12-誰がために。
ものっそく遅くなってしまったのです。
まだリハーサル中の体育館に、迷い込んだように入った人の影が、頭から離れない。なぜかって、私の見知った、心の中で意識していると気づいてしまった子だから。
二つ結びの髪が、動く度にぴょこぴょこと跳ねてた。私の心みたいに。悩んでるのは、私だけなのかもしれないけど。
「……由佳里ちゃん?大丈夫?」
「あ、莉亜ちゃん、うん、大丈夫だよ?」
「そっかぁ、それならよかったよぉ」
快活で、優しい声。面影すらも、どこか似通った莉亜ちゃんにすら、内心に零れる動揺を隠すので精一杯。単純な子でよかった、そうじゃなきゃ、きっと、見透かされてしまうから。
真っ直ぐに心を響かさなければ、綺麗な声なんて出せないのに、どうして、こんなに心を乱されてしまうんだろう。いつもだって、緊張はするけれど、心はまっすぐ舞台に向かっていたのに。
「どうした、由佳里」
「あ、聖歌先輩……」
リハーサルを終えて、音楽室に向かおうとした私を、優しく叩く。頼もしい、包み込んでくれるような声。こんなんだから、部長に選ばれるんだろうな。
「ちょっとこっち来て、話があるから、……みんな、本番三十分前までは好きにしてていいからなー」
「何ですか、先輩」
手をとられて、……というか強引に引っ張られて、控え室みたいになった音楽室を連れていかれる。先輩の早足は、少し早めに歩くだけでうっかり抜かしそうになったけど。
廊下の奥の、滅多に人が来ない階段。そこに座るように目で促される。
「莉亜の次は由佳里か?全く、みんなして浮ついてるなぁ……」
「す、すいません……」
「まあいいってもんよ、思い詰めるのもわかる、何たって責任も重いもんな、ソロもあるし、弦楽部にも駆り出されてるしな」
「そう、ですね……」
そうじゃないの、私の悩みは、……でも、落ち着く。胸の奥で、こんがらがっていた何かがほぐれていくような感じ。
「でもな、自分のために歌うのも大事なことだ」
「……え?」
「周りの音ばかりに合わせててたら、自分の声なんて出せなくなるだろ?縁の下の力持ちでも、ただ支えてるんじゃなくて、下から持ち上げてやれば、もっと高くなれるだろ?」
「そうかも、しれませんね……」
自分のために歌う、か。何か、考えたことなかったな。みんなと歌うから、合唱のときは自然に周りを意識してたし。
「まあ、由佳里にだから言えるんだけどな、莉亜みたいに周り見ないで突っ込むなんてことはないだろうし」
「ふふっ、莉亜ちゃんには逆に周りを見てってずっと言ってそうですね」
「そうだな、でも絶対聞かないんだろうなぁ、あいつは」
「それ、なんか目に浮かびますね」
自然と浮かぶ笑み。怒らないように精一杯たしなめてるのに、「だって歌うの好きなんだもん、歌っちゃったらもう何も考えられないよ」なんてきょとんとした顔で言っちゃうんだろうな、あの子なら。
「ちょっとはほぐれたか、由佳里」
「ええ、ありがとうございます」
「まあいいってもんよ、そろそろ戻るか」
立ち上がったと思うと、すたすたと戻っていってしまう。いつもなら、追いかけるのなんてそんなに苦労はしない。けれど、今は「自分のために歌う」って言葉が、まだ頭の奥で考えを止めさせてくれない。
私が届けたいって思うのは、私が今、誰かのために歌うとしたら。
……思い浮かべた影は、一つだけ。