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オトナとコドモ

作者: ラッコさん

オトナとコドモ


「信長の死を知って彼は一体何を思ったのだろう」

さっきからこればかり考えている。

平日の昼過ぎに公園のベンチに座っているスウェットの上からジャンパーという姿の私は、傍から見たら無職の中年男がやることが無くて公園で時間を潰している、といった感じだが私はこう見えても作家業を営んでいる。歴史小説を専門として、一応これで食っていけるくらいの収入も得ている。今、私は信長を崇拝する1人の田舎者青年の物語を書いているのだが青年が信長の死をたまたま通りかかった飛脚から聞き……さてそこから私は一向にペンが進まなくなりこうして気分転換に公園に来たものだが、やはり頭の中では常に青年の心境を探っている。もちろん私の書いているこの物語はフィクションなのだが私の頭の中には確かに青年は存在しており、そして信長の死の知らせを聞いた青年が呆然と立ち尽くしているのだ。私は彼の心の内を透視するかの如く彼の胸の辺りを細目で眺めたり、彼の体に乗り移ってみたり、考え得る全ての心境を当てはめてみたり、頭の中で色々やっては見るものの「これだ!」となるものが見つからない。

ただひとつ「ただ悲しく、何もやる気が起きない」というのが思い浮かんだがこれは却下である。これは真っ先に思いついたものである。しかしこれ以上の的確な心境がまだあるはずだと思うし、第一「当たり前過ぎる」というのが却下の理由だ。

崇拝の対象が死んだのだからもっと何か強烈なものが欲しい。

私はそればかりを考えながら、一方でそれ以外は特に何もせず公園のベンチでただ1人ボーッとしている。


公園に設置されている時計を見た。午後2時15分。

私は自分の腕時計を見た。午後2時23分。

携帯を持ってきてないのでどちらの時計が正しいのか判断出来ない。

この腕時計は5年か6年前に購入したものだ。外出の際は必ず付けているのだが滅多に見ることはない。時間が知りたくなったら何故か携帯を見てしまう。だから購入してから50回くらいしか見てない気がする。それも買ったばかりでウキウキしている頃だ。一体何の為にこれを付けているのだろうか。私にもよくわからない。

一方公園の時計だが、この公園もかなり寂れた雰囲気の公園で、遊具の塗装も所々薄くなったり、剥がれていたりしてる。遊具と言ってもごく普通の滑り台とごく普通のブランコと鉄棒と小さな砂場があるくらいだ。広さも決して広いわけでもない。子供からしたらこの公園はサッカーや野球をするには狭過ぎるのだろう。ここから5分くらい歩けばちゃんとした広い公園があるのだからそっちに行ったほうが楽しいに決まってる。そこには様々な遊具もあるし、となりにグラウンドみたいなとこもある。だからここで遊ぶ子供はほとんどいない。じゃあ一体誰が来るのかというとたまに犬の散歩で立ち寄る人が数人いるくらいだ。そんな公園の時計なんかなかなかアテにならない。一体誰がこんな寂れた公園の時計のズレをわざわざ管理人に報告するものか。私ならしない。「ああズレてるなぁ」って思うだけだ。しかし自分の腕時計も同じくらいにアテにならない。

公園の時計と腕時計を見比べながら「似た者同士の時計だな」と少し哀れに感じた。



公園にひと組の親子が入ってきた。30半ばの男と5歳くらいの男の子だ。手を繋いでいたが親子は特に会話もせず、公園には親子の足音だけが鳴っていた。


私はというとその親子に目を奪われていた。

天然パーマ大爆発といった具合のモジャモジャ頭にレトロな丸めがねの父親と「まことちゃん」みたいな髪型で前髪は眉上で切り揃えられ、眉毛は極太な子供。なかなか強烈である。まるで漫画に出てくる変人親子のようだ。

極めつけは彼らの着ていた服装。あまりにも目を引くデザインだったのだ。

父親の着ていたセーターだが、赤い生地に胸の所に大きな白丸、その白丸の中に黒色のバツ印。一歩間違えばナチスの国旗である。バツ印の先っぽを全部右に折り曲げたら完全にナチスの国旗なのだ。

「なんだあのセーターは。着るヤツも着るヤツだがあれをデザインしたヤツは一体何を考えているんだ。」

私は心の中で静かに怒り、そして呆れた。

しかもだ、なんと子供も同じデザインのセーターを着ているのだ。

この世にこんなにも反平和的なペアルックがあるだろうか。

私は何故あの親子、いや父親があんなセーターを着ているのか色々考えてみた。子供はきっとあの国旗にどういう意味があり歴史があるのか知らないだろうし第一ナチスなんて言葉も知らないだろうからいいとして、父親よ…お前はわかるだろう。

