3 死が二人を分かとうと
俺は一階から聞こえてくる声で目を覚ました。
どうやら下の食堂で誰かがバカ騒ぎをしているようだ。
時計なんてないから時間は分からないが、まだ下に客がいると言う事はそれほど遅い時間ではないだろう。
俺は起き上がると固まった体を解して部屋を出る。
一階に下りると思った通り何人かが集まって酒を片手に宴会が行われていた。
俺は受付の少女のもとに行くとなるべく他人に聞かれない様に声を掛ける。
「凄い騒ぎようだな。何かあったのか?」
そう言って俺は騒ぐ連中の方へと僅かに視線を向けた。
「なんだか切られた手が完治したらしくてそれを祝っているらしいですよ。」
その答えに冬花の顔が一瞬頭によぎり会いたい気持ちで胸がいっぱいになる。
今が何時かも分からないので俺はすぐに行動に移した。
「そうか。少し出て来る。」
俺はそれだけ言って宿を出て隣にあるギルドに向かう。
そしてギルドに着くと椅子に座りカウンターに視線を向ける。
すると昼間に手続きをしてくれたジェシカがまだ仕事をしており、首を横に振ってまだ来ていない事を教えてくれる。
そうか、まだ来ていないか。
でも今日中に来るとい言っていたからここで待てばいいな。
俺は頭を軽く下げてお礼を伝えそのまま椅子に座って待ち続けた。
そして外の喧騒も聞こえなくなり街灯の無いこの付近は闇に包まれ始めた。
今外を照らすのは家々から漏れる僅かな光と月明かりのみ。
そしてギルド職員の姿もほとんど見なくなった時。
入り口の扉を開けて一人の人物が現れた。
俺は人物が冬花であるかを確認するためにそちらへと視線を向ける。
するとその姿はジェシカから聞いていた通りの黒髪だ。
だがその髪は一切の手入れをされていないのか所々傷んでおり色もくすんでいる。
目つきも俺の記憶にある優しいタレ目から獣のような鋭い物となり瞳は何処か濁りを感じる。
更に顔や手にはいたる所に傷があり、その綺麗な姿を台無しにしていた。
俺はその姿に絶句して言葉も出ない。
しかしその変わり果てた姿でもハッキリと分かる。
彼女は自分が半生をかけて探していた冬花で間違いないと!
冬花は疲れたような足取りでカウンターに進むとジェシカのいるカウンターに近寄り話しかけた。
「仕事。」
するとジェシカは慣れているのかその一言で手元から依頼の紙を冬花へ渡す。
そして冬花はボロボロの指で依頼書を指差していく。
「これとこれ。」
冬花はその中から目ぼしい物を選びジェシカへと渡した。
その依頼内容を確認してジェシカはワザと声を大きくして話しかける。
「この依頼は危険度が高いです。誰かとパーティーを組む事をお勧めします。」
その言葉を聞いて冬花は目を細めてジェシカを睨みつけた。
そこには完全な拒絶の意思があり、殺気すらも感じられる。
「いらない。他の人は信用できない。それに私の横は既に埋まってる。」
ジェシカはいつも冬花にパーティーを組む事を進めている。
しかし彼女は常に拒絶し続け絶対にパーティーを組まない。
そしてジェシカも冬花の強い拒絶を受けて今までは諦めていた。
しかし、今日のジェシカはそんな彼女に負けず食い下がってみせる。
「一度だけでもいいのでお願いします。ちょうどあそこに一人いますので彼はどうですか?」
ハッキリ言って冬花の依頼に登録したての新人を付けるのは大問題だ。
しかしジェシカはそれよりも蒼士の言葉を信じ、彼女と対面されることを優先した。
彼女は長年の経験から気付いていたのだ。
冬花とわずかに話している内に彼女は優しい心を持っていると言う事を
そしてきっかけさえあればまだ戻ってこれると信じている。
そして冬花は嫌々という体でジェシカの指示す先に視線を向けた。
しかしその先に居る蒼士と視線が合った時・・・。
冬花は出口へと逃げ出した。
蒼士とジェシカはそのあまりに突然な行動と速さに対応が遅れてしまう。
だがジェシカは反射的に叫んだ。
「追いかけて!」
その言葉に俺は椅子を蹴り倒すように立ち上がり走り出した。
しかし、外に出ると冬花は既に闇に消えており何処にも見当たらない。
俺は自分の迂闊さを後悔しながらその場に立ちすく事しか出来なかった。
そして戻ろうとした時に腰から違和感を感じ取った。
