1-5 読んでない本と呼んでない客
芦ノ谷がやってきて小学生のような口喧嘩をした日から数えて四日目、今日は朝から憂鬱だった。
昨日、僕は中庭でいつもの日課の恵比寿神祝詞をあげる儀式を済ませてから一日中、読書をしていた。
儀式をする理由としてはヒルコを、同一視される神、七福神で有名なエビスに近づけて僕が外にいても祟りなどが起きないようにするためだ。
冷水で身を清めること以外は特に苦ではないし、少しでも早く外に出たいので毎日続けていた。
僕の家には本ぐらいしかない、インターネットもテレビもラジオも無い、情報化社会を生きるヒキコモリとしては有ってはならないぐらい意外なことだろう。
だがそれには理由があって、池元曰く、ヒルコに悪影響なのだ。
ヒルコに悪影響ということは、この町が危ないということで、僕は唯一残された読書という暇つぶしを日夜励んでいる。
ヤツミが一週間に一度買ってきてくれる本、つまり僕がまだ読んだことのない本を昨日は読んでいて、シリーズ物だったのでついついもう一冊もう一冊と読みすすめるうちに、そのシリーズを読破していた。
その予定調和だが、大胆かつ繊細なラストに僕は凄く感動し、そのまま余韻に浸って眠ることにした。
翌朝片付けようと、まだ読んでいない本専用コーナーから、そのシリーズを別の本棚に移動させてようとして、気付いてしまった。
もう読んでいない本が無い事に。
家にある蔵書という蔵書に読んでいない本が無い状況である。。
別に僕は同じ本を読み返さない人間じゃないが、まだ読んでいない本には未知という刺激が沢山詰まっている。
それは面白かった本を読み返して発生する面白さとは別物だ。
パンがなければケーキを食べればいいなんてことにはならない。パンはパンでケーキはケーキだ。代替え品にはならない。
それにパンがいつでも食べられる状態だからこそ贅沢品のケーキを安心して食べる余裕が生まれるのだと僕は思う。
同じ様に僕は読んでいない本が蔵書にあるからこそ、読んだ本を読み返す余裕が生まれるのだ。
よくさ、モテるにはギャップだとか言うじゃない?
いつもは不良の乱暴者が猫を助けてるのを見て真面目系委員長キャラがキュンとくるアレだ。
要はアレって、マイナス方向のイメージがプラスに変わった時の高低差が広いために感情にブレーキ効かなくてどんどんプラスに錯覚する状態のことなのだと僕は推測する。
そうやってギャップが良い具合に働いている場合は素晴らしいのだけど、駄目なほうに働くと目が当てられない。
イケメンでスポーツ万能でみんなに優しいクラスで一番の人気者でも授業中にウ○コ漏らしてしまうと百年の恋も醒めてしまう。
別に恋愛に限ったことじゃなく、色んな場面でギャップのパワーアップによる暗黒面は訪れる。
例えば今、昨日の夜まで楽しい時間を過ごしていた。だが今、この家には読んでいない本が無い。新しい本が手に入る算段まで後、三日である。
具体的に言えばヤツミがやってくる日だった。もうこうなれば僕はその日まで部屋の隅でウジウジしていよう。こんなに日にこそ誰か来てもらいたいものだ、この生活を始めて一年で一番刺激に飢えていた。
ドンドンドン!
突然のノック。
誰だろう?などと考える前に僕は寝室兼書斎の隅から飛び上がり扉を蹴飛ばし、風呂場前を突き切りキッチンを尻目にリビングをまわって玄関に飛び出す。
願いが叶ったのだ。
この家ではあまり冗談にならないが、僕は神に感謝する。
扉を開けると、そこには名探偵芦ノ谷がいた。
お前かよ!
芦ノ谷は四日前に最初に見せたあの凛々しい表情で僕の顔を見ている。
「やあ大山くん、こんにちは」
名前教えたっけ?