私は色々考えたが何だか面倒くさくなって「あの父親は無知なのだ」と結論を出した。無知な者は幸せだなぁと思った。


その親子は公園に入ってくるとまず滑り台で遊びだした。子供が階段を上り、上から下で見守っている父親に手を振っていた。父親は「気をつけろよー」と淡々とした口調で言って子供はそれに応えたのか右手をピンと上げ「これから滑りますよ!」と宣言しているように見えた。しかしセーターのデザインのせいかそのポーズがナチス式敬礼に見えてしまう。もう少しその真上に上げた右手を斜めに下ろしたら完全なナチス式敬礼。こんな公園にナチズム…。私は心の中で彼を「小さきヒトラー。通称ミニヒトラー」「未来のヒトラー」など様々なあだ名をつけた。

さてそのミニヒトラーは滑り台を颯爽と滑り降りた。とはいってもこんな寂れた公園の滑り台だ、あまり滑りが良くない。尚更ミニヒトラーはまだ子供。体重もそんなにないので増々滑らない。こうなると自分の腕を使って勢いをつけ、滑り降りる他ないのだ。

そんな滑り台が楽しいわけが無い。ミニヒトラーもその一回で満足したようで滑り降りるとすぐ父親の手を引っ張ってブランコのほうへ行った。


ミニヒトラーはブランコに座ると父親に「押してよ!」と子供らしい元気の良い声でお願いした。父親は「おう」と言ったか言ってないかわからないが口の動きがそう言ったように見えた。

父親は左手で軽くミニヒトラーの背中を押し始めた。最初は小さく揺れていたブランコも1分くらい経つとその揺れはかなり大きくなっていた。軽く押していた父親も先程よりも少し強めに押しているように見えた。ミニヒトラーはご満悦の様子。満面の笑みでたまに「うわ~」とか「いけ~」とこれまた子供らしく大きな声ではしゃいでいる。しかし私の目にはミニヒトラーが部下に命令してブランコを押させているという風に見えてしまう。もちろん部下は拒否出来ない。したらどうなるか。それは各々の想像にまかせよう。(分からぬ者は歴史を学ぶが良い。)そうするとこの素直な子供らしいはしゃぎかたも平和的に見えず、「子供のくせに偉そうだ」と腹立たしくさえ思ってしまう。

5分くらい揺られた小さきヒトラーは「もう降りる!」と父親と言い、父親もそれを聞いて押すのを止めた。

ブランコから降りた小さきヒトラーは「次お父さんの番ね」と自分が今降りたばかりのブランコを指さして言った。その瞬間、お父さんの顔が曇ったのを私は見逃さなかった。父親はまだ少し揺れているブランコを完全に止めながら「お父さんはいいよ。」と息子の顔を見ずにそう答えた。しかし小さきヒトラーはそれを許さなかった。「なんで?」と父親のズボンを軽く引っ張りながら質問した。

「お父さんは大人だからね。ブランコなんてつまんないんだよ」とズボンを引っ張る息子の手を払いながら答えた。


しかし私にはわかるのだ。本当はブランコが怖いのだ。


子供の頃というのは今振り返ってみるとなかなか勇敢に遊んでいたものだ。

3mくらいある木に体ひとつで登ったり、得体の知れぬ虫を捕って遊んだり、鬼ごっこやかくれんぼなんていう単純過ぎてつまらぬ遊びで1日を過ごしたり。大人になってそれらをやれと言われてもなかなか出来ない。体力の衰えとかもっとステキな娯楽の味を知ってしまったとかも数々ある理由のうちのひとつだがやはり一番は「怖い」という理由だろう。大人になるというのは「もし○○になったら」とか「○○になるかも」みたいに物事を予期することが出来るようになるということだ。子供の頃というのはそれが出来ないから何も考えずに平気で高いところへ行ったり何でもかんでも触ったり出来るのだ。

ミニヒトラーの父親も他の大人同様に「もし落ちたりしたら」「なんかの拍子にブランコの鎖が切れるかもしれない」なんてことを考えたに違いない。しかしそれを素直に子供に伝えたらどうなるか。子を持たぬ私にだってわかる。父親の威厳は一気に崩れるだろう。だから父親はあんな嘘を言ったのだ。

