この世界を嘆き
意義を感じられない派手な装飾をされた富裕層御用達の店の立ち並ぶ大通りを抜け、私は指定をされた場所にたどり着いた。
飲食店のようだ。店先に設置された屋外の席には、私を呼びつけた張本人である彼の姿が確認できる。
食卓に飲み物の容器を置き果物を頬張る彼は、こちらにまだ気がつかない。
つまみ上げた赤い小さな果実を、上から落とすようにして、口の中へと放り込む。よほどお気に召したのか、同じ容器が彼の座っている食卓の上にはうず高く積まれていた。
相変わらずな彼らしい様子にため息をつき、私は渋々ながらに彼の対面に座った。
「やあ、遅かったね」
遅かった、とは。
約束の時間を思い出し、日の傾きと見比べようと、遅いことなど決してはない。
そんな彼の自分中心な物言いに、呆れるに他はない。
「お前が早すぎるだけだ。だいたいなんだ? お前の分際で私を呼びつけてそれは。こなきゃよかった……」
「いやいや、待ち合わせの五分前にその場所にいるのは常識だって、友人は言ってたから。それに沿っただけさ」
言外に自分には責任がないと。
私の機嫌を損ねないためかあっけらかんとその誰かになすりつける姿に遣る瀬無さを感じる。
彼のそんな性格を私に変えることはできやしない。
「それで、用とはなんだ?」
「何って、……君は神を信じるかい?」
正直な話、私にはこいつが何を言っているのか分かりはしなかった。
言葉の意味は理解できる。ただ、何故それが彼から私に発せられなければならないのか。そして、どんな意図を持って放たれた言葉なのか分からない。
「何と言ったのかよくわからなかったが?」
「どうしてだい。君は耳は良いはずだろう? 神を信じるかと聞いたんだ」
愚問だった。いくらなんでも私に問うべきものではないはずだ。
なぜなら――
「信じるもなにも、私たちを生み出したのはなんだ? どうして私たちはここにいる。どうして私たちは考えることができる。どうして私たちは存在が許される。どうして私たちは心を持ち得る。どうして私たちは景色を楽しめる。どうして私たちは風を感じられる。どうして私たちは息をしていられる。どうして私たちは意識を保てる。どうして私たちは記憶を繋げる。どうして私たちは愛おしさを伝えられる。どうして私たちは使命を果たせる。どうして私たちは価値が私たちにあると言える。どうして私たちは私たちであることができる――」
「――名前くらいしか知らない。一度しか会ったことのないやつを、よくそんなに信用できるなっ!!」
見当違いも烏滸がましい。聞くに耐えないその決め付けに私は笑いを堪え切れない。
「はは……、そうか。哀れだな。少なくとも私は、二度は会ってる」
「似たようなものだろ!!」
憤慨をしたように私に発せられた声。
ぶざけたことだ。何故この私がこんな不敬な奴と同列に扱われなければならないのか。
考えるまでもなく、非はあちらにある。
「戯れ言に付き合っている暇などない。ここにいる意味は私にはないんだ」
席を立とうとする私の手が掴まれる。不快だ。無遠慮にも私に触るこの愚か者を睨みつける。ああ、間違いなくこいつは私の気に障っている。
「待てよ……。どこに行くつもりだ?」
「言っただろう? ここにいる意味はないと。お前はつくづくおかしなことを訊くんだな」
「ただ純粋な疑問さ。だって……君には帰るべき場所なんてないんだ――ッ!?」
その言葉が言い切られる前に、これは宙へと一回転をし食卓の上に叩きつけられる。
他でもない、私が握られた手をきつく握り返し、ひねりを加えてやったおかげだ。
周囲からは恐れの混じっているような、不快感を訴えるような眼差しが降り注ぐ。別に構いやしない。
「一体お前は何のつもりだ。何のつもりで私が今まで生きてきたと思っている?」
「わらないね。僕はわかったよ……! 押し付けられた使命なんざ何の意味もない。命をかけることなんて莫迦げてる。君は何のために、何度もなんども、延々と、永々と繰り返しているんだ」
起き上がる彼を眺める。時間の無駄だと思ったが、実際そうであったらしい。しかしだ、この思い上がりの甚だしい、全てを悟った気になった、見当違いなこの意見をどうにか打ち砕いてやらなければならない。
幸い私には時間がある。
「わからないか? この世界のためだよ。誰のおかげでこの世界は狂わずにいられる? 莫大な量の毒素が溢れ出ずに生き物に影響を与えない? 他でもない……っ、私のおかげだ。全て私が終わらせている」
「それだよ。素晴らしい自己犠牲だね? いや、君の場合は自己満足か? 他に方法を考えない。与えられたものに甘受して、いくら犠牲が出ようともそれは認知しない。いや、分からなかったふりだ。一体君は君の子供達を幾度殺して来た?」
「なにを言っている? あの子達は私の誇りだ。世界の淀みを一身に引き受け、私に浄化される――」