芦ノ谷の背中には今から山でも登ろうかというほどの大きなリュック。
「えっなに?」
登山でも誘いにきたのか?僕は大山ノボルなんて名前だが、山には登らないし、登れないぞ。名は体を表さないのだ。
「挨拶ぐらいしたまえ」
「おお、こんにちは芦ノ谷さん」
「うん、よろしい」
挨拶に満足したのか、芦ノ谷は笑みをこぼした。
「あげてもらっても?」
「え?いやだよ」
当たり前だ。お前のような奴は神に望んでいない。
「なぜだ!」
凛々しい表情が一転、駄々をこねる子供のような表情になる。
「だってギャーギャーうるさいんだもん、お前」
「なんだと!」
「ほらそうやって簡単に感嘆符をつけるじゃん」
「洒落のつもりか!」
「偶然だよ!」
「よし、なら静かにしよう」
ゴホンと咳払いをして凛々しい表情に戻す芦ノ谷。
「すこし話しませんか?」
美人だ。何故こんな痛い奴が美人なんだ。
僕はこの美人と話したいと思いはじめてる。
こないだそれで痛い目にあっているのに、美人と話したい自分が理性に対して言い訳を考えはじめてる。
「駄目だ」
よく言えたぞ、僕。
僕はあれから下心なぞ封印すべきと反省したのだ。
「駄目ですか?」
少し儚げに弱気そうな表情で上目遣い。
僕は気付けば芦ノ谷をリビングにあげていた。
「はっいつの間に」
何故だ。またこうやって後悔をする要素を家に招いてどうすんだ。
「いやー君も話せばわかるじゃないか」
うるせーよ、僕の下心が悪いんだ。こいつ女の武器知ってるよ、こいつも女子なんだな。
腐っても鯛ならぬ、腐っても女子………、やめとこう。あの単語を思い出す、アルファベットのBとLで表す、あのジャンルを思い出してしまう。
ヤツミに買ってきてもらった本の中に混ざっていたあの本を、途中まで読んでしまったあの本を思
い出してしまう!
そうかあの本まだ途中だ!確か、書斎の本の山にあるはずだ!読み切ってない本だ!
いやいやいやいやさすがに駄目だ!あの本を読み切ってしまったら僕の何かが、大切な何かが壊れてしまう!
「おーい大丈夫か?」
大丈夫じゃなかった、正気を失いかけていた。
「まあいいや。こないだ、このリビングに入れてもらったとき本が沢山あるなと思って気になってたんだ」
なんだ本が好きなのか?本が好きなら読んだ本の中身を忘れて、もう一度新鮮な気持ちで読めるようにする魔法とか知らないかな?その魔法教えてくれれば、友達になってやるぞ。
「まあな、書斎もあるんだけどもう本棚が入りきらなくてな」
そうなんだよ、こんなに本があるのに、もう読んでない本がないんだよ、泣きそうだ。
「ほう書斎まで、私も結構な読書家と思っていたが、大山くんには適いそうにないな」
ふむ。あんな小学生のような口喧嘩をした相手のことをよく褒めれるもんだ。正直、ただの馬鹿だと思っていたが、いいところもあるじゃないか。
馬鹿と良い奴が両立しないわけでもないし、仮にもヒーローのような名探偵だと自分を勘違いしてるのだ、根っこの部分は善性の人間なのだろう。痛い奴には変わりないが。
「それでね」
芦ノ谷はソファの横に置いてあったリュックを重そうに引きずり自分の前まで持ってくると中から重厚な革のハードカバーを何冊も出しテーブルの上に並べはじめる。
コナン・ドイルにモーリス・ルブラン、アガサ・クリスティにアントニー・バークリー、チェスタートン………、要は推理小説の名作だった。
それを並べた後、芦ノ谷は少年的ともとれる挑戦的で自信ありげな笑顔で僕の目を見る。
「どうだい?」
なにがだろう?あっピーターラブゼーの『偽デュー警部』がある。前から読もう買おうと、タイミングを逃していたのだ。
つまり読んでない本だ!
僕はつい手を伸ばそうとしたが、寸前で芦ノ谷にはたかれてしまう。
「無視しないでくれ」
「ああ悪い。ちょっと『偽デュー警部』読んで良い?」
「待ちたまえ、等価交換だ。君が私のコレクションの中から好きな物を読んでる間、私も君のコレクションから本を読ませてくれ」
「全然構わないよ!」
いやあ良い奴じゃないか芦ノ谷。