大人になるというのはこういうことなのだなぁと私は改めて思った。しかしこれが不潔なものかと聞かれたら「そうだ」と簡単に言えない。

「大人になると汚れるなんて言うがそれは違う。様々な経験で得た知識を活用することが汚れるということなのか?」なんてある作家も言っていたが…まぁ今回の話にはあまり関係ないのでここまでにしておこう。


「休憩タイムしよう!」というミニヒトラーの声でハッと我に返った。私はしばらく「大人になるとは」ということを考えすぎて全てを忘れていた。そうだそうだ、ミニヒトラーとその部下だ…。

彼らは私の前を横切り、私の座っているベンチの左側にある別のベンチに座った。

その親子が前を横切る時に父親がビニール袋を持っているのに気づいた。それはここから10分ほど歩いた所にある画材店の袋だ。中には絵具が何種類か入っていた。

「あの見た目と画材店のビニール袋、絵具…もしかすると絵描きの仕事でもやっているのだろうか。」私はそう思い父親をよく観察してみるとズボンのいたる所に絵具が付いていた。さらに観察をすると父親の手の爪の先が赤やら緑やらが付いている。そうして私は父親の職業を「絵描き」と断定した。

あまりジロジロ見るのも悪いので私はまた先程の問題に取りかかった。例の信長を崇拝する青年についてだ。

私は目を閉じ意識を外の世界から頭の中の世界へ移行させた。

信長の死を聞いた青年の姿が四方の壁に映り、その中で私はああでもないこうでもないと苦悶している。私が「こうじゃないか」と言うともう1人の私が、正確には私の声だけがして「いや違う」と答える。するとさっきの声がした方角とは違う所から私の声がして「こういうのはどうだろう」と色々言うがそれを私が拒否をする。いい案が浮かばずに煮詰まってくると頭の中も凄まじいことになる。四方の壁に映る青年がピントをずらしたみたいにぼやけ、蝋燭の火のように揺れ始め、あちこちから聞こえる私の声が歪みだし、反響し合い、誰が何を言っているのか判別出来ず、しばらくするとピーーとギターのフィードバック音みたいなのが鳴り始める。そのカオスな世界で私は屈すること無く1人ああでもないこうでもないと周りの音に負けまいと大声で叫んでいる。

そんな私の声とその他の轟音が現実世界に置いてきた私の体、頭の奥から耳の奥に響いてくる。

すると急に「あのおじさんは何してるの?」という子供の声が頭から響く様々な音の壁を突き破って私の鼓膜に強く響いた。同時に私の胸が強く打った。さらに同時に私の意識は頭の中から現実に、まるでうたた寝してるところを誰かに大声で「おい!」と起こされたときみたいな戻り方をした。

子供の声は明らかにミニヒトラーだったので私はチラッと親子のほうを見た。父親が座っている奥にミニヒトラーが座っており、まるで父親の影に隠れているようにも見えた。父親と目が合い、「どうもすいません」と無表情に言ってきたので「いえいえ、良いんですよ」と愛想笑いをしながらそれに答えた。その後父親が小さい声で、しかし私のベンチと親子のベンチはさほど距離が離れているわけではないのでその小さい声も十分聞こえたのです。

「あの人は色々考えているんだよ」

「何を考えてるの?」

「色々だよ。」

「色々って?ご飯のこととか?」

「そうだよ、ご飯とか仕事とか…」

「なるほどー」

ミニヒトラーは私を「ご飯や仕事について考えている人」と知って一体何を思ったのだろう。私は親子のもとへ行って「違う違う違う。私は作家をしていて今信長の…」と何から何まで全部話してやりたくもなったがまぁ別に悪い人間と思われていないようなのでそのままにした。そうだ、私はご飯と仕事について必死に考えている人なのだ。それでいいのだ。

その後、私はもう頭の中の世界に行くことが出来なくなってしまいこのまま公園に居ても仕方がないから家へ帰ろうとした。そろそろ行こうかなと思い始めた時、またミニヒトラーが父親に質問した。

