虹の橋
草原に一匹の黒猫が立っていた。全身を黒い毛に覆われているが、尻尾の先端だけが、灯のように白い毛となっている。
淡い雲が点在する晴天をいただき、見渡す限りに緑の草と美しい花々が広がるばかりの穏やかな草原。時折やさしい風が吹き抜けると、草花の擦れ合う音とともに、脈打つように輝く縞模様が流れる。
どうして自分はこんなところにいるのか。「あの子」はどこへ行ったのか。戸惑う黒猫は、大きな目をさらに丸くさせている。何かを求め、きょろきょろと周囲を見回した黒猫の目の前に、どこからやってきたのか、もしかしたら最初からそこにいたのかもしれない。一匹の猫が姿を見せた。
「にゃーお」と、その猫は鳴く。
「にゃお」と黒猫は鳴き返す。
(人間を捜しているんだ。中学生の女の子……中学生って分かる? 年齢で言えば、十三か十四歳くらいの……)
しきりに話しかける黒猫の声に、目の前の猫は黙ったまま耳を傾けている。
(僕に名前をつけて、その名前で呼んでくれてね、いつも遊んでくれるんだ。普段は食べられないような、おいしいご飯もくれるし……)
黒猫は、猫として表現しうる限りの言葉を駆使して、その女の子のことを語った。
ひとしきり喋り終えると、目の前の猫が鳴いた。
(その子のことが大好きなんだね)
(もちろん! どこにいるか、知ってる?)
(知っているよ)
(本当? どこにいるの?)
(……ここにはいない。ここは、その子がいる世界じゃないから)
(……そうなんだ)
黒猫は俯き、瞳を曇らせた。悲しそうに振られた尻尾が、かさかさという音を立てて草を払う。
(その子に会えなくて、悲しい?)
(当たり前さ)
(その子も、きっとそう思ってるよ。君に会えなくなって、とても悲しんでいる)
(悲しんでる? かわいそう……)
(うん。でも、感謝もしてる)
(僕だって、してる)
黒猫は、きりりと顔を上げた。
(それなら、いいじゃないか)
(いい?)
(そうさ。お互いに、会えなくなったことを悲しんで、感謝もしている。それって、とても素晴らしいことだよ)
(素晴らしい? どうして? 会えなくなったのに。悲しんでいるのに)
(いつか、どんな生き物同士にも、必ず別れは来る。そのときに悲しんでくれるっていうのは、それだけ大切に思われていた、愛されていたってことじゃないか。こんなに素敵なことってないよ)
(……うん)
(それにさ、また、会えるよ)
(本当? いつ?)
(それは、分からない。でも……)
答えあぐねた猫だったが、その意味を黒猫も察した。顔を上げて、大きな瞳に青空を映すと、
(……そうだよね。きっと、会える)
その表情に迷いはなかった。目の前の猫は、その様子を見ると安心したように、
(だから、それまで、僕たちと一緒に遊んでいよう)
(僕、たち?)
見ると、いつの間にか目の前の猫の後ろには、何匹も、何十匹もの猫が立っていた。猫だけではなかった。犬、うさぎ、フェレットをはじめ、猫以外の様々な動物たちもいる。その上には文鳥やインコといった鳥たちが優雅に羽ばたいている。皆、人間と固い絆と想いで結ばれた動物たちだった。
(行こう!)
動物たちは一斉に回れ右をして、走り出した。鳥たちもそのあとに続いて飛ぶ。
(うん!)
黒猫も動物たちの群れの最後尾について、走り出した。
(ねえねえ、君にも、大好きな人間がいるの?)
走りながら黒猫は訊いた。
(もちろん!)
