表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【べらんめぇフィリピン紀行】  作者: 塞翁馬
オオトカゲのキッス
3/3

ボーイ船長の憂鬱

.



       『 ボーイ船長の憂鬱 』





コテージの朝の眠りは、いつも船のエンジン音で破られる。


ここはセブ島南端、リロアン・ビーチ・リゾート。


向こう岸はネグロス島の学園都市ドマゲッティ。


ここリロアン村はドマゲッティへの物資の積み出し港。


港といっても、数年前までは桟橋もなく砂浜だけで、遠くセブ市からトラックで運んできた荷物を人夫が胸まで海に浸かって船へ運んでいた。



おいらが最初この村に来た頃は、半分くらいの家では電気も引かれておらず、夜はランプで、外が暗くなると村びとはさっさと寝床へ入って寝ていた。


そのかわり人々の朝は早く、朝薄暗いうちから動き出し、おいらが眼を覚ます頃にはひと仕事終えていた。



いつだったか何回目かのセブ行の折り、リゾートでは新しい雇われ船長が迎えてくれた。


あだ名をボーイといい、対岸のネグロス島の出身。


元漁師で、あちこち出稼ぎで飛び歩いているそうな。


色は黒く小柄で、歳は見様によっては還暦近くに見えるが、聞いてびっくりおいらより年下。ずいぶん老けてやがる。


顔に刻まれた深い皺が、長年の生活の難儀を思わせる。

気難しそうで取っ付きにくい面付きをしてる。


ところがその険しい表情にも拘らず、話をしてみると意外に陽気でひょうきん者。面白い男だ。


ボーイというニックネームは この地方独特の言い回し。「お兄さん」ぐらいのニュアンスだろう。


未成年の男の子に対しては「ドン」とか「ドンドーン」と呼ぶ。

これは「ぼく」くらいの意味かな。


この男ビールを勧めて身の上話を聞くのだが、話を適当にはぐらかす。


子供もあっちこちに作ってあるとかで何か要領を得ない。

これは多分前話に紹介した「通い婚」だろう。


彼はまさしくその犠牲者なのだ。


家族の事を聞いたら気の毒なので、やめた。




ボーイはボートダイビングの船の船長。


船はバンガーボートといい20人乗り位のもので、両側にアウトリガーが付いてて、キャビンの上に(ほろ)が張ってある。


これはリゾート所有で、三隻ある。


ダイビングの際は彼の他に少年のアシスタントが数人付いて甲斐甲斐しく立ち働く。



奴の操船技術は上手いのかどうか判らないが、何だかバタバタしてるようなので、多分たいした事はなかろう。


でもやっこさん、少年たちにいろいろ指示をしてずいぶん貫禄ぶってる。


海上のポイントに着くと少年の一人に合図を出す。


すると少年は、流れの速い海へ躊躇なく飛び込む。


そして「ポンツーン」と呼ぶブイにモヤイ綱を掛ける。


潮流が激しい時は、船に泳ぎ着くのにひと苦労。


しかしフィリピンの子供はやはりたくましい。


おいら見ていて、感心するやらハラハラするやら。


船をモヤったら、こどもたちはゲストの世話。


フィリピン名物「殿様ダイビング」だ。


ダイバーは立ってるだけ。 


それは、あたかも出陣の大将の(よろい)を家来が装着するように、スタッフが数人がかりで着付けてくれるんだよ。


機材のセッティングは元より、重いタンクを背負わせて、マスクを洗って、フィンまで履かせてくれる。


しかし、いくらサービスとはいえこれは過剰というべきだ。


初級者を甘やかしてはいかん。


最近の日本のギャルが当然のような顔をして彼らに世話をさせてるのを見ると、無性に腹が立ってくる。


あんなものは安全上から云っても自分でやって当り前。


おれはスタッフにゃ申し訳ないがいつも断ってる。


ダイバーたる者、海の上じゃたくましくなくちゃ。




ボーイは陸の上の行動の方が、見ていておもしろい。


あるときラウンジでビールを飲んでたら、やつが目の前に来てシワだらけの顔でニャッと笑う。


「何か用か」と尋ねたら、俺に見せたいものがあるという。


ロッジの裏までついてったら、何やらタライのような物にに棕櫚(しゅろ)の覆いがしてある。


中をのぞくと、針のようにちっちゃな魚の稚魚が無数に泳いでる。


なんでもこれは、ボーイが飼ってる金魚に産ませたものなんだそうだ。

これを育てて町で売るつもりらしい。


意外と器用なのね。



やつは宿舎替わりにバンガーボートのキャビンを使ってる。


プカプカゆれる船の上でよく寝られるものだよ。


客がいない時は船のエンジンを触ったり勝手に船体を改造するんだそうだ。


一度など、用もないのにエンジンをいじくりまわしてとうとうぶっ壊し、オーナーにクビにされかけたそうだ。



表情は陰気で貧相なのだが、独特のユーモアを持ってる。


身振り手振りを交え、愛嬌のある話し振り。


主に漁師の経験や自慢話。


ビサヤ海の漁師の生活の話はおいらにゃ興味深かった。


やつは故郷のネグロス島から愛用のアウトリガーカヌーに乗ってこの職場へ手漕ぎでやって来たそうだ。


このアウトリガーカヌーというやつは、読者のみなさんもテレビ・写真などで見たことがあるだろうが、一人乗りか二人乗りの船体に、片方または両側にアウトリガーが付いていて短いオールで船を操る。


