未だ恨みは消えず
「いない……」
確かに隣で寝ていたはずのミツホちゃん。
そのはずであったけれど、いない。
おかしい。今までにこんなことはなかった。いつも私が起きる前にあの子が起きることなんてなかった。
「むにゅあー……、所長のやつー……」
その代わりなのかは知らないけれど、いつも無表情を忘れないこの子が隣にいた。
今度こそと思い、部屋を紹介してあげたのであるが、なぜかここにいる。
肩を揺らす。
ミツホちゃんの行方について、なにか知っていることがあるかもしれないから。
「う、うーん……はっ!? ここはどこ? 私は……私は……?」
よくわからないけど、ものすごく動揺をしているようであった。
ただ、そんなことは今の私には関係がない。
「ねえ、ミツホちゃんがいないの。なにか知っているんじゃない?」
「……へっ? ああ、なら……一回起きたときにあって、適当な感じにあしらわれました。トイレだったんじゃないですかね?」
役に立たない。
それも仕方ないか。この子はきっと、肝心なときになにも役に立ってくれない子なのである。
なにかそんな気がする。
今はこの子のように能天気に考えている暇はない。
私の『霊魂観測』で城中をすべて把握しようとするが、なに一つとして魂が見つからない。
「いないのよ……、ミツホちゃん」
「えっと、それはこの部屋にですか?」
その質問に、私は首を振る。
それで全てが伝わったのか、考えるように俯いた。
「あっ!」
そうして大きな声を上げる。
何事かと思いながら、あの男にリチィと呼ばれていた少女に注目をする。
思い出した名前だが、これからはリチィちゃんと呼んだ方がいいのであろうか。
「もしかしたら、所長のところかもしれません。会ったときに、今にも殺してやりたそうな目をしていましたから」
本当に、そうであったのであろうか。
そのときのミツホちゃんを思い出そうと記憶を辿る。
確か……あのときは……。
結果として、私は思い出すことができなかった。
いいや、違う。あのときはミツホちゃんのことを見てさえもいなかった。
私は馬鹿だ。
自分のことだけで精一杯で、あの子のことには気が回っていなかった。
後悔の念が押し寄せてくる。それに対して今更なにをと思ってしまう。
切り替えよう。
悔い反省したならば、これからにどう活かすかが重要で、そのせいでこれからをなおざりにしてしまったら、なにも意味がない。
すぐに部屋を飛び出して、昨日行ったあの場所へ向かおうとする。
そうしたらなぜか、リチィちゃんに腕を掴まれてしまった。
「今から行ってもどうにもならないと思いますよー。それでも行くんですか?」
「ええ、行くわ? ここでなにもせずにただじっと待っているよりは、何十倍、何百倍もマシだとは思わない?」
「じゃあ、私も付いて行きます」
ベッドから飛び降り、私の手を離した彼女。伸びをすると私より早く扉から出て行った。
最低限の支度を整え、私も後に続く。
空間結晶を使い、離れた地点を繋いだ扉に手をかける。
――空間結晶。
神の力を移されたと石といわれ、ある神に祈りを捧げると与えられるらしい。
この城に放置されていたものを使わせてもらっている。
それはともかく、人間の街の王都に出る。
相変わらず閑静で、本当に人がいるのか疑わしくなってくる。
私は走り出した。道は忘れず覚えている。
あの外観の荒れた建物。いやでも目立つあれを見逃すはずはない。
厄介ごとを恐れるに、翼が出せないことが、空を飛べないことが、これ以上ないほどにもどかしくなる。
記憶していた場所。今出せる全力を出し切り、走り、そこに着いて唖然とする。
半壊状態であった。
もはや荒れているなんて段階を越えて、普通なら倒壊を恐れて近づくことも躊躇うほど。
少しだけ荒れた息を整えながら、玄関ともつかなくなった入り口に近づき、中に入る。
そこではあの、からくり仕掛けの金属製の扉が原形をとどめないくらないにひしゃげられていた。
「酷い……」
思わず口に出してしまったが、これをやった犯人は想像がつく。帰ったら、しっかりとお話し合いをしなければ。
一人が入れるかどうかの隙間だけが捩じ開けられ、通れるか、通れないか、やはり広げてからがいいだろうかと逡巡する。
「どうして、こうなったんでしょうねぇ?」
後ろから、声をかけられる。少々遅れてあの無表情の子が追いついたのである。
振り返れば、あの変わらずの無表情が目に入った。目に入った――?
