マイナス
注意。だいたい五話分くらいあります。
牽制で放った弾丸を、音速を超えているはずだけれど、祖龍はたやすくかわしてみせる。
別に驚くことではない。白いお方だってこれくらいはやってみせている。
なにを思ってか、祖龍は回避に専念していた。私のことを訝しげな表情で観察している。
どうしたのでしょう。とても不思議です。けれども、構わずに、銃弾を撃ち込み続ける。
当たらない。
なにも私は考えなしに狙いをつけているわけではない。
わずかな重心の移動、筋肉の運動、視線の挙動。読み取れる限りのこと、今までの動きの累積からパターンを弾き出す。一手一手詰めていく。
――けれど、当たらない。
瞬間、瞬間、追い詰めているはずなのに、気がつけば遠ざかっている。求めている未来のヴィジョンは見えはすれど、落ちる木の葉を掴もうとするように、スルリと抜けていく。
まだ焦るべきではない。今は単に情報が足りないだけ。
要因を集めれば、自ずと分は私に傾いてくる。今はまだ――
ふと、祖龍は動きを止めてしまった。
本当にこいつはなにを考え戦っているのでしょうか。そもそも、戦っているつもりがあるのかも怪しくなってきます。
私はその隙を見逃さない。使えなくなるほどにまで、強引に銃を酷使し、弾幕を浴びせかける。反動は気にしない。体勢がブレようとも、狙いがブレることだけはない。
エネルギーを持ったいくつもの弾丸は、寸分違わず祖龍に向かって襲いかかった。
二対の翼を祖龍は動かす。緩徐とした動作にも思える。意味のない動作にも思える。けれど気がつけば、私の攻撃のすべてをそれは受け止めていた。
硬い。人間の形をとっている祖龍。人間としての部分、その柔らかい皮膚ならそれなりのダメージを受けただろう。
けれど、龍である部分。今で言えば翼だろう。銃弾では傷一つ入っていない。衝撃を吸収されているのか、跳弾はせず、祖龍の足元に落ち、鉛の山が積み重なっていく。
いくら撃とうと、もう無駄だろう。祖龍からは何者にもどうすることもできないような風格と、何時までも変わることのないだろう威厳が感じ取れた。私程度では勝てないと。わかっている。それは何年も前から、それこそ、私の生まれたときから理解している。
けれどしっかりと私の勇姿を見届けてくれている人がいますから、逃げるわけにはいきません。負けるつもりもありません。
私は使えなくなった銃を捨てる。
光穂ちゃんに会ったのは、確か、所長の言いつけを守らずに、好奇心に任せてこの建物内を探検していたときのことでした。
そのころは所長の目的も、それどころか何をしているかさえもわからなかったころでした。
漠然と日々を過ごし、何もせず、言われたことに反発しながら、それでも不満は一時で、どうしようのないことに不平、不服をもらしながらも、傷ついているわけではなく、まんざらでもなく、最後には納得して、流れに身を任せて、ただゆるがせに過ごす毎日だったわけです。
だからあのときに感じた悲しみと憤り、もう忘れてしまったけれど、その凄まじい情動に囚われたことだけはだけは覚えています。そして不思議に感じました。なぜ私にこんな感情があるのかと。
当時はこの建物の全容を、私は全く知らなかったわけでした。せいぜい、知っているのは所長の部屋。それと私の造られた精密機械でごった返すやけにうるさいところくらい。そういうわけで私は未知なる場所への冒険に出かけたのです。
もちろん、所長に見つかれば止められました。あの意味のわからない【背理】というスキルにより、私は逆らうことができません。ある程度の自由ならありましたが、それでも決められた範囲から、外れて行動することは許してもらえませんでした。
ですから、私は頭を全力で働かせて、綿密な計画により、所長の目をかいくぐることに挑戦したのです。
所長に見つけられては空間結晶で戻され、見つけられては戻されを繰り返して数回。所長が「ああ……。ステルスゲームの敵役みたいだ……」なんて嘆くくらいには繰り返して、ようやくその範囲外に出ることができました。
どうやったのかと言えば簡単。彼に協力してもらいました。そうとう渋っていましたが、私のおねだりを断りきれずに、最終的にはノリノリで計画の手伝いをしてくれました。