そこにはこの世界に来た時にいつの間にか持っていた剣がある。
そして、自分が行く道に困っている時に不自然な動きで導いてくれたことを思い出した。
「これに賭けるしかないか。」
そう呟いた俺は腰から剣を外して地面に立てると冬花の事を一心に思って手を放した。
すると剣は今度は迷いなく倒れるがその方向は倒れながらでも少しずつ変わっていく。
そして俺は剣を拾いその導きを信じてそちらへと我武者羅に走り始めた。
その頃の冬花は混乱していた。
この17年、会いたいと願い続けた相手が目の前に現れた。
しかし、願おうとも叶わないと思い今日まで過ごして来た。
他の男に言い寄られるのが嫌で顔に自分で傷を入れ始めたのはこの世界に来て数か月後の事だった。
その頃から髪も手入れしなくなり体の傷も残すようになった。
それでも言い寄ってくる相手がいれば容赦なく対応した。
この世界に来てすでに半生と言える長い時間を過ごした。
救いの手を振り払い人を見捨てた事もある。
パーティーを組んでいた相手に襲われ穢されそうになったこともある。
敵とはいえ人も殺した。
冬花はこの世界に来てからの事を克明に思い出し自分の手が血にまみれている幻を見て足が止まりそうになる。
そして彼女は咄嗟に自分の手を確認する。
だがそこにはボロボロになった自分の手があるだけ。
冬花は涙を流し手を握り締めた。
「私はもう彼に相応しくない。」
そう呟くと冬花は自分が拠点にしている場所に向かう。
そこは町はずれにある立っているのが不思議なくらいボロボロの廃屋であった。
だがよく見ると壁は補強され、いたる所に生活の跡が見える。
冬花はそこに飛び込むと急いで荷物をまとめ始めた。
食料をカバンに詰め装備を整える。
そして1分もしない内に準備を終え外へと出た。
「見つけた。」
だが、彼女の予想を覆しそこには蒼士が立っていた。
「何で逃げるんだ?俺の事が嫌いになったのか?」
冬花は何も言わず俯き視線を合わせようとしない。
そして冬花は蒼士に視線を合わせないまま腰の剣を抜いた。
恐らくここを強行突破して逃げる事を選択したのだろう。
仕方なく蒼士も剣を抜いて構える。
「冬花、あのバカから話は聞いた。俺はそんな事も知らずに17年向こうの世界でお前を探し続けた。でも、俺も向こうで死んでこの世界でお前に会うことが出来た。例えお前が俺を殺したいほど嫌っていても。俺はもうお前からは離れない。」
蒼士の言葉に初めて冬花は視線を合わせた。
その瞳は涙にぬれ、昔の様に優しい目に戻っている。
だが彼女はいまだに剣を握り蒼士へと向けていた。
そして、その足はいかにここを切り抜けて逃げるかを考え僅かに動いている。
蒼士はその様子を見て溜息をついた。
「仕方ないな。俺はお前を傷つけたくない。そしてお前も同じだと信じている。」
それだけ言うと蒼士は突然剣を逆手で持つ。
そして冬花はそれが何を意味するのかを瞬時に悟り剣を捨てて蒼士の許へと走った。
だがその行為は間に合わず蒼士は躊躇う事無く剣を自分の腹へと突き刺して見せる。
その行為に冬花は顔を青ざめ目を見開くと先ほどとは違う涙を流しながら倒れていく蒼士を抱き留めた。
しかし、それと同時に蒼士も冬花を抱きしめ彼女を捕まえる事に成功する。
「やっと捕まえた。17年この時のために生きてきた。もう一生離したくない。」
蒼士は腹から血を流しながらも笑顔を浮かべて冬花を抱きしめた。
そして、冬花も同じように抱きしめると掠れた様な鳴き声を漏らす。
すると蒼士は次第に寒さを感じ始めその体を震わせ顔色を悪くさせて行く。。
「冬花。もうあまり時間がない。」
蒼士の絞り出すような声を聞いて冬花は首を激しく左右に振って子供の様に泣き続ける。
「お前の泣かせたのは久しぶりだな。でもこれはお別れじゃない。俺は今日をやり直して再びお前に会ってみせる。だからお前も待っててくれるか?」
その言葉に、二人が出会って初めて肯定を示すように冬花は頷いた。
そして次の瞬間、蒼士の体から力が抜け呼吸が止まり何も喋らない躯へと変わる。
それを見て冬花は頭が真っ白になり沸き上がる胸の痛みに任せて大声で泣いた。
