行きはよいよい
私の行動に意味はあるのか。
もはやそう思いかけてきた。
竜力の残りが悲しいことになっているのは、言わずもがな。
それどころかあれ以来、私を追いかける彼女の表情に緊張の色が見られないのだ。
「速度が鈍ってきたようですよ。少し休んでみてはどうでしょう?」
邪気のない笑みで、裏を見せない表情で、疲れなんかなく、気軽にとでも言わんばかりに私へそう喋りかける。
私はそんな甘言に、乗るつもりなど毛頭ない。
もしその通りにしてしまえば、どうなるかわかったもんじゃあない。
これ以上の作戦が思いつかない。
あらかたこの場所は荒らし回った。
『空間把握』にも依然として隠し通路的なものは引っかからない。
うーん。
白い人の家みたいに、空間と空間を繋ぐ扉みたいな感じだと、さすがの『空間把握』でも察知は無理なんだよ。
そうじゃなくても、もともと違う場所に潜んでいる可能性だってある。
ここにいるっていう推測も、実際はかなり不確定なものだし。
だって無表情な女性の言動からそう思ってただけだし。
これは完全にお手上げかなあ。
まあ、候補はあるんだけどね。
このわたくしを誰だと思っているんだい?
あ、竜力なくなる……。
〔一定の経験を〔一定の経験値を〔一定の経験値を〔一定の経験値を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
声が重なって聞こえてきた。
セーフ。セーフ。
危うくあの痛みをもう一度受けるところだった。
まあ、竜力が減っていくペースは下がってるし、なんとかなるかな。
〔一定の経験を得たことにより、レベルアップが起こりました〕
もうレベルアップはいいよ。
残りの分でなんとかなりそう。
目の前のことに集中していかなければ。
私は振り返る。
ちょうど彼女と、表情のある無表情の女性と向き合う形になる。
地面に立つ。
「ああ、やっと、やっと私に賛同してくれるようになりましたか。光穂ちゃんなら……」
親切に立ち止まって弁舌をふるう無表情な女性。
思い直して、無視をして、私は横の壁をぶち壊す。素直にそこを突破するより遥かに効率的なはず。
壁の中に逃げ込む私。
入ったところは、ベッドがいくつも置いてある。
そういや、人間をこの建物で見たことがないのだが、こんなに必要だったろうか。
無表情な女性は律儀に、私の通ったルートで入ってきた。
回り込んだりはしなかった。
やったぜ。
どうせ壊すなら正規の扉の方が楽だ。
そっちを私は壊してから、見事にUターンに成功する。
この建物も随分と荒れてしまった。どうでもいいけど。
目指すところはさっきの部屋。
あの、写真が置いてあったところだ。
怪しい。すごく怪しい。
あからさまに反応をしたというのに、なにもないなんて事はないはず。
そのまま廊下に私は戻る。
追いかけっこはまだまだ続く。
「そろそろ私にも我慢の限界がありますから。やめておきたかった、本当に嫌だったのですが、もうこうなったら仕方ありません」
なにかが私に向かって飛んできた。
黒いドロドロでガードするよ。
防御用の龍纏は使ってないが、なんとか背中を守ることに成功する。
空中を不規則に動いているはずなのに、容赦なく予知するように置き撃ちが繰り出される。
ん? 偏差撃ちか?
どっちでもまあ、何を表現したいのかは分かるだろう。
今回の弾は実弾じゃなくてエネルギー弾ぽいやつ。
所長と呼ばれる男を殺した凶器たるそれ、地面に落とされ忘れ去られた。
これは新たに懐から取り出したもの。
なかなか用意がいいようだ。
無駄弾は一発もなく、牽制さえもせずに、外すことなく私に全てを命中させる彼女。
当たるまいと身体を捻り、掌握をした黒いドロドロを蹴り、ときには壁を、床を、天井を蹴るその行動は何もかも無意味。
むしろ裏目に出ているくらい。
直撃だけは避けられる。
黒いドロドロガードは完璧。
しかしだ、これにも限界がある。いくら守れようとも、黒いドロドロぶんのエネルギーは減っていく。
「罪科系スキル【奔放】。早い話、確率操作です。そう考えてもらっても、大した不都合はありません。必ず当たらないって避け方をしない限りはこのまま、ジリ貧ですよ?」
余裕の笑みで解説をされる。
わざわざ自分のスキルを効果も含めて教えてくれるなんて……ああ、くそっ、自信の表れってやつか。
というか、必ず当たらないって避け方ってなんだよ。
私の避け方のどこが足りないというんだ。
まあ、いい。
なんのための台詞だったかは知らない。
私の望みを断つためか、諦めの念を引き起こさせるためなのか。
なんにしろ、絶対に後悔させてやるさ。
どうして急に私に対して攻撃をしかけてきたか。
私の目指すその場所こそ、重要ななにかが眠っている。
なりふり構っていられる状況では、なくなってしまったから。
無表情な女性にとって、守りたい何かがそこにはあるはず。
黒いドロドロが弾かれて散る。
これは妖特攻ほど、劇的に効いているわけではない。霊属性ほど、ダメージは与えられていない。
おそらくは私と同じ妖。なによりも黒い弾丸がそれを物語っている。
手加減かな。付け入る隙かな。
どうせ避けれないなら、後は開き直るだけだ。
無駄な動きを省き、一直線に目的地に向かうことが最適解。
エネルギーの減少量、ヒットする頻度、残りの廊下の距離、私の移動速度。
全て加味して考える。
また、黒いドロドロが削られて。
これじゃあ、確実に間に合いはしない。三発分、当たらないようにしなければ。
さあ、どうすればいい。
『流体掌握』。集中!