そういうわけで、彼が所長の注意を引いているその内に、私は侵入禁止ときつく言われていたところにまで辿り着いたのです。
そこには人がいた。上の空になり、生気を失っているかのように力ない、意志のない瞳をしていて、それでも未来を探っているように視線を彷徨わせる人がいた。視界の端に捉えたのか、こちらを向き、喋り掛けられた。「あなたは、だれ……?」と。
「私はリチィです」と、私は答えました。焦点が定まっているかのわからない、そんな目が私を捉えてまじまじと離しません。「リチィ? なにそれ? うん? あ、名前か。まあいいや。もう、お姉ちゃん、って呼んでいぃい?」なんて彼女は言うものだから、私は少しおかしく思って笑ってしまいました。
そうすれば、「なにがおかしいの?」と、すかさず彼女は切り込んできます。「いえ、なんでもありません。ぜひそうしてください。そう呼んでください」と、私は返しました。
おかしく思った理由は簡単。だって、生まれた順なら私の方が後だから。私なんかはついこの間、生まれたばかり。言ってしまえば彼女の方が年上でした。
彼女はそうして、「じゃあお姉ちゃんって、呼ぶね?」と、少し不思議そうな顔をしながらも確認をするようにつぶやきました。
どこか新鮮な気持ちになった私。気分を良くして尋ねます。「あなたの名前はなんですか」と。そしたら彼女は教えてくれます。「ミツホっていうの。明るい光に、稲穂の穂。光穂っていうの」と、そう語る少女の目はここではない遠いどこかを見つめているようでした。
「とても輝いてる。いい名前じゃないですか」と、私は率直に感想を述べました。しかし彼女は首を振った。うわ言のように「名前だけ。意味なんてない」そうどうしてか悲観している声が聞こえてきてしまう。
私にはその意味が完全に理解できていませんでした。なので尋ねることにしました。たわいのない質問です。まずは一つ、常套句とも言えないほどに、とても陳腐で、ありきたりすぎて、一周回って珍しいくらい、それでも彼女を知りたかったから、勇気を出して言いました。
――「好きな食べ物はなんですか」と。
彼女のささやかな笑顔を見ることができました。
そこからいくつかの意味のない、しかし楽しい問答を繰り返し、お互いに心が開けてきた時に気が付きます。彼の時間稼ぎもそろそろ限界が来る頃だろうと。
それで私は急いで彼女に、光穂ちゃんに「すみません、時間がないみたいです。私は戻らなきゃいけません」と、そう断りを入れました。けれど光穂ちゃんは名残惜しげに手を掴みます。握りしめます。その気持ちは私同じですから、困り果てて、身動きの取れない状況に陥ってしまいした。
そんな私に、光穂ちゃんは気遣って、それでも諦めきれないように、「もう一度、ここに来てくれる? お姉ちゃん」と言いました。
憂うような表情。その動作が伴って、それは私への完全な殺し文句になりました。私の返答は反射的に。大した思考を挟まずに、自身の状況など省みる暇などなく、ほとんどをその場で感じた激情に任せて、「当たり前です。頻繁には無理ですけど、許される限りなら、いつだって、なんどだって、どんなだって、私は必ずここにきてみせます」と、そう。
「ありがとう、お姉ちゃん。じゃあ、約束……は、でも、しない方がいいか……ぁ」と、諦めたように彼女は言います。そんな彼女の両手を取って、「いえ、約束です。約束しますから、私は絶対にここに戻ってきますから」と、私は言います。
潤む瞳で私を見つめて、それでも泣かないように、私をもう引き止めないように、彼女は言う。「ずっと、待ってるから。ずっとずっと、待ってるから。ありがとう、リチィお姉ちゃん」と。
「ええ、必ず」、そう言い残して、その場を私は去りました。
所長のもとに戻ってみると、ちゃんと彼は食い止めていたようで、二人で楽しくおしゃべりをしていました。なんとか気づかれていなかったようです。
あとから彼は、もう少しでまずかったと苦言をていしてきましたが、その台詞の端々から、からかいに近いものが感じられ、まだまだ余裕があったことがわかりました。
彼の協力なくしては、彼女との逢い引きが成立しません。その後もいくどか頼み込みました。呆れられながらも、なぜか彼は少し嬉しそうにして、断ることはありませんでした。