そして蒼士を抱き上げるとギルドに向かいトボトボと力なく歩き始める。
冬花はギルドに入ると受付に向かいジェシカの前に立った。
ジェシカが驚いてカウンターから飛び出し、冬花の前に立つと死んだ蒼士をジェシカへと渡す。
「この人をお願い。」
その瞳は先ほどとは違い、とても優しく綺麗な瞳をしていた。
その変化に気付きジェシカは蒼士が目的の一部を果たせたことを知る。
しかし命を無駄にした者が出た事にジェシカは涙した。
確かに彼女は救われたがこれでは悲しすぎると。
「あなたはこれからどうするの?」
ジェシカの見立てではこれは完全な自殺である。
この事から冬花に罪が行く事は無いだろう。
しかし、この死に彼女が耐えられるとはとても思えなかった。
すると冬花は数歩ジェシカから離れると突然剣を抜いて自分の首を切り落とした。
そして冬花は薄れる意識の中、その目に最後まで愛しい人を映し続ける。
その直後、冬花の死を見ていた女神は溜息を一つ付くと時間を巻き戻した。
今現在、冬花は再び始まりの場所に立っていた。
その姿は日本から来た時そのままで体の何処にも目立った傷はない。
そして彼女は前回の時と違い晴れやかな顔で町へと向かう。
1月後には彼に会える。
その思いを胸に彼女は歩き出した。
町に付くといつものように行動し、入り口でタグを貰いギルドで登録する。
受付のジェシカに担当してもらい、この世界に来て久しぶりに良好な関係を築く。
その姿と笑顔に寄って来る男は多いがその時は昔の様に冷たい目と対応を行いなるべく大怪我をさせないよう注意して追い返した。
安全な仕事を行い傷が出来れば傷が残らない様にちゃんと治療し、髪や肌の手入れを怠らない。
その姿にジェシカは冗談半分に問いかけた。
「いつも綺麗ね。好きな相手でもいるの?」
ジェシカは冗談のつもりで聞いたが冬花は頬を赤らめて笑顔で答えた。
「ええ、明日迎えに来てくれるの。だから今は未来が楽しみで仕方ないわ。」
その笑顔にジェシカは眩しい物を見るように目を細めた。
だが周りで聞いていた男たちは絶句し言葉を失っている。
この一ヶ月で彼女は一部の者から氷の女王と言われていたからだ。
下心をもって近づいた者はその目に射抜かれ。
実力行使で来た者はその類稀なる戦闘能力で返り討ちにされた。
もうこのギルドで彼女にちょっかいをかける者は存在しない。
いるとすれば他所から流れてきた者くらいだろう。
だがそれらも一度痛い目を見れば諦め、時には逃げる様に町を去っていく。
そして運命の日がやって来た。
その日はいつもよりも丁寧に髪や服装を整える。
そして門の出入りが落ち着いてきた時間を見計らって彼女はその前に向かった。
冬花はそこで待ち望んだ者との出会いを果たすために待ち続ける。
そして待つ事2時間。
太陽が中点を過ぎようかという時。
1台の馬車がやって来た。
馬車は門の前で止まると兵士が身分証を確認している。
そして後ろの兵士が自分の時と同様にタグを渡していた。
冬花はその馬車が門に入るのを待ち胸の高鳴りを感じながら近寄っていく。
そして少年は冬花と視線が合うと走り出して近づいてくる。
そして手の届く距離に止まると彼は涙を浮かべて一気に冬花を抱きしめた。
冬花もそれに抵抗する事無く受け入れ、少年の背中に手を回して抱きしめ返す。
「待たせてすまない。これからはずっと一緒だ。」
そして蒼士は冬花を抱きしめたままこの17年の想いを告げる。
そこには長い時間を離れていても変わらない愛があり、互いに伝わる心臓の鼓動と温もりがそれを証明していた。
そして、冬花も想いに応える為に昔と同じ澄んだ瞳で蒼士の顔を見詰め返す。
「私もずっと一緒よ。もう何があっても離さないでね。」
そして二人は視線を交わすと互いに顔を近づけ誓いのキスを交わした。
その姿を見た周りの者は拍手をしたり口笛を吹いてはやし立てるが二人に届いた様子はない。
そして二人が唇を放すと蒼士は冬花を見つめ心の中に浮かんだ言葉を口にした。
「例え死が二人を分かとうともずっと一緒だ。」
「はい。どんな事が在ったとしてもずっと一緒に居る事を誓います。」
そして二人は腕を組んで歩き出した。
その先にあるのが悲しみと絶望であるとも知らずに。