江戸っ子のフィリピン珍道中
ジパングの傲慢
海外旅行へ出たことのない人、いや、しょっちゅう旅行してる人でさえ大半は知るめぇよ。ジパングの意識の傲慢、夜郎自大を。
添乗員が付き添ったり、現地の空港に日本人駐在員が出迎える式のパッケージツアーのみ経験なさった善男善女の皆さま。
お仕着せのホテルにお泊りなすって、観光地をお登りさんよろしく大勢でゾロゾロきょろきょろ見物、その国のすべてを合点したように錯覚なすって帰国し、知人に自慢しなさる気の毒な田舎っぺツーリストの方々。
庶民が逆立ちしても食べられぬ宮廷料理を貨幣価値の違うジャパンマネーに飽かせてむさぼり喰い、国の代表料理と勘違いして帰国。
自慢気に吹聴しまくって、来日してるその国の者に怪訝な顔をされたシャッチョさん。
現地人にとっちゃぁ珍しくもねぇ風物をデジカメで撮りまくり、ホテルのスタッフに見せて悦に入る大将。
画像を自慢してんだかカメラを見せびらかしてんだか分かんねぇやな、へっ。
まぁ何にしろ滑稽ですぜ、ハタから見て。
田舎者丸出し。
日本人として、ちったぁ恥ずかしいって思った方がいいよぉ、旦那。
以前ミクロネシアのポナペ島へ行った時の事。
海岸のラウンジで食事中に連れの日本人女が、裸足の現地人ウェイトレスに、止める間もあらばこそ、いきなり「あ〜た日当はナンボ?」と聞いた。
すると、その子は暫し考えて、皮肉そうな薄笑いを浮かべ、テーブルのコーヒーを指差し、
「それの値段と同じです」と言った。
どうだい、連れの女の尊大さ。発展途上国を見下した言い様。
その無神経さにゃこちとら穴があったら入りてぇ思いだったゼ、ったく。
もういい加減に気付きましょうや。
日本式の尺度で外国を測ることは、あたかも水田に麦刈りコンバインを入れてるのと同じで、何が何やらもう目茶苦茶。
それと気付かない人が多すぎる。
その国の庶民の生活、モノの考え方を知りたきゃ、多少の危険は覚悟でスラムに行くなり 額に汗して働いてる人の家を訪問しなさいってぇの。
そんなの怖いって言うかも知れねぇが、大抵の場合歓迎されると思いますよ。
但し、幾ばくかのお土産をお忘れなきよう。
藪から棒に手ぶらで行っちゃぁ、そいつぁ失礼ってもんだ。
チップでもいいんだぜぇ。
何がしかの小銭でも渡し、「家の中を見せてもらえませんか」って言えば、べつにおかしくはねぇ。
額は少なくていい。
「気は心」って言うだろ。向こうだって家ん中を見せるくらいで、そんな法外な金をもらおうなんて思っちゃぁいないよ。
とかく日本人は、直接に銭を進呈するのを相手に失礼って考える。
でもそんなの日本だけだよ。外国人は好意の表現に物と金の区別はしない。
「こちとら物乞いじゃねぇんだ」なんて怒り出す事はしねぇよぉ。
貧しきを恥じて訪問をことわるなんてぇのは日本人の感覚で、観光で来た他国の者がその国の庶民の家ん中を見たがるのは自然な事。
スラムの掘っ立て小屋に住んでる紳士淑女の礼儀正しくフレンドリーなこと。
まぁ、一度経験されるヨロシ。
真の出会いとは、そういうものと我輩は心得ておる次第でござんす。
◇
初めてフィリピンへ行ったのは、ダイブ・クルージングと称するパッケージツアーだった。
成田からセブ直行。
空港からピックアップでセブ港へ。
島巡りをしながらそれぞれポイントで潜る寸法。
ピックアップの車に乗せられ、物珍しそうに車外のスラム街を眺めてると、いつの間にやら港に到着。
錆びたコンテナ群の隙間からコンクリのあちこち欠けたみすぼらしい桟橋が海へ向かって突き出てる。
そのたもとに小柄な男が立ってる。
どうやらこいつがこのツアーを主催してる日本人ダイバーらしい。
小男は、おいらを客と判るとニコリともせず片手を挙げて軽く会釈した。
繋留されてるクルーザーは、デッキにボートを搭載してるくらいの結構デカい代物で、客室も十室以上はありそうな船だ。
到着日の晩は、航行中の船室で一泊。
飯はバイキング式で、ハポン(日本人)向けに味噌汁、やきそばもある。
米はいわゆる外米(タイ米)でガサガサ、パサパサ、何年か前に日本でも喰わされた記憶があるヤツだ。
食後デッキに上がってみたら満天の星。
天の川もくっきり見えてすばらしい。
昔、屋久島で見た星空でもこれには敵わない。
おいらいっぺんでご機嫌になった。
キャビンの後にゃバーが開いててフィリピン人のバーテンがいる。愛想がいい。
ビールをもらって、星を見ながらデッキに並べられたサマーベッドに寝そべる。
なんて気持ちがいいんだろ。
セブ島くんだりまで来た甲斐があったぜ。
バーは10時までで、とうとう最後まで誰もデッキにゃ上がって来なかった。
日本人客も5〜6人いたようだが、船室で何やってんだろ。
翌朝目を覚して、カーテンを開けて窓から外を見ると、馬の背のような細長い島が先端をこちらに向けている。
セブ島の南端なんだそうだ。
その脇にちょこんと小さな島が浮いている。