そうして、私の思うよりもすんなりと、彼女の元へと再度向かうことができました。定期的に、一週間おきくらいに通っていたと思います。
ある日のことです。私はふと気になって尋ねました。「光穂ちゃんは、どうしてこんなところにいるんですか?」と。彼女は少し考え込みます。そうして反問しました。「じゃあ、お姉ちゃんは?」と。
私がそこにいた理由。その時の私はあまり深くも考えずに、思い付いたままに答えます。「そんなの決まってるじゃないですか? 光穂ちゃんがいるからですよ」と。
からかうつもりもなく、はぐらかすつもりもなく、当然のように答たからか、彼女は困惑してしまいました。彼女のその動揺に、私は何をきいていたかさえ忘れてしまいました。
そしてまたある時、私はききました。「光穂ちゃんは、ここで何をしているのですか?」と。
彼女は少し悲しそうな顔をして、「ここじゃ何もしてないよ」と、答えてくれました。
「ここじゃ?」、その言葉に引っ掛かりを覚えた私は思わず反復してしまいます。してしまいました。
その途端に、彼女は目に涙をため、私に縋ってきました。
「私は、私は、どうしたらいいかわからないよ……。死にたい。死にたい。死にたい。でも、死んじゃ駄目なんだよ。帰りたい……なんて口が裂けても言えないし、だからって、もうここも嫌……っ! わがままだってわかってるけど……。でも、でもっ! ……助けて……、リチィお姉ちゃんっ……ぅ」と。
まず、解決をしようにも彼女の置かれている状況がわからない。この日はその場しのぎでありますが、彼女をなだめてこの場を借り離れました。
というわけで、光穂ちゃんのことをまず、彼に質問してみました。対所長は最終手段です。少し真面目に彼は答えます。彼曰く、「彼女は貴重なサンプルだからね。彼女は大したこともなく、壁を越えたんだ。彼は死に体だったのに。【背理】がなければ死んでいたかな。うん、向こうに行ったらそれもないし、大変だよね」だそうです。意味のわからないことを言っていました。
ただ口ぶりから、光穂ちゃんを所長に頼んであそこから出すのは難しいのだとわかりました。
部屋の隅に佇む少女。檻に入れられているわけでもなく、鎖に縛られているわけでもない。
それなのに、外に出れないのです。原因を探り、それを打ち壊すくらいしか方法がありませんでした。
私は望んで、渋る所長の手伝いをしました。私は頑張りました。所長の指示に従って、光穂ちゃんのためにも、嫌なことだって知りました、やりました。同時に、所長への疑心が、憎しみが募っていきます。
そうして色々調べるうちに、一つのことがわかりました。彼女は戦いに駆り出されている。聖なる森を人間に明渡さないための戦いに。
なんのためにか、それは彼の結んだ〈魂魄〉の神との盟約のためらしいです。
その頃になると、彼は私に協力的ではなくなりました。手を汚しすぎだと、君は僕のようになるべきではないと。
私は反発します。反抗期の子供のように。言われたことが理不尽な横暴に思えて。「何もしてくれないくせに」と。
実際、彼が何も協力をしていないわけではありませんでした。いくども手を借りはしました。けれど、私は知っています。彼がその気になれば、簡単に光穂ちゃんは解放されることを。
「だれだって間違えはある。そんなときは、少しづつでも直していけばいい。償っていけばいい」
その言葉からは苦悩が漏れ出ていました。悲哀が零れ落ちていました。後悔が滲み溢れていました。
どこか自分に言い聞かせるようなそんな言葉。
「きっと、赦されるから」
それを最後に、私は彼を見てはいません。罪過系スキル【奔放】を手に入れたのはこのときでした。
そして、彼と最後に別れて一日です。光穂ちゃんが消えました。
私としては、大混乱。その頃になれば、私の行ってはいけない場所はもうほとんどなく、光穂ちゃんの存在も、知っていておかしくはない状態でした。
なので、所長を問い質します。ただ所長は「想定の範囲内だ」と言うばかりで、役立たずでした。
私は探しました。所長に勘付かれないよう、私の目的を諭されないように。
最初に、穢龍と同化した状態で会ったときは辛かったです。なにせ所長がモニターしてるんですから、できる限り自然に、連れ帰らないようにしなければなりませんでした。
