諦めたときは
「なにか、できることはないんでしょうか?」
私の前で真剣な面持ちのまま資料と睨めっこをしているこの男、ほかでもない、私を創り出した親たる人だ。
「別に、なにかしてほしいから作ったわけじゃない。お前ができた、それだけで私の目標に一歩近づくんだ。わかったな?」
資料から目を離して、私の方を見つめながら。
有無を言わせない鋭い目線が突き刺さるが、生憎それに動じる心なんて持ち合わせてはいなかった。
「掃除します。この部屋を汚いと判断しました。私のことはロボット掃除機とでも思ってください」
「触るんじゃない! どこに何があるかは理解できている。余計な真似はするな!!」
「でもこれでは、歩く度に資料が解読不能になるのでは? やはり私が……」
足の踏み場もないくらいに散乱した資料の一つを私は手に取る。
械龍を構成する部品を流用して、私はそうやって作られたと、あけすけにそう書いてある。
械龍は最も新しい龍であり、この私の親が最初から目をつけ、小細工を弄し、進化の方向性を完全に決定付け、利用している龍である。
最終的な目標のために、どうやら龍が必要で、龍を捕らえることがまず目先の課題であるそう。
この掌の上で転がしている龍であっても、捕らえることは難しいらしい。
どうしてそこで私が出来たか、まず全くもって分かっていない。
「そういえば、何見てるんですか?」
軽くステップを踏み、まばらに見える床を足場にこの男の後ろに移動する。
狙いが一体なんなのか、私はどうして生まれたのか、わかるかもしれないと考えたから。
よくわからない、地図のようなもの。
それにしては歪みすぎているとも思えてしまうなにかだった。
「なんですか? これ」
「地図だ。これは空間の歪みから生じる繋がりを示してある。例えばほら、こことこことが一時的に大きく接続していた痕跡が見えるだろう?」
「確かに歪みの形が似てますね。でもこれって、どうやって観測したものなんですか?」
そう聞けばこの男は少し頭をひねったあと、思い立ったように立ち上がった。
「そうだな、見てろ? こうやってだ」
棚からなにか額のようなものが取り出される。薬品のようなものが入った小瓶のいくつかも同時に。
「この空間結晶のはめられた額、ここには最大二十万平方キロメートルもの面積、そして、約二マイクロメートルの厚さ、とても薄く広い空間を縮小して、同調させられる」
机に額は置かれて。まず、なにか桃色の液体が垂らされた。額の後ろのガラスの上を、薄く、広がっていく。
「これは……?」
「これはただの色をつけた水だ。ああ……そうだ、汚れる、これを着ろ……」
無造作に押し付けられたそれは白衣。
明らかにこの男が着るためのもので、サイズなんてあっていずに。仕方なく私はそれを着るが、やはり手が袖に隠れてしまう。
その間にも私の親は違う小瓶を取り出した。
「そしてもう一つ、これを垂らす。微量にな。どうだ? やってみるか」
答えなんか聞こうともせず、一つ手渡してくる。
透明な液体で、見ただけではそれが何かはわからない。
静かに、慎重に、ほんの少し一滴だけ、しずくをその瓶から落とす。
そうすれば、波紋が広がる。けれど、色のついた水と透明な液体は交わらない。
少し、弾かれるように飛び跳ねた液体が頬にあたる。
水面が静かになり、不思議な模様が描かれて、独特な形をしていて、それがとても――
「どうだ? 綺麗だろ?」
私の顔をうかがいながら我がごとのように自慢する私の親。
その表情はいつもとは違い誇らしげなものだった、自慢気なものだった。
確かにそれは綺麗とでも思うべきもので、しかし一つ気になる点がある。
「ここ、とーってもゆにーくな形をしてるんですけど、なんでしょう?」
明らかに、空間の歪みを示しているのであるのなら、穴でも空いてしまっているような。
そんな形がそこにある。
この男は驚きに目を見開いたあと、ややあって私の頭に手を置いた。
「よくやった、リチィ」
そう言い残すとこちらには目もくれず、足元の書類を無遠慮に踏みつけながら出て行ってしまう。
一人残されて呆然とする。
とりあえず、今の内に片付けをしよう。
***
まじでどうするよ、これ?
