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第15章 三毛猫クイーンの愛憎

犬や猫を大事にしない者は信用できない。


エイブラハム・リンカーン

十月二十六日 午後四時四十分


「うわー、かわいい」

「でしょ」


 公園のベンチに座った大林美緒(おおおばやしみお)は、膝に抱いた三毛猫を、ランドセルを背負った数名の女の子に見せていた。


「名前、なんていうの?」

「ミケちゃん、だよ」

「ミケちゃん、かー……。ねえ、抱っこしても、いい?」

「いいよ。四キロちょっとあるから、結構重いよ。中学生の私も、片手じゃきついし」

「大丈夫……」


 女の子は美緒から三毛猫を手渡された。小学校低学年くらいの、その女の子は、両腕でしっかりと三毛猫を抱きかかえる。


「か……かわいいなあ……」

「無理しないほうがいいよ」


 発する言葉とは裏腹に、必死の形相の女の子から、美緒は三毛猫を受け取った。


「はあ……はあ……重いけど、かわいいね、ミケちゃん」


 荒い息を吐きながらも女の子は、美緒の膝の上に戻ったクイーンを笑顔で撫でた。

 美緒の携帯電話が鳴った。「明日奈(あすな)」と美緒は発信者を確認してから応答する。


「もしもし――」

「美緒、今、どこ?」

「え? 公園」

「ミケも一緒?」

「もちろん――」

「すぐ戻って!」

「えっ?」

「いいから、すぐに私の家に戻るの!」

「わ、わかった……」


 通話を切った美緒は、


「ごめんね。私、もう帰らなきゃなんだ」


 そう言いながら、ベンチに置いたバスケットを開けて、三毛猫を抱き上げた。


「バイバイ、また遊んでね」


 美緒はクイーンの片手を持って小さく振る。女の子たちも大喜びで手を振り返した。



 クイーンを押し込んだバスケットを両手で提げて、明日奈の家に向かっていた美緒は、


「美緒!」

「明日奈!」


 背後から明日奈に声を掛けられた。息せき切って走る明日奈は、美緒に追いつくと、


「急いで!」


 彼女の手を取って再び走り出す。


「あ、明日奈?」


 突然加速されたことで、バスケットの中のクイーンも「にゃ」と声を出した。


「ごめんね、ミケ」と明日奈はバスケットを美緒から受け取ると、「美緒……私、探偵に会ったの」

「えっ? 探偵って、安堂理真(あんどうりま)?」

「間違いない。まだ近くにいると悪いから、今はとにかく急いで帰ろう」

「分かった」



 明日奈の家の玄関に飛び込んだ二人は、大きく息を吐いてしゃがみこんだ。


「明日奈……どういう……ことなの?」

「その前に……何か飲もう……」


 二人は靴を脱ぐと居間に向かった。

 明日奈と美緒は冷たいお茶を、バスケットから出されたクイーンは、皿に注いでもらった水を飲んでいた。クイーンはずっとバスケットに入れられたままのため、走ってなどいないのだが、さも二人と同じように全力疾走をした、という顔で給水を行っている。猫は仲間のやることにいちいち参加したがるのだ。


「美緒」と、のどを潤した明日奈は、「私、学校の帰りに、安堂理真っていう探偵を見たの」

「間違いない?」


 訊かれると、明日奈は頷いて、


「ネットで安堂理真の顔を確認していたから、間違えないわ。眼鏡を掛けた同じくらいの女の人も一緒だった。彼女がワトソンね。」

「どこで見たの?」

「……通学路の途中にあるアパートに警察が来ていて、その中の警察官や刑事に紛れていたの。だから、間違いない」

「警察……」


 美緒は体を震わせた。それを見た明日奈は美緒の隣に座って、


「大丈夫、大丈夫だから」


 横から美緒を抱きしめた。


「警察は、そのアパートに何をしに来てたの?」

「……分からない」

「安堂理真が来ていたってことは……南中学の事件と関係があるの?」

「……ほら、探偵だって、ひとつの事件ばかりに関わってるわけじゃないでしょ。別の事件の捜査だったのかも。多分、絶対そうだよ」

「明日奈……」


 美緒は不安そうに明日奈を見つめた、明日奈はその視線を受け止めることなく、窓の外を向いてしまった。


「ねえ、明日奈」

「何?」

「明日奈、私に、何か隠してること、ないよね?」

「……」明日奈は、そこで美緒に視線を合わせると、「美緒は、何も心配しなくていいの。もう、何もね」

「何のことなの?」

「いいから」


 明日奈は、さらに深く美緒を抱きしめた。満足そうな笑みを浮かべて。それは質問の答えにはなっていなかったが、美緒は何も問い直さず、黙って明日奈の胸に額を寄せた。


「美緒、安堂理真の本、読んだことあるんだよね」

「うん、図書館で、何冊か」

「どうだった?」

「どう、って?」

「どんな小説を書く人なのかなって思って。私、読んだことないから」

「恋愛小説が多いよ」

「素人探偵なんてやってるのに、書いてるのは恋愛ものなんだ」

「そう。ねえ、美人だったでしょ」

「美人って、安堂理真が? まあ……そうね、彼女を見て、美人じゃないって言う人はいないかもね」

「ふふ、明日奈、辛口」

「辛口とか、そういうのじゃなくてね……で、面白いの? 安堂理真の小説」

「うーん……面白いことは面白いけど、私にはまだよく分からないっていうか、理解できないところもあったな。大人の女性の恋って感じで。ああいうのを理解できるようになれば、大人になったって言えるのかなー」