自爆して帰ったあと、所長が頭を抱えていた姿は面白かったです。
その後に後ろから、所長は「お前はもう不要だ」とか言って銃を向けてきます。生まれて一番の驚きでした。死ぬかと思いました。というか、予備のボディがなかったアウトでした。こっそり、くすねておいて良かったです。
ここからはお二方と合流しました。最初に会ったときの謝罪も含めて、光穂ちゃんには好きな食べ物を貢ぎました。こうして私は最善と思える計画を進めて来たんです。
結果は、このザマなんですけどね。
笑ってくれても構いません。むしろ、光穂ちゃんには笑っていてほしいです。彼女のためならば、私はどんな絶望的な戦いにだって挑んで見せます。
一人、覚悟を決めていると、祖龍はなぜか、疑問が氷解したような、すっきりとした顔をしていました。私に話しかけてきます。
「んん……そうだ、リチィ……だったな。リチィだ。リチィ。……それにしても、お前の創造主、あのいけ好かない誰かは死んだのか……?」
「え……っ。なぜ……所長のことを?」
「私たち似た者同士だ。それにあいつ、不信者のあの莫迦も、お前のことをよく話していた……」
私のことを話す、といえば、消去法で彼しかいない。
しみじみと語る祖龍の姿は、感じていた威厳が嘘のようにも思えるものだった。
「ああ、だが、あいつの言うように、いい親になんぞ、結局のところなれなかった……私たちは誰もな……」
――まあ、御託は終わりだ。
威圧感を増していく。空気がピリピリと振動している。戦わずとも、その垣間見える果てし無いまでの力にひれ伏してしまいそうだ。
けれど、その程度で私が怯んではいけません。彼女を守るためには、絶対に失敗するわけにはいけないんです。
一秒たりとも無駄にしない。勝利に向けて、この頭を働かせる。そうだ、いままでよりも高性能、龍と化したこの身体なら、今までいくら試算して不可能だったことも、可能になる。
もう勝利への道はできた。
後は辿るだけ。私ならできる。なにせ何度だってやってきたことだから。
「さあ、相手をしてやる」
その言葉と同時に、黒い雷撃が襲いかかる。龍特攻の力がこもった攻撃。今の私が受ければ、大ダメージを受けるばかりでなく、掠っただけでも竜力の使用が阻害される危険なものだ。
私は踊る。不規則な軌跡を描く攻撃は意味をなさない。ほんの少し屈んでみれば、上を。跳んでみれば、下を。身体を引けば、前を。踏み出せば、後ろを。まるで私を避けているかのように、その雷撃は当たらない。
祖龍は怪訝に思っただろう。外す確率なんてほとんどない。それを私は実行しているんだから。それが私なんだから。
翼を広げる。宙を飛ぶ。
まさかこんなことができる日が来るなんて、思ってもみなかった。祖龍の攻撃をかいくぐり、接近する。
「おかしいな……」
「私には当たりません。諦めてください」
もう祖龍は眼前だ。できる限り目一杯に、翼を拡張させる。もはや翼とも呼べない金属の塊が私たちを覆い尽くしていく。
「これは、さすがにまずいか……?」
「貴女も龍ですからね。自分の力で傷付くのは嫌でしょう? これだけ近づいているなら、容易には使えませんよね」
祖龍が自分の力を操りきれないわけじゃない。ただ、この距離ならば、集中力を私が掻き乱すだけでも、制御しきれずに、自分自身が損傷する可能性だってなくはない。私にとっては大きな違いだ。
「消耗を覚悟、というのは賢くないか……」
さらに祖龍は私だけと戦っているわけではないのだ。白いお方がどうなったかは知らないが、後ろには光穂ちゃんが控えている。
これならば、祖龍は連戦を強いられ、できる限り手傷を負いたくはないという心理が働く。全体の勝ちをみれば、私は弱らせるだけの仕事でも全く構わないから。
たけど、私は勝ちたいんだ。とても勝ちたい。この祖龍に、いや、違う、心の底から勝ちたいと思うのはむしろそれ以外の方。
彼に勝ちたい。私の努力を踏みにじるように彼は光穂ちゃんを外に出した。だから、私は本当の意味で光穂ちゃんを助けて、役に立ちたい。
白いあの霊龍にだって勝ちたい。光穂ちゃんの信頼を、私よりも受けているみたいで恨めしい。絶対にこの人にだけは負けたくない。いいところを見せるんだ。