スミロン島というらしい。
島の近くにアンカーを打って停船。
そしたら、どっからともなくアウトリガーカヌーに乗ったサマジイ(爺様)がクルーザーの横っ腹へ漕ぎ寄せて来て、主催の小男ダイバーから金を受け取った。
いわゆるショバ代。
日本のダイビングポイントじゃ漁協が”施設使用料”って名目でダイバー客から徴収してる。
そして小男の指示で、各々器材をセッティング。
一発目潜ってみて驚いた。
サンゴの多様さと小魚の種類の多さ。
カメもいた、ロウニンアジのメートル級も見た。
船へ上がってからコーヒーを飲んでると、いつの間にやら船は動き出し、スタッフに聞くとアポ島という所へ向かっているという。
何時間かして、そのアポ島に着いた。
椰子の間に掘っ立て小屋が数軒ある。
ながめてると、あばら家の隙間からわらわらオバちゃん達が砂浜へ出て来て、うれしそうに手を振っている。
ボートに乗り換えて浜辺へ上陸すると、はたして寄ってタカって何か買えという。
見ると手織りの風呂敷やら貝細工のアクセだ。
いらねぇと言うとオバちゃんたちあきらめて、今度は若い女の日本人客に食い下がる。
かなりしつっこい。
おいら知らぬ顔してさっさと器材をセッティングして潜行。
さすがにスゴイ。
渦巻くバラクーダの大群、枝サンゴの平原、無数のカラフルな小魚、ギラギラ光るギンガメアジの群れ。
その夜、星空の下の墨のような真っ黒い海を母船はゆっくりと進んでゆく。
例によってデッキのバーで飲んでると、いきなり若い日本人の男が寄って来て自己紹介をした。
なんでも、海上保安庁の船長さんとやらで、休暇でセブへダイビングをやりに来ているという。
最近はこんな若けぇのが船長なんだな。
なんか頼んない気もするがネ。
テキトーに世間話をしてると、やっこさん、ツアー最終日の夜にセブ市のカジノへ行くので一緒に行かないかと誘って来た。
こちとら余分な金は無ぇし、バクチの趣味はねぇから断わった。
次の朝、目覚めると目の前にペッタンコの島が横たわっている。
バリカサグ島というドロップオフで有名な島なんだそうだ。
ドロップオフとは海中の垂直に切り立った崖のこと。
島の周囲2〜3Kmってとこか。標高が極端に低い。
デッキへ上がって眺めていると、はたして何艘かのカヌーに乗った例のオバちゃん達が漕ぎ付けて来て大声で物を売ろうとする。
いやはや、そのバイタリティーはたいしたもの。
しかし、にこにこして愛想が良い。
東京の商売人も威張ってばかりいないで少しは見習うといい。
母船からボートに移り、少し岸寄りでエントリー(入水・潜行する事)。
いや、このドロップオフ(垂直の崖)はすごい。
カレント(潮流)はきついが地形が面白い。
垂直の壁の底は途中から急に暗くなって、あたかも奈落の底へ落ち込んでゆくような薄っ気味悪い闇が黒々と広がっている。
海中の断崖付近にギンガメアジがびっしり集まり銀色の渦を巻いている。
ダイバーの夢はこのギンガメの渦巻きの穴を通り抜ける事。
ボコボコと排気の泡を出しちまっては一遍で魚が驚いて散ってしまう。
そうさせずに渦の下から穴を浮上通過するのはなかなか骨が折れる。
息止めしながら周囲の魚どもに圧をかけないようあわてず且つ素早く通り抜けなきゃならない。
ここでタンク3本潜って、上がってシャワーを浴びデッキで一服してたら、例の小男チーフが、一時間だけ島に上陸できると言って来た。
まだ日も高いので行く事にした。
ボートで上陸すると、白いサンゴのガラの砂浜に乗り上げているバンガーボート(アウトリガーの付いたデケぇボート)の脇で、ヨチヨチ歩きの子供達が海に浸かって遊んでる。
周囲を見渡しても親らしい姿はない。
この子達が溺れだしたら誰が助けるんだい?
そうしてるうちに、オバサン軍団のお出ましだ。
あっという間に取り囲まれ、買え買えの大合唱。
中にはポケットを探るのもいる。
しょうがねぇ。1,500ペソ(当時のレートで4,000円)持ってたので少しのつもりで買ってやった。
しかし、これがいけなかった。
私も私もってな調子で、有り金ぜんぶ買わされ、それでもまだ買えという。
金はもうねえと財布をヒラヒラさせたら、一人がそれをつかんで「Change!」。
つまり、財布とみやげものを交換しろという。
そうすると、わたしはTシャツ、オラはビーサン、バミューダは引っ張るわ、グラサンは取ろうとするわ。
中にはダイバーウォッチを外しにかかるババアもいる。
何のことはねぇ、集団追い剥ぎだ。
島見物どころの騒ぎじゃねえ。
フリチンにされないうちにほうほうの体で船へ逃げ帰った。
母船でその話をするとチーフのやつ、
「今までウチの客で、あの島で1,500ペソも使ったのは記録だ」
って言いやがんの。
そういう所だって先に言えってぇの、ったく。
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