……おかしい。
この速度でここまで来たのに、なんでこの子は息を全く切らしていない。
私であっても乱れはした。それなのに、整える様子もなく、ただひたすらに無表情で佇んでいる。
「ん? どう……しましたか?」
訝しげにうかがっていれば、彼女は気が付き声をかける。
訊いたほうが、いいのであろうか。悩んでしまった少しの間、彼女は私を追い越して、その扉に手をかけた。
「まだ、動くみたいです」
完全に越されてしまっている。
騒音が鳴り響き、ぎこちないながらも扉が動いた。けれど、開き切らずに、つっかえたように途中で止まってしまっている。
「まあ、このくらいあれば通れますね。さあ、行きましょう」
そう言って出来た隙間に彼女は入っていく。一瞬の迷いも持たず、淡々として入っていった。
私もその後に続いていく。
それをくぐりながらも、なぜか納得しきれないような、不思議な気持ちに襲われてしまう。
「えっ……? ここって――」
その扉を抜けた先、わからないが、見覚えのない場所にたどり着いてしまった。
辺りを見回す。
高い天井、広い壁。大広間のような空間。何もない。中央には彼女が立ち止まり、こちらを振り返っていた。
「すみませんねぇ。少しだけ、相手をしなくちゃいけなくなったみたいです」
意味がわからない。
なんで彼女と戦わなくてはいけないのか。
こんなこと、している暇ではない。一瞬で勝負をつけて光穂ちゃんの行方を聞き出さなければ。
「ああ、そうです。一つだけ、言い忘れていたことがありました――」
わざとらしく声を張り上げ、さも意味ありげに彼女は続ける。
「――械龍アルギスリチィスとして、貴女を殺しにかかります」
無感情に放たれたその言葉。
無表情なその目には、迸る殺気が嫌というほど感じ取れる。
別に今じゃなくても……。
油断をしたら、殺される。龍との戦いはいつもそうであった。
驚きを押し殺しながら、私は目の前の龍を相手にすることにした。
***
目の前の男に向けて、私はムカデ剣を抜き放った。
竜力を受け、剣は伸び、男に届こうとする。届こうとした。それなのに、届かなかった。
「はあ、やはりきたか……」
私に背を向けたまま、椅子に腰をかけたまま、嘆息を一つ。こちらへと振り返りながらそう言った。
あたかも予想のうちであったかのような発言。それは私の機嫌をよくするものとはとうてい違った。
もう一度、ムカデ剣はうねる。
男を轢き殺そうとしなるが、なぜか全く当たったりしない。
私は首を傾げた。
この不可思議な現象に、どう説明をつけるべきだろうか。
「罪科系スキルってやつさ。【背理】って、やつでね。私のやっていることはどうしてか、道理に背いているそうなのだよ」
男は、余裕有り気にそう告げた。
その行動が癪に触るのは当然のはずだ。ムカデ剣で追撃をかけるが、やはり当たらない。
「もう君に手を出す気はないよ。大人しく帰ってもらえれば、お互いに一番楽だとは思わないかい?」
思わないね!
とにかく、どうしても私にとって、こいつは殺さなくちゃいけない存在だった。
この男は腰を上げる。
身長はおそらく百八十センチ程度。長身に分類される方であろう。
この男の特徴を改めて述べよう。
中肉中背中年くらい。中背というのは定義にもよるが訂正しよう。座っていては身長もよくわからない。
黒髪黒眼。髪はある程度は整えられていて、その目付きは相変わらず鋭い。
そして、肌の色。血色も良く、日焼けもしていない。しかし、色素の抜けた白色をしているわけでもない。
そうそれは、ちょうど黄色人種のようなものであった。
いや、もっと言えばアジア人、さらに言えば大和民族。
つまるところ――日本人だ。
おそらくだが、考えた結果、この男がそうであるという結論たどり着いた。
私が死んだとき、周囲にいた人。彼女以外にもう一人居なければいけない人がいた。
簡単な話、私を轢き殺したトラックの運転手だ。