「賢くない、ですか。そうも言ってられないかも……しれませんよ!!」
「だが、どうする? 私を傷付けられるのか?」
疑いない余裕を、自信を、挑発まじりで見せつけられたが構わない。
完全に捉えた。拘束をするように、すでに翼は祖龍を覆い尽くしきる段階にまで達している。なにをしようとここまでくれば手遅れだ。さらに翼は変わっていく。
そう、これでいい。祖龍は判断を誤った。
捨身でこられてしまえば、私はここであっけなく、どうしようもなく死んでしまっただろう。
だが祖龍のとった行動は違う。安全策、あの弾丸の嵐を耐えて、私の攻撃なんて大したものではないとタカを括っている。
翼が変形を終える。その面影はとおに失い、今はただ、金属の入れ物と化している。
しかし、ただの入れ物ではない。内側には窪みがある。その窪みには杭が埋め込まれている。
所長のボツ案に描かれていた武器らしきなにかを参考にしました。
「――『大辟の枷杭』!」
一斉に杭は射出される。狭い空間の中、かろうじて身じろぎをして祖龍はそれを防ぐ。殻にこもるように翼で身体の全身を守る。
二本。数十にものぼる杭が放たれたが、そのほとんどは祖龍の翼の硬い鱗に阻まれた。隙間を縫い、ダメージを与えたと言えるほどに深く突き刺さったのはたった二本。
上出来です。
突如として、私の翼が壊れ始める。中の質量が急激に膨れ上がっているようだった。おそらくですが、祖龍が本来の姿に戻ろうとしているのです。
私の翼はバラバラに砕け散った。即席で思いついた技です。このくらいの強度でも仕方がないでしょう。
祖龍はいた。宙に浮いて。
変わらずに翼に守られている。
二対の翼は繭のように。外界からのすべてを遮断してしている。この祖龍の変態に、干渉できる者というのは、神か、あるいは――私以外にいないでしょう。
突き刺さった二本の杭。特別製でアンカーのようになっています。深く食い込み、容易には引き抜くことができません。
そして、そうです、もう一つ。二本の糸が伸びています。よく目を懲らさなければ見えないものです。言うなれば、祖龍の繭の綻びでしょうか。
片方はプラス、もう片方はマイナスとして、一気に電気を流しましょう。その力は械龍にデフォで備わっていました。
効率としては、もっと糸の半径があったほうがいいのでしょうが、贅沢言ってはいられません。気付かれないことが第一でしたから。
「――『沈 滞の雷 錨』!!」
「…………」
糸を伝い、杭を伝い、雷撃は祖龍を通り抜ける。祖龍だって生き物ですから。私と違い生き物ですから。感電のショックで動けなくもなりましょう。
抵抗の分、エネルギーは変わっていく。電気から熱へと。さらには化学的なものへと。タンパク質が焼け付いている――嫌な臭いが広がっていく。
手応えは上々。できることならこのまま黒焦げに焼いてしまいたい。
しかしどうも難しいよう。電気抵抗がなくなった、あっけなく電子が一周してしまったような感覚がします。みれば、翼は開かれて、傷を負った祖龍が姿を現しました。
中途半端で体の皮膚のところどころに鱗が混じっている。痛々しく血の溢れる深い傷が二箇所。左脇腹と右肩に。火傷以上に酷い焦げた跡だってあります。
なんでこれで死なないんでしょうか。
「ああ、まさかここまでやられるなんてな……。だが、今度はこちらからだ……」
祖龍は左手にまとめて二つ、杭を持っている。この二つが接触している限り、もう祖龍の身体に電流が通ったりはしない。
そして今度は逆、祖龍はその糸つきの杭を利用する。意趣返し、と言ったところでしょう。
黒い雷撃が糸を伝う。とっさに切り離そうとすれど遅い。対応しきれない速度での到達。
ルートは既に定められて。こんなことをされてしまえば、万が一にも躱せない。甘んじて受け止めるしか方法はない。
まず感じるのは痛み。他の感覚のすべてを忘れてしまうほどに、無慈悲にも私の全身を伝播し、蹂躙していく。
痛覚は機能を止め、痛みさえも忘れてしまい、次は痺れが。なにも動かすことができない。動いているのかどうかさえもわからない。
おそらく私は今、床へと落ちていく中なのでしょう。それくらいしか私にはわからない。狂ってしまいそうなほどに、なにも感じられない。死というのは、こういうものなのでしょうか?