「どうやったら子供が出来るの?」

この質問が聞こえ私はもう少し公園に留まることにした。よく世間で言われる「子供に聞かれて困る事」の代表格とされるこの質問を、そしてその質問に対する返答を実際に聞ける機会などこの先ほとんど無いだろう。私は是非この父親がどういう返答をするのか内心ワクワクしていた。しかし子供が質問をした数秒後くらいに「コウノトリだよ。コウノトリが運んでくるんだよ」とこれまた「子供に子供の作り方を聞かれたときの返答」の代表格である答えをあっさりとしてしまった。さっきのワクワクが静かに収まっていくのを感じだ。「まぁそうだよなぁ」と私は心の中で思った。もし私に子供がいて、子供から子供の作り方を聞かれたら私はこの父親と同じ返答をするだろう。頭では「ありきたりでつまらない返答だ」と思いながらもそう下手に色々言うと教育上良くないのは明白、ならばこの模範解答を用いるのがベストだ。

しかし、しかしだ。このミニヒトラー、なかなか手強かった。

「それ嘘でしょ」

ミニヒトラーは父の顔を見ず、自分の着ているナチスセーターの裾を摘んで手遊びしながらそう言ったのだ。私は1人また盛り上がっていた。「そうだぞミニヒトラー!よく気がついた!」と心の中でミニヒトラーを讃えた。私は「あのまま終わったら物足りない、もう一波乱欲しいなぁ」と野次馬の心境であった。

「なんで嘘だと思う?」

父親も子供の顔を見ずに指先に付いた絵具をボーッと眺めながらそう聞き返した。

「吉岡君がそう言ってた」

「吉岡君は本当のことを知ってるの?」

「知らないって言ってた。でもコウノトリは嘘だって」

さぁ父親ピンチ。私は他人事なので心の中で気楽に野次っていた。「どうすんだ!おやっさん!本当の事言ってしまえよ!ほらほらー男と女がさー裸でさー」なんて下品なことを下品な声でやれるほど私は余裕があったのだ。そして頭の隅で「どうして吉岡君はそれが嘘だとわかったのだろう」と疑問に思った。何か決定的な証拠を掴んでいるのか?はたまた勘か?


「そうだなぁー」

父親はベンチに深く腰掛け空を見上げた。そうして腕組みをして何か考えている。子供の作り方…真実を言うのは簡単だ。父親自身それを行って目の前の息子を誕生させたのだからその通り説明すればいいだけ。最初から最後まで詳細に話す事ができるだろう。しかしそれを言ってしまえば子供に悪影響を与えるし、こんな幼い純粋な子供にあの裸同士の、生々しい肉と肉の絡み合い、動物的で狂的でけばけばしいあの光景をこと細かく教えるのは「罪」であると断言していい。

そしてもうひとつ真実を言えない理由がある。この父親の場合その理由が大きいと思う。


「コウノトリが運んでくる説」を却下された父親は頭の中の色々な引き出しを探るも「子供の作り方」に使えそうなものは何一つないのだろう。(腕組みしてから5分くらい何も発してないのだからそう見るのが妥当だ)頭にあるのはただひとつ。真実だ。裸の男女が理性を捨て本能の赴くまま、獣と化し、体中から色々な汁を垂らしながら曲芸みたいなのを繰り広げながら組み合うあの光景が父親の頭に浮かぶ。この光景をそのまま子供に言ってしまおうか…いやダメだ…しかしどうすれば?そんな葛藤があったに違いない。


そして父親はあることをひらめく。

「そうだ!無いのなら今作ってしまえばいい。子供が納得する、悪影響を与えない「子供の作り方」を今作ってしまえ。」

そう、父親は空を見上げ腕を組み、目を瞑って、創造しているのだ。我が子に無害で、わかりやすい、子供の作り方というものを。言ってしまえばひとつの「作品」を制作しているのだ。これは父親の絵描きとしての才能が試される。

父親が真実を言えない大きな理由…それは真実を言うという事は「自らの創造性の乏しさ」を証明すると同じこと、才能の敗北、センスの無い一般人、ということであり、そうなると芸術家失格ということになる。創造することが仕事の人間が気の利いた嘘も作れない…ああこんなことでいいのか。良くない!父親は今、自らの命を削り芸術的な子供の作り方を創造している。

私も同じ「創造する」仕事で食っている。だから父親の心境はすごくわかるのだ。わかると言っても全部私の勝手な想像だが父親の考え込む姿を見るとあながち間違ってないと思える。