黒いドロドロを全力操作だ。
【虚飾】を発動。
私にちょうど重ねるように、幻影を出現させる。
同時に私の気配を消す。色や匂い、音や『空間把握』などで得られる情報さえも騙すことができる。
優れものだ。
私は右へ、幻影は左へ。
二メートルの距離が空いたそのときに、幻影が撃ち抜かれた。弾が【虚飾】をすり抜けて、壁に当たり閃光を散らした。
まずは一発。
この間にもトップスピードで私は進み続けている。
「びっくりしちゃったじゃないですかー。だめですよ? 驚かせたりしちゃあ」
言葉とは裏腹に。
冷静な射撃がなされる。
絶え間ない。
隠蔽は完璧なはずだった。
けれど打ち直された弾丸は、寸分たがわず私に迫る。
黒いドロドロは間に合った。
一発は外せたんだ。
味を占めた私。
同じ手順で【虚飾】を使う。
もう一度、幻影が私の隣に作り出される。
それにもう、意味はない。
その飾りに一瞥もくれずに、正確に私を撃ち抜こうと襲い来る。
おそらくは感知できていないはず、そのはずなのに。
脅威的だ。
べつのなにかを試みるしかない。
私の手札となるべきもの。
考えるまでもない、あと二発、あと二発だけ私自身のエネルギーを減らさずに耐え抜けばいい。
――余裕だっ……!
ここは復路。
掃除はされてない。
わずかながらに黒い飛沫が散っている。
『流体掌握』で無理やりにでもかき集めてやる。
地面に足を付ける。
私って、命削りながら走っているんだなあ。
そんなことはどうでもいいか……。いや、良くない。
その飛沫をがむしゃらにまとめた黒い球。私の全力操作の結果だよ。
タイミングを合わせて、空中へと浮かせ、守らせ、散らし。ここまでくればリサイクルはもうできない。
ここと目的地の距離じゃ、もう一回も不可。
「ネタは尽きたでしょう? いい加減、全て私に任せてはもらえませんか?」
容赦のない弾丸が、相変わらず黒いドロドロを消耗させていく。
そろそろ確かに限界だ。
目当ての場所は見える距離に、しかしとても遠く感じる。
撃たれるペースは変わらない。
あの私の開けた出口に辿り着くそのとき。凶弾により私は倒れる。
そういう予想だ。
私は足に力を込めた。
少しでも遠くへ、少しでも覆そうと。
ムカデ剣で薙ごうとも考えたが、竜力をそそがないとあれは扱いが難しいんだ。
限界までに肉体を酷使することになる。
非力たる私には、全力疾走だけでも結構きつかった。危うく【驕矜】もとい『強制行動』のお世話になってしまうくらい。
《龍纏・獣》が使えないせいだよ。全く。
その出口に着く私。
エネルギーが一桁、ギリギリ、なんか体内にいた頃を思い出してしまう。
ネバネバだ。
とりゃ、ネバネバ。
最後の弾が私に迫った。
それは慢心の表れだ。
なにかしら、方法をきっと持っていたはずだ。
例えばその、彼女の、右手に握った銃以外、白衣の下にチラつくそれを、左手でも使うとか。
もっと早くに決着を付けられた、最後まで手心が加えられていた。
傲慢だね――
私の全てのエネルギーを刈り取るはずのその弾。それは消える。
まるで空気と同化したような。いや、この表現は適切ではない。
正確には、空間に飲み込まれてしまうように、歪んだ世界に飛び込むように、滞りに揉み消され、気がつけばそこにない。
彼女の、無表情の女性の理解は追いつかなかった。
私は構わず部屋に入る。
辛い。罪科系スキルが十分の一くらいしか出てないのが辛い。
たぶん、持ち越す。