめられている。
思わず一瞬だけその景色に見とれるサーマスだったが、すぐに今自分がいる場所がどこなのかを思い出した。とっさに周囲に気を配るも、少なくとも視界の中に動くものはない。
「……なあグラキド、遺言は書いてきたか?」
「そんなもん、とうの昔に書き終わってるわ!お前、まさか出征のたびに書いてるのか?」
「いや、そんなことはないけどよお……さすがに今回はって思うだろ?」
ため息に混ざった弱音を吐きだし、サーマスはうなだれる。そんな親友の姿を見て、グラキドは彼にしては優しくその肩を叩いた。
「いってえ!?なにすんだよ!?」
「お前は毎回心配しすぎなんだ。大丈夫だ、何事もなるようにしかならん。それに俺の見立てでは、今回は死なずに済みそうだしな!」
「……そいつはあの”変人”のおかげってことか?」
そう言うサーマスは、ちらりと視線を横に向ける。そこには、地面に転がっていた機獣の残骸に腰かけて白い本をめくっている変人の姿があった。相変わらず気味の悪い笑みを浮かべている変人は、何が面白いのか先ほどからしばらく本に見入っているようだ。
部隊の兵士たちの中には彼のことをそれほど悪くないように思っている者もいるが、サーマスはどうしてもあの男が好きにはなれなかった。別に彼がサーマスに対して何かをしたわけではないのだが、一目見た時からどこかがいけ好かない。彼の本能のような何かが、あの男と関わることを拒否しているのだ。
「そう変な呼び方をしてやるな。確かに変わってはいるが、あのナナシのおかげで今もこうして話せてるんだ」
「お前昔からそうだもんな。強ければなんでもいい、俺もそんな風に単純に考えられればなあ」
グラキドとサーマスは俗にいう幼馴染という間柄だが、見た目も中身も豪胆なグラキドとは正反対にサーマスは身体の線も細く、その性格と相まってどこか頼りない印象を受ける成年だ。訓練や遠征の際にはなにかと愚痴をこぼすのが常で、それを話半分に聞くことがいつものグラキドの役目だった。
「しっかし、なんなんだろうな、あのナナシって男は。隊長やヒルダさんとはもともと知り合いだったみたいだけど」
「なんだ、お前。もしかして副隊長のことを取られるとか思ってんのか?やめとけやめとけ、勝てない勝負はやらないのが身のためだ」
「なに阿保なこと言ってんだ。俺が言いたいのは、なんであの人たちがあんな得体のしれない奴と知り合いなんだってことだよ」
今回の遠征で隊長と副隊長を務めているあの二人は、もともとこの第三十三部隊にいたわけではない。二人は一周紀ほど前に突然、何の前触れもなしに兵士の墓場と呼ばれる彼らの部隊に配属されたのだ。墓場というだけあり、第三十三部隊に所属しているのは軍のはみ出し者や嫌われ者、異常者呼ばわりされている者など碌でもない兵士たちばかり。現にサーマスとグラキドも、気に食わなかった自分たちの上司を二人掛かりで半殺しにした結果、追放同然にこの部隊に配属されたのだ。
そういった理由もあって、イーデンとヒルダが配属された当初は、どうせ何回目かの出征で野垂れ死ぬか、その前に逃げようとして逃亡罪で捕まるかのどちらかだと、どの兵士も相手にしていなかった。だが、二人は第三十三部隊の中でめきめきと頭角を現すと、兵士たちの信頼を自力で勝ち取り、こうして部隊の長を務めるまでになったのである。
ただ、彼らが部隊を率いることとなった最初の出撃が、この悲惨な遠征だった。先発隊を率いていたどこぞの貴族の娘を、魔境の奥地から救出するという碌でもない任務を命令されたのは、やはり碌でもないと周りから思われている第三十三部隊だったのだ。とはいえ、軍の文化に染まっていない彼らの戦闘力はなかなかのもので、さらに今は新兵器が兵士の身体に及ぼす影響を調べる、という名目で最新の機巧鎧まで配備されていた。それらを使えば多少は生存確率が上がる、兵士たちはそう思っていたのだが、蓋を開けてみればそれは楽観が過ぎる考えだったようだ。
魔境に入って早々に二つの集団に分かれた彼らだったが、魔境に潜む肉獣や機獣は彼らの予想以上に強く、また数も多かった。何とか魔物たちを退けながら先に進むことはできたものの、切り開いた道を維持することもできず、それほど進まないうちに退路も断たれてしまう。それでも少しでも任務達成に近づくためにと戦い続けた彼だったが、ついに魔物の群れに追い詰められた時、あのナナシに助けられたというわけだ。