父親は必死である。貧乏揺すりが始まり出している。もはや子供の為、というより「自らの創造性、才能」を立証するために苦しんでいるのだ。

ミニヒトラーはそんな父親の心知らず、自分が発した質問が父を苦しめているとも知らずに足をプラプラと揺らして退屈そうにしている。私は「もし自分が聞かれたら」と仮定して色々考えている。何故関係の無い私までこうやって参加しているか?それは父親と同じ創造の仕事をしている私の何かに火が点いたからだ。しかしいくら考えてもいいものが出来ない。やはり真実を知っているからか、色々と思い描いてもどこかあの行為の影がちらついてしょうがない。自分が常日頃から欲に塗れて生きているのだなぁと自分自信がいやらしく、低俗に思え、嫌になる。子作りについて色々考えている最中、もう1人の私が「そんなことを考えてる場合か」と私をハッとさせた。そうだ、私は信長の…しかしそれは後だ。今はこの課題を。私は頭の中の世界へ潜り込んだ。父親もきっと同じように自分だけの世界に閉じこもってしまっているのだろう。

この公園にはもぬけの殻の大人が2人と退屈そうに過ごす子供が1人、同じ時間、空間を過ごしていた。



「子供はね…」

黙り始めて10分くらい経ったくらいに父親が話し始めた。

「子供はね…宇宙から来るんだ」

宇宙…なんだかもの凄いスケールの話が始まりそうだ。

話は逸れるが、どうして芸術系の人間は宇宙を愛すのだろうか。彼らを魅了する何かが宇宙にはあるのだろう。その「何か」とはきっとまだ解明されていない数々の宇宙の秘密だろうと私は推測する。「宇宙は謎だらけ」これが魅力なのだろう。

私は耳をすませて父親の「子作り方法」を聞いた。

「宇宙にはたくさんの星があるだろう。実はあれが子供の素なんだよ」

ほうほう、なるほど。なかなか良い感じだ。

「星をどうすればいいの」

ミニヒトラーは手遊びを続けながら話の続きを求めた。

「まずお父さんとお母さんが神様にお願いするんだ。「子供が欲しいです」って」

「そしたら神様が星をくれるの?」

「いいや、お願いをした後1年間、真面目に生きなくちゃいけないんだ。しっかり働く、困っている人がいたら助ける、嘘をついたりしない。そしたら神様が1年後に真面目に生きたご褒美として星をくれるんだ」

「結構時間かかるんだ」

「そうだよ。1年だからね。でも神様が直接星を渡してくれるわけじゃないんだ」

「えっ?どうやって星をくれるの?」

「神様が星を宇宙まで投げるんだ。それが落ちてくるのを僕らが貰うんだ。」

「それを見つけなくちゃいけないの?」

「見つけるってよりもキャッチしなきゃダメだね」

「難しいね…お父さんはキャッチしたの?」

「キャッチしたからお前がいるんだろ?」

「なんで神様はそんなイジワルをするの?」

「イジワルじゃないよ。そうしないといけないんだよ。神様が持ってる星だけだと子供は作れないんだよ。その星に宇宙の色と空の空気をたくさん入れないとダメなんだ」

「なにそれ?」

「宇宙の色ってのはね…宇宙には宇宙にしか存在しない色々なものがあるんだよ。それを全部まとめて宇宙の色って言うんだ。それが子供を作る時に必要なんだ。宇宙から星を落とせば、星に宇宙の色をたくさん浴びさせることが出来るだろ?」

「わかんないよぉ」

「神様が投げた星は10分間宇宙にいるんだ」

「そんな高く投げるの?」

「そうだよ。その10分間の間に宇宙の色をたくさん吸収するだよ。そしてそれが落ちてくる。今度は空の空気だね。空の空気ってのは今僕らがいる地上の空気とは違うものなんだ」

「それを星に入れなきゃダメなの?」

「そう。宇宙から落ちてきた星は地球に落ちてきてまず、空の空気を吸収するんだよ。そうするとね星が虹色になるんだよ」

「見たいなぁ!綺麗なの?」

「すごく綺麗だよ。そして虹色になった星をキャッチするんだ。でももしキャッチ出来なくて地面に落としたら星は破裂しちゃうから気をつけないといけないんだ」

「壊れやすいの?」

「星の中には宇宙の色と空の空気がパンパンに詰まってるからね」

「そしてキャッチしたらどうするの?」

「星をお父さんの体温で温めてあげるんだ」

「鳥みたいに?」

「そう。落ちてきた星ってのは少し冷たいから温かくしてあげるんだよ」

「えー!すごいなぁ!それで?そしてどうするの?」

「温かくなった星をお母さんに食べさせてあげるんだ」

ミニヒトラーはとっくの前に手遊びを止めてベンチの上で父親のほうを向いて正座していた。父親の話に夢中になっていたのだ。もちろん私も夢中になっていた。話を聞いて非常に感心していたのだ。心の底から彼を尊敬さえした。ナチスだとか無知だとか言っていた先程までの私を蹴飛ばしたい。私は愚か者だ。こんな素晴らしい創造性を持つ人に対してあんな失礼なことを…。父親の造り上げた作品は非常にファンタスティックで子供にもってこいの作風だ。それでいて子作りの真実を知っている大人が聞いてもあの行為の生々しさは感じさせずに、しかしなんとなく核心を突いている内容だ。こんな素晴らしい話をわずか10分で作り上げるとはさすが芸術家。