船本体はヤシ材で出来ていて、硬い丸太を手斧(ちょうな)一本でくり抜いて、丁寧に磨いてペンキを塗って作ってある。



俺はこのツアーの時たまたま船釣りの竿とリールを持って来てたので、ダイビング後ボーイに船頭をやってもらい 魚釣りに行く事にした。


釣り方は一本釣りしか出来ない。 


というのは、ツアー前日の深夜、荷物のパッキング中に ふと釣り道具を持って行くことを思いついた。


あわててダイビング機材の隙間に竿と仕掛けをネジ込んだので、針とハリスしか入れてなく、サビキの仕掛けやコマセ籠を入れるのを忘れた。


エサも現地調達すればいいと簡単に考えていたが、探してみると意外に難しい。


砂浜の砂はすべてサンゴの粉。


石をひっくり返してもゴカイや蟹・小さなエビ類は見当たらない。


魚の切り身は付け餌にはなっても寄せ餌にはならない。


しかしせっかく持ってきた釣り道具なので、何とか一匹や二匹釣って帰らねぇと、てんで格好つかねぇや。



ラウンジの下の浜から、ボーイとふたりでいざ出航。


しかし、乗ってみて驚いた。


カヌーの本体の幅はおそろしく細い。


ヤシの丸太をくり抜いてあるのだが、その上に板を打ちつけてそこへ腰掛ける。


両足は船の外にぶらぶら。 


くるぶしから先は常に海面に浸かってる。


本来は一人乗りのカヌーに二人乗るのだから、その分船は沈み、波がくるたび少し水が船内に入ってくる。


大丈夫かとボーイに何度も念を押したが、奴は俺の心配なぞどこ吹く風。

俺にいいトコ見せようとしてえらく急いで舟を漕ぐ。


足の下はスカイブルーにかがやく海底。


スキューバには慣れてるおれも、あまりの水の透明度にまるで空中に浮いてる感覚に襲われ、こわいくらい。


両側のアウトリガーのはたらきは船に乗ってみると身をもって実感できる。


大きい波が船の横っ腹を押し上げると、反対側のアウトリガーが水面を叩き自動的に体勢を立て直す。 


こんな簡単な仕掛けでこれだけの効果を作り出す。


古代人の知恵はやはり大したものだ。


これだとよほどの波が来ない限り転覆しないだろう。 



20分ほど沖に出て静かな水面から下をのぞき込むと、白い砂に囲まれた中に大きなサンゴの根が散在してる場所に差し掛かった。


リゾートのコックにもらった魚の切り身をさっそく針につけ魚のいそうな根に仕掛けを下ろしてみた。


海面からエサの付いてるあたりをながめてると、なにやら黒い小魚たちがタカって突っついてる。


コツコツと当たりがあるので軽く合わせてリールを巻いた


針掛かりして上がって来たのは、なんとクマノミ。

ご存知、イソギンチャクに共生してるアレ。


10㌢くらいのヤツで、黒地にオレンジの横シマが一本。

ハマクマノミという種類だ。


こいつはかなり気の強いやつで、ダイバーが縄張りのイソギンチャクに近づくと体当たりで攻撃してくる。



ダイバーたちのクマノミの種類の見分け方で、 


「ひとハマ、二クマ、三カクレ」というのがある。


体側の縞模様が1本のやつはハマクマノミ。


2本はただのクマノミ。3本はカクレクマノミ。


ほかにハナビラクマノミ・トウアカクマノミとかがいる。