「美緒は、早く大人になりたいの?」

「なりたい」

「どうして?」

「だって、大人になれば、ひとりで生活していけるもん。……お母さんに頼らなくたって……」

「美緒……」

「私ね、大人になったら、小さくてもいいから、ペットオーケーなアパートかマンションで、猫とか犬を飼うのが夢なんだ」

「今の家だと、飼えないの?」

「うん、うち、借家で、ペット駄目だから。お母さんも、猫とか犬のことが好きじゃないし」

「そうなんだ……」

「私、明日奈がうらやましいな。こんな大きな家なら、ペットも飼い放題でしょ」

「駄目。うちも同じ。両親とも動物があまり好きじゃないから」

「そうだったね。もったいないね」


 美緒は明日奈の胸から頭を離して、広い居間を見渡した。


「うん。でもね……」と明日奈も同じように壁や天井を見回して、「もうすぐ、私の家じゃなくなるかもしれないんだ」

「えっ? どうして?」

「お父さんとお母さんがね、離婚するみたいなの」

「えっ?」

「そうしたら、私は、お母さんに引き取られることになると思う。この家はお父さんが建てた家だからね。出ていかなきゃ」

「そうなったら……明日奈は、引っ越しちゃうの?」

「たぶんね。お母さんの仕事次第だけど、この町を離れることになるかも……」

「そんなの、嫌だよ……」

「私も、嫌。もしかしたらね、私が中学卒業するまで待ってもらえるかなって、ちょっと期待はしてたんだ。お父さんとお母さんの仲が悪いのって、昔からで、いつ離婚してもおかしくない状態だったの。あーあ、ここまで来たんだから、あと一年半くらい、お互いに耐えてくれればよかったのになー」


 話題とは裏腹に、明日奈の語り口は冗談めかした軽いものだった。だが、その目だけは、話す内容にふさわしく、重く沈んでいた。


「受験に影響が出るから、今のうちにって、明日奈の両親は思ったのかも」

「ふふ。そんなんじゃないよ。もう二人とも限界だったんだって。私、本当に不思議。だって、あんなに仲が悪いお父さんとお母さんだけど、結婚してるんだよ。しかも、職場での恋愛結婚だったんだって。どうしてこんなに仲の悪い二人が結婚なんてしたんだろうって、まったく理解不能」

「それ、分かる。うちのお母さんも何かあるとすぐに、お父さんの悪口言うもん。こんなに悪い男だから、別れてやったんだって。私、何回も、じゃあ、どうして結婚したの? って訊いてやろうと思った」

「訊かなかったの?」

「うん。だって、そんなこと訊いたら……叩かれるし……」


 それを聞いた瞬間、明日奈の表情から笑みが消えた。


「美緒」

「わっ」


 明日奈は美緒を強く抱き寄せた。


「明日奈……ちょっと痛いよ」

「美緒はね、何にも悪くないんだよ」

「……違う、私、悪いよ。悪い子供だよ」

「悪くない」

「……ありがとう、明日奈」


 美緒も明日奈の背中に両腕を回した。


「ねえ、明日奈」

「なに?」

「大人になったら。お母さんとお父さんが、嫌い同士なのに結婚した理由も分かるようになるのかな? 安堂理真の小説も、もっと理解できるようになるのかな?」

「そんなの、分かる必要ないって……」

「そう?」

「そうだよ」

「明日奈……」

「なに?」

「私たち、友達だよね……」

「当たり前じゃない」


 それを聞くと、美緒の肩は小さく震えだした。


「にゃー」


 いつの間にか、二人の足下にクイーンが寄って来ていた。クイーンは二人のすねに頬を擦りつける。


「ミケちゃん」


 美緒は三毛猫を抱きかかえて、目の高さに持ってくると、頬ずりをしてから膝に乗せた。洟をすすって、目じりを拭ってから美緒は、


「ミケちゃんと、三人、ずっと友達だよね……明日奈?」

「んっ? うん、もちろん」


 二人は微笑みあった。少女二人に挟まれて、クイーンも「にゃー」と鳴く。明日奈は、もう一度顔を上げて窓の外を見た。庭の隅の木の根元、小さな小枝がささった地面に、その視線は向いていた。

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