謎の能力により部隊の人数を超えるほどの軍勢を瞬時に出したり、見たこともない武器や乗り物を駆使するナナシは、彼らの窮地を救うとともにその任務の達成にも大きく貢献してくれると思われた。だからこそサーマスは、イーデンとヒルダのナナシに対しての態度が疑問だった。
以前から二人がナナシを知っていたのはその接し方を見ても明らかだったが、どうにも二人はナナシとの過去の接点を隠したがっているような節がある。兵士たちはその辺りの感情の機微に疎い者が多く、そのことに気づいているのはサーマスだけのようだが、一度妙なことがあると勘ぐってしまえば、どんな素振りも何かの意味があると思ってしまうもの。そういう事情もあり、サーマスはナナシと行動を共にするようになってから、なにかとイーデン、ヒルダ、ナナシの三人に注意を払っていた。
「まあ、俺はナナシの正体なんざどうでもいいが、なんでこんなところにいるんだってのは確かに気になるな。とにかく魔境の中心を目指してるってのは聞いてるが、もしかしたら急に俺らと別行動するとか言い出すかもしれねえ」
「それは確かに困るなあ。でも大丈夫じゃないか?ほら、隊長が持ってる探知機、あれを信じるなら、俺たちもこっから魔境の中心地に向かえば、その途中で先発隊の隊長を助けれそうだって言ってたし」
「……そううまくいけばいいがな。それに、お前も隊長殿がまだ生きてるとは思ってないだろ?せっかく苦労して奥地にたどり着いても、やることが死体回収だけってのはどうにも寂しい」
グラキドの言うとおり、彼らがここまで苦労して進んでいた道を、全滅した先発隊が無事なままに進めたとは思えない。隊長格の兵士が身に着ける鎧には特殊な機器が仕込まれており、それにより現在地の追跡ができるのだが、どういう訳か先発隊の隊長はここからさらに奥地に進んだところにいるらしい。追跡機器は持ち主の状況までは調べることができないが、兵士たちは全会一致で生存の可能性はないと考えていた。
「とはいえ、隊長と副隊長のためにもなんとか生還しないとな。幸いだったのは、生体装甲が使えるってことだ。無理してでもあのバカでかい鎧を使えるようになっておいてよかったじゃねえか!ガハハ!」
「あれを使えるから、俺たちだけがこうしてまだ魔境に残ってるんだけどな……」
試作機として第三十三部隊に導入されていた【ファイネ式試作夜叉鎧・雷型】は全部で五機。それらは部隊の中でも特に適性があるとみなされた五人の兵士に支給されたのだが、どういう因果かその兵士たちの中にグラキドとサーマスも含まれていたのだ。使用者に多大な負荷をかけるとともに、いきすぎた動作補助機能により鎧による負傷が起こることもあるが、【ファイネ式試作夜叉鎧・雷型】が与えてくれる戦力は計り知れない。この機巧鎧がなければ、ナナシに出会うまでに生き残ることすらできなかっただろう。
「そう暗いことばかり言うな!要はさっさと目的地にたどり着いて、すぐに帰ればいいんだ。あと何日かすれば、またあの小汚い酒場で酒が飲めるさ」
「はいはい、それならそろそろ戦車に戻るぞ。もう出発の時間……」
基本的に【グレルドーラ軍式魔導機装車】やナナシの所持物品である【メイコツ汽車】を使えば休憩しながら魔境を進むことができるのだが、何かに搭乗した状態だとどうしても不意の敵襲などに対応することが難しい。そのため、彼らは休息の時間だけは外に出て、周囲の警戒を行いながら疲れを癒すことにしていた。
その休憩の時間も終わりに近づき、サーマスは地面から立ち上がったのだが、高くなった彼の視界に何か動くものが映った。一瞬だけ自分の目を疑うサーマスだったが、やはりそれは彼の見間違いではなく、遠くにある丘から人影のような何かがこちらへと近づいてきている。
「おい、グラキド!なにか……いや、誰かがこっちに向かってきてる。もしかしたら生存者かも」
「なに……!?確かにあれは人間のようだが……様子がおかしくないか?」
グラキドが言うように、遠くに見える人影の動きはどこかぎこちなく、不自然な印象を受ける。ほかの兵士たちも近づいてくる何かに気が付いたようで、イーデンやヒルダも戦車のそばからその様子を窺っているようだ。
兵士たちが状況を見極めようとしているうちに、丘の向こうから続々と人影が現れる。すぐに百人を超える数になった群衆は、うめき声をあげながらひたすら歩みを進めるだけだ。その異様な光景を見たサーマスは、無意識のうちにその場から一歩後ずさる。
「これは……やばい状況だよな?」
「ああ、間違いなくな!生体装甲を着といたほうがよさそうだ、とりあえず戦車に戻るぞ」