……そういえば、所長に創られて、私が初めて私として意識を持ったいつかのときも、こんな感覚だったのかもしれません。
いい加減、終わりにしましょうか。
「……『愚者の飛刃』……」
――あたり一面に爆音が響く。
同時に、私に流れる黒い雷撃が止む。
耳をつんざく暴力的な空気の振動。発生源は祖龍の左手。
杭は砕け、破片は散弾のように砕け散り、浅いながらもその皮膚を傷つけている。
「……よっ、と」
空中で、翼を使って体勢を立て直した私は、なんとか床に着地する。
もっと早く爆破させていれば、ここまで損害を被ることはなかった。欲をかいて、電流を流し続けていたこと。引き際を見誤ってしまっていました。
龍特効を受けてしまうと、竜力の使う精度が鈍るという話です。まあ、別に私は竜力に依存した戦い方をしないので、大した問題はありませんが。
しかし、それ以上に受けた純粋な身体的な損害が大きい。いくつかの機能がダウンし、動きにぎこちなさをもたらしてしまう可能性があります。
遊んでいた予備の機能を使っての補填。すぐに影響はないはずですが、それでも無理はできないことは確かでしょう。
自動修復は始まっているので、この数分、どう動くかが分水嶺です。
「くく、ふふ、まさかここまで虚仮にされるとはな……」
「そっちが本気出してないのが悪いんですよ……」
「あっちの姿じゃ喋る喉がない。といっても、いまはもう構わないんだが……」
会話をするため。だれと。どうして。
この祖龍がなにを考えているのか、わからなくなってきました。
――自分の使命を果たすこと、それが祖龍の全てだ――
昔、聞いた覚えがあります。けれど、そのためなら、こんなことをする必要はなかったはずなのに。
だからと言って、私のこなさなければならないことが、変わるわけではありません。祖龍が私たちを害そうとしている。それが変わるわけではありません。
性も懲りず、本来の姿に戻ろうと。空中で静止し、結果としてひどく大きな隙を見せる。
「そんな暇、あげませんよ?」
全力で走る。跳ぶ。
龍になり、上がった私の機能では、予想以上に、瞬く間に距離が縮まる。さて、どうやって攻撃しましょう、武器を用意する前に目標へ到達してしまいます。
翼を起動し、推進力を得、私は加速する。そのまま、体勢を微調整。祖龍に向かって一直線。思いっきり足を振り抜く。
蹴りとばす。
耐えきれないほどの衝撃が脚を襲う。それとともに、あの機能を阻害する力が一瞬だけ伝達してきた。ただ、これだけならば私はさして感慨を抱くことはありませんでした。
違和感を訴える箇所がある。最悪です。右脚、そこを覆っている皮膚のすねあたり。衝撃に耐えかねて砕けたパーツに内側から突き破られてしまっている。
私は私の身体に誇りを持っています。自分で言ってはなんですが、完璧だと思っています。だから、こうして傷ついてしまうことが許せない。
けれど、これが誰のせいで起こったのかは判断が難しい。ならばこの怒りごと、祖龍に押し付けてしまえばいい。それが今の最善です。
私の犠牲のともなう攻撃を受け、祖龍は勢いよく空中を滑る。しかしそれでも、体勢は崩れない。試みる変化を諦めていない。
地面に接触。大きく床材を削りながら、ただただ祖龍は耐えるだけ。その摩擦により動きを止めた。
追撃を加える。
もし、ここで本来の姿に戻られてしまうとなったら、全て台無しになる。それだけは意地でも避けたいことですから。
生半可な威力ではだめだ。さっきみたいに大したダメージも与えられない。
だからといって、威力をあげる、なんて単純で難易度が高い挑戦を、私はやってられません。右脚を見れば、誰だってそれが如何に無謀かわかるはずです。
ここはひとつ、アプローチの仕方を変えることが妥当でしょう。
祖龍を蹴って、私は自由落下中。あの黒い雷撃は受けたけれども、静電気程度。機能にはなにも支障をきたさない。
右手を変形させる。皮膚の部分が剥がれてしまうことが少々心苦しいです。けれど、背に腹は変えられません。
元々の内部の機構になかったものを付け足す。械龍と完全に同化して、こんな風に、自分自身の身体を改造できるようになりました。まだまだ安定しているとは言えない力ですが、これを使うための知識は、すでに私の中にあったようです。
これじゃあもう、手としても、腕としても機能を持たない。悲しみがこみ上げてきます。それでも、その武器を、私は使う。祖龍に向ける。
いま、私は自由だ。そう、すべての私の責任を、ぜんぶ背負って、生きていかなくてはならない。
それでも放り投げたくはない。すべて無駄したくはない。どんな過去だって、私のものだ。だから私は、ここで終わりたくはない。
動かない標的。標準は合った。あとは撃つだけ。
〔条件を満たしました。スキル『衝撃波』を取得します〕
――轟音が、あたり一帯を覆い尽くす。
***
やばい。
私の目の前で繰り広げられている闘いがやばい。今の攻撃って、あれだろ?