ちなみにディズニーの「ファインディング・ニモ」はカクレクマノミ。


余談ついでに、動物でタテジマ・横ジマと云う場合、その動物の頭を上にして立たせ、(シマがタテか横かで判断する。


ゆえにシマウマはタテじゃなく横。


魚の場合、石鯛はヨコ縞、イサキはタテ縞。


知らなかったでしょ。



釣れたカラフルなクマノミは、とても食べられそうに思えなかったのでリリースしようとしたら、ボーイの野郎あわてて止めて、それを自分にくれという。


これを喰うのかと聞いたら大変おいしいと言う。


小っちゃくてかわいそうだったが、奴にくれてやった。


それから1時間位の間に、3匹ほどクマノミばかり釣れたが大物はさっぱり。


やはりエサが良くなかったのだ。



午後の太陽はジリジリと容赦なく照りつける。


釣りにも飽きたので、ボーイにも一本やって一服つけた。


ボーイは問わず語りに取り留めのない話を続けてる。


たぶん英語なんだろうが、ラテンなまりがひどいのでほとんど何を言ってるのか、おいらにゃわからん。


おせじのつもりで、英語が上手くていいネと云ってやった。


おれはサンキューとでも返ってくるものと思ってたが、彼は眉間になおさら皺を寄せ、そうでもないという素振り。


なぜと先をうながすと、やっこさんが云うには、


「あなたがた日本人は、アクセントはPoorだが英語の文章を書いて読めるだろう。


おれたちの多くは学校もろくに入れてもらえず読み書きが出来ない。 


看板の注意書きも読めずに今まで苦労した」 


というような意味のことをボヤいた。


なるほどそうか そういうことか。


彼ら地方の農民や漁民の家では、子供も重要な労働力。


学校へ行かせるより家の手伝いが優先される。


勉強好きな子ならともかく、大抵の子は余暇が出来ても 近所で遊んでる方が楽しいに決まってる。


ラジオは英語なので、それでも言葉はけっこうおぼえる。


不登校が余りにも多いので御上(おかみ)もほったらかし。


そういう福祉はあの国では皆無。


先祖代々の文盲という家庭も結構あるそうだ。


親も読み書き出来ないのだが、女の子は嫁にやり、男の子は家業を継がせれば別に字が読めなくったっていいだろくらいの考えしか頭にない。


ボーイが云うには、文盲では職業が限られ出世して裕福になることなど 到底おぼつかぬ。


ハポン(日本人)はたいへん恵まれてると云ってる訳だ。

 


リゾートに帰って、セフティボックスから金をおろして手間賃としてやっこさんに1,000ペソ(約2千円)わたした。


その夕方になってボーイに用事があるマネージャーが彼を探し回っていたが、俺だってわからない。


やっと見つけ出したら、やつは村はずれのカラオケ屋で ひとりで飲んで歌を唄ってた。


俺がはずんでやった1,000ペソが久しぶりのギャラ。


やっこさん店で大散財をしてたそうだ。あははは。




今朝もボーイの船のエンジン音で眠りを破られた。


おれの釣ったクマノミは、その後どうなったかわからない。






.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