二人の生体装甲は【グレルドーラ軍式魔導機装車】の中で稼働のための魔力を充填している最中だ。もちろん生体装甲を着ていなくても二人は並みの兵士以上の実力を持っているのだが、この異常事態に準備を怠るわけにはいかなかった。
足早に戦車のもとへと走るサーマスとグラキドの耳に、イーデン、ヒルダ、ナナシの三人の会話が飛び込んでくる。
「おい、ナナシ。お前の人形で近づいてくる奴らを調べられたりしないのか?」
「調べる?仕留めてここまで引きずってくることはできるだろうが、それでいいならやってもいいぞ?」
「それはダメよ。動きはおかしいけど、もしかしたら生存者かもしれないわ」
イーデンとヒルダの頼みを聞いて思案するように腕を組むナナシが、面倒くさそうに答える。
「それならあいつらが近づいてくるまで待てばいい。今、この周りを守っている結界は人間は通すようにしてある。あれが生き残りだったなら、結界を素通りしてここまで来れるだろう」
何を悠長なことをと内心で罵るサーマスだったが、生存者かもしれない人影に先制攻撃を加えるわけにもいかないのも確かだ。イーデンたちと共に様子を見守ることにしたサーマスとグラキドは、戦車の上に立って視界を確保する。
「……なあ、グラキド。あれはちょっとダメそうだな」
「ああ、サーマス。もしかしたらと思ったが、そんな甘いわけがなかったか」
兵士たちが次の行動を思案しているうちに、群衆との距離はかなり近づいていた。そうして視認が可能となった人影の様子を見て、二人は落胆の声を漏らす。
歩みを続ける群衆たちは、すべてが一様に人の形状をとっているが、また同様に健常な人間は一人も含まれていなかった。群衆の見た目は大きく二種類に分かれており、それは身体の一部あるいは大部分が肉か鉄に置き換えられているということだ。身に着けている装備品から察するに、群衆はすべて元兵士だったのだろう。だが、今や助けを求めて異形の身体で進むことしかできない彼らは、救いを懇願しながら腕を兵士たちのほうに伸ばしている。その姿は、まるで炎に焼かれる亡者のように痛ましく、この世ならざるものだった。
「なあ、あいつら……喋ってるよな?」
「ああ、ここまで近づけば嫌でも聞こえてくる」
異形の群衆は、その見た目に反してまだ言語能力を有していた。あまりの常軌を逸した状況に、おもわず二人は指示を仰ごうとイーデンのほうに視線を向けるが、さすがの隊長も今の状況に戸惑っているらしい。
やがて兵士の周りを取り囲むようにして集まった群衆たちだったが、突如淡く発光する半透明の壁が彼らの行く手を遮った。白い光を弾けさせて、木像が作り出す結界が群衆を阻む。
「ふむ、結界を超えれないのなら、あいつらはどうやら人間ではない……こともないらしいな」
成り行きを見守るナナシたちの目の前で、群衆は閃光を放つ結界を力づくで通り抜けた。全身を結界に焼かれて白煙を立ち昇らせながらも、群衆はなおも歩みを止めず、また助けを求め続ける。
「タス……ケテ……タス……」
結界を超えて数歩進んだ群衆は、唐突にすべての動きを止めた。そして数瞬の後に、全身を変形させる。突如体の内側から膨らんだかと思うと、体の一部と置き換わった肉や鉄を起点に、身体の構造が組み変わっていく。そうして機獣や肉獣へと変貌した群衆は、魔物と変わらない凶暴性でもってナナシたちに襲い掛かる。
「くそ!やっぱりこうなるのか!全員戦闘態勢を整えろ!時間を稼ぐから、鎧を来てこい!」
「了解!」
ナナシが出した自動人形たちにより、最初に結界の中に侵入した元人型の魔物はすぐに打ち倒されたが、群衆は次々に結界の中に入り、その身体を人外のものへと変えている。この限られた範囲でそれらすべてを倒すとなると、生体装甲を身に着けたとしても苦戦は必至だろう。だが、今とることができる選択肢はもはや戦うことだけだ。
兵士たちは、隊長であるイーデンの指示に従い、すぐさま戦車の中へと入っていく。
「……おい、グラキド。今から遺言書を書き直していいか?」
「なに馬鹿なこと言ってんだ!さっさと鎧を着ろ!」
サーマスはため息をつきながら、怒鳴るグラキドを追って戦車に入るのだった。
【メイコツ汽車】:六十一ページ目初登場
【ファイネ式試作夜叉鎧・雷型】:六十三ページ目初登場
【グレルドーラ軍式魔導機装車】:六十三ページ目初登場
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