「だから子供はお母さんから生まれてくるんだね!」

「そうだよ。これでわかった?」

父親の顔は笑顔で満ちあふれていた。達成感か安堵か、その心境まではわからぬがいい笑顔だった。その顔を眺めてるとふと父親と目が合った。私たちは特に会話を交わさず会釈だけした。しかし心の中で私は父親に対して「よくやりましたね。あなたはすごい人だ」と讃えた。父親のほうもきっと「なんとかなりましたよ」と私に伝えてるんじゃないだろうか。



子供は納得した。父は達成感に満ち満ちている。私もなんだか幸せな気分だ。これでハッピーエンド…かと思われたが事態はこの後急展開する。




「神様って誰?」

先程までベンチの上で正座をして話を聞いていたミニヒトラーが急にベンチの上に立ち上がってそう言った。

「神様は神様だよ」

「イエス様?仏様?」

「あー…えーっとね…」

この意表を突いた質問に私までドキッとしてしまった。

「イエス様だよ」

「じゃあ仏様を信じている人はどうなるの?」

「仏様が星をくれるんだよ」

「じゃあ神様を信じない人はどうするの?」

「えーっとね…」

ミニヒトラーの猛攻に父親が黙り込んでしまった。なんだ!このミニヒトラーは!

もういいじゃないか!私はミニヒトラーに心の中で絶叫してみたが届くわけもない。

「犬はどうやって子供を作るの?あと猫は?」

「動物はね…」

「動物も人間と同じように正直に生きて星を落としてもらうの?」

ああ、手助けしたい!しかし私が加勢したところでどうにかなる様子でもない。私自身ミニヒトラーの問いかけに上手く答える自信がない。最悪の場合、私は短気だからもうムシャクシャして真実を全部話してしまいそうなのだ。そんなことしたら父親の努力、作品、芸術が台無しになってしまう。私は黙って様子を見ることしか出来ない。

「うーん…」

父親はそう唸るとまた空を見上げて考え込んだ。しかし10分経っても父親が口を開くことはなかった。

「もういいよ。帰ろうよ」

ミニヒトラーはそう言ってベンチから飛び降りて父親を手を引っ張った。父親は我に返った様子で「そうだな」と一言だけ言って立ち上がった。そうして2人は公園から去った。


こんな結末になるとは、一体誰が予想出来たであろうか。上手く言いくるめたと油断しきった父親の逆転負けである。


私はまたひとりになった。ひとりでさっきの出来事を振り返っていた。

父親の作った子作り方法は非常によく出来ていた。しかし通用しなかった。いや、通用はしたのだ。しかしあまりにも現実的ではなかったが為に、その隙を突かれたのだ。子供と言うのは現実と空想の境が曖昧である。もしかしたら境目なんか無いのかもしれない。もっと言えば現実とか空想なんて概念が無いかもしれない。現実と空想が存在しない世界、つまり「今」を生きているのだ。対して大人は現実と空想がきっちり別れている。現実か、空想か、それが安易に判断できる。大人が父親の子作り方法を聞けばきっと感心するだろう。それは現実ではなく空想のものだと認識ができ、その話をひとつの作品のように鑑賞するからだ。私もそうである。しかし子供はそれが出来ない。聞かされている子作り方法を真実として受け止める為に現実的思考でそれを眺める。だから過言かもしれないが大人よりも子供のほうが地に足がついた見方をしているのだ。

現に子作り方法を考えている最中、大人の私と父親は現実ではなく自分の世界に入り込んでいた。ミニヒトラーは現実に、あの公園にいた。


私はそう結論を出してしばらくボーッとしていた。ふと頭に忘れていた課題が浮かんだ。信長である。私は自らの世界に入り込んだりせずにそれを考えてみた。



「まぁ…やっぱ悲しみが一番先にこみ上げるだろうなぁ」

子供ならすぐに解決できた問題だろうなと思った。





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