私のトラウマ。こっぴどくやられた思い出があるあれ。源氏のやつ、強敵だったよ。……あれ、平家だったっけ。
紛らわしい。記憶がもう定かじゃない。
今の攻撃の余波で周りの壁とか天井が、もうボロボロだよ。さすがにあれを食らっちゃ、どんなに硬いやつでもダメージは受けるだろう。問答無用に伝わって、内側をぐちゃぐちゃにするんだから。惜しむらくは、射程距離が短いことかな。
無表情の女性はしたり顔で着地する。やってやったぜ、といった感じだ。
祖龍の翼は縮んでいく。そして、中から現れ出た祖龍は、手も、足も、さっきとは違う。何ものも切り裂いてしまいそうな鋭い爪、何ものにも傷つけられそうにもない輝きを持った鱗。それは確かに龍のものだった。
けれど、半端だ。完全に龍の形ではない。
そんな姿のままの祖龍は、ぐらりと倒れる。
「……毒……カァ……」
もはや人ではあり得ない、鋭い目つきで無表情な女性を睨みつける祖龍。その声は、掠れていて、ギリギリ言葉として聞き取れるかどうかのもの。
その問いに、余裕を持って、無表情な女性は答える。もう、溢れんばかりの歓喜が感じ取れてしまう。
「はい。毒です。正直、龍に効くかどうかはわからなかったので、龍化は全力で阻止させていただきました。ですが、もう、ここまでくれば、どう転ぼうと私たちの勝ちは決まりです」
毒?
いつ仕込んだんだろ。あの杭っぽいのがそうだったのかな。にしても、恐ろしい。解毒のスキルとかないかな……。
……ないかな?
……いや、本当にないの?
……え、マジでないん?
ないんだ……。
「ナ、舐メルナァアア……ァアア!!」
祖龍は苦しげに声を上げる。床に這い蹲りながらも、その姿を変えようとしている。龍に戻ろうとしている。
目に見える速度で、祖龍の体は再構成をされていく。地面を這いながらも、無表情の女性に向けて襲いかかろうとする。
大きさは、そのまま。普通の人間と同じくらい。本来の姿には遠く及ばないのかもしれない。
それでも、姿だけは龍になった。そのまま口を開けて、無表情の女性を食い千切ろうと迫る。
だが、無表情の女性は動かない。避ける素振りさえ見せない。
最後の悪あがき、そう見くびっているのだろうか、不自然にその場から離れない。
「いやぁ、光穂ちゃん。ガタが来て、動かないんですよ」
――は!?
さっきまで、元気に跳ね回ってだよね?
足は……、あ、蹴った時にちょっと壊れたから、歩けない?
な、なら、飛べないの……? 翼は……あ、今、変な音出す機械のままだ。今から変形……いや、間に合わない。
無慈悲にも、私がフォローをしようとするその前に、祖龍の牙は届こうとする――
「あぶな――」
「全く、なにやってるの……」
――直前に、祖龍の動きが止まる。
上からの衝撃。地面に叩きつけられるようにして、祖龍は沈黙する。
「助かりましたよ……。でも……美味しいところだけ、持って行きやがりましたね」
「よく言うわ。どうせあなたも、こうやって私に留めを刺させるつもりだったんでしょう?」
そうして、姿を現したのはあの白い人だった。もう私なんて狂喜乱舞しながら号泣してしまう。
どれだけ焦ったか、私は床にベタっと脱力して座り込んだ。
「まあ、あなたが私に協力してくれるとも思えませんし、こんな形なることは予想ついてましたよ。さっさと吸いきってください」
「ええ、言われるまでもないわ」
なんで仲良くできないんだろう。もう私、怒っちゃいそうだよ。今はそんな気力、私にありそうもないんだけどね。
にしてもなぁ。白い人に踏みつけられて、祖龍はのたうちまわっていた。
正確には、剣を突き刺してなにかやってる白い人に、頑張って抵抗しようとしている。
なにか、こう、憐みのような倫理観に訴えてくるものがあった。でも、私は興奮を抑えられないようだ。頬は紅潮し、高揚で全身の体温が上がっているのがわかる。
これは、いけない。
やがて、祖龍は動きを止める。
死んだのか力をなくして、ぐったりと床に這いつくばる。
「やりましたか?」
「まだ。まだ半分くらい」
生きてはいるらしい。だけど、全く微動だにしたない。これじゃ見ていてなにも面白みがないだろう。
興奮の冷めた私は、無表情の女性に近づいていく。
「だいじょうぶ?」