その猫――全身が雪のように真っ白な白猫――は顔を向けて即答した。
動物たちが走る草原の先に、大きな橋が見えてきた。天にも届き、はるか草原のかなたにまで、どこまでも伸びている、雄大な虹の橋が。
お楽しみいただけたでしょうか。
猫とミステリには密接な関係があって(というよりも、ミステリ作家やファンに猫好きが多いだけ、という気がするのですが)猫を題材としたミステリは多く書かれています。有名な「三毛猫ホームズ」や、「猫探偵正太郎」という、猫を主人公としたシリーズまであるほどです。私もいつか「猫ミステリ」を書きたいと思っていて、今回それが叶いました。当初は、短編や中編程度の分量で、さらっと書けたらいいかな、と思っていたのですが、プロットを練っていくうち、こうして長編となりました。まさかこんなに膨れ上がってしまうとは思っていませんでした。
猫にこだわったばかりに、その反動ではありませんが、分量の割にミステリとしては少し弱かったかな? と反省もしております(殺人も一件しか起きませんし)。でも、猫ミステリを書けて個人的には満足しています(笑)
猫を扱ったミステリは、先の通り多くの作品が書かれており、猫ミステリだけを揃えたアンソロジーも一冊に留まらず編まれています。
『NEKOミステリー傑作選 ねこ! ネコ! 猫!』 山前謙 編
『猫が見ていた』 中島河太郎 編
『猫のミステリー傑作選』 鮎川哲也 編
いずれも猫が登場するミステリばかりが収められています。興味を持たれたら、ぜひ読んでみて下さい。
本作は本格ミステリという、超常的な現象や世界、オカルトを徹底否定するジャンルの作品ですので(そういった設定をあらかじめ盛り込んでいる「特殊設定ミステリ」はもちろん別です)、エピローグは内容的に、本編の最終章が終わったあとの別章として設けて掲載しました。載せようかどうか最後まで迷ったのですが、私自身がこの物語に納得するためには、載せるべき、と最終的に判断しました。極めて個人的な理由のため、「本格ミステリにこういうのはいらないよ」とお感じになった方もいらっしゃるかもしれません。そう思われた方にはお詫びいたします。
このエピローグは、タイトルの通り「虹の橋」と呼ばれる作者不詳の詩をイメージして書きました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。最愛のペットを亡くした経験のある方や、現在ペットを飼っておられる方には、ぜひとも検索して読んでいただきたい詩です。
ペットを飼うということは、かけがえのない友人を得る喜びであると同時に、いつかはその友人とお別れする避けられない悲しみを背負うということでもあります。往々にして先に旅立つのはペットのほうです。我々人間に比べて、彼ら、彼女らに与えられた時間はあまりに短すぎますから。
ペットを飼っていらっしゃる方、これから飼おうと思っていらっしゃる方にお願いがあります。もし、ペットとのお別れのときがきたら、笑顔で、感謝の気持ちで送り出してあげてください。ペットの死に対して自分が責任を感じることや、自分を責める必要なんて、これっぽっちもありません。なぜなら、彼ら、彼女らは、あなたが自分にどれだけ愛情を注いでくれたか、ちゃんとわかっているからです。たとえ事故や早期の病気で亡くなったのだとしても、その気持ちが揺らぐことは少しもないでしょう。飼い主がいつまでも悲しみに暮れていたら、「自分がいたせいで、こんなに悲しませてしまった」とペットは思ってしまうのではないでしょうか。笑顔と感謝、これが何よりの供養になるのだと信じます。
さて、本作は各章において、猫に関する著名人の名言や、猫にまつわる作品の一文、台詞を拝借してエピグラフとしました。それに倣い、本格ミステリの祖、エドガー・アラン・ポーの残した猫名言を持って、あとがきの終わりに代えさせていただきたいと思います。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
猫のようにミステリアスに書けたらと思う。
エドガー・アラン・ポー
主要引用・参考文献
『ネコの気持ちが100%わかる本』 猫の気持ち研究会 著 高崎計哉 監修 青春出版社
『ネコ好きが気になる50の疑問』 加藤由子 著 ソフトバンク クリエイティブ
『猫を想うだけで、なぜ、こんなに幸せになれるのだろう』 「猫を想う」委員会 編 キノブックス
『猫なんて! 作家と猫をめぐる47話』 キノブックス
『ゆきの山荘の惨劇 猫探偵正太郎登場』 柴田よしき 著 光文社文庫
『消える密室の殺人 猫探偵正太郎上京』 柴田よしき 著 角川文庫
『猫は密室でジャンプする 猫探偵正太郎の冒険①』 柴田よしき 著 光文社文庫
『猫は聖夜に推理する 猫探偵正太郎の冒険②』 柴田よしき 著 光文社文庫
『猫はこたつで丸くなる 猫探偵正太郎の冒険③』 柴田よしき 著 光文社文庫
『猫は引っ越しで顔あらう 猫探偵正太郎の冒険④』 柴田よしき 著 光文社文庫
『猫は毒殺に関与しない 猫探偵正太郎の冒険⑤』 柴田よしき 著 光文社文庫