嘘みたいに、無表情の女性は張られたトラップを抜けてきた。
「そうですか、空間の……いや、時間の歪み? なんにしろ、もうどうにでもなりますよ……っ」
片手で銃を弄びながら私へと近づいてくる。
どうやってだ。械龍とスキル統合されて、なにか新しい能力にでも目覚めたかなにかか。
心なしか、少女だった彼女の姿は、どこか成長をしているように思えてしまう。
かなりダボダボに思えた白衣は前よりマシに、機械であるはずの彼女にはまずあり得ない変化だ。
そして何より、一番大きなもの、それは――『空間把握』に反応している。
それがどんな意味を持つかはわからない。
そもそも、気配を感じるためには、そちらの方が私にとっては有利なはずだ。
「さあ、光穂ちゃん、いいや、妖龍。正々堂々、勝負と行きましょうか?」
ショートヘアーの、金属のように輝くその鈍色の髪を揺らしながら。
優しさの溢れる鋭い、けれど殺意に濡れたその鈍色の目をこちらに向けて。
銃口が、凶器が、私を完全に捉える。
おそらくだがもう、彼女は彼女を止められない。
私自身の実力で、これをなんとかできるだろうか?
ちなみに私には白い人にあっさりと敗北した実績がある。そんなに私は強かないんだよ。
逃亡の際に使えるネタは使い切った気もする。無理なんじゃないか、これ。
残りのエネルギーも少なく、竜力も使えず、もはや満身創痍といった状態。やっぱり無理だ、これ。
ははは。ふははは。
諦めよう。
今の私にこの目の前の少女を倒す術がないのだ。
【搾取】は効くか? 試そうとも相変わらず反応はない。
【苛虐】は効くか? 弱っていない、むしろ生き生きと、本当に生き生きとしている彼女に、絶対に意味はない。
【虚飾】は効くか? 確率操作なのかなにかは知らないが、どんなに誤魔化そうとも真実を撃ち抜かれて、繰り返す勇気はない。
敵わないな、本当に敵わない。
〔一定の経験値を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
動こうとしない、そんな私に彼女は無表情を貫きながら首をかしげた。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
その表情の変化、いや、変化と呼べるものはなく、彼女は彼女で。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
たとえ表情が動かなくとも、彼女を突き動かしているものが、なにかはわかる。
それは殺意。圧倒的な、本能的な、龍への殺意だ。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
しかし、それ以上に――
痛みが伝わってくる。何よりも、傷つけることが辛く、銃を向けることが辛く。
「なにか、企んではいませんよね?」
確認をする、その言葉。
涙を飲んでいたりはしない。単調に、事務的に伝えられたものだった。
無機質な表情はどことなく儚げで。
思い違いかも、思い込みかもしれないけれど、そう聞こえる。
きっと、そう。私には、そう聞こえた。
――どこか願望の混じったような。
表情ではない、声色ではない。
雰囲気が、訴えかけている。
漏らされない苦しみが、叫びが、感じ取られてしまうのだ。
不確かだけれど、それは明瞭で。隠されているようだけれど、それはあからさまで。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
――だから、私は……、私を捧げる。
残り少しを、少しの命を水増しして。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
彼女は銃の引き金に手をかけた。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
まるでスローモーションのように感じる。
彼女が怖気付くことなんてない。
淡々と、銃口から弾が放たれる。それは当たり前に、今の私が当たってしまえば完全にエネルギーがなくなってしまう。
『不死身』があるから死にはしないだろうけれど、気を失えば、龍纏が解かれてしまう。そういうことだ。
弾は真っ直ぐに、私の額へ吸い込まれる。
私が避けることはない。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
光が散った。
目を覆うほどに眩しく。
それはなぜか、銃弾が私に当たったから――そうではない。
「はぁ、はぁ、間に合った……」
――弾いたのは、剣だった。
私に当たる、すんでのところでその銃弾を切り裂いた。
「大丈夫だった? ミツホちゃん」
その声はとても心強い。
――私はエネルギーを代償にして、白い人を召喚した。