「あ、光穂ちゃん。自動修復機能があるので大丈夫と言えば大丈夫です。安心してください」
無表情な女性は笑顔こそ作らないものの、歓迎と感激のオーラで私を迎え入れてくれる。
それに私は思いっきり跳びついて、抱きついてみせる。
「わっ、危ないじゃないですか? 怪我したらどうするんですか?」
そう心配しつつも、私の頭をいつものように優しく撫でてくれる。
そんな彼女に、私はニンマリと笑って、悪戯っぽく目を合わせる。
そして、言った――
「ありがとう。お姉ちゃん。もう、私は大丈夫」
キョトンとしたような驚き。静寂が場を支配する。そうして閉じられた彼女の目からは、流れ出るものがある。
これだけはなにも嘘はない。それだけはわかる。
「ありがとうございます。光穂ちゃん。私ももう大丈夫です」
そのお礼に、どんな意味が含まれているかはわからない。でも、きっと伝わっている。
私たちには、こんなに少ない言葉でも、共有できるものがあるんだ。
ただ、鋭い目線が突き刺さっているのを感じてしまう。
蚊帳の外にされて不機嫌だが、立ち入るのも野暮であり、そのどうしようもない苛立ちが露骨に表れているような視線だ。
まあ、気持ちはわからなくもない。
「――なっ!?」
聞こえた声に、私は振り返る。
さっきまでの視線はない。代わりにあるのは、恨みの篭った、睨みつける赤い眼光。
白い人が居たはずの場所には、ただ突き刺さった剣だけが取り残されていた。
「……ああ、やっぱり瘴気を耐え切れませんでしたか」
残念そうに呟く声。
私にはわけがわからない。もう、終わったはず。そう思っていた。
祖龍はその身体を膨張させていく。
なにか取り返しのつかないことが起こっているような気がする。
躯体は廊下だけでは収まり切らず、この建物の崩壊が始まる。
優しい声が私に言った。
「逃げて。きっと、できるでしょ?」
同時に、記憶が雪崩れ込んでくる。
――見覚えのある時計塔――黄昏――銀の獣――白い龍――人のいない街――
どうして今なのか……処理能力が追いつかない。周りでなにが起こっているのか全く認知ができない。
徐々に徐々に、黒が世界を覆い尽くしていく。
「やっと……ですね……。……やっと……」
吸い込まれるように、声が消えていく。
ここはどこだろう。
視覚も、平衡感覚も、どんな感覚を持ってしても、なにもわからない。ただただ暗いこの世界。暗い。暗い。
まるで死んだような気分だ。死んでしまったのだろうか。
そんなことより、もっと重要な問いがある。
――私とは、いったい誰だろう?
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やあ、かなり長い時間が経ってしまったね。もう僕のことなんて、忘れてしまわれているのかな。まあ、それはいいか。だって僕は一度も登場してないんだからね。
こうして彼女たちは、見事に祖龍を打ち損じてしまった。
しかたがない。元々、祖龍は他の龍が倒せるようには創られていないんだから。
ちょっと気の狂った神が、おかしなシステムを組み込んだことを除いてはね。
命は巡りまた次の周へ。今回で勝てなかったのならば、そうなるのが理だからね。
少なくとも、祖龍が倒されるまで、これが続く運命なんだ。
そうだ、少し話をしよう。
自身の運命に囚われて、その結果、迷い続けた一人の青年の話だ。
なんで、急に?
いや、だってね。次の周の話は、わけがあってできないんだから。
まあ、すぐに終わるよ。大して内容も薄い、取り留めのない彼の生き様だったのだから。いや、こう言ってしまうと怒られるかな。
とにかく、ここで一つ心機一転。今までのことはなにもかも忘れて、頭を空っぽにしてもらっても構わないよ。
はあ、それにしても。
こんなにも語ってしまった僕は、後でこっ酷く叱られちゃうんだろうなあ。
え? 別に構わない?
人の心配くらいしてくれたっていいじゃない。まあ、定義で言えば、僕は人ではないけど。
それじゃあ語ろう。
一つの使命を託されうまれた、一人の青年。〈精神〉を司るの神の欠片のお話だ。
やっと80話が書き終わりました。
次回から10話くらい他の人の話を番外編的に書きたいと思います。そしたら終わりですかね。