「――そのためだけに産まれさせるだなんて可哀想な話じゃないか。何度となく殺されて、どれだけ生きたいと願ったか、どれだけ執着したことか」
話がなかなか読めてきた。それと同時に彼の使命も思い出す。
なんだそんなことか。ようやく得心がいった。どうせ私たちは同類か……。
「なあ、偉大なる彼の〈感情〉の神イリウスの、ちっぽけな欠片さん。どうせ彼女のためなんだろう?」
「――っ」
彼は口ごもった。
それは私にはどこか唖然としたような表情に見える。
ああ、やはりそうか。変わらない。口では何と言っていようと、こいつは自身の生み出された意義を忘れたりはしていない。
そのために、こんなくだらない演技までして私を留まらせようとしたわけだ。
「彼女が羨ましいよ。素晴らしいよ。どんな行いをしたかは知らないが、尊敬する神の一人には救われて、一人には見守られる。全く身にあまりすぎることだと本人は自覚しているのか?」
「――いや、違う」
「なにが違うというんだ?」
「……そんなんじゃない! 僕は僕のためにだ。使命なんざ関係はない。心の底から彼女のことを助けたいとそう思っている。彼女のことを理由にして、僕自身を切り捨てるつもりも微塵もない。――言っておくが、僕の名前はイウ、それだけだ」
私は覚えている。彼女に愛着をわかせようとでも考えたのか、私は彼に誘われあの孤立した国へと足を運んだ。
そのときに彼女が彼をそう呼んでいた。
「じゃあ、イウ。私だって同じさ。私の知らないところで、私の知らない誰かが、私の知らない方法で、私の対処している問題を、私に全く関係なく解決していたというのなら、私は断固としてそれを否定してやろう。そんなもの、私が認めない」
「よく言うよ。限界なんだろう? 前はぎりぎり良かったものの、毒素が世界中に蔓延した。もう森はあの聖獣たちの守る場所しか残っていない。いい加減認めろよ? 君一人で抱え込むには限度が過ぎてるんだよ。なあ? 祖龍!」
彼は一つ前の醜態を思い出させた。この龍という仕組みの限界を思い知らされそうになったあのときのことを。
しかし、できる限りの対策もした。二度とあんなことは起きたりはしない。
「……話にならない。もう行かせてもらう。それとそうだな……後始末は任せたぞ?」
周囲を確認する。何故か私たちは注目を集めてしまっている。明らかにこんな場所を選んだ彼の失態だろう。
どうせ大したことにはならないだろうが、彼だって、つまらないことで裁きを受けるのは遠慮したいはず。
「……君は、どうして淀みが発生するのか知らないんだね?」
もう後ろを向いた私を呼び止めるように発せられたその言葉。
「ああ、知らない。知りたくもない……」
そんなこと、私にはどうでも良かった。
***
私は走る。そんな私を、付かず離れず、無尽蔵な体力と共に追いかけてくる。
アンドロイドに追いかけられるこのシチュエーションなんぞ、ある洋画を思い出してしまうじゃないか。
私は扉を一つぶち壊す。
私は彼女の反応を確認する。
ここじゃない。
かれこれこんなことを繰り返している。
私はある探し物をしているのだ。
なにを探しているかって?
そんなもの、決まっている。
――械龍だ。
無表情な女性を殺したって、次の、また次の無表情な女性が現れるだけだ。
……どこぞの魔王だよ。
とりあえず、械龍を倒してしまえば解決するんじゃないかという短絡的な思考だった。
私は扉をぶち壊す。
なにか、さっきまでとは違う。
一瞬だが、焦り、迷い、そして懇願に近いものが感じ取れた。
それに反して、私はその扉に入っていく。
しかしだ。『空間把握』を使おうとも、そこは普通の部屋だった。
隠し通路なんて一切ない。
私の気のせいだったかもしれない。
あるのは右側の壁に着くように机、椅子。
左側には簡素なベッドが。
ベットの奥、隅には本棚が置かれている。
「龍の存在意義」、「魔力の性質」、「竜力」、「世界の褶曲方」、「〈空間〉の神」など。
なにか紙の束にぞんざいな背表紙が付けられて、本棚に入れられていた。
所長と言われていた彼が、なにか研究でもしていたものだろうか。
けれど、ひときわ目を引いたのがその上。
立てられた写真。
所長と呼ばれた男らしき人、今の無表情な女性と同じ姿をした女の子、そしてだれか、女性が一人映っていた。
救われない……。
「光穂ちゃん!!」
無表情な女性が私を追いかけてくる。
危害は加えたりはしてこないのだが、力尽きる私をその目で見届けたいのか、こうして付きまとってきているのだ。
私はムカデ剣を振るって壁に穴を開ける。
だって、出入り口が一つしかないんだ、仕方ない。
もし、次に捕まりでもしたのなら、逃げられないかもしれないから、私はこうして距離を取るんだ。
滞りなく、長い長い廊下に出られた。
械龍よ、どこにいる。
私がこの部屋から出たその瞬間、彼女の表情に若干の安堵が感じられたような気がした。
辛い。本格的にたたむのが辛い。くそ